異世界戦線

Chira

第1部 新大陸編

第1話 落日

新大陸特有の分厚い雲が覆う空の下。アレクト・フォン・リーベは年頃の高い感受性をもって、どこか他人事のように自分の置かれた状況を認識していた。晩秋が深まる気配は人間の努力では遂ぞ隠しきれないものとなり、アレクトは堪らず身震いしてしまいそうになるが、しかし、ストーブをつけるにはまだ温かい。そんな微妙な天候の中で、アレクトは呑気に優雅なアフタヌーンに興じていた。


話し相手もいない一人寂しい優雅なお茶会。自ら望んだとはいえ、そのような己の孤独を際立たせる環境の中に置かれた彼女が唯一安心することができるのは、いつまでも変わらない空模様だけだった。


アレクトはコルト帝国でも五大貴族と称される名門、リーベ家に生を受けた。彼女の出産時に母親を失いはしたが、その後はそこまでの艱難辛苦を経験する事なく貴族として生きてきた。しかし、何事にも永遠は存在しないのと同じように、アレクトのそんな平穏な生活はついに終わりを迎えようとしていたのだ。アレクトは両手で紅茶の温もりを感じながら、寂しげに息を吐く。


アレクトが平穏な日常に別れを告げなければいけなくなった理由。それは数週間前に遡る。適性検査の結果、アレクトは魔導適性を有していることが判明したからだ。適性者は魔力を操ることができる。そして、魔力の軍事利用が盛んな帝国では魔導適性者は魔導兵として兵役に従事することが原則となっている。いくら五大貴族であるアレクトだとしても、その定めから逃れることはできない。そして、もしそうなれば、アレクトは貴族の王道を外れる事になってしまう。一度道を違えば、王道には戻ることはできない。今までのような平穏な生活は、彼女の手には二度と戻ってこなくなる。


「お嬢様、そろそろ…」


アレクトがそこまで考えると、静寂に耐えかねた彼女の側仕えであるラクーシャがアレクトに声をかけてきた。しかし、その声色からは誇るべき主人への申し訳なさが感じ取れる。アレクトは思考を中断してティーカップをソーサーに置き、不安そうにするラクーシャを安心させるために余裕を持ってにっこりと微笑みかけた。


「もう少しだけ、ここでゆっくりさせてください」


「…承知しました。お荷物は先に運ばせていただきます」


アレクトの言葉にラクーシャは喉を詰まらせそうになりつつも、何とか言葉を発した。そして気を紛らわすためにも下っ端のメイドに荷物を運び出すように指示を出し、苦しさでいっぱいの胸を押さえながら、なんとか気持ちを落ち着かせる。


「ラクーシャ、いつも迷惑をかけますね」


「いえ、お嬢様のようなお方に仕えることができるのは、私共からしても光栄なことでございますので」


「あらあら、そのように勝手に人の心を代弁してはいけませんよ」


アレクトはラクーシャの手腕を誇らしげに眺めつつ、今度はお茶菓子に手を伸ばした。今のご時世ではすっかり貴重品となってしまった砂糖を惜しむことなく使われたそれらを目一杯頬張り、そして口に広がる甘い心地にたまらずアレクトは相好を崩す。


「…お嬢様は怖くはないのですか?」


「怖い、ですか?」


ラクーシャは空になったティーカップに紅茶を注ぎつつ、ふと、純粋な好奇心から彼女は不遜にも主人のお心を推し量る。ラクーシャの言葉にアレクトは目を丸くし、頬に手を当て考える仕草をする。ラクーシャは先程の発言は失言だったと内心で冷や汗をかきつつ、どこまでも落ち着いた様子でいるアレクトの横顔を慎重に眺めた。


「…そうですね。きっと、私も心の中ではそう思っているのでしょう」


アレクトは思考を再開するが、しかし、ふと己の身に着けている糊の利いた魔導兵用の軍服の裾が目に入り、たまらずそう呟く。白い肌と、そして美しくも決して実用的でない細い腕との対比は彼女も何の冗談なのだろうかと疑いたくなってしまうほどミスマッチで、勿論本人であるアレクトも頭に疑問符を浮かび上がらせる。塹壕を掘り、両軍がどれだけ沢山の砲弾を放てるかで勝敗が決するこの現代に、どうして貴族がこのような格好をしているのだろうか。そんな疑問は自分の境遇を見てみれば一目瞭然ではあるものの、アレクトは力無く首を振らざるを得なかった。


今から三年前、突如として世界各地に謎の軍勢が出現し、文明に対し無差別に攻撃を開始した。多くの国々は国土を失い、結果的に陸地の約半分が敵の手に落ちた。今まであらゆる生物を残虐に扱ってきた人間は、今回の事変で初めて虐げられる側に回ることとなったのだ。


しかし、そんな混乱期の中で、人間はまさに奇跡の具現化である概念であり、そして物質でもあるものを発見した。それが魔力である。魔力はどうやってか人の体内から生じることがあり、人間がそれに干渉するとまさに魔法のような技を現実でも繰り出せるようになる。人類は魔力を軍事利用しようと躍起になり、そして間も無く、魔導兵という新しい兵科が創設される事になった。これによって人間が一方的に劣勢に立たされるというシナリオは回避され、人類はひと時の安寧を得ることに成功したのだ。


しかし、そんな仮初の平和はそう長くは続かなかった。アレクトの住まうコルト帝国は強大な国力と軍事力を有した、言わば列強諸国の一員である。新大陸と旧大陸に広大な領土を持ち、十二年前の世界大戦でも何とか辛勝した帝国だが、しかし、その寒冷な気候から人口には恵まれなかった。そのため天賦の才に左右される魔導適性者の数がどうしても少なくなり、今まで何とか維持していた戦線は崩壊の危機に瀕することとなった。


そんな日々悪化していく戦況を重く受け止めた帝国政府は、ただひたすらに祖国を思い、決して少なくはない反発を覚悟で決断を下した。それは、本来ならば免除されていた貴族への適性検査の実施である。帝国の人口内訳の中に決して少なくはない割合を占める貴族という存在は、人間をなべて人的資源として見た場合は手のつけられていない可能性の塊だった。国を守り、それによって皇帝陛下への忠誠を示す。もしかしたら己がその役回りになることを承知で、枢機院は政府に対して教書を提出した。誇りや利益などは既に考慮になく、彼らはただ必要に駆られて正しい決断を下したのだ。


その結果、アレクトは生贄に選ばれた。ペンより重いものを持ったことのない貴族だったとしても、魔力を扱う事ができるのならばそんな言い訳は通用しない。アレクトは英雄となることを強要され、そして遅かれ早かれ死ぬことを望まれることとなるであろうことは彼女の目にも明白だった。


アレクトは膝の上で両手を重ね、己の体温の温もりを感じながら過去への回想を止める。今まで言葉にしなかったからこそ、アレクトは自分の立場を曖昧にしておけることが出来ていたが、何かここで言葉を紡いでしまえば、その境界線の曖昧さは消え失せてしまう。迷いは何も生まないが、しかし、時間だけは確実に過ぎていく。アレクトは過去へと思いを馳せながら胸には決意を抱き、そっと口を開く。


「ですが、権謀術数に呑まれる前に、少しだけ運動をしてくると考えればこの運命もそこまで悪いようには思いません。それに、もしかすれば巨大な派閥であるC軍集団の方々ともコネクションを得られるかもしれないのです。それならば、自ら進んで戦場へと赴く甲斐があるというものです」


アレクトは傑物とされる父リーベルトに遜色のない才能を齢十七にして花咲せ、既に貴族界からの注目の的となっていた。帝国内に存在する様々な派閥がアレクトを自分の陣営に取り込もうと猛烈なアプローチを送っており、流石に煩わしく思っていた。簡単に言えば、アレクトは誇りや名誉がどうこうと言いつつ、結局は欲望にどこまでも忠実な彼らに嫌気がさしたのだ。


そして、間もなく社交界の場にお目見えとなるタイミングで彼女へ救いの手と言わんばかりに差し伸べられた今回の徴兵命令。アレクトは自分の貴族としての人生に満足はしていたが、しかし一方でただ黙ってそれに従おうと思っているわけでもなかった。そんな架空のシナリオを思い浮かべながら、アレクトは役を演じる。自分は恐らくこれを逃してしまえば二度と訪れないであろうチャンスを前に胸を高鳴らせていて、そんな胸中が露呈しないよう、済ました表情でラクーシャが注いだ紅茶に角砂糖を投入したのだと自分に言い聞かせる。


「ですが、リーベルト様も問題ないと仰られていましたが、やはり私はお嬢様のことが心配です。お嬢様は時間にルーズであらせられますので、青年将校に不興を買われ、暴行をされるのではないかと…」


「…ラクーシャ、私だってそれくらいは弁えていますよ」


アレクトは少しばかり主人への思いが強すぎるラクーシャに苦笑いをし、窓の外へと視線を向けた。今日もいつもと変わらない曇天。新大陸は南からやってくる暖流の影響で高緯度にしては温かいが、その代わりに一年の多くの日が雲に覆われる。今日もメリートの空は寒々しく、糊の利いた軍服にもう一枚厚着をしたいなとアレクトは心の中で呟く。


「緊迫したご時世ですが、私には貴族ということで魔導兵の基礎的な訓練期間とは別に士官課程も用意されていますから。今度帰ってきたときには、私もお父様のように胸にたくさんの勲章を着けているかもしれませんよ?」


「…お嬢様はご冗談がお上手ですね」


「もう、皮肉ですか?」


ラクーシャが僅かに間を置いて返事をすると、アレクトはそんな変化に敏感に反応した。不敵に上がった口角は今まで幾多の苦難に直面しても、天賦の才と相応の努力によってどうにかしてみせるという意志の表れだろうか。


「まさかそのようなことは。私奴のことを気遣ってくださり、ただ、胸が打たれたというだけでございます」


ラクーシャは微笑みつつ、しかし、彼女はどうしても他人に依存しなければ生きていけない人間であるが故に、今後の平凡になるであろう日々に表情を曇らせる。当主であるリーベルトの趣味を前面に押し出した質実で、荘厳な館は異性としては少しだけ寂しく感じられる。それに加え、今後は精神の支柱となる存在が消えるのだからなおさらである。


「流石に、これ以上時間を押すわけにはいきませんね。寂しくなりますが、それ以上にこの後も私は快適な生活が送れるのかが不安です」


「私もご一緒させていただきたくはありますが、流石に軍の中で貴族の真似事をするわけにはいかないとリーベルト様は仰っておられました。しかし、お嬢様なら従兵を上手く調教し、不自由のない暮らしができると私は確信しております」


「もう、ラクーシャ。調教などと、私はそんなサディスティックな人間ではありませんよ」


アレクトが貴族らしさを取り繕っても、ラクーシャはその真意を間違いなく受け取ってくれる。アレクトはそんな快適な日常への別れに寂寥の念を積もらせつつも、しかし本心を表情に出す訳にもいかず、ただ、儚げに微笑んだ。


「…?なんの音でしょうか」


ふと遠くから、強いて言うとするならば館の上の方から、何かが高速で羽ばたく音をアレクトの耳ははっきりと聞き取った。そして、アレクトはこの音の正体を偶然にも知っていた。一度だけ父であるリーベルトに無理を言ってついていった展示会で「飛行機」なるものがこのような音を立てて見事に空を飛んでいたのを見たことがあったのだ。


「…嫌な予感がします」


アレクトはティーカップを貴族の基準で乱雑にソーサーに置き、外の景色を注視しつつ椅子から立ち上がる。そして、何故だろうか。窓枠に少し影が落ちているような気がしたのは。


「…!お嬢様、危ない!」


何かを察知したラクーシャの叫び声を上げ、アレクトを庇うように前に出る。そしてそれと同時に天井に何か質量を伴ったものが落ち、それを聞き取るや否や窓ガラスは勢いよく破られた。幸いにもアレクトにまでガラスの破片が届くことはなかったが、突如として金具が動く音が部屋に響き、室内に緊張が走る。


「動くな」


室内に男の声が響く。アレクトの視線の先には少なくとも帝国の軍服ではない見慣れない服装に身を包んだ男性がいた。彼はアレクトに対し不尊にも拳銃を向け、鋭い視線で彼女を睥睨する。アレクトにはもちろん拳銃を向けられた経験などない。固唾を飲み込み、男の気に触ることのないよう全身に力を入れて逆らう意思はないことを示す。


「今すぐここから立ち去りなさい。反逆罪で極刑に処されるのを望んでいるのですか?」


「…あばずれが。お前には言っていない。あまり俺の手を煩わせるな」


「ぐっ…!」


アレクトを庇おうと一歩前に出たラクーシャは、男が目にも見えぬ速さで投擲したナイフが腹部に突き刺さり、たまらず地面に膝をついた。しかしラクーシャは主人を守ろうとその一心でナイフを抜き、男に襲い掛かろうとするが、腹に刺さったナイフが抜けない。


「その程度のことを予測していないとでも思ったか?」


男は地面にへたり込むラクーシャを蹴飛ばし、再び意識をアレクトへと向けた。


「俺がここに来た理由は分かっているな?」


「いいえ、見知らぬ人から拳銃を向けられるようなことになる心当たりなど…」


アレクトがそう言い終わる前に、乾いた音が一度だけ響く。銃口からは硝煙が立ち上がり、アレクトは男の視線が少しだけ下を向いている事に気がつく。ゆっくりと顔をしたに向け、自分の胸の方を眺めると…


「っ、あ」


「お嬢様…!」


彼女の軍服が血で染まっていた。胸が貫かれ、アレクトは今まで感じたことのない痛みに気の抜けた声を発した。男はアレクトの様子を見てむしろ落胆すると、残弾を気にすることなく容赦無く何度も引き金を引く。


「が、ガハッ…」


一発、もう一発。銃弾がアレクトの身体を焦がしながら貫いていく。アレクトは遂に痛みに耐えきれずに地面に伏せるが、それでも一定のリズムで刻まれる乾いた音は止むことはない。痛みのせいか耳鳴りが止まらず、浅くなった呼吸は行えば行うほど苦しくなっていく。アレクトは苦痛に悲鳴らしき悲鳴を上げることすらできないまま痛みを受け止め、赤く染まった視界からぼんやりとかつての平穏の象徴であった部屋を眺めていた。


やがて、静寂が訪れる。今のアレクトの視界ではラクーシャと荷物の整理をしていたメイドたちが無事なのかは分からない。ただ、非常に、非常に残念なことに、自分を撃った彼は堂々と地面を踏みしめられるほど健全な状態のようだった。


「そうか。既に外見で物事を判断するほどにその体に順応してしまったようだな。嘆かわしいが、今更だ。生きたいという意志が人並みでなければ、本来の主が未だにその果てかけの神聖を愛していたのだとしたら、また会おう。これが終いというのは、私からしても後味が悪いからな」


アレクトは既に暗くなった視界で声の主の顔を収めようと眼をより一層開き、声の特徴を逃さないために耳をそばだてる。しかし、意外なことに軍服の男は優しい手つきでアレクトの瞼を閉じた。視覚も使えず、耳をそば立てても耳鳴りしか聞こえなくなったアレクト最期に感じたのは血の温かさ。彼女は自分から漏れ出した血の温度に憤怒と後悔を感じながら、意識を引き取った。

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