第七十四話 奪われたら奪い返す

「ナイスバッティング!」



 颯太が三塁側ベンチ内で大きな声を発してすぐ、雄平の打席でサードベースに進んだ元樹がホームに生還した。


 一点追加し、二対〇となった。


 元樹が三塁側ベンチ内に戻ると、颯太達はハイタッチで出迎える。


 

「ナイスバッティング!」



 颯太は笑顔で元樹に言葉を掛ける。


 颯太の言葉を聞き、元樹は照れ笑いに近い表情を浮かべ、こたえる。



「京極さんの出塁、そして好走塁あっての先制点です」



 元樹の言葉を聞き、颯太の口元が緩む。



「タッチをかいくぐることは簡単に見えて、なかなか難しい。下手をすれば、自分からタッチされにいくような動きになってしまいます。ですが、京極さんは見事にタッチをかいくぐった。どこで身に付けたんですか? あの走塁」



 元樹が問うと、颯太はファーストベース方向を見つめる。


 すると、小学校三年生時代の練習試合を思い出す。



 ヒットで一塁に出た颯太は、小さめのリードをとり、後続の左バッターの打席を見つめていた。


 ファールが二球続いた後の三球目、左バッターはセンターとライトのちょうど中間に打球を飛ばした。


 颯太は打球音とともにスタートを切り、セカンドベースに向けて駆け出す。


 白球は簡易フェンス手前の人工芝でバウンドする。そしてそのまま簡易造りのフェンスをやさしく叩くと跳ね返り、人工芝の上で弾む。ライトを守る選手は白球が二回バウンドしたところで素早く素手で捕球し、中継に入ったセカンドを守る選手に送球した。


 白球はワンバウンドで人工芝を叩いた後、セカンドを守る選手のグラブに収まる。


 そして、彼が送球しようと振り向いた瞬間、颯太は既にサードベースを蹴り、ホームベースに向かって加速していた。


 颯太がホームベースまで残り三分の一ほどの位置まで達したところで、セカンドを守る選手がキャッチャーに送球する。


 白球が彼の右手指先から放たれた瞬間、颯太はホームベースに向かって足を伸ばした。


 すると次の瞬間、ある人物の大きな声がグラウンドに響き渡った。



「颯太! もっと右を走れ!」



 やや驚いた表情を浮かべながら視線を移した先には、颯太が所属するスポーツ少年団の監督が「右を走れ」というジェスチャーを右手で示す姿があった。


 視線を正面に戻すと、白球がキャッチャーミットに収まる寸前だった。


 やがて、白球がキャッチャーミットを叩く音が颯太の耳に届く。


 そして左腕を伸ばし、白球が収まったキャッチャーミットでキャッチャーがタッチを試みた。


 キャッチャーミットが徐々に颯太の背中に近づく。


 そして、キャッチャーミットと颯太の背中との距離が五センチを切ったところで、もう一人の人物が声を上げる。



「足から滑り込んで、左腕を伸ばせ!」



 自身より三学年上の少年の声を聞き、颯太は小さく頷くと位置をやや右に移し、脚を伸ばす。


 キャッチャーは左腕を目いっぱい伸ばす。


 しかし、颯太は見事にタッチをかいくぐる。


 すぐさま左腕をホームベースに向けて伸ばした颯太の左掌には、ホームベースの感覚が広がっていた。



 当時のことを映像で振り返った颯太は、ゆっくりと視線を元樹に戻す。



「スポーツ少年団の監督と、年上のチームメイトが教えてくれたんです。それまで、実験したことのないような走塁でした。ですが、それを実践したことで、ホームに生還することができた。あの試合以降、ホームへの送球が迫っている時は、あの形を取り入れています」



 そうこたえ、やさしい笑みを浮かべた颯太はバックネット裏のスタンド方向を見つめる。


 その姿は誰かにお礼を伝えているようだった。


 

 颯太の姿を見つめ、元樹は彼が抱く気持ちを感じ取る。


 そして、颯太と同じくバックネット裏のスタンド方向を眺め、囁くように言葉を発する。



「きっと、その人に届いています。京極さんの気持ち。私が言うことではないとは思いますが、言わせてください。その気持ちを忘れないで」



 次の瞬間、颯太と元樹の目が合う。


 颯太は間を置くことなく口元を緩めると、小さく頷く。


 

「はい……!」



 そして、笑顔で言葉を発してすぐ、木製バットが白球を叩く音が関東ドーム内に響き渡った。




 六回の表、台府銀行は更に一点を追加し、三対〇とした。


 しかし七回の裏、台府銀行はツーランホームランで一点差に迫られる。


 マウンドに上がっている右腕、木山幹久きやまみきひさががっくりとした姿を見せた瞬間、颯太が彼の元に駆け寄り、言葉を掛ける。


 颯太の声掛けにより気持ちを持ち直した幹久は後続をしっかりと抑え三塁側ベンチ方向に歩き出す。


 だが、失点してしまったことに対する申し訳なさが背中から表れていた。


 その姿を見た颯太は幹久の右隣に駆け寄ると、彼と並んで歩みを進めながら口を開く。



「奪われたら奪い返す。それだけです」



 冗談という文字のひとかけらもないような声は幹久の視線を徐々に颯太の横顔に移す。


 幹久の視線を受け取った颯太は微笑むような表情を作り、右手に握り拳を作る。


 それからすぐ、颯太は左を向く。



「八回の表、絶対に点を奪ってみせますから」



 颯太のこの言葉はベンチにグラブを置いた雄平の元まで届く。


 雄平は颯太が三塁側ベンチ内に右足を踏み入れた瞬間、何かを誓うように小さく頷く。


 そして、笑顔で幹久の元に歩み寄ると彼の左肩に手を置くと「任せろ!」と頼もしさが窺える声を発する。


 幹久は雄平の言葉を聞き、小さく頷く。


 やがて、幹久の表情には笑顔が表れる。


 颯太は微笑みを浮かべると幹久を目を見つめ、追加点を奪うことを約束するように小さく頷く。そして、バッティンググローブを着用し、ヘルメットが置かれた棚の前に立った。


 

 八回の表、ワンアウトから颯太はフォアボールを選び、一塁に出塁する。


 続く二番バッターの元樹がライト前にヒットを放ち、ワンアウト、一、二塁とチャンスを作る。


 そして、三番に入る雄平が二球目の右バッターボックス寄りの真っすぐを捉える。


 打球はセンター方向やや右寄りのフェンスに直撃し、勢いよく跳ね返る。


 颯太はセンターを守る選手が白球を右手掴んだタイミングでサードベースを蹴り、ホームベースに向かって快足を飛ばす。


 やがて、颯太の右足がホームベースを踏み、一点が追加される。


 関東ドーム内を包み込むような歓声を耳に入れながら、バッターボックスを囲む土を出た颯太の視線はサードベース方向に向く。


 そこには、サードベースを蹴った元樹の姿があった。


 すると颯太は、両手で大袈裟に手招きをするようなジェスチャーを示す。


 そのジェスチャーに小さく頷いた元樹は土を踏むと、そのままスライディングする。


 白球はその瞬間、左バッターボックス寄りに位置を移したキャッチャーミットに収まる。


 キャッチャーは捕球し、すぐに左腕を伸ばす。


 だが、彼がタッチする前に元樹の右足はホームベースを捉えていた。


 

 三塁側スタンドから沸き起こる歓声の中、元樹はゆっくりと立ち上がると、颯太の元に歩み寄り、笑顔で右掌を彼に見せる。


 颯太はその姿が目に映ると、やさしい笑みを作り、右掌を元樹に見せる。


 そして一、二番コンビは互いの右掌を合わせると、セカンドベースに到達した雄平に向けて左手で作った握り拳を突き出しながら三塁側ベンチ内にゆっくりと歩き出した。

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