Ⅴ‐3


 それはあの時、九十年代の終わり、日本を支える巨大な証券会社、山一の社員として燃えるように生きていた父が、突然の経営破綻によって職を追われて直後のことだった。


『Sayonara,Japan Inc.』

海外の情報誌はそう報じた。


 鹿児島への移住を決心するまで、父のやつれた顔は岩のようで、毎日通うはずだった場所を奪われ疲れていた。


その時福岡で別の転職先をいくつか紹介されたようだが、父はそのどれもを拒否していたという。はじめこそ幕を引いた取締役の以前に放漫をしていた経営陣に対する文句をつべこべ垂れていたが、そのうち言い知れぬ脱力感の中で無職となり、双方の実家に対して、特に自分の帰るべき家にいる、富を築きあげた厳格なる父に対しての面子を失った彼の人生の一番底は……。

 ともすればまさにあの時、守るべき子供と妻を乗せてどこを目的に走っているのかもわからない自動車を運転していたあの夕方にあったのではないか。


 そういえば、翔太は今でこそ欲のない人間のように振舞っているが、その発端が、この時期の父に対する違和感から始まったことはもはや言うまでもないと今気づいた。


 あの時期全く父に懐かなかった翔太は、暴力的でさえあったと母から聞いた。

 とはいえあの当時の父にとって、鹿児島の国家公務員を受験することは確実かつ安全な最善の策であり、またとないものであった。息子翔太と違って、幸いにして父には明晰な頭脳とセルフプレゼン能力があって、就職試験には困らなかった。


 尤も、そんなスキルがなければ証券会社の社員など務まるはずもなかったのだが。


それ以降父親は兄弟三人に安定した人生の道を歩くよう強く命じることになり、それは家族の教育方針の大きな転換を示し、その家に暮らす子供達の居心地を悪くした。


 それは父が自分の経歴やスキルと関係ない「市民の戸籍管理や税の窓口」に配属されたことによる失望感と軌を一にしていた。


 それで、自分の意見を明らかにしない兄は、ある一時期までは父の満足を満たすかのように勉強を続けていたが、地元に残れという父に反した。

 大学受験を機に急に反動したように早々に東京へと飛び出していき、そこから徐々に帰省も少なくなって疎遠となる。


 妹もまた長男と同じような生き方を辿るも、不登校を経験した彼女は『可哀そうな』母親に格別な思いがあるようでそれは今も続く。


 従って三人の中で実家と結びつくのは妹だけである。

 一方、翔太の成長、就職、そして離職は、佐藤家の一員としても社会人としても失敗と言えるものだった。

そのために、父は内心強く失望したであろうが、その頃には翔太が何かを言われることはもうなかった。

 父が証券マンを挫折した際に向けられた実家の冷めきった反応と、義理の家族から向けられた可哀そうと言わんばかりの眼差しに長らくうんざりしていたからだと翔太は思っていた。

 実際はそれと同時だった長男の結婚、出産の知らせが父の不安要素を取り払い、翔太が会社を辞めたところで特に問題ない、と父の心が納得し、『どう生きてもいい』との許可を翔太に与えたからだったと翔太は考えている。


母は、二つの事件が父の心象を変えたようだと話していた。 

父はその時期から息子たちを許して、その代わり退職を機に、自分が半ば封じるように遠ざけていた株の取引についての再勉強を始めることになった。

公務員の父は、母の名義を使って再び株を始めた。

失われた情熱を取り戻し、現実と自分のやりたいことを人つなぎにした父には、もはや子供に対する情念などなくなり、よき父になったのだ。

疎遠とはいえ経済的に成功した長男により佐藤家の面目は立った。


 鹿児島の低いビルと長閑な街の景色が父にとってどれ程の影響をもたらしたかは分からない。

劣等感を強めるものだったかもしれない。

かと言って実家のある福岡にも、それ以上の都会にももう住めないから、根をなくしてどこに咲いていいか分からない雑草のような想いで生きたのだろう。


 その間ずっと敬虔な修道女の様に、毎日毎日食事を作り掃除をし家を守った母親は、子供達には文句を論う事をしなかった。


 桜島は美しい景観を持っていたが、また、よく噴火した。

物干し竿に掛けていた色とりどりの衣服も、火山灰で一気にグレーに塗られてしまうことがよくあり、母はそうならないよう、いつも噴火を気にしていた。

 それはあの火山に対してだけそうだったのではなく、実生活上でも母は、命令指示的な父の現場監督官を演ずるかのように、可能性と言うよりは危機感で子供を育てた。


寝る前に歯を磨きなさい、勉強しなさい、掃除をしなさい。


だから子供達がテストで低い点数を取ったり、なかなか友達ができない事態を目にした時、受け止めてもらえたり、励ましてもらったりと言うよりは、ただただ父にのみ相談し一喜一憂した。


 災害に怯える民のように、或いは子供達と父の間の緩衝国であるかのように、おたおたと周囲を伺って余裕がなくて、そんな母の一挙手一投足は確実に、特に妹の中にある『母はかわいそうな人、父は自分勝手な人』という見立てを増幅させる一方で、本当のところは、自分が可愛いだけなのだという冷めきった考えを長男と次男にもたらした。

 それは父の経済的対面的危機感の、さらに表層にしかないその場しのぎの教育しか、母にはなかったことを物語っていた。

ただ今となっては、父に隷属するしかなかった母も、妹に癒された。


 そのような母と父の肉より生を授かった佐藤翔太は、生まれて後も精神としての血をそのように吸い込み続けて育った。それを反発しようと受け入れようと、その血はその血の色であり続ける。

 だから、母と父の生き方の反転が、翔太だ。

 兄とも妹とも違う、人生の結論に満ちた存在が翔太なのだ。


 ベンチに座る自分の真上にある、底なしの青空と鏡面のような池を見て、真昼の白い日差しに照らされている自分を感じた。

翔太は両掌を後頭部に付けて、伸びている。間抜けだ。今が今のまま永遠にあるわけではないのは分かる。けれど、今日は少し疲れてしまったのだ。仕方がない。

今日は主勝もないのだから、家に帰って眠ろう。


そう望んだとき、膝元に何気なく置いていたスマホが映していたおもちゃのCMの一時停止画面を終わらせて、ポケットに入れた翔太は立ち上がった。


 自転車で大きな通り沿いを走っていく。海に続く川の行先には、巨大なホークスのホテルと福岡ペイペイドーム、マークイズももちが悠々と建っている。

それはテクノロジーが形成した未来都市の様に思えた。翔太が初めて鹿児島からこの街に来たとき、驚いたことがある、他の地方であれば確実に景観が切れて郊外や田舎そのもののような田園風景が露わになるのに、福岡はどこまで行っても中規模な都会の景色が途切れない。土地に高低差がなく平坦なおかげで、都市化が進めやすいのだろうなとも思う。それはこれから市が計画している更なるビッグバンにはうってつけであると言えた。

油山にはキャンプができた。海水浴も水族館も糸島で足り、景色のいいドライブロー

ドは百道浜の都市高速にあり、最新のファッションは大名や警固を要する天神にあり、風光明媚な寺なら太宰府に、美しい景観の池と公園ならここ大濠にあって娯楽に事欠きはしない。


 大学に進学した翔太にとっては、とにかく全てが手に入る夢の場所にも思えたものだった。ここに自転車一台さえあれば、望むことは何でもできた。


そして仲間がいれば、足りないものなど何もなかった。

この福岡という街には、それだけの魅力があった。


父が若いころ持っていた情熱が、この街にはあった。

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