第五十八話 代打、京極颯太。

 一塁側スタンドから沸き起こる、台府銀行硬式野球部応援団の声援を受けながら、颯太は右バッターボックス内の土を踏み、足場を作る。


 足場を作り終えた颯太は、木製バットのグリップ部分を両手で握り、ヘッド部分を見つめる。


 鳥の翼をイメージしたデザインは関東ドーム内の照明に照らされ、新たな姿のように映し出される。


 颯太は静かに息をつくと構え、マウンド方向を見据える。


 マウンド上では対戦相手である、静川自動車しずかわじどうしゃのエース右腕、佐川哲雄さがわてつおが僅かに眼光を鋭くさせ、颯太を見つめる。


 

 哲雄は一瞬だけ、三塁側ベンチ内に視線を向けた後、キャッチャーのサインを注視する。


 一度首を振り、二度目で頷くと、セットポジションの状態で数秒間静止する。


 そして素早く左足を上げ、投球動作に入る。


 颯太はネクストバッターズサークルで控えている中で導き出した哲雄のデータをもとに、球種とコースを絞り、スイングする。


 それからすぐ、颯太の両掌に圧力のようなものがかかる。



 カァン。



 打球音を響かせ、白球はレフト方向に飛んでいく。


 微かに起こる歓声の中、颯太はグリップ部分を左手で握ったまま駆け出す。


 しかし、すぐにその足は止まる。


 白球は三塁側スタンドに入り、ファールとなった。


 歓声がどよめきに変わると、一塁側スタンドから、台府銀行硬式野球応援団の声援が大きくなる。


 

 一塁側スタンドを見つめ、颯太は自身への応援に対するお礼を心の中で述べ、構えに入る。


 

「変化球はスライダーとシンカー、チェンジアップ……」



 颯太がマウンド方向を見据え、誰にも聞こえない声量で言葉を発すると、哲雄はキャッチャーのサインに目を凝らす。


 颯太は視線を動かすことなく、こう続ける。



「初球が内角低めのシンカー。二球目は……」



 その先の言葉を心で発してからすぐ、哲雄が首を縦に振り、静止する。


 その数秒後、右腕を振り下ろし、白球を投げ込む。


 白球が目に映ると、颯太は後ずさりをするように左足を三塁側ベンチ方向に移す。


 それからすぐ、白球がキャッチャーミットを叩き、球審がコールを発する。



「ボール」



 キャッチャーが哲雄に返球すると、颯太はグリップを握り直す。



「初球よりも更に内側を攻めてきたな。内側を意識させて、外側かな……」



 仮にそういった配球になった場合、しっかりと対応できるかどうか、と颯太は自身に問う。

 

 しかし、答えが返ってくることはなかった。



 颯太は球種とコースが絞ることができないまま足場を作り直すと構え、哲雄の動作を注視する。


 哲雄は二度首を横に振った後、頷く。そして数秒間静止し、左足を浮かせ、踏み込む。


 哲雄の右腕が振り下ろされた瞬間、颯太は一瞬だけ険しい表情を浮かべ、スイングする。


 バットを振り抜いてからすぐ、颯太が聞いたのは白球がキャッチャーミットに収まる音だった。


 左バッターボックス寄りで捕球したキャッチャーは小さく頷きながら哲雄に返球する。


 再び険しい表情を浮かべた颯太は、睨みつけるようにホームベースを見つめる。



「揺さぶってきたか……」

 


 外側への意識がなかったわけではない。だが、二球目までの配球が、颯太の心に迷いを生じさせた。


 その迷いを抱えたまま、颯太はスイングした。


 それが、空振りに繋がってしまった。



 四球目は何を投じてくるか。


 颯太がマウンドを見つめながら考えていると、聞き覚えのある声が一塁側スタンドから発せられる。


 颯太はその瞬間一塁側スタンドを注視し、声の主を探す。


 しかし遠目からのため、顔がはっきりと見えない。


 ただ一つだけ分かることは、一回戦で聞いた声の主とは別人ということ。


 颯太はその声に聞き覚えがあった。



 次の瞬間、声の主が「颯太ー!」と叫ぶ。


 その声はやがて、颯太に力を与える。


 それは、パワーとは違った力だ。



 颯太は一塁側スタンドを見つめながら口元を緩めると、声にこたえるように小さく頷く。


 すると、無意識のうちに強張っていた颯太の表情は徐々に緩んでいく。


 そして、徐々に体が解れていく感覚を覚える。



「打てる……!」



 颯太は低く、力強く言葉を発すると構え、四球目を待つ。


 次の瞬間、右バッターボックス内のみ、音が遮断される。


 颯太はグリップを強く握り締め、静かに息をつく。



 マウンド上では、哲雄がキャッチャーのサインに頷き、静止する。


 その数秒後に、哲雄の左足が上がる。


 そして、右手指先から白球が放たれると、今度は颯太の左足が上がる。


 颯太は徐々に踏み込んでいき、やがて左足のスパイクの底が右バッターボックス内の土を改めて踏む。


 颯太の木製バットは白球に近づく。やがて、ヘッド部分は白球を捉え、打球音が関東ドーム内に響き渡る。



 カァン!



 その音からすぐ、スタンドから歓声が沸き起こる。


 颯太は白球を目で追いながら、木製バットを右バッターボックス内に置き、勢いよく駆け出す。


 白球はセンター方向に飛ぶ。


 颯太の理想に近い起動の打球だった。


 だが、問題はその先だ。



「越えろ……!」



 白球に念を送るように、颯太は力強さのこもった低い声を発する。


 すると、颯太の声に押されるように、白球はぐんぐんと距離を伸ばす。


 スタンドの歓声は徐々に大きくなり、やがて拍手が沸き起こる。


 颯太はファーストベースを蹴ると、加速しながらセカンドベースを狙う。



 颯太の瞳には、センターのフェンスに直撃した白球が勢いよく跳ね返り、人工芝を叩く光景が映し出された。

 


 

 

 


 

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