第8話 迷宮前夜
アランとマルティナは、遺跡を後にしてから数日間、広大な森の中で静かな日々を過ごしていた。旅の途中、アランはあまりにも冷徹で無感情な姿勢を崩さず、ひたすら目的地に向かって歩き続けた。だが、その顔にわずかな疲れが浮かぶこともあった。彼の中に潜む不安や疑念が少しずつ顔を出し始めていたのだ。
マルティナはその変化を察知していた。アランの表情からは、あの冷徹な一貫性が失われつつあるように感じていた。しかし、彼女はそのことについて何も言わなかった。彼が言葉を交わさずとも、心の中で何を考えているのかを察する力を持っていた。
彼らは一晩、野営をしながら休息を取っていた。アランが焚き火を囲んでいる間、マルティナは夜空を見上げていた。月明かりが森を照らし、静かな夜の空気が彼女の心を落ち着けていた。しかし、その静けさの中に、何か不安を覚えていた。アランは一度もこのようにじっとしていなかったからだ。
「アラン、少し休んだ方がいいんじゃない?」
マルティナが静かに言うと、アランは微かに顔を上げて彼女を見た。
「休む必要はない。」
アランの声はいつも通り冷徹だったが、その目にはわずかな疲労が見て取れた。
「でも、無理しているみたいだ。」
マルティナは少し強く言った。
「もうすぐ迷宮に入るんだよ。準備を整えておいた方がいい。」
アランはその言葉を受けて、しばらく黙って焚き火を見つめていた。彼の内心は複雑だった。迷宮の先に何が待っているのか。シャスカーとの戦いが終わった今、彼の心の中でその後の展開について冷静に考える時間が増えてきた。
「お前の言う通りだ。」
やがて、アランは静かに口を開いた。
「だが、この数日間で感じたことがある。」
「感じたこと?」
マルティナは少し驚いた様子で彼を見つめる。
「シャスカーの目的を知った時、俺はそれがどれだけ危険なことか理解していた。しかし、あいつの言葉にはまだ何か足りない気がする。」
アランは手を伸ばし、焚き火の中で燃える木の枝を見つめながら続けた。
「闇の真理。それを得れば、世界がどうなるのか…。」
その言葉に、マルティナは少しだけ眉をひそめた。
「じゃあ、まだ確信が持てていないのか?」
「そうだ。だが、それが俺たちの目的である以上、進むしかない。」
アランは再び冷徹な表情に戻り、焚き火の明かりでその瞳が赤く光るのを見せた。「迷宮に入れば、すべてが分かる。お前も覚悟しておけ。」
その晩、アランは一睡もせずに計画を練り続けていた。迷宮に入る前に、どれほどの魔力が必要となるのか、どのように周囲の魔法陣を突破するのか、次々に浮かぶ疑問に対する答えを探し求めていた。しかし、頭の中に浮かぶのはシャスカーの狂気のような笑顔だけだった。
その後の数日間、アランは言葉少なに過ごした。道中、彼が感じていた不安と戦いながら、日々を重ねていった。迷宮の入り口が視界に入るまで、彼の心はほとんど動かなかった。しかし、アランが最後に一度立ち止まり、ふと足元を見下ろした時、心の中に強い決意が生まれた。
「ここで引き返すわけにはいかない。」
アランは小さな声で呟き、再び歩みを進めた。その背中には、迷宮を突破するための覚悟が満ちていた。
マルティナは、彼の背を見守りながら、何かを感じ取った。アランが戦う理由は、もうただの使命感だけではない。彼自身が何かを見つけ出そうとしているのだ。それが何かは分からないが、彼の中で何かが変わり始めていることを、マルティナは確かに感じ取っていた。
そして、ついに迷宮の入り口に到達した。巨大な石の扉が二人を迎え入れるように開き、異次元の力がその奥から溢れ出してきた。遺跡の中に漂っていた不安定な魔力が、この場所でも強く感じられる。
アランはその扉の前で立ち止まり、再び振り返ることなく、深く息を吸い込んだ。
「行くぞ。」
アランは冷徹な声で言い、扉を押し開けた。
迷宮の中に足を踏み入れた瞬間、彼の周囲が一変した。彼の目の前に広がるのは、ただの迷宮ではなかった。まるで時空が歪んでいるかのように、空間そのものが変化し、二人を飲み込んでいった。
その先に待ち受ける試練が何であれ、アランは今、決して後戻りはしない覚悟を決めていた。
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