第四十一話 「個人タイトル、持って帰ってくださいね」

 午後十二時五十二分、関東ドーム内に、先発メンバー発表のアナウンスが流れる。


 

「まずはじめに、先攻の台府銀行」



 背番号二十三のユニフォームに身を包んだ野球青年はアナウンスからすぐ、三塁側ベンチに座った状態で、スパイクの紐を結び直す。


 きれいな蝶々結びが完成すると同時に、台府銀行の一番バッターがコールされる。



「一番、セカンド、京極颯太。背番号、二十三。隹ノ浜高校」



 颯太の苗字がコールされてからすぐ、内野スタンドから小さい拍手が起こる。


 颯太は拍手を聞き、顔を上げる。


 その表情には、やさしい笑みが浮かぶ。



「ありがとうございます……!」



 囁くような声で内野スタンドにお礼を伝えると立ち上がり、紙コップにスポーツドリンクを注いだ。




「試合開始まで、お待ちください」



 先発メンバーの発表が終了すると、颯太はベンチに腰掛け、電光掲示板に表示されている、自身の苗字をじっと見つめる。



「全国の舞台で、トップバッター。まさか、こんな日が訪れるなんて思わなかったな……」



 小声で呟いた颯太は、無意識に腕を組む。


 

 颯太は高校時代まで、全国の舞台を経験することはなかった。


 高校三年時の夏の大会での県大会一回戦突破が最高成績だった。


 そんな自分が、社会人野球で全国の舞台に立つことなど無理に等しいと颯太は思った。


 しかし、その思いを覆す光景が目の前に広がっている。


 一瞬夢ではないかと我が目と疑った颯太だが、頬を引っ張っても目の前の光景は変わらない。


 

 現実だ。




「夢のような光景。でも、夢じゃない。現実が俺の目の前に広がっている。俺は、これからこの全国という舞台でプレーする。今まで経験したことのない全国の舞台。でも、不思議なくらい緊張していない。ワクワクしすぎている。普通は逆なんだろうけど……」



 颯太は腕組みを解くと、一塁側ベンチを見つめる。


 颯太の目には、コーチと思われる人物から言葉を掛けられる、背番号一番の選手の姿が映る。


 背番号一番の選手は時折頷き、その人物の話に耳を傾ける。


 颯太はしばらくその光景を遠目から眺める。


 すると、颯太からの視線に気付いたように背番号一番の選手が、三塁側ベンチに視線を移す。


 その瞬間、颯太は遠目からではあるが、背番号一番の選手と視線が合う。



「なんだろ……」



 颯太が言葉を漏らしてからすぐ、背番号一番の選手と言葉を交わしていた、コーチと思われる人物も三塁側ベンチを見つめる。


 やがて、コーチと思われる人物の視線は三塁側ベンチに腰掛ける一人の選手に向けられる。



「何を話しているんだ……」



 颯太は自身に向けられた二人の瞳を見つめ、ポツリと言葉を漏らす。


 颯太が漏らした言葉を聞き逃さなかった寛人は、一塁側ベンチを見つめ、口を開く。


「京極さんが補強選手として選出されたことを籠崎工業さんの監督、コーチ、選手は知っているはずです。補強選手として選出されたのならば、どのような選手なのか、気になるのは当然です」



 そう話すと寛人は、ゆっくりと視線を颯太に移す。


 隹海クラブから補強選手としてやってきた野球青年を見つめ、彼と同学年の選手はやさしい笑みを浮かべる。


 嘘を感じさせない寛人の眼差しを受け、颯太は電光掲示板の表示された、自身の苗字を再び眺める。

 

 すると颯太の頭の中に、前日の映像が流れる。


 そう、ロビーで耳に入った、二人の選手の会話だ。



 颯太は頭の中で流れた声を聞き、何かに納得するように頷く。


 それからすぐ、寛人が続ける。



「しかも、その補強選手がトップバッターに名を連ねた。トップバッターは高い出塁率が求められる。どうやって抑えようかと考えるのも当然です。出塁し、勢いが加速することもありますからね」



 寛人の言葉は自身の、いや、チームの願望のようなものを示していた。


 颯太には、寛人の言葉の本質がしっかりと伝わっていた。



「トップバッターが出塁すれば、より相手ピッチャーに動揺を与えることができますから」



 寛人が続けた言葉は、颯太が抱いている考えと一致していた。



 颯太は電光掲示板に表示された自身の苗字を眺めたまま、再び頷く。


 そして一瞬だけ目を閉じた後、颯太の瞳は寛人の姿を映す。


 寛人は颯太を見つめ、やさしい笑みを浮かべていた。


 寛人は一瞬だけマウンド方向に視線を向け、口を開く。



「都市対抗野球には、さまざまな賞が設けられています」



 寛人が力強く声を発すると、颯太の表情が一気に引き締まる。


 同時に、颯太の表情に感化されたように寛人の表情も引き締まる。


 少しの沈黙が流れ、寛人が言葉を繋ぐ。



「こんなこと、私が言うことではありませんが、言わせてください」



 やさしい口調でそう言葉を発した寛人は立ち上がる。


 少し遅れて、颯太は腰を上げる。


 その後、二人は正対する。


 再び少しの沈黙が流れた後、寛人は微かな笑みを浮かべ、力のこもった声を発する。



「個人タイトル、持って帰ってくださいね。優勝という結果と一緒に」



 寛人の言葉を聞き、颯太の表情は徐々に変化していき、やがて笑みが浮かぶ。


 颯太は一瞬だけ目を閉じた後、ゆっくりと頷く。



「はい……!」



 颯太はそうこたえ、右中間寄りに設置されたモニターを眺める。


 そこに映っていたのは、過去に行なわれた都市対抗野球全国大会での、ガッツあふれるプレーや、華麗なバッティングを見せた選手のプレー映像だった。


 

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