救済の聲

甘灯

救済の聲【前編】

『やめて!その手を離してよ!』 


 少年は同級生から奪われそうになった絵本を力任せに自分のもとに引き寄せようとした。

しかし“ビリッ”と音を立てて絵本は背表紙から真っ二つに千切れてしまった。


『あ…』


 同級生は小さな声を上げて、手元に残った裂かれた絵本の片割れを呆然と見た。

一方の少年はもう片割れを胸にき抱いた。彼の様子に流石の同級生も罰が悪い顔をした。

しかし取り巻き達がいる手前、少年に謝ることがカッコ悪くてできなかった。


『おれのせいじゃない!!お前のせいだからな!!』


 同級生は絵本の片割れを床に投げ捨てると、教室中に響き渡るような大声をあげた。


『…お前ら行こうぜ』


 そのまま取り巻き達を引き連れて、同級生は教室の外に出ようとする。


『…待ってよ』


 少年は同級生が投げ捨てた絵本の片割れも胸に抱きかかえると、静かに立ち上がった。

深く下を向いていて、少年の表情は誰にも分からない。しかし彼が発した声音こわねは到底9歳と思えないほど、低く冷淡れいたんたるものだった。

その気迫きはくに同級生は若干じゃっかんたじろいだ。

だが取り巻き達がいる手前、やはり虚勢きょせいを張って声を荒げる。


『な、なんだよ!』


『これ“もと”に戻してよ』


『は?そんなのできるわけねぇだろ』


 少年の到底無理な要求に対し、同級生は一蹴した。


『バカじゃねぇの?一度、やぶけた物が元に戻るわけ…』


 不意に、少年が同級生の腕を掴んだ。


『!?』


 すると少年が掴んだ手から、オレンジかかった炎が突然現れた。

その炎は一瞬で燃え上がり、同級生の身体を包み込む。


『うわっあああ!!』


 火だるまになった同級生は悲鳴をあげて床を転げまわった。

その姿を少年は感情のまったくない瞳で静かに見つめる。

周りの取り巻き達も、傍観者に徹していたクラスメイトも、そんな少年に対して途端に恐怖を覚えた。

一様いちように青い顔をさせて、少年から距離を取ろうと後退あとずさる。


『なんの騒ぎなの!?』


 その時、担任教師が慌てた様子で教室に入ってきた。


『なっ!』


 教師は絶句した。

火だるまになった男子生徒が床にうつ伏せになって倒れている。

教師は慌てて、教室のすみにある消火器を手に取ると消火剤を勢いよく噴射させた。





  ────  ────





「…あの時は頭が真っ白になって、何も覚えてないんだ」


 南雲なぐも暁人あきとはそう言って、ニッコリと微笑んだ。


ーーあまりにもチグハグな表情だ。


 本城ほんじょう那月なつきはガラス越しで座っている暁人の顔を見て、そう思った。


「あの時のこと、悪いことをしたって……今も本当に思わないの?」


 普通の人間なら“自分の犯した罪”に責任を感じるはずだ。なぜヘラヘラと笑っているのか、那月には到底理解できない。


「しょうがないじゃないか。あの時の僕は『無自覚』でやっていたんだからさ」


 那月の非難の目に、暁人はただただ笑う。


「だって、自分にこんな【特異体質とくいたいしつ】があるなんて思わないじゃん」


「それは…」


 暁人の言葉に那月は返す言葉がなかった。


 【特異体質】については政府や軍の上層部である“軍本部”が秘匿ひとくにしている国家機密だ。


 特異体質を持つ人間は、実は昔からまれに存在していた。

遠くの景色や先の未来が見える千里眼せんりがん、人の心を読む精神感応せいしんかんのう、人や物体を瞬間移動させる人知を超えた能力。

『特異体質』とは五感どれか一つが特質した者や直感や霊感といった第六感、はたまた常人にはない才能や能力を持つ者の総称だ。

 そういう人達が表舞台に立つことは、これまで・・・・ほとんどなかった。

昔はそういう者を信じる人は多かったが、科学が発展していくうちに「そんなものはインチキだ!」と否定されはじめると、大半の特異体質者たちはひっそりと社会に溶け込むように生きる様になっていた。

しかしその特異体質に目をつけた研究者が一人いた。その研究者は特殊な波長はちょうを使って、人の脳の奥底に眠る「超能力」を人為的・・・に目覚めさせるという実験に成功し、政府は認めざるを得なかった。 

 政府はこの実験が軍事的に利用できると考え、特異体質者の量産を研究者達に指示した。

しかしそれは非人道的な実験の成果であることはいなめなく、一部の政府や軍の関係者、たずさわった研究者しか知り得ぬ事実になっていた。

そして、この“超能力の覚醒”の試験体となるのは『軍人のみ』に限られていた。

何故かといえば特異体質の素質を見極める『試験』が、軍の入隊試験で秘密裏・・・に組み込まれているからだ。 

この時代、『徴兵制』という制度が再び国民に課せられていた。

徴兵の対象者はくだんの試験を詳しく聞かされないまま入隊試験を受けることになる。

強制的に被験者にさせられたあげく、超能力が覚醒すればこの事実を秘匿することを『誓約』によって強いられる。

その見返りは、国が『自分と家族の“安全”を保証する』というものだった。


「僕は“被害者”なんだよ?勝手に軍に実用される前段階の『第一試験体しけんたい』にされてさ。大切にしてきた本も破られた。僕は彼と同じこと・・・・をしただけ。壊したのが物と人、それだけの違いじゃないか」


「“力”については非難するつもりはないわ。あんたの言うとおり被害者なのだから。でも問題はあんたのその思考・・・・の方よ」


「うーん。分からないな…何が問題なの?」


 暁人は心底わからないと言ったていで、腕を組んだ。


「人と物を同義に捉えてるところよ…有機物と無機物を混同こんどうさせるのはおかしいわ」


「そこ?普通はさ。『人は命があって、物は命がないから』とかさ…そういうことじゃないの?」


「そうそう。なんだ、分かっているじゃないの」


「……」


 那月のしたり顔に、暁人は顔をしかめた。那月の術中じゅっちゅうにまんまとハマった気分に違いない。


「君のそういう所、僕は大ッキライだ」


「あら奇遇ね。私も分かっていて被害者づらしているあんたが大ッキライよ」


 那月はそう言い返して、暁人と同じようにニッコリと笑った。


「……本城少尉しょうい、そろそろ時間だ」


 那月の後ろの鉄扉てっぴが開き、軍服の男が声をかけてきた。


「はい。すぐ行きます」


 那月は立ち上がり軍帽を脇に抱えると暁人に向き返った。


「じゃあ、私はもう行くわ」


「あ……うん」


 途端に歯切れが悪くなった暁人に、那月は明るく笑う。


「暇な時にでも、また来てあげるわよ」


 那月の言葉に暁人は少し安堵したように頷いた。




 薄暗い廊下。


「あの男とはどういった関係なんだ?」


 那月は、前を歩いていた大佐にそんな言葉を投げかけられた。


「小学校時代の、ただの同級生です」


 那月はありのままを伝えたが、大佐は「ほう」と含み笑いした。


「なんです?その含みのある相槌あいづちは…」


 那月は露骨に眉間のシワを寄せた。


「はっきり仰ってください。私はそう言うのが嫌いなので」


 那月がピシャリと言い捨てると、大佐は「ははっ」と愉快そうに笑った。


「なら言わせてもらう。なら、なぜお前は軍人になったんだ?」


 大佐の問いかけに、那月は押し黙った。


 “女性には徴兵制度が絶対に課せられているわけではないのに?”大佐はそう暗に告げているのだ。


「“彼”のため、ではないのか?」


 図星をされて、那月は黙って目を伏せた。




  ────  ────




 それは『絵本の事件』が起こって間もない頃、本城ほんじょう那月なつき暁人あきとに会いに行った時のことだ。


『はい。これ』


 簡素な面会室で、那月は暁人に包装した絵本を手渡した。

それを受け取った暁人はお礼も言わずに目をぱちくりさせた。

何も言わない暁人に対し、那月はムスッと仏頂面になった。


『…誕生日プレゼント』


 那月がぶっきらぼうに告げる。


『……なんで僕にプレゼントなんてくれるの?』


 暁人は心底不思議そうな顔で首を傾げた。


『“なんで僕にプレゼントなんてくれるの?”ですって』


 那月が苛立いらだったまま言葉をそのまま返すと、暁人はコクリと頷いた。


『友達の誕生日にプレゼントあげるのって、普通のことでしょ?』


『友達…』


 那月の言葉に、暁人は深くうつむいた。


『なぁに?私と友達なのが嫌なわけ?』


 那月は不機嫌顔になり、思わず口を尖らす。


『いや…だって…僕は…』


 暁人は俯いたまま、ぽつりぽつりと話す。


『あいつを…その…』


『いいよ。言わなくても、わかってるから』


 那月はストップをかけた。


『それよりプレゼント見てよ』


『あ、うん』


 暁人は包装の青いリボンをスルスルと解く。

包装紙を外してそれを見た瞬間、暁人はバッと顔をあげた。


『これ…!』


『………ごめん。元通り戻すの無理だったの』


 那月は罰が悪そうに頬を掻いた。


 那月からの暁人へのプレゼント。

それは騒動の発端になった『あの絵本』だった。

騒動後、暁人は駆けつけてきた警察官に連れて行かれて、元凶の本を教室に置いてきてしまっていた。

そこで那月は誰にも気づかれないように絵本をそっと回収しておいたのだ。

暁人はまだ幼い年齢であったが重犯罪を犯したことで、保護処分となり更生施設に送られていた。

だが近々、遠くの別の施設・・・・に行くことが決まっているらしい。

もう会えなくなると思い、那月はその日までに絵本の修復して暁人に渡そうと思った。

だが接着剤やテープでなんとかくっつけようと試みたが、やっぱり見栄えが悪い。


『新しい物より……暁人はそれがいいんだよね』


 那月が暁人に微笑んだ。


『うん。…もう戻ってこないと思ってた…』


 暁人は絵本を強く胸に抱える。


『ありがとう。…これだけが本当のお母さんがくれたものだったから…』


 絵本を抱き、俯いた暁人の頬から一縷の涙が零れ落ちた。


 そんな暁人の様子を黙ってみていた那月は『ある誓い』を自分自身に立てた。


 

 どんなに周りから否定されようとも、自分だけは彼の味方であり続ける。そして彼を守れる存在になろう、と。

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