救済の聲

甘灯

第1話 用意されていない選択肢

『やめて、その手を離してよ!』


 少年は奪われそうになった絵本を力任せに自分のもとに引き寄せようとした。

しかし、ビリッと音を立てて絵本は真っ二つに引きちぎれた。


『!?』

『あ…』


 「やばい」と思った同級生は、ぱっと絵本から手を離した。

少年は背表紙せびょうしから2つにちぎれた絵本を胸にき抱く。

その様子に、同級生は一瞬だけ罰が悪そうな顔をした。

しかし取り巻き達がいる手前、謝ることはカッコ悪い。


『おれのせいじゃない!!お前のせいだからな!!』


と同級生は教室中に響き渡るような大声をあげた。


『…お前ら行こうぜ』


 同級生はそう言って、取り巻き達を引き連れて教室の外に出ようとする。


『…待ってよ』


 絵本を抱えたまま、少年は静かに言った。

下を向いていて、表情は分からない。

しかしその声音こわねは7歳と思えないほど、冷淡れいたんたるものだった。

 その気迫きはくに同級生は若干じゃっかんたじろいだ。

だが取り巻き達がいる手前、やはり虚勢きょせいを張って声を荒げる。


『な、なんだよ!』

『これ“もと”に戻してよ』

『は?そんなのできるわけねぇだろ』


 少年の到底無理な要求に、同級生はあざ笑った。


『バカじゃねぇの?一度やぶけた物が戻るわけ…』


 そう言いかけた同級生の腕を、少年が不意に掴んだ。


『!?』


 すると少年が掴んだ手からオレンジかかった炎が突然現れた。

その炎は一瞬で燃え上がり、同級生の身体を包み込む。


『うわっあああ!!』


 火だるまになった同級生は悲鳴をあげて床を転げまわった。

その姿を、少年は感情のまったくない瞳で静かに見つめる。

 周りの取り巻き達も、傍観者に徹していたクラスメイトも、そんな少年に対して、途端に恐怖を覚えた。

一様いちように青い顔をさせて、少年から距離を取ろうと後退あとずさる。


『なんの騒ぎなの!?』


 その時、担任教師が慌てた様子で教室に入ってきた。

クラスメイトの誰かが、呼んだのだ。


『なっ!』


 教師は絶句した。

火だるまになった男子生徒が床でうつ伏せになって倒れている。

教師は慌てて、教室のすみにある消火器を取ると、勢い良く消火剤を噴射させた。




   ◇◇◇◇   ◇◇◇◇


 ーそれから12年後。


「あの時は頭が真っ白になって、何も覚えてないんだ」


 南雲なぐも暁人あきとはそう言って、ニッコリと微笑んだ。


ーあまりにもチグハグな表情だ。


 ガラス越しで暁人の話を聞いていた、本城ほんじょう那月なつきはそう思った。


「あの時のこと、悪いことをしたって……今も本当に思わないの?」


 普通の人間なら“自分の犯した罪”に責任を感じるはずだ。

なぜヘラヘラと笑っているのかと那月には暁人のことが理解できなかった。


「しょうがないじゃないか。あの時の僕は『無自覚』でやっていたんだからさ」


 那月の非難の目に、暁人はただただ笑う。


「だって、自分にこんな「特異体質とくいたいしつ」があるとは誰も思わないじゃん」

「それは…」


 暁人の言葉に那月は返す言葉がなかった。



   ◇◇◇◇   ◇◇◇◇



「特異体質」のことは政府や軍の上層部である“軍本部”が秘匿ひとくにしている国家機密だ。


 特異体質の人間は、実は昔からまれに存在していた。

遠くの景色を見通したり、先の未来が見える千里眼せんりがん、人の心を読む精神感応せいしんかんのう、そういった五感のどれか一つが特質した者や第六感のような能力を持つ者。

 『特異体質』とは、そういった常人にはない才能や能力を持つ者の総称だ。


 そういう人達が表舞台に立つことは、これまでほとんどなかった。


 昔はそういう者を信じる人は多かったが、科学が発展して、「そんなのはインチキだ!」と否定されはじめると、大半の特異体質者たちはひっそりと社会に溶け込むように生きる様になっていた。

 しかしその特異体質に目をつける研究者が一人いた。

その研究者は特殊な波長はちょうを使って、人の脳の奥底に眠る「超能力」を強制的に目覚めさせるという実験に成功し、政府は認めざるを得なかった。

 政府はこの実験が軍事的に利用できると考え、特異体質者の量産を研究者達に指示した。

 しかしそれは非人道的な実験の成果であることはいなめなく、一部の政府や軍の関係者、たずさわった研究者しか、知り得ぬ事実になっていた。

 そしてこの「超能力の覚醒」の試験体となるのは『軍人のみ』に限られている。

何故かといえば『特異体質の素質』を見極める実験が、軍の入隊試験に秘密裏・・・に組み込まれているからだ。

 この時代、『徴兵制』という制度が再び国民に課せられていた。

徴兵の対象者には軍に入るか、入らないか、という選択はそもそもないのだ。

無論、それは当事者には伝えられていない状態で行なわれていた。

強制的に被験者にさせられて、超能力が覚醒すれば、この事実を『秘匿すること』とを『誓約』によって強いられる。

そして、その見返りは『国が自分と家族の“安全”を保証する』ことだった。




   ◇◇◇◇   ◇◇◇◇


「僕はどちら・・・でも“被害者”なんだよ?勝手に「試験体しけんたい」にされて……しばらく野放しにされちゃってさ。「大切にしてきた本も破られた」。僕は彼と同じこと・・・・をしただけなのに。壊したのが物と人って違いだけじゃないか」


「“力”については非難するつもりはないわ。あんたの言うとおり被害者なのだから。でも問題はあんたのその思考・・・・の方よ」

「うーん。分からないな…何が問題なの?」


 暁人は心底わからないと言ったていで、腕を組んだ。


「人と物を同義に取られてるところよ…有機物と無機物を混同こんどうさせるのはおかしいわ」

「そこ?普通はさ。『人は命があって、物は命がないから』とかさ…そういうことじゃないの?」

「そうそう。なんだ、分かっているじゃないの」

「……」


 那月のしたり顔に、暁人は顔をしかめた。

暁人は那月の術中じゅっちゅうにまんまとハマった気分に違いない。


「君のそういう所、僕は大ッキライだ」

「あら奇遇ね。私も分かっていて被害者づらしているあんたが大ッキライよ」


 そう返して、那月はニッコリと笑った。


「……本城少尉しょうい、そろそろ時間だ」


 那月の後ろの鉄扉てっぴが開き、軍服の男が声をかけてきた。


「はい。すぐ行きます」


 那月は立ち上がり軍帽を脇に抱えると暁人に向き返った。


「じゃあ、私はもう行くわ」

「あ……うん」


 歯切れの悪い暁人に、那月は明るく笑う。


「暇な時にでも、また来てあげるわよ」


 那月の言葉に暁人は少し安堵したように頷いた。






「あの男とはどういった関係なんだ?」


 前を歩いていた大佐にそう言葉を投げかけられて


「小学校時代の、ただの同級生です」


と那月はありのままを伝えたが、大佐は「ほう」と含み笑いした。


「なんです?その含みのある相槌あいづちは」


 那月は露骨に眉間のシワを寄せた。


「はっきり仰ってください。私はそう言うのが嫌いなので」


 那月はピシャリと言い捨てると、大佐は「ははっ」と愉快そうに笑った。


「なら言わせてもらう。なら、なぜお前は軍人になったんだ?」

「………」


 “女性には徴兵制度が課せられていないのに”。

大佐はそう暗に告げているのだ。


のため、ではないのか?」


 図星をされて、那月は黙って目を伏せた。




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