第14話 こんなはずじゃなかった。


「雪乃ちゃん、ここを右でいいのかい?」

「はい、曲がってすぐ左の家です」


 祖母が忙しなくハンドルを切る。私の隣で綺咲さんが淡々と道案内をしていた。そんな二人のやり取りを黙って聞き流しているうちに、いつの間にか目的地へ着いていた。


 門まで行ったら鞄を返してもらう約束だったのに。


「雪乃ちゃんも、泊まりに来るかい?」


 祖母の一言で簡単にひっくり返った。孫が同級生を紹介してテンション上がってるのは理解できるけど、綺咲さんが頷く理由がわからない。


 驚いてるのが、私だけなのも意味不明。


 そこまで親しくない人と泊まるなんて、ペンギンに空高く飛べって言ってるようなもんじゃん。


 世間が勝手に決めた“友達”という言葉は、本当によく便利に使われる。綺咲さんを待つ車内で鼻歌まで聞こえ始める。


「本当に言ってる?」

「嫌なのかい。昔のあんたみたいな目をしてたからね、どうにも放っておけないんだよ」

「……どんな目なのそれ」

「子供にはまだわかんないだろうねぇ。まあまあ、あの子は嬉しそうにしてたんだからいいじゃないか」


 確かに、綺咲さんの表情は時々心をかき乱す。

 でも、それと泊まりは別問題だ。


 祖母の目は、なくなるほど笑顔だし折れる気配も全くない。こうなったら頑固で捻じ曲げるのは至難の業。


「今日お店開けるの?」

「開けるさ、常連さんが待ってるからね」

「じゃあ私も出る」

「気持ちは嬉しいけど、今日はしっかり休みんさい」


 綺麗に逃げ道を塞がれた。たまには、ばぁちゃんのお願いも聞いておくれ、なんてミラー越しに言われると素直にそうするしかなくなる。


 少しして、ラフな格好に着替えた綺咲さんが大きめの鞄を手に戻ってきた。走り出した車は、問答無用と緩やかに前へ進む。肩は触れるほど近くはない。


 二人の何か話してる声だけが遠くに聞こえ、揺れに身体が溶けて瞼が重くなってきた。


 ――意識が落ちた瞬間、頭がコクッと沈む。


「高坂さん」


 ぼんやりとした声に、二度呼ばれて意識が浮上する。

 

 パチ パチ パチ。


 瞬きを繰り返して状況を確かめ、体勢、頭の角度、視界から情報を得ていく。その全てが示すのは、なぜか私は綺咲さんの肩に頭を預け、前髪を撫でられているという事実。


 首を起こして顔を右に向ける。


「よく眠れた?」


 …………た?


 バッと飛ぶように起き上がり、口元に手を当てる。

 涎は垂れてない。


「ごめ、ねてた」

「うん、寝てたね」


 垂れてない、ないけど。何、この状況。

 残る体温に頬がむずむずして、脈が耳の後ろで跳ねる。


 優しい声で、その言い方は反則だと思う。


 耐えきれず、両手で顔を隠す。


 穴があったらはいりたい。掘ってでも。


 冷たい指が耳たぶに触れて、肩があがる。


 面白がるように、スリスリと。


「やめて」


 気を抜いたばかりに、絞り出した情けない声。


「赤くなってる、恥ずかしいの?」

「……別に」

「さっきまで静かに寝てたのに」

「そうやってすぐ人に触るのよくない」


 いつから私はこうなったのか。顔が良すぎる綺咲さんに羞恥心なんてなさそうで、少しムカムカする。


「嫌ならやめる」

 

 ふざけた距離感と軽い声が余計に神経を逆撫でる。

 綺咲さんの手を払い除けて車を降りる。


 見慣れた駐車場で、不満をぶつけるようにドアを押す。


 一本の道路を挟んで、年季の入った木造の店舗が軒を連ね、夜に光る看板が影に息を潜めている。


 やる気のない赤提灯に向かって歩く。

 後ろをついてくる彼女は、この場所に馴染まない。


 泊まりなんてやっぱ無理、そう伝えようと店に入る。

 祖母は鼻歌を歌いながら仕込みの手を動かしていた。

 

 開けたくない左の扉、嬉しそうな祖母。

 どちらへ行くか迷って、結局、扉の方へ足を向ける。


 他人を上げたことのない場所。

 綺咲さんは何の抵抗もなくその境界を越えようとする。


 本当は受け入れたくない気持ちよりも、知りたい気持ちのほうが強く私を動かしている。


 この際もう綺咲さんに何を知られたっていいから、私にも少しだけ踏み込ませてほしい。


 立ち止まる私を不思議そうに見てた綺咲さんが痺れを切らしたように「どうしたの?」と問いかけてくる。


 首を振り、自分から境界線を越えて二階に案内する。


 リビングで手を洗い、冷蔵庫の中を覗く。


「飲み物、緑茶、水、オレンジジュースどれがいい」

「水で」


 気づけば手を洗い終わった綺咲さんがすぐ後ろにいた。


 コップに入れたほうがいいか迷って、500mlのペットボトルをそのまま差し出す。


 すると、私の指先に綺咲さんの指が重なる。


 ペットボトルから手を離して、じろり、彼女の目を見る。

 表情を見る限り、たぶんわざとだ。


「ありがとう」

「シャワー浴びてくる」


 洗面室に行って、洗濯機に今必要のない感情と服を放り込み、気を引き締めるように水を浴びる。怪我の痛みなんて気にするほど私はやわじゃない。人なんて生きてれば、傷つけ傷つけられる生き物だし、正直に向き合って出た結果なら、受け入れるしかない。


 そう割り切れたら楽なのに。


 戻ると綺咲さんは膝を抱え、ぽつんと座っていた。私に気付く様子もなく、人差し指で足の甲をトントンつまらなさそうにしていた。


「なにしてるの」

「待ってた」


 それは見ればわかるけど。そういう意味じゃなくてスマホいじるとかもっとこう……他にも時間を潰す方法はあるはず。


「綺咲さんもシャワーするなら案内するけど」


 お風呂の説明を簡単に済ませ、ソファに身を投げる。


 人の家族事情なんて、簡単に聞いていいものじゃない。

 わかってるから、余計に難易度が高くなる。


 いくら開き直っても、他人であって欲しい。と願う思いは完全には消えてくれないし、そう思うたびに高所で足元を踏み外しそうな緊張が走る。

 

 時計の針の音が、ゆっくりと大きく響くたびに気が重くなる。


 

 ――相手を知りたいなら、自分を知ってもらうことから。


 桃花先生がそんな事を言っていたような。


 「知ってもらうってどうやって……」

 

 

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