転生女子にチートなし!?~師匠に恋する弟子の私は、うわさの『恋に効く薬』をこっそり作ってみたけれど、どうやらそれは媚薬だったようです?~

椿原守

第1話 発情が発動!?

 ──やっちゃった……!


 目の前の光景を見て、私はそう思う。

 

 額から冷汗がたらり、また、たらりと流れてきた。

 口の端が引きつって、ここから逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。

 

 見目麗しい師匠が頬を染め、息を荒くし、肩を小刻みに震わせながら、床に膝をつく。

 その光景を見下ろしながら、私は一歩、また一歩、後ずさった。


「そこのバカ弟子……一体なにをしたんだい?」

「え、えっとぉ~……なんのことでしょう?」


 私を見上げてくる師匠は、とてつもない色香を醸し出している。

 サラサラで艶やかな銀色の長い髪は、汗で額や頬に張りついているし、長いまつ毛の奥にある紫色の瞳は、欲を含んだ熱を浮かべて潤んでいた。


 これは、この状態は、なにを意味するのか……私は知っている。

 彼の身体は今どんな状況にあるのか、わかってしまった。


(あの師匠が……発情している!)


「マナカ……っく! なにをしたのか……いい加減言いなさい」

「あう……あう……ご、ご、ごめんなさーい!」


 私は床に膝をつき、顔の前で両手を組んで、祈る様に師匠に謝り倒した。


 **


 私と師匠がなぜこんなことになっているのか?

 それを説明する前に、少しだけ自分と師匠のことについて語ろうと思う。


 師匠──ルシード様は、セレウム国トップクラスの『魔術師』兼『錬金術師』兼『魔導具師』である。

 要は魔法に関連するようなことについては、この国において右に出るものはいない。そう言われている人だ。

 

 性別は男性。

 サラサラの銀髪に長いまつ毛、紫水晶を思わせる美しい瞳。

 肌は雪のように白く透き通っており、一部の女性からは「お手入れ方法を知りたい」なんて囁かれているほどの美麗なお顔の持ち主である。


 そんな彼は、十年ほど前、魔獣が大量発生した地域へ視察に訪れた。

 その視察の最中に、森の奥に捨てられていた私を見つけたのだ。


 華やかな経歴と顔を持つ師匠に対して、私──といえば、物心ついた頃から、やれ化け物だ、不気味だと親に言われている女の子だった。


 疎まれ、蔑まれ、なにかと暴力を振るわれる毎日。

 そんな日々にもようやく終わりが訪れてくれた。


 忘れもしない。

 あれは……私の八歳の誕生日。

 

 珍しく両親から優しくされた。テーブルには残飯ではなく、美味しそうなケーキがそこに置いてある。


(これを……私に?)


 本当に自分が食べてもいいのだろうか?

 間違いではなく……?


 ビクビクしながら、母の方を見ると、にっこり笑ってうなずいてくれた。

 フォークを手に取り、ケーキに突き刺し、一口分だけすくってパクッと食べる。


(甘い……おいしい……おいしい……!)


 ケーキを食べる手が止まらない。勢いよく食べていたら、急に睡魔が襲ってきた。

 逆らうことのできない眠気に、まぶたは落ちていく。


 そうして、次に目を覚ましたとき、私は森の中にいた。

 まぁ一言で言うと、捨てられたのだ。


 薄暗い森の中で途方に暮れ、ひとり膝を抱えてうずくまっているところを彼が──ルシード様が見つけてくれた。


「おや、こんなところに子ども……ん? 君は……随分と魔力量が多いようだね。この様子だと、コントロールする術も学んでいなさそうだ。危ないな……このまま放っておくと、これから先、苦労するよ」

「あなたは……だれ? これから先って言われても、私ここに捨てられちゃったみたいだし……もう、どうでもいいよ」

「捨てられ……そうか。……それじゃあ、私のところにでも来るかい? ちょうど弟子を取ろうと思っていたんだ」

「……弟子?」

「そう。私のやることを手伝ってくれそうな子を探していたんだよ。ねぇ、君。私が魔力の使い方を教えてあげるから、その代わり、ちょっとしたお手伝いをしてくれないかな?」

「うん。いいよ」


 いま思えば、あのときの私……よく即答したな。

 美しい顔で人を騙し、攫い、奴隷として売り飛ばすような人物だったら、どうするつもりだったの!? と思わなくもない。

 

 いやでも、奴隷として売り飛ばされたのだとしても、森の中で獣にでも襲われて、死んじゃうことに比べたら、いくらかマシかもしれない。

 だから、まぁ、どちらにせよ「ついていく」と即答していただろう。

 

 

 そんなこんなで、師匠に手を引かれ、連れていかれた先は王都の郊外にある一軒家。とても、とても……大きな家。


 玄関の扉を開けて、屋敷の中に入ると、目の前に広がったのは──もの、モノ、物。

 床にはありとあらゆる『物』が敷き詰められており、足の踏み場ものないというのは、このことか……と、口をぽかんと開けたまま固まるしかなかった。


「どうしたんだい? 早く中に入りなさい」

「お手伝いって……お掃除のこと?」

「え? あ、あー……うん。そうだね……?」


 この荒れた状態が当たり前だった期間が、相当長かったのだろう。

 私の反応を見て、やっと師匠は「そういえば散らかっているかな」という反応を示した。


 私は踏んではいけないような物がないか、しっかりと足元を確認しながら、中に入っていく。


「こっちだよ」

「は、はいっ」


 師匠に連れられるまま、大きな屋敷の中を歩く。

 そして、ある一室の前にきた。彼の手によって、ガチャッと扉が開かれる。


「今日からここが君の部屋だ。なんでも好きに使っていいからね。ちなみに私の部屋は隣になるから、もし、なにか分からないことがあれば、いつでもおいで」


 そう言うと、師匠は隣の部屋へ移動し、中に入っていった。

 私は部屋の入口の前で立ち尽くして動けないでいる。


「わ、わぁ~……」


 自室となる部屋も物で溢れている。

 床を埋め尽くしている本を脇に避けながら、歩く場所を確保。

 

 私は、なんとかベッドにたどり着き、その上の物をどかしてスペースを確保すると、そこへゴロンと横たわった。

 天井の隅にある、蜘蛛の巣なのか、ホコリなのか、よくわからない白いものを見上げながら、私は決意する。


「ダメだあの人……私が、なんとかしないと」


 あれはダメ人間。

 生活能力皆無の人間だ。

 ああいう種類の人間を、私は──知っている。


「弟子を取る前に、まず雇うべきは、お手伝いさんでしょう……?」


 両手で顔を覆う。そして、深い……ふかーい、ため息を吐いた。

 私はここで思い出した──己の前の人生を。

 

 唐突だ。唐突すぎる。

 急展開すぎて、ついていけない。

 

 前世を思い出す展開って、もっとこう……自分の運命を変える為にあるものだと思ってた。

 まさか、目の前のゴミ……もとい、物を前にして思い出すなんて思わないじゃない?


 記憶を掘り返しても、よくある異世界転生の設定のようなチートがある訳でもなんでもない。

 ただ、ちょっと掃除、片づけが得意だった記憶の欠片がある、だけ。


「チートといえば……チートの類になるのかなぁ?」


 今このとき、この屋敷においては、必要といえば必要な能力なのかもしれない。

 

 こんな状態の家の中だ。

 この家のご飯事情は、どうなっているんだろう?

 

 家は大きいし、彼の身なりは……一応綺麗だったし?

 財力はそれなりにある……と考えられる。


 であれば、食事は全て外食で賄っている可能性は十分にあり得る。


「とりあえず……私は明日に備えて……寝る……べ、き」


 八歳──という小さな身体はすぐ疲れて、睡眠を欲する。

 その欲に身を任せて、私はまぶたを閉じた。

 

 これから、私は実感することになる。

 ああ、あのとき前世を思い出して良かったな──と。


 なぜなら、翌日から掃除に明け暮れる日々が始まって、師匠とのドタバタな生活の幕が上がったのだから。

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