社会は冷たい、配慮あるとはなんだろう?

星咲 紗和(ほしざき さわ)

第1話 冷たい社会の実態

公共の場で、私たちはしばしば「冷たさ」を感じる場面に直面します。特にバスや電車など、限られた空間に多くの人が集まる場所では、他人に対する配慮が薄れ、無関心な態度が目立つことが増えてきました。そうした空間で、本当に席が必要な人が不安そうに立っていたり、逆に座っていることを責められたりする場面に出会うと、社会の「冷たさ」を感じずにはいられません。


例えば、ある日、電車の中で体調が悪そうな若い女性が座っているのを見かけました。顔色が悪く、明らかに疲れている様子でした。その時、彼女に向かって年配の男性が近づき、いきなり「若いのに座るなんて甘えている」と心無い言葉を浴びせたのです。女性は戸惑いながらも席を譲り、申し訳なさそうに立ち上がりました。その男性はまるで当然のようにその席に座り込み、何事もなかったかのように無表情で座り続けました。この一連の出来事を目にした時、私は深い違和感と悲しみを覚えました。


また、別の日には、妊婦の方や足の不自由な高齢者が立っているのにも関わらず、誰一人として席を譲ろうとしない光景も目にしました。周りの人々は自分のスマートフォンに夢中で、周囲に目を向ける余裕などなさそうに見えました。誰かが譲るだろうという無意識の期待や、他人に干渉しないことが良しとされる風潮が、席を必要とする人への配慮を遠ざけているのかもしれません。


こうした場面に遭遇するたびに、社会全体に漂う冷たさや配慮の欠如について考えさせられます。他人に興味を持つことが悪いことのように感じられる空気、そして他人に対して「配慮する」という行為そのものが重んじられなくなっている現状が、私たちの中に根付きつつあるように思います。


私たちの社会がもっと温かい場所になるためには、本当に席を必要としている人が安心して座れる空間を作り出すことが必要です。そして、それを可能にするためには、私たち一人ひとりが他人を思いやる気持ちを持ち、自分自身を優先することだけではなく、時には周囲に目を向けることが求められているのではないでしょうか。


次回は、このような「冷たさ」の背景にある要因について、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。社会が冷たくなっているのは、私たちが忙しすぎるからなのでしょうか?それとも、他人に干渉しないという価値観が行き過ぎてしまったのでしょうか?

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