第二楽章 前編 地獄の特訓編

天音教授は激怒した。 かつての教え子白黒ノアの弟の…演奏レベルのあまりの低さに。

ここは教授の家(屋敷と言うべきか?) 弟子入りしてから住み込みでピアノの特訓を初めて二ヶ月。早くも暗雲が立ち込めて来ていた。

『貴様、今まで一体何をして来た?どうしたらそんな無茶苦茶な弾き方が出来るんだ?』

今まで…。して来たこと?

 『…バイトですね。』

『……。バイト?』

『はい。』

 『ふざけるな馬鹿野郎‼️ 聖帝学園の入学試験をいくらなんでも舐めすぎだろ??』

自分では結構上手くやった方と思うけど…。初心者向けのピアノ教本、バイエルの乗った鍵盤の前で首を傾げるタクトの隣で、教授は深く溜息をつく。

『あのなぁ…。聖帝学園は元々ムジーク使いを育成する目的で建てられた学校なんだが、君はそもそもムジークが使えないらしいじゃないか…。なら、世界トップレベルの演奏でも出来ない限り、学校側には入学させる意味が無いんだ。』

『……。』

 『審査員が、恵まれたお偉いさんがたが学歴も、金も、ムジークもないようなガキをまともにテストして下さると思うか? 君が相手にするのはそんな奴らだ。 こんな所で満足するな。考える暇があったら弾け。』

そうだ…。僕は何が何でも姉さんを捜しに行かないといけない。入学しないと。何が何でも…。

『すみません、少し軽く見てました…』

 『…なら良い。 ほら、早く再開す…ゲホゲホッ!』

『どうしたんですか‼️』

『…いや、すまない。 よくあることだ…。』

おかしい…。明らかに顔色が悪いし、見間違いじゃ無ければ…今の咳は血が混じってた。

僕の視線を察したのか、教授は静かに僕を見つめた。

『…。タクト、このことはあまり知られていないが…ムジークは人智を超えた力。使用にはそれなりの…代償を払わないといけない。』

‼️嘘だろ?

『…。本当だ。吾輩のムジークが初めて発動したのは20年前だが、確かに心がすり減っていく気がするんだ…。この力を使うたびに。』

そんな…。信じられない。『なら、聖帝学園は…。それを知ってるんですか?』

『黙認している…。そんなことが世に知れ渡ってみろ、入学志願者の現象はおろか、ムジークに対する世間の意見も一変するだろう。』

……。

『…そんなものだ。』

『それに、歴史に刻める至高の曲がこの手で紡げる力が手に入るのなら…。吾輩は喜んでムジークを使う。たとえそれが寿命を削る悪魔の契約だとしても…。』

『雑談はおわりだ。 …さて、そろそろ初見演奏をしてみようか。』

初見演奏? 何だそれ?

『…。(本当に何も知らないのか)…。初見とは文字通り、目の前に出された楽譜を1分ほど見てから演奏し、ミスの少なさや表現力の高さを競うものだ。 聖帝学園の入学試験は毎回音楽の筆記テストとピアノの初見演奏で行われるから、これで失敗は許されない。  …さぁ、早速始めるぞ。』

そう言って教授は本棚から使い古したぼろぼろの楽譜集を一冊僕の目の前におき、ページを開いた。

  ……。嘘だろ!…嘘だろおい❓ 

何だこれ?まず符号が多すぎる!読むのが お、追いつけない。曲が長い!

難しいなんて言葉じゃ足りないくらいに難しい‼️

見たことのないくらいの音符の嵐が僕の脳内で処理できず、バグのなみが起きている。頭が痛い…。

『時間だ、さぁ演奏しろ。』

憂鬱な気分で鍵盤に手を置く。死に物狂いで鍵盤に齧り付く。しかし開始2小節まで指がもつれる。まずい、焦ってまた和音を弾き間違う。

音が、音達が暗く冷たい嵐の波のようで、もがいてももがいても口に氷水が入って、飲み込んで吐き出してはまた飲んで、意識が段々と朦朧として、僕はなすすべもなく波に飲み込まれていく…。底なしの、暗い底なしの深海に…。

『…。終了だ。』

…………言葉が出てこない。  教授に目を合わせられず、じっと床を見て、いる。

『どうだ?己の力不足を思い知ったようだな?』

何も、言えない。深い海底に沈んでしまって、何も考えられない。何も、出来ない。

……あぁ、これが"絶望"なのか。

まだ、何も出来てないのに、自分の目指していた壁は、いかに高くて厚いものだったのか。 今嫌になるくらいに味わっている。

 聖帝学園を目指すライバルたちは、こんな問題なんて余裕でクリアしていくのだろう。こんな簡単な問題なんて………。

  果たして、僕はここから本当に成長出来るのか? 変われるのか? イメージが………。浮かばない。

『どうした? .....自分が憎いか? それとも、もうやる気をなくしたか?』

……僕は、   

 教授は話し出した。

『今の演奏は、正直言って下手だ。下手過ぎる。……焦って弾いたら何もかも台無しだ。』

  やっぱり僕は…! 期待はずれだ…!  今までずっとそうだったんだから.…。

目の前が真っ暗になってくる。 僕には何もかもない。 才能も…。やる気も。

 『もし点を付けるなら、……はっきり言って0点だろうな…………だがマイナスはつけないだろう。』

『どう言う………事ですか?』

 教授は今まで見たことないくらいに静かに僕を見る。

 『今の演奏は間違いだらけだったな、テンポもデタラメだ。君もそれくらいわかっていただろう。

だが………。決して演奏を辞めはしなかった。逃げなかった。最後までやり切った。そこは評価すべきだ。』

『…教授…!?』

教授は静かに言葉を続ける。

  『それに、君は自分で音楽に熱意が無いと思い込んでいるようだが……。』

そこまで見透かされてたのか…。

  『やる気のない人間が、そんなに全力で涙を流せるか? 全力で…悔しがれる簡単にのか?』

 ーー! 本当だ、気づかなかった! 無意識のうちにボロボロと、涙が溢れている いつのまに…。

 『……なぁ、タクト? "正解"の反対は一体何だと思う?』

どうして、そんなことを聞くんだ? 今はそれどころじゃないのに……。

 『……不正解、ですかね、』

『違うな!』

…え?

教授は安らかな笑みを見せ、言った。

  『ーーー正解の反対は、”無解答“だ。』

 『君は初見演奏という高い壁に対して、自分の力で答えを出そうとした。決して投げ出さずに。 己の力不足を知ることは良いことだ。  そして本気で涙を流して悔しんで、その力が人を更なる高みへと押し上げるんだ。』

その言葉を聞いてハッとした。 心地よい気分になった。僕の目の前を覆っていた黒いモヤがスッと爽やかに晴れ渡って行くような。

 今まで僕の人生は、色んな人たちに泣かされてばかりだった。 施設の人や、周りの同級生たちや、意地の悪い大人たちに。 そして、些細なことですぐに涙を流す自分自身が…僕は何よりも大嫌いだった。

 泣いても、良かったんだ。

まだ僕は、本当にピアノが上達出来るのか迷っていた。不安だ、本当に聖帝学園に受かるか分からない。それでもやっぱり僕は……。もっと上に行きたい‼️

心の中の迷いと焦りが解けていくのを感じる。 さっきまでの事が嘘のように、僕の気持ちは穏やかだった。

  『…。さぁ、迷いが晴れたようだな、なら特訓を再開するぞ。』

『はい!!』

自分で少しびっくりするくらい、元気な返事だった。

『先に初見のコツを教えよう。主に…。楽譜を見てすぐに“主旋律"を意識する事だ。簡単に言うと、メロディーだな。大体右手のパートの事だ。そこをまず見て、合わせるようにして和音を弾くと、曲のイメージがつきやすい。大切なのは日頃から右手のパートだけでも“弾き歌い”をすること、早速やってみろ。』

弾き歌い?

『ド〜とかミーとかのやつを、声に出して歌う事だ。ほら、やってみろ。』

そんな急に言われても、歌?歌って…。

『つべこべ言わずにやれッッッ!』

『は、はい…。』

『ド、ソ〜ミ〜ラ、ラ〜シ〜.........。』

『小さいッッッ‼️ 声が小さ過ぎる‼️ 音程も合ってないッッッ‼️』

そんな急に音程とか言われても…。

『音符の位置が上にあったら高く、したなら低くだ。』

『……は、はい!』

歌って見る?そんな練習で果たして効果があるのか分からないけど、……今はとにかくやるしかない。

それからは毎夜毎朝ひたすらに教授と一体一で、鍵盤にこじり着く日々だった。 想定外だったけど……メロディーを歌う練習を続けるうちに、最初は絶望的だった初見の楽譜が、段々と見ただけで曲の雰囲気や響きが漠然とイメージできるようになって行った。

朝起きて、弾いて、また弾いて、ひたすら弾いて……。

そんな毎日を過ごすうちに、聖帝学園の入学試験の日がついにやってきた。


試験の前日、僕は寝室で一人、仄かなランタンの燈を頼りに10年前に撮った家族写真を眺めていた。

僕と、姉さんしか居ない『家族写真』を。

行方しれずになってから数年。 ようやく明日、探せるようになるチャンスがやって来るんだ。

必ず迎えに行くから……。 待ってて。 姉さん。


4月1日

ーーー 吹き抜ける爽やかな風が頬を撫でる。 優美な装飾の刻まれた大理石の厳格な双門をくぐり抜けた先には、今までずっと憧憬の幻だったあの聖帝学園が堂々と建ちそびえていた。

遂にやってきたんだ。この場所に。

『おい。タクト? 今感動してる場合か!? 何のためにここに来たんだ……。』

『‼️ す、すみません……。』

そうだった。感心してる場合じゃなかった…!

今日の試験だけは、なにがなんでも合格しないと、こんなところで止まる訳には行かないんだ‼️

『フン、…わざわざ吾輩が推薦してやってるんだぞ? …… くれぐれもヘマをしでかすなよ?』

教授…。送迎までもさせてしまって何だか申し訳ないな……。

『ひゃ、……。はい! 』

できる限り元気に返事をしたつもりだったけど、途端にプレッシャーを感じだしてしまい、かなり声が上ずってしまった。

『吾輩が案内出来るのはここまでだ。……。さぁ、行け‼️ 今までの成果を審査員共に見せつけてやれ!』

教授……! よく分からないけど、励ましてくれてるんだろう、た、多分……!

『教授……。 行ってきます‼️』


そう言って僕は、聖帝学園へ一気に走り出した。

僕の人生最大の戦いが、今日幕を開ける。













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