戦禍に呑まれた村(過去)

「どうして……こんなことになったんだろう……」


 囚われた座敷牢の中で、すずはひとり呟いた。


――黄泉還しよみかえしの巫女。


 巫女とは言うものの、神職ではない。すずがそう呼ばれるのには、理由がある。

 彼女は、言葉通り死者を甦らせることが出来るからだ。


 すずがその能力に目覚めたのは、よわい十五の頃。

 彼女が住む村は山奥にあり、みな貧しいながらも慎ましく生きていた。

 その頃のすずは、周りと同じ黒髪に黒い瞳を持つ、ごくふつうの……元気で少しやんちゃな優しい女の子だった。


(けれども……。すべてが変わってしまったのは、あの頃から……)


 すずは目をつむり、想起する。

 すべてが変わってしまった、あの日のことを。

 彼女の自尊心が酷く落ち込んでいくきっかけとなった、黄泉還し能力に目覚めた悲しい日のことを……。


 すずの生活が明確に変化したのは、夫から離婚を切り出される三年前。

 村のすぐ近くで兵達による争いが始まったことにより、不幸な人災が引き起こされてしまってからだ。

 長引く戦に不足した兵糧を補うためやむなしと、兵達が盗賊まがいの行為に及び始めた。

 平穏だった村に兵達が押し入り、食糧を奪われ、どさくさに紛れて金目の物まで奪い取られていき、拒む者は刀で切り伏せられる始末。

 農民が多く、普段は争いごとから縁の遠かった村人達は、略奪者に対して抵抗する術など持ち合わせていなかった。

 村はあっと言う間に荒らされてしまい、後に残されたのは僅かな食糧と、多くの死傷者。


「父さんっ! 母さんっ!!」


 そして、すずの両親もまた犠牲者に含まれていた。


「ああ、すず……。あなたが……無事で……よかったわ……」


 兵から身を張ってすずを守った母親が、息も絶え絶えにすずに今生の別れを告げる。

 真っ先に二人を守った父はすでに事切れており、母まで亡くなってしまうと彼女はこの世にひとり、取り残されてしまう。

 この乱世の時代、すずはいつ自分が死んでもおかしくはないと思っていた。

 しかし、まさか両親が老いを見せる前に儚くなってしまうとは、考えもしなかった。


「いや……! 母さんっ、死なないで……!!」

「ごめん……なさいね……」


 すずが母親の手を握り、母の無事を祈る。

 母も手を握り返そうとするが、その力も次第に弱くなっていく。


「すず……健やかに……生きて……」


 やがて、すずの手から母の手がするりと抜け落ちた。母が力尽きたのだ。


「いやあああ!! 母さん!!」


 ポロポロと涙を零しても、嫌だと駄々をこねても、母が逝ってしまうのを止めることは叶えられないと分かってはいた。

 だがそれでも、彼女は必死に母の手を再び握り、泣き叫ぶ。


 その瞬間、すずの耳にちりん、ちりん……と言う風鈴が奏でるような清廉な音と共に、悲し気な男の呟き声がよみがえった。


『死なせたくは、ないのだ』


 妙に懐かしさを感じるその声に、すずは胸を締め付けられるような感覚を受ける。

 あれは……誰が言った言葉だろうか。


(死なせたくない……)


 かつてはその男も、今のすずと同じ気持ちでいたのだろう。

 彼は、死なせたくなかった相手を、助けることは出来たのだろうか。


(私も、母さんと父さんを死なせたくない……っ!!)


 すずが強くそう心に願った途端、涙に濡れた右眼の奥が、熱を持ったように感じた。


「く、ぅぅっ……!? あああ!!」


 瞳の奥からズキズキと痛みを感じても、すずは母に縋ることをやめなかった。


(私も、死んでしまうの……? ふたりに親孝行のひとつも出来ずに……)

「ぐ、うう……! 母さん……父さん……!! 私……!」


 すずの眼の奥が一際ズキリと痛むと、その瞬間、すずを中心にあたりが光に包まれた。


「え……? なにが、あったの……?」


 光が収まると、すずの眼の痛みも治まっていた。

 右目をつぶり、空いている方の手で瞼をこすっていると、握り締めていた母の手がぴくりと動いた。


「う……。す、すず……?」

「母さん!?」


 死んだと思っていた母が動いたことで、すずは声を裏返らせて驚く。


「あら……? 私、あの世へのお迎えが来ていたような……」

「母さん!! 無事だったのね!」

「うーん? 無事だったのかしらね……?」


 ずすが混乱した母をぎゅっと抱きしめて無事を実感していると、隣にいた父もまた何事もなかったかのように起き上がった。


「うぅ……」

「父さんも!!」

「すず……? 無事だったのか? いや、俺はどうして無事なんだ……?」

「あなた、傷が塞がっているわ……」

「もしかして、俺は生き返ったのか?」


 両親が兵によって付けられたはずの傷跡も塞がっており、確実に死んだ自覚があったふたりは不思議そうに首を傾げている。


「良かった……! 父さんも、母さんも無事でよかったぁ……!! ぐすっ」


 すずが幼い子供に戻ったように泣きじゃくる様子をみて、父親は安心させるように頭を撫でた。


「心配をかけてすまなかったな……」

「ううん……。生きていてくれれば、それでいいの!」


 すずが涙を拭って顔をあげ、息を吹き返したふたりの顔を安堵したように眺める。

 しかし、今度は両親がすずの顔を心配そうにのぞき込んで言った。


「あら。すず? 右眼が蒼くなっているわ」

「え?」

「本当だ。今朝までは何もなかっただろう? 何かの病気だろうか……」

「蒼い……瞳?」


 すずがまぶた越しに蒼くなった瞳に触れる。


(蒼くて……それから……。生き返りの術……?)


『死なせたくは、ないのだ』


 懐かしい男の声が、再び耳を過っていく。


「竜胆様……」


 忘れかけていた幽世での出来事を思い出し、彼女は懐かしさと感謝で再び瞳に涙を溜めた。


「竜胆様が……助けてくれたの?」


 かつてすずを現世に送り返した鬼の名前をぽつりと呟くすずの後姿を、遠くから二本角の鹿が金と蒼の瞳を向けて、優しく見守っていた。

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