最強の魔物とルームシェアしてダンジョンを探索するだけの簡単な生活

第1話 奇妙な出会い

 今から五年前、世界中に奇妙な地下鉄の入り口のようなものが生まれた。

 突如として生まれたそれは異界に存在するダンジョンへと繋がる『ゲート』だった。


 警察、軍、マスコミ、果ては配信者まで、様々な人々がダンジョンに入り調査を行った。

 その結果、現代の技術では説明がつかない特別な力を秘めた四角い箱が発見された。


 例えば大規模な水の浄化を可能とする箱。

 例えば大量のごみを消滅させる箱。

 例えば指定した座標への転移を可能とする箱。

 例えば透視を可能とする箱。


 現代社会に大きな利益をもたらすそれらは、アーティファクトと名付けられた。


 アーティファクトは各国政府や様々な組織が高値で取引するようになり、ダンジョンに潜る人々も出始める。

 世界はダンジョン時代と突入しつつあった。


 そして、今まさに。

 俺の眼の前に、そのゲートが存在している。


「……は?」


 起きたばかりの寝ぼけ眼で、俺は眼の前のそれを見つめる。


 地下鉄にも似た地下通路への入口。

 昨日までは姿形すら存在しなかったのに、今朝起きたら何故か我が家の庭に生まれていた。


 夢でも見ているのかと思い、頬をつねる。

 しかし確かな痛みがあった。

 どうやら夢ではないらしい。


「お兄おはよー……ってあれ、どうしたの庭なんて眺めて」


 目をこすりながら妹のコハルが起きてくる。

「おぉ……」と空返事しながら俺は庭を指さした。


「これ何だと思う」

「何これ。地下に倉庫でも作ったの?」

「いつ工事したんだよ。昨日まで無かったろ」

「じゃあまさかこれってゲート?」

「っぽいな……」


 俺は渋い顔で頭を掻いた。

 うちは二階建てのそれなりに大きな一軒家だ。

 庭もある程度広さはあるのだが。


「だからって何でウチの庭にゲートが出来んだよ……」

「すごぉ。写真撮らないと。学校で自慢しよっと。あ、Tinkleにもショート上げよ」


 Tinkleとは学生を中心に流行っている動画投稿サイトだ。

 コハルは動画の投稿を趣味にしている。

 それなりに人気があるらしく、収益化を狙っているらしい。


 ただ、今はそんな話どうでも良い。


「えーっと、こう言うのって通報義務あんだっけ? 警察に電話したら良いのか? 今日午前中から講義なんだけど。午後からバイトも入ってるし」

「別にすぐ電話する必要ないんじゃない?」

「何か変なの出てきたらどうすんだよ。たまにニュースになってんだろ」

「そんなに滅多に出てこないよ」


 ゲートから魔物が出てきて人的被害が生ずる、と言うニュースは極稀にだが流れる。

 ただ、そもそもゲート自体がそれほど大きくないため、出てきたとしても小型の魔物が精々だ。

 ゲートの近くに居るような魔物はそれほど脅威ではないらしいので、確かにそこまで心配しなくても良いのかもしれない。


「でもなぁ。放って置くのも気持ち悪いな」

「良いじゃん、封鎖でもされちゃったらつまらないよ」

「俺は安全の話をしてんだよ。お前、動画撮りたいだけだろ」


 俺はチラリとゲートに目を向ける。

 地下鉄の入口にも似たゲートの奥は、闇に閉ざされていてよく見えない。

 その光景に得体の知れない不気味さを感じた。


「やっぱちょっと見てくるわ」

「えぇ、お兄本気?」

「少し中見るくらいなら大丈夫だろ。奥まで行かねぇから安心しろ。もし戻ってこなかったらすぐ警察行け」

「ちゃんと無事に帰ってきてよ?」

「心配すんな。妹一人残して消えたりしねぇよ。ちょっと様子見るだけだ」

「うん……」


 何も武器が無いのは心もとなかったので、玄関の傘を持っていくことにした。

 魔物相手に役立つか分からないが、無いよりマシだろう。


 傘を手に取り、いざゲートの前に立つ。


 すると、妙なことに気がついた。


 風が流れているのだ。

 空気が吸い込まれるように、ゲートの奥へと流れている。

 招かれているようにも感じた。


 俺はゴクリと唾を飲み、不気味な階段を下りていく。


 ゲートの先に存在するのはダンジョンだ。

 ただ、こうして実際にダンジョンに入るのは初めてだった。

 ダンジョンと呼ぶくらいだからゲームにあるような洞窟なのだろうと思っていたのだが、どうやら違うらしい。


 ゲートの先にあるのは、ただの舗装された地下通路だった。


 地下鉄へ向かう通路のようにだだっ広く、天井には蛍光灯まで点灯している。

 しかし、こんな住宅街のど真ん中にこの規模の地下通路があるはず無い。


 薄暗い道をまっすぐ進む。

 庭用のサンダルで歩いているのに、足音が反響する気がした。

 幸いにも一本道らしく、道に迷う恐れはなさそうだ。


 しばらく進むと、やがて広い空間へとたどり着いた。

 だだっ広い駐車場のような場所である。


 その中心に、大きな塊があった。


 まず最初に目に入ったのは、視界に収まらないほどの巨躯きょくだった。

 その全身はフワフワの銀毛に包まれていて、まるで雪のように仄かに輝いて見える。

 そこからは尻尾が九本生えており、ゆらゆらと静かに揺れていた。


 俺がヒュッと息を飲むと、眼の前にいるそいつはゆっくりと動いた。

 薄暗い空間に真っ赤な目が浮かび上がる。

 本能的に、自分と相手が獲物と捕食者になったのを感じた。


 眼の前にいるそいつは巨大な九尾の狐であり。

 そして間違いなく、このダンジョンのボス的な存在だった。


 逃げることは許されない。

 瞬く間に距離を詰められてしまうだろう。


「何者じゃ?」


 肌を突き刺すような女の声が響いた。

 魔物が言葉を話すことに驚いたが、それよりも緊張が勝った。


「お主、なぜここにいる」

「俺は……」


 何と答えればよいか分からなかった。

 だから、真っ先に頭に浮かんだ言葉をそのまま告げた。


「俺は、ここの家主だ」

「家主?」


 冷や汗を流しながらも、俺は頷いた。


「ここに繋がる通路がうちのそばに突然できたんだ。だから様子を見に来た」

「何故お主の家にここが繋がった?」

「知らねぇよ。とにかく、さっさと場所を移してくれないか」

「誰にものを言っておる?」


 いつの間にか魔物の巨大な鼻先が俺の眼の前にあった。

 真っ赤に輝く二つの目が俺を捉えている。

 むき出しになった歯は鋭く、一本一本が俺の腕くらいの太さはあった。

 襲われればひとたまりもないだろう。


わしは九鬼じゃ。九尾の狐の九鬼じゃ。その儂に向かってどこかへ行けじゃと? 人間風情が」


 鼻先で押され、地面に倒される。

 手に持っていた傘は振り回す間もなく弾き飛ばされた。

 そのまま上に覆いかぶさられる。


「相手を見て物を言え、小僧」

「う、うるせぇ!」


 普通ならここで震え上がるべきなのかもしれない。

 でも、俺は引かなかった。

 引いたらダメな気がした。


「ふざけんじゃねぇぞ……人間が嫌いならあんなとこにゲートなんて置くんじゃねぇよ!」


 俺はしばらく目と睨み合った。

 鼻先を押し付けられ、身動きが取れない。

 どうせ殺されるなら一矢報いてやる。

 そう思って拳を握りしめていると――


「……ふっ」


 不意に、眼の前の九鬼が笑った。

 そしてたがが外れたようにケタケタ笑い出す。


「弱いくせに虚勢を張りおって。たかが人間の癖に……ふふ」


 何だ?

 馬鹿にされてんのか?

 突然笑い始めた九鬼に呆然とする。


 俺が目を丸くしていると、体に伸し掛かっていた重圧がスッとなくなった。

 素早く立ち上がり、相手と距離を取る。


 俺が警戒していると、「行くが良い」と九鬼は言った。


「今日は見逃してやろう。お主の愚かな度胸に免じてな」


 どう言う理由かは分からないが逃がしてくれるらしい。

 ならこのチャンスを逃す手は無いだろう。

 相手の気が変わらないうちにさっさと退散するに限る。


 ただ、この化け物がどのような嗜好を持っているかわからないからな。

 逃がそうとして安心したところを追い詰めて楽しもうとしている可能性だってある。

 俺は相手に背を向けないまま、少しずつ距離を空けていった。


 すると「おい」と声を掛けられる。

 今度は何だよ。


「お主、名前は何という」


 名前を言ったりしたら呪われるだろうか。

 嘘の名前を言おうか迷ったが、下手な嘘をつすぐに見ぬかれてしまう気がした。


 俺は小さく唾を飲みながら「守森屋まもりやアキヒト」と答える。


「お主、ここの近くに住んでるのか?」

「住んでるも何も、この真上が俺の家だ」

「ほぅ」


 俺の言葉を聞いた九鬼はニッと不気味に笑った。


「なら、ここから出ればまたお主に会えるのか」


 その笑みに怖気が走る。

 鳥肌が立ち、得も言われない嫌な感覚を覚えた。


「言っとくけど、お前……俺の家族に手ぇ出したらただじゃ置かねぇからな」

「弱き者がよく吠えるものじゃ。安心せえ。さっきから警戒しておるが、そのような嗜虐趣味はない。お主が下手なことをしなければな」

「信じられっかよ……」

「じゃあな、アキヒト。また会おう。


 俺はそのまま後ずさると、その場を後にした。

 全力で走り、出口へと向かう。

 あれは一体、何だったんだ。

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