第1話   テナシ

 2025年、夏。

 入浴後、冷凍庫の奥底に眠っていた鋼鉄のバニラアイスバーを咥え、ゲーミングチェアに腰をかける。

 惜しげもなく冷房を稼働させた快適な部屋で、バッテリーが膨張してタッチパッドが浮き上がってきているノートパソコンを起動した。

 ずぶ濡れの髪など気にせず、片足のかかとを椅子に引っ掛けて膝を立てる行儀の悪い彼女は、大阪の大学に通う一条いちじょう千里ちさと

 趣味は都市伝説やオカルトの探求。

 都市伝説探求所なるサークルに所属しているくらいのオタクだ。

 もっとも、サークルと言えどメンバーは彼女を含めて三人だけなのだが。


 ――――時刻は深夜一時。

 1LDKの部屋は静寂に包まれている。

 普段からヨーチューブなどで都市伝説系動画を垂れ流しているせいか、どうも無音の状態が続くと居心地が悪い。

 壊れかけのパソコンが起動するまでの繋ぎとして、動画を再生しようとスマホに手を伸ばした時、タイミングを見計らったかのように着信が入った。


「どしたんシガケンこんな時間に。滋賀県はもう朝なん?」


 電話の相手はシガケンこと志賀しが謙太けんただった。

 何かと滋賀県にこじつけていじられるのは、彼がこの世に生を享け、名付けられた時から決まっている運命なのだろう。


『いや滋賀県舐めんな。琵琶湖あんぞ』


「もうその武器、刃こぼれし過ぎて何も切れないよ?」


『お前との縁を切ることくらいはできる』


「うーわ。そんな寂しいこと言っちゃうんだ」


 くだらないラリーを経て、本題に入る。


「んで、なんよ?」


『今メッセージでURL送ったから見てくれ』


 スマホをスピーカーモードに切り替え、メッセージアプリを起動。

 都市伝説探求所大阪支部と命名された厨二病グループへ共有されたURLにアクセスする。

 ちなみに、大阪支部と言っても本部など存在しない。


「なんこれ」


 アクセス先のサイトは、千里もよく徘徊する知恵の泉という名のQ&Aサイト。

 シガケンが見つけたクエスチョンは『テナシって何ですか?』という質素なもの。


「ちょい待ってね」


 ここでノートパソコンが立ち上がったため、見晴らしがいい大画面にてサイトを開き直した。

 文字が密集したスマホの画面に比べ、余白が多くなったせいか質問の簡素さが際立っている。


「なにこのベストアンサー……」


 ベストアンサー。

 それは複数寄せられた回答の中で、最も優れたものを選ぶ機能だ。

 今回選ばれていたのは『両腕を失くし、笑っている子供の霊のことです』というアンサーだった。


『気味悪いよな。それに、よう分からん質問やのにアンサー数多くね?』


「確かに。ベストアンサー含めて28件もあるね。ほとんどが回答になってないっぽいけど」


 質問内容や、カテゴリーなどにより変動はあるが、質問につく回答の数は平均2~5件ほどで、回答が寄せられずに流れてしまう投稿もしばしばある。

 そんな中で今回のような情報の乏しい質問に対し、30件近くのアンサーがつくのは稀有である。


『俺って幽霊とか言われると黙ってられへんやん?』


 いや知らねぇよ、とツッコミたいところだが、シガケンはある種幽霊などには敏感。

 というのも彼は、都市伝説好きではあるが、幽霊や呪いの類は信じておらず、今はまだ解明されていないだけの物理現象であると確信を持っている。

 だからこそ、幽霊などとほざく奴には、その現象を自分の目で確かめ、物理で証明してみせるという使命感の元行動しているのだ。


「まぁ黙ってられへんわな。私も」


 そう言った千里は、ずいぶん溶けてきたアイスを歯でかじり取った。

 彼女は幽霊肯定派。

 ゆえに、シガケンとは良いライバル関係にあり、互いに論理の隙を突き合うことで、ある意味いい相乗効果が生まれている。


『そんで、このテナシとやらの質問してた人のプロフにツオッターのURLが貼り付けてあったから、DM送ってみたわけよ!』


「おぉ、仕事が早いね。で、返信は?」


『さっき返ってきた! なんとその人大阪にいるらしくてさ! 明日会おうってことになったわけよ!』


「まじ? それ大丈夫なん?」


 そもそも公開されているプロフィールにSNSのアカウントを載せている時点で、ネットリテラシーが低いことは明白。

 もしそうでないとすれば、詐欺の類である可能性が跳ね上がる。

 そういう観点から、千里は懐疑心を拭えなかった。


『大丈夫っしょ! 俺男だし! ミトモモにも後で連絡するけど、千里も来るよな?』


「当たりめぇよっ!」


 都市伝説探求所は怪しくてなんぼのもんじゃい!

 と言わんばかりに千里は即答した。



 午前11時。

 例の質問を投稿した人物に会うべく、珍しく千里は早起きをしていた。

 誰も一般的な早起きとは言っていない。

 夏休み中の自堕落な彼女にしては、早起きなのである。

 お洒落に興味が無いため、ジーパンと白のTシャツを着用し、何の手入れもしていないセミロングの黒髪を無造作かき流すという、金を持ち過ぎて一周回った海外セレブのようなコーディネートを選択。

 しかしこれが馬鹿にできない。

 千里は身長が165センチあり、運動しないが食べもしないため脂肪も筋肉も無い。

 一見、モデル体型と言っても過言ではないのだ。


「ミトモモ~」


 シガケンと約束していたファミレスの店先に立つ韓流女子。

 彼女こそ三人目のサークルメンバー、ミトモモこと水卜みうらもも


「チーちゃんんん。遅いよぉ」


 フワフワとしたショートボブの茶髪は、千里とは正反対に潤いがあり、抜群の透明感。

 ジャケットとハイウェストショートパンツはグレーのチェック柄セットアップで、真っ白ですべすべな太ももがセクシーでありながらも、全体的な可愛さも損なっていない。


「ごめんって。11時半集合はちょっと早すぎるんだって。新聞配達してる時間でしょ?」


「ばかぁ? 新聞配達は5時とかでしょぉ?」


「お前ら二人ともバカだだろ。3時には走り始めてるっつーの」


 ある意味お洒落な二人の元に到着したのは真打、シガケン。


「あらま~……」

「うわぁ……」


 流れ的に、彼も何だかんだでお洒落な服を着ていて、イケてる三人組と決め込みたいところだが、そうは問屋が卸さない。

 シガケンは稀に見るクソださファッションで、大学でも浮き過ぎていて、もう少しで離陸しそうな勢いなのだ。

 今日もしっかりダサく、ダボダボの黒のズボンと、無駄に大きい赤のチェックシャツ、靴はおそらくホームセンターで買える動きやすさ重視のもの。

 ただ、顔だけはイケメン。


「なんだよ。俺、なんか変か……?」


「変だよ!」

「変だよぉ」


 ビタハモりした二人の声は、やけに轟いた。


「やっぱそうだよな。このチェックのシャツ、青と迷ったんだ」


 手に負えないと判断した二人は、シガケンを置いて店内に入ることにした。

 彼曰く、例の投稿者はすでに席に着いており、四人用のテーブルを確保してくれているという。

 新規客だと勘違いし「何名様ですかー?」と駆け寄ってきた店員に先客がいることを伝え、三人は店内を遊歩する。


「あの人じゃない?」


 いち早く千里が目星をつけ、指差した。

 広々とした四人席で、一人ポツンと佇む女性。


「女の人だったのかよ! やべ、緊張してきた……」


 どうやらシガケンは相手の性別を知らなかったらしい。


「いや緊張する必要無いよ。もう君……手遅れだから……」


「え、それどういうこと?」


「いいから早く行くよぉ」


 二人の背中をミトモモが力づくで押して急かした。

 すると覚悟を決めたシガケンは、清楚な女性に声をかける。


「あの~。ユウキさんですか……?」


「え、あ、はい!」


 窓の外を眺めていた女性はサラサラの黒髪を羽ばたかせるように振り返った。

 その瞬間、あまりの美しさにシガケンの心臓が一時停止。

 それに気付いた千里は、彼の背中をグーで叩いてAEDの役割を果たす。


「かっ……! っぶねぇ!」


 彼は綺麗な女性を前にすると緊張で息ができなくなるほど、肝が小さい男なのだ。


 気を取り直して、四人は軽く自己紹介をし、挨拶を交わした。

 シガケンが口にしたユウキという名は、あくまでもネット上で使用しているニックネームで、本名は涼風すずかぜ櫻子さくらこというらしい。

 淡い水色をベースとした花柄のワンピースがこの上なく似合っている、清純の模範解答的な女性だ。

 偶然、櫻子は千里らと同じ歳で、ずいぶん距離が縮まった。

 シガケンは終始、櫻子の声や仕草に見惚れて、よだれをこぼしそうになっては蕎麦のように啜るという、気色の悪い状態に陥っていた。


 ――――さて、本題に入る。

 櫻子が『テナシ』という言葉を聞いたのは、彼女が生まれ育った鬼渓村きけいむらの言い伝えにあったらしい。

 伝承によると、村のはずれにある林道を進むと、両腕が無い子供の霊に遭遇するというのだ。

 実際に目の当たりにした村民の証言では、その幽霊は不気味な笑みを浮かべており、奇声を上げながら周辺を走り回る異常な行動を取るとのこと。

 時には襲い掛かってくるという報告もあるため、小さい頃からその場所へ足を踏み入れることを固く禁じられていたのだとか。


「櫻子は見たことあるん?」


 ドリンクバーで注いできたアイスコーヒーにガムシロップを入れながら、千里が問いかけた。


「私は無い。怖くて行ったことが無いの……」


「そっかそっか」


 コーヒーの味を見て、調整した甘さに納得がいった千里は軽く頷き、スマホを取り出してマップアプリを起動した。


「で、その村ってどこにあるん?」


 櫻子は眉根を寄せ、言葉を詰まらせる。


「櫻子ちゃん大丈夫?」


 すかさずシガケンが気にかけ、人数分用意されたグラス一杯の水をスライドさせて、櫻子の前に差し出した。

 すると彼女は軽く頭を下げ、平静を取り戻す。


「ごめんなさい。もう大丈夫。実は私の生まれた鬼渓村は、地図に載っていないどころか、国にも認知されていないの」


「まじ!?」


 櫻子の正面に座する千里が、立ち上がり前のめりになった。

 他の客の注目を集めてしまったことに気付いた彼女は「すみませ~ん」と、いくつかの方向に頭を下げながら座り直した。

 そして改めて、今度は声のボリュームを下げて聞き直す。


「国に知られてないって本当なの?」


 櫻子はコクリと頷いた。

 まだまだ信憑性に欠ける話ではあるが、都市伝説研究所メンバーの好奇心がくすぐられ始めたらしく、三人とも目の輝きが増している。


「でもでもぉ、どぉして櫻子ちゃんは村を出たのぉ?」


「実は…………解離性健忘かいりせいけんぼうって言うらしいんだけど、私記憶を失っていて、どうして村を出たのか覚えてないの……」


 解離性健忘とは、心的外傷や過度なストレスが起因となる一種の記憶喪失のこと。

 心が壊れないように辛い記憶を消し去るという、人間の脳における防衛本能が働くのだとも言われている。


「今までずっと過去の記憶が戻らなかったの。でも急にテナシっていう言葉だけ思い出して、何気なく質問を投稿してみたら、あのアンサーが返ってきて、それを読んだ時に村の記憶が断片的に戻ったの。でも肝心なことは全然思い出せてなくて……だからもっと自分のことを知りたい。でも怖い……」


 彼女の人生が思いの外、複雑だということを知った千里らは、さすがに戸惑いを隠せなかった。

 しかしこのまま話を終わらせるのは、探求者としてあってはならない。


「あい分かりました! あなたも我々都市伝説探求所のメンバーに加えて差し上げましょう! そしてあなたの記憶を、必ず取り戻すとお約束します!」


 千里には何一つ記憶を復元できる根拠は無かった。

 しかし櫻子の記憶を取り戻す手助けをしたいと思ったのは事実。

 意外にも彼女は正義感が強い。

 そんな稀に垣間見える頼もしさこそ、シガケンやミトモモが彼女を好いている理由なのである。


「よ、よろしくお願いします……!」


 櫻子は、都市伝説探求所の概要を知らないが、三人の人柄に惹かれたのもあり、二つ返事で承諾した。


 ――――鬼渓村。

 千里には知る由も無かった。

 逃れることのできない恐怖の渦へと、今正に足を踏み入れてしまったことを。

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