第11話 愚かな契約。
そう長くない時間で辿り着いた場所。綺麗にライトアップされた公園で、噴水近くのベンチまで手を繋いで案内される。
なにもこんな所じゃなくたっていいのに。
「ひなたは、ここで待ってて」
足早に何処かへ向かう春の背中を見送り、噴水に目を移す。
もし、首輪をつけてここで散歩しようとか言われたら……流石にそれは抵抗がある。春はたまにぶっ飛んだ事言うから、変な考えが過ぎる。
もう辺りはすっかり暗くなっていて、静かに吹く風に少し肌寒さを感じる。ライトに照らされ、何度も昇っては静まる水。見飽きた頃に春が戻ってきた。
「待たせてごめんね」
小走りで来た春は少し乱れた髪を整えながら、隣に腰を下ろした。
「道にでも迷った?」
「ううん、ギリギリまで悩んでた事があってそれで遅くなったの」
「珍しい、なんでもわりと即決なのに」
私の言葉に、ムッと表情を歪ませる春。
「私だって大切な事はすごーく悩むんだから」
「ごめんってば、そんなに怒らないで」
整いそびれた前髪の束が、ぴょんと上に跳ねてるのに気づいていない。至って真剣だと怒ってる本人を見るとつい、クスクスと笑ってしまう。
春の表情が段々と曇っていく。
これ以上意地悪したらなにか悪い事でも起こりそう。
「ここ、はねてる」そう言って直してあげると気まずそうに控えめな、ありがとうが返ってくる。
「ひなた手が冷たい、寒いの?」
前髪に触れていた手を取られ、今度は心配そうな表情で聞いてくる。表情豊かで羨ましい。
「ううん、気にしないでいいよ」
「早く終わらせて帰ろう」
そそくさと持っていたブランドの紙袋から、長く細い箱を取り出して「はい」と手渡される。諦め半分に首輪ってこんな感じの箱に入ってるんだ、と不思議に思いながら、開けてみる。
「…………」
けれど、すぐ閉じた。そんな私に不安そうな顔が覗く。
「気に入らない?」
「いや、想像してた物と違いすぎて」
入っていたのは、華奢でシンプルなデザインのブレスレット。私の想像していたお遊びの首輪でも何でもなくて、ただのアクセサリー。
これは何を意味しているのか。
「え、本当にペットがつける首輪だと思ってたの?」
そんなわけ無いでしょ、とお腹を抱えて前のめりになりながら無邪気に笑う。いくら春がぶっ飛んでるとはいえ、それはなかったか……今頃恥ずかしさというものが込み上げてきて自分に呆れる。
「笑いすぎ」
「ごめんね、想像したら面白くて」
噴水が静まり、笑い声が消えて静寂が際立つ。
「ひなた、着けてあげるから右手だして」
私が持っていた箱を開けて、それを見せつけるように手に取る。
笑顔なのに春の声には圧が乗っていて、空気が変わり正体不明の緊張が漂う。これなら首輪の方がまだ受け入れやすかったのに。
感じていた嫌な予感は“遊び”の時と同じものだった。
「こんな高そうなの着けたくない」
値段の問題ではないけれど、春の手に握られているきらきら光る鎖から逃げるように視線を外ずして答える。
「そこまで高くない。だから何も考えずに受け取って」
私の右手を取り「お願い」と飢えた瞳で私を強く見つめていた。春からのお願いはなるべく断りたくはないし、何より底しれない義務感を感じる。それを知ってて言ってるんだ。
「ひなた」と催促する春に抗えない。
「いつかは外す時が来るよ、それでもいいの?」
コクンと頷いた、いつもと違う春の雰囲気に戸惑いながらも腕を差し出す。ブレスレットを着けてくれている指先が少し震えていたけど、言われた通り私はあまり深く考えないようにした。
右手首に着けられた鎖が、ずしりと酷く重く感じる。
「本当に首輪みたい」
「そうだよ。次は私の番ね」
同じ箱を取り出して渡される。
「え、お揃いなの?」
「うん、ひなたのが首輪なら私のは、リードになるね」
あぁ……そういう感じ。私は箱から全く同じデザインのブレスレットを手に取る。こうなったらやけくそだ。彼女の気が済むまで付き合うしかない。
「ん、春も右手だして」
「ひなたが右だから私は、左にする」
そう言って差し出された左手首に着ける。
春はそのブレスレットを見つめて、指先で撫でながら口を開く。
まあ、そういう事だろうなとは思っていた。
「これで今日から私以外の人と“遊ぶ”の禁止」
外しちゃだめだよと意地悪に笑う。
「お願いってこれのこと? 春以外と遊んだことないんだけど」
あの時のお願いをこんなふうに使うとは思っていなかった私に、あっけらかんと「そうだよ」と言う春。
「普通に遊ぶのはいいの?」
「いいよ」
この罪悪感が少しでも晴れるのなら、いいかもしれない。
それに、春に頼らなくて良くなるまでの間だけだ。
共有した時間はそれなりに長いけれどお互いの事はそれほど知らない。けど、私の性格は春が良く分かってるから、あえてこういう形をとるんだ。
「春ってこんな子供じみた事するんだね」
「失礼だなぁ、これが私の“お願い”だよ」
「なにそれ」
口角は上がってるのに、笑ってない目。
軽率に聞いたことを後悔した。
春は私の首をそっと掴むように手を置くと、耳元でその言葉に似合わない声の甘さで囁いた。
――――私がいないと困るでしょ。
触れた唇に私の指がピクリと反応する。
声が喉につっかえて言葉にならない。
「私がリード握ってる間はダメだよひなた」
私の首から手を離した春は「わかった?」と念押しで聞いてくる。
春に「うん」とだけ答えた。
月明かりに光る冷たい鎖。どういうつもりで春は独占欲を可視化したのか。首に春の指が食い込んでるような感触がまだ残っていて、それを掻き消すように撫でる。
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