第二十五話 颯太の案を参考にした木製バット
「『なんで、大手メーカーに就職しなかったの?』って、友達に聞かれることがあった。その問いに、俺はこう返したんだ。『大手メーカーに負けない商品を造りたいから』って。それに、高校までこの会社の野球用具を使っていたからね」
悟はそう話すと自身が右手に携えるグラブを見つめ、口元を緩める。
颯太は数秒間、悟を見つめた後、黒いバットケースに視線を移す。すると、黒いバットケースの隙間から赤褐色が僅かに顔を出していることに気付く。
「あれ……?」
悟は颯太が覗き込むようにその色を見つめる姿が瞳の片隅に映った瞬間、バットケースに視線を移す。
「あ、気付いちゃったか」
颯太は視線を悟に向ける。
「もしかして、これ……」
颯太のその先の言葉を受け取った悟は「その通り」と言うように小さく頷く。
「颯太が以前、考えた案を参考に製造した木製バットだ。デザインはほぼ一緒だけど、長さなどは変更している。先日採用されたグラブに関しては、製造中だからもうちょっとだけ待っててな」
悟は笑顔で話し、グラブとバットケースを持ち直す。
颯太は悟に自身が考えた考案した木製バットの製造に至った経緯を問う。悟は颯太からの問いに、やさしい口調でこたえる。
「プレゼンではボツになってしまった。でも、俺は課長から颯太が作成した資料を見せてもらった瞬間、思ったんだ。『造ってみたい』って。それで課長を通して、部長にそのことを伝えていただいた。無理だと思っていたら、許しが出たんだ。『試作品』という条件付きでね」
悟が左手に携えているバットケース内には、その試作品の木製バットが収納されている。
試作品のため、店頭に並ぶことはない。
しかし、試しに打つことはできる。
「しっかりとチェックをしたから、品質に問題はない。ケース内には、一本しか入っていないけど、複数本試作したバットを用意している」
悟はそう話すと、バットケースのファスナーを完全に開ける。そして右手で木製バットのグリップを掴み、そのままバットケースから引き抜く。
木製バット全体が姿を現すと、颯太の目が無意識に見開く。
その木製バットのデザインは、颯太が考案したものと一致していた。
「全体は赤褐色で彩られている。ヘッド部分にはその赤褐色と黒色で鳥の翼をイメージしたデザインを施している。颯太の案、そのままだよ。木目はしっかり目視できるようになってるから安心してくれ」
悟は両手で木製バットを持つと、ゆっくりと颯太へ差し出す。
颯太はヘッド部分を見つめ、信じられない光景を見たかのように「おお……」と言葉を漏らす。
試作品ではあるが、自身がデザインした木製バットが形となっている。颯太にとっては夢のような光景だった。
「俺の案が、形に……」
颯太は囁くように言葉を漏らすと、両手を木製バットへ伸ばす。両手でしっかり受け取ると、自身の胸元まで引き寄せる。
悟は微笑みを浮かべ、颯太を見つめる。
「試作品。言い換えれば、非売品か。お金では買えないものだ。もしかしたら、颯太が使用している姿を見て、このバットに興味を持ってくれる選手が現れるかもしれない。その場合、まずは数量限定で販売し、売り上げ次第でレギュラー商品として店頭に置くことを店舗運営部にお願いすると部長が仰っていた。もし、興味を持ってくれた選手が現れたら、俺に伝えてくれ」
颯太は夢のような言葉を聞き、ゆっくりと視線を悟へ移す。
「レギュラー商品……」
颯太が言葉を漏らすと、悟は小さく頷く。
まだ、レギュラー商品として店頭に並ぶことが決まったわけではない。しかし、その可能性があるということだ。
その可能性を実現するためには、颯太がどのようにして商品を宣伝するか。宣伝といっても、売り込みをかけるわけではない。
商品は、試合中でも宣伝することができる。
「目立つデザインだから、きっと選手の目を惹く。そこから、このバットが知られ始める。そして……」
悟はその先の言葉を発することなく、じっと颯太の目を見つめる。彼の眼差しが示すものを理解した颯太は、僅かに口元を緩める。
颯太は心で悟が話そうとした言葉を発すると、木製バットのグリップを両手で握り、構える。
悟と幸道は構える颯太の姿を見て、囁くように声を合わせる。
「似合ってるぞ……!」
二人の言葉からすぐ、颯太は構えを解き、笑顔を浮かべる。そしてグリップを握ったまま、目を閉じる。
颯太の 瞼の裏には、見事なまでに再現された鳥のようなデザインの残像が映る。
颯太は、とある願いを込めて鳥のようなデザインを考案した。
「活躍して鳥のように羽ばたき、より上の舞台へ……」
颯太は呟くと、ゆっくりと目を開ける。
目の前では悟と幸道が微笑みを浮かべ、颯太を見つめていた。
「颯太の活躍、心の底から願っている。次の大会も頑張れよ!」
悟は颯太にバットケースとグラブを手渡し、言葉を掛ける。
颯太は悟の言葉に笑顔で頷き、活躍を誓った。
笑顔で颯太を見つめ、悟と幸道はエレベーター前に立つ。それからまもなく、エレベーターの扉が開く。
悟と幸道がエレベーターへ乗り込むと同時に、颯太はお礼を伝える。
悟と幸道は笑顔で頷き、颯太に右手でサインを送る。
それからすぐ、扉がゆっくりと閉まった。
同時に、颯太の表情が再び引き締まる。
「二人のため、そして会社のためにも頑張らないとな……!」
一瞬だけ両手に持つ野球用具へ視線を向けると小さく頷く。
「絶対に活躍するからね……!」
そして悟と幸道に向け、囁くような声で言葉を贈り、ゆっくりと自身の席へと歩を進めていった。
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