なろう小説なんてクソ食らえ

1話 

1-1

「……うっわ……」

 夜も深まった時間帯。一瞬にして膨れ上がる困惑の感情は眠気すら吹き飛ばす。突然の出来事が胸の内を乱し、この有様に当の本人は、ただただ言葉を失っていた。


 せめて後悔の矛先を向けるとしたら、それはきっと俺の運、運命にだろう。簡単に自分のせいだと割り切ることなど、心の弱い俺には到底できなかった。

「……全部消えちゃった……」

 幸福の裏には不幸が潜んでいて、だいたいその不幸の方が往々にして残酷だ。

 目の前のディスプレイに映るは、タイトル以外消えた真っ白の更地。『やって後悔した方が辛い』なんて俺の生き様を綴った小説は、応募期限二日前に消えた。

「あぁー……」

 『良いことが起きれば反動に悪いことが起きる』 ヘーゲル的弁証法、カルマとでも言うべき現象に期待しても、もはや期待しきれない絶望。

 こんな形の不幸がどう幸運に転じるのか――。

 タイトル以外何も残らなかった俺の心は、ぽっかりと穴が開いてしまったようで、残った喪失感は、もう当分は埋まる気配が無かった。


 ――それは授業すらも手が付かないほどで。

 せっせと板書を取るこの状況に俺は太々しく腕を組んでボーっと座っていた。

「なぁ? 落ち込んでるだろ」

 隣から囁く友達。俺の取り繕った不満げな顔から何かを察したのか、付け込むように竿を垂らして、ニヤニヤとこちらの情緒を伺っている。


「……昨日、応募する予定の小説間違って消しちゃったんだよ」

「っなわけ」

 その言葉には漏れる吐息には含み笑いが混じっていた。まるで信じていない。

「……あらすじと本編別で送れってやつでさ、イジってたら全部消えたんスよ」

 授業中と弁えつつ、最大限の後悔の度合いを見せる。

 別に、将来入賞するかも分からない小説にここまで執着するのは、自分でもおかしいとは思う。けれど、だからといってこの気持ちを簡単に切り替えられるほど器用でもない。っと言うか、今まで積み上げた努力が一瞬で泡になったことが――。


 「はぁ」と付く重いため息。モヤモヤした気持ちは一層鬱々とさせる。

 複雑に絡み合った後悔はもう解くことなんて出来ない! 妥協なんて以ての外だ!

 

 と言っても、消えたデータが戻ってくるわけでもない。


 何となく見る黒板と書かれた日付。

 ……一週間、そうか今日で一週間経ったのか。

 今思えばコイツが来てから調子が狂った。コイツが俺の運を吸い取っていてもなんらおかしくない。むしろコイツに神経すり減らしてたせいで……。


 俺の視線は宙を舞う。


 こいつが日常化していることは悍ましいことだろう。コイツは何者で、なぜ俺の前に現れたのか――。ぶっきらぼうなその顔が歪むほどに問い詰めてやりたい。


 ――それは空中を浮いている。いや、泳いでいるのだろうか。

 ユニークな形状と、ゆっくりした泳ぎ。円盤のような形は――。


 ……マンボウだ。 

 ……やはりマンボウだ。


 いつからか俺の目の前には空を泳ぐマンボウが現れた。特に喋る訳でも、魔法の力を与える訳でも無く――ただ空に浮いている。

 なぜ急に俺の日常に溶け込んで来たのか、当てがないのが一番怖い所だ。

田野たの~ご飯食いに行こうぜ~」

 隣から聞こえるその声は、依然宙に浮いたその違和感に声を上げない。

 ――その姿は俺以外誰にも見えていないらしい。

  

 向かいで座る学食、俺はカレーを食べながらもそのことに頭を悩ませていた。そしてその疑問は、脳内に収まらず、向かいに座る友達にまで投げかける。

「なぁ、マンボウの対処方法とかって分かる?」

「……マンボウかぁ。ストレスに弱いとか聞いたことあるけどー……どうだろ?」

「ストレスって、窮屈な奴なんだな。広い海でストレスの何を感じるんだ」

 ――なんて、匂うセリフに向かいの友達は箸を突きつける。

「マンボウに文句言ってるお前も大概だぞ? ……死ねよ」

「そんなに!?」

 激しめのボケとツッコミ、友達は薄笑いを浮かべる。これが俺の日常だ。何がどう間違っても俺の周りをマンボウが泳ぐなんてあるはずない。


 改めて宙を漂うマンボウを眺めるが、やはり俺の前に現れた理由が分からない。

 幻覚だとしても薬も葉っぱも当てはないぞ……。


「そういえばお前が小説書いてるのって私以外知ってる人いたっけ?」

「……誰も。高校生が小説書いてるなんてイメージ悪いしな、オタクみたいで」

 。転生が主な異世界系の小説が存在する限りこのイメージは払拭出来ないだろう。ラノベも対外だが、書店に並ぶタイトルから程度が知れてる。

「人なんかに言えないだろ?」

「否定は出来ないがお前はオタクだ。……でもまぁ、見たかったな~お前の小説」


「……俺も」


 *


 放課後の昼とも夕方とも取れない時間。磯のような独特の匂いがする濁った川を渡って駅に着く。ガヤガヤとした喧騒に包まれた駅前。そこから続くのは歓楽街。

 駅で私服に着替えては、霞がたなびくような薄暗い裏路地を抜け、俺は壁にもたれかかる黒ずくめの男の前に立つ。

「ファンタジーは好きかい?」

「……物によるな。なろう系とか主人公の器が足りない話は嫌いだ」

 思想を押し付ける話は好きだが、一辺倒な妄想を押し付ける話は受け付けてない。小説を書くようになって中の人間を容易く想像できるようになってしまってからはさらになろう嫌いが酷くなった。

「いくら嫌いだからって、客相手にそんなこと言うなよ?」

 胸に押し付けられる茶色の紙袋。それもちょうど本一冊入りそうな。

「分かってるよ。これは?」

「欲望の塊。城北高校じょうほくこうこう第二図書室に客がいるはずだ」

「……分かった」

 俺のバイトは欲望を売ることだ。原理なんて知らない、ただ人は心を満たし、現実から逃れるために金を払う。そして俺はそれを運ぶ、それだけの話で――。

 今回の品物、『欲望の塊』なんて適当な隠語で繕ったこの紙袋の中身は、十中八九なろう小説だろう。転生やらチートやら大した重みもない、やっすい欲望に量産された小説の何がおもしろいのか。

 

 web小説のランキングに蔓延ると押しのけられた俺の作品への不当な価値。

 バカみたいに似たような話ばっかでどうして俺の小説が……つまんねーの。

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