第14話 西園寺家
「マイカがいると全然何も起こらないな」
と、ヴィッキーが言う。ヴィッキーは身長170を越えているとは言え、華奢な美青年である。
マイカは身長190越えで明らかに鍛えられた身体なのがわかる。
「だから送って行くって言ったんじゃないか、1人は危ないよ」
と、マイカが笑う。
「マイカのこと蹴り飛ばしたの忘れたの?」
と、ヴィッキーは斜め上を見る。マイカは確かにでかい。
「あれは…痛かったなあ…」
正気じゃなかったが、痛かったのだけは覚えている。あれ?俺相当体重あると思うんだけど、吹っ飛んだ気がする…?
「ところで、これから十五区に帰るの?」
「ヴィッキーは?」
「私はレンタルバイクかキックボードで帰るよ」
「なら俺も…」
「十五区まで?遠いだろ、泊まってきなよ」
「えええ、それは申し訳ないよ、しかも百合ちゃんの家でしょう?」
マイカが焦る。
「ゲストルームあるから大丈夫」
十五区は確かに少し遠い、この時間から帰るくらいならそのまま出勤したいくらいだ。
「じゃあお言葉に甘えて」
と、言ったものの西園寺邸を見て尻込みしてしまった。
「これ、個人の家?」
周囲が壁で囲まれて門は厳重なセキュリティー。ガードマンもいる。
大きな庭を抜けて玄関までは、さらに遠い。
「私も最初はビビったよ」
と、ヴィッキーが言った。
「勝手に部外者連れ込んで大丈夫だった?」
「マイカは警察官だから大丈夫、あと百合が連れ込んだ訳じゃないから大丈夫」
「なるほど、お父さん厳しいんだね」
「こんな見た目で私を置いとく訳だからね」
「男のふりしてるのは百合ちゃんのお父さんに言われたからなんだね」
「元々女っぽくはなかったから、そのまま男ってことにしとけって言われただけだよ」
「なるほど、せっかく綺麗なのにもったいない気がするけど」
「…………。百合〜!そこにいるのはわかってるよ」
「えへへ、やっぱりヴィッキーには敵わないなぁ」
と、物陰から出てきた百合。少しきちんと見える部屋着という感じのワンピース姿の百合はやはりとても可愛らしい。
「百合ちゃんこんばんは、急にお邪魔してごめんね」
「大歓迎ですよ〜ヴィッキーが初めて男性を連れ込ん…」
「百合〜!そういうんじゃないってば!ゲストルーム案内して良いよね?」
初めてなんだ…とマイカは思う。
「ええもちろん!ゲストルームと言わず、なんならヴィッキーの部屋でも…」
「百合!パパにあのこと言いつけちゃうよ!」
「ど…どのことよ」
百合の目が泳ぎまくる。心当たりがありすぎてどのことだかわからないが、とりあえずやめて欲しい。
「さーさ!ゲストルーム行くよ!」
と、マイカを案内するヴィッキー。
ゲストルームは、まるでホテルの一室だった。シャワールームも完備してある。
「うわぁすごいね、こんなところ使わせてもらって良いのかな」
マイカは部屋を見て、自分なんかが泊まって良い部屋じゃない気がしてきた。
「気にしないで、あんまり使われてないから使ってくれた方が使用人たちも仕事のしがいがあるわ」と、百合。
「明日そのまま出勤するよね?洗濯物はそこに置いといて、あとはそこのバトラーに何かあったら言って」
するとニュッと出てきた初老の男性にマイカはビクッとする。何故いるのに気付かなかったのか…。
「何から何までありがとう!」
と、マイカ。
「私は朝6時からトレーニングルームにいるからそういう習慣があったら来て」
と、ヴィッキー。これは、来いということだろうか。確かに朝トレーニングをする習慣はあるが。
百合がにやけていた。
「じゃあ!おやすみ!」
と、二人は去って行く。百合は何やらヴィッキーを冷やかしている。本当に仲良しなんだなと思う。
時間も時間だし、シャワーをお借りして少し休もう。職場が近いと思うだけでだいぶ気が楽だ。
シャワーを浴びると、サイズぴったりの部屋着が用意してあった。
夜中に訪問して何から何まで申し訳ないなと思うが、とても助かった。家が近くはないので終電を越えて飲んだりしたら、朝帰らずに出勤することも多かったからだ。
ヴィッキーの部屋は何かあったらすぐに対応できるように百合の部屋と中で繋がってる形だった。
ヴィッキーに眼をギラギラさせて何があったのか聞き出そうとする百合をやっとのことでベッドに押し込んで、シャワーを浴びて寝た。
朝6時前、目覚めるとマイカはトレーニングウェアが丁寧に用意されていることに気付く。
素直に着替えて地下のトレーニングルームに向かう。
そこにいたのはヴィッキーと数名の男たちだ。西園寺系グループの警備会社の者たちでこの家や家族の警備に当たっているそうだ。
それぞれ個人で器具を使ったりしながらワークアウトをしている。
「おはようヴィッキー」
ヴィッキーは、黒いパンツに白いTシャツという本格的なトレーニングウェアではないカジュアルなスタイルだったが、よくよく見ると少し凝った形の服でシルエットがかっこいい。綺麗な姿勢とモデルのような体型も相まってダンサーみたいだった。
「おお、来たな」と、不適な笑みを浮かべるヴィッキー。しっかり用意させたトレーニングウェアも着ているのを確認する。
「なんだ、君が昨日百合の警備を代われって言ってきたのは男か」という眼鏡の青年。かなり賢そうな顔立ちで、どう見てもインドア派なのに身体だけ屈強なのが不自然に見えた。
「なんだよ頼斗、満更でもないくせに」
と、にやにやするヴィッキー。フンッと顔を横に向けるライトと呼ばれた青年は一番若いようだ。なんだか仲が悪そうだなと思うマイカ。
「マイカ10分やるからウォームアップして!みんな!今日は現役警察官のマイカが練習相手だよ!」
「おお、現役警察官か!」と、トレーニングの手を止めてマイカを見るおじさんと言ってもよさそうな年齢の人たち。
「ヴィッキー!?聞いてないけど!?」
と焦るマイカ。しかし既にウォームアップを始めている。
「まずはお手並み拝見といこうか」
と、ヴィッキー。
ウォームアップを終えると、マイカはトレーニング場の真ん中に立たされた。床は少し弾力のある素材だ。
皆裸足である。これから何をするのかは何となくわかった。
「さあ!誰から行く!」と、ヴィッキーがパンッと手を叩いた。
「よし!じゃあ俺から行こう!」
と言ったのは30代前半くらいの男性だ。肌が浅黒くスポーツマンという感じだ。
身長では負けているが、自分よりずっと若く見えるマイカに一泡吹かせてやろうと思ったのだ。
「お願いします!」とマイカ。
グローブをつけて、互いに向き合う。
「目潰しと金的以外なんでもありだからな!僕はないけど!」とヴィッキー。おじさんたちがガヤガヤ笑った。
「はい!初め!」
ヴィッキーの合図で打ち合いが始まる。
ボクサーか…
シュッシュッとジャブを投げる相手の目は自信ありげだった。
しかし、
バフッ!と、マイカの右ストレートが決まる
「クリーンヒット!油断するなあ!はい!次!」と、ヴィッキー。この場を取り仕切ってるのはヴィッキーみたいだ。
次は、もう少し年長だ、グローブをせずに戦う。レスラーか。
男がマイカにタックルを仕掛ける。
しかし、
「?」と男は動揺する。
タックルを正面から受けたマイカが動かない。
後ろで見ていた男たちが騒めく。
逆に掴まれて、投げられた。
「見たか!これが現役警察官の実力だー!次!」ヴィッキーが楽しみ始めている。
「僕が行く!」と、ライトが手を上げた。眼鏡を外す。キリッとした目元に綺麗な鼻筋のなかなか整った顔をしていた。
極真空手!
スピードも早く正確で、綺麗な型だ…
だがしかし、
「…!」ライトは気付くと、床に背中をついて、目の前にはマイカの右手が寸止めされていた。
「空手やってたんですか?」と驚いたライト。
「アメリカでミヤギさんに習ったんだよ」
と、マイカ。
( 誰?)と、ライトは思ったが、ヴィッキーが
「次!」と言ったので聞けなかった。
その次の2人は柔道だった。柔道は警察学校でやらされたのでそれも難なく乗り越えると、
「次は僕だよ!」とヴィッキー。
「ヴィッキーは一番強いから油断するなよ!」とおじさんたち。
ヴィッキーはグローブを着けない。
マイカはシステマか?と予想し、警戒する。
相手は特殊部隊経験者だ、初手はマイカが右ストレートを繰り出した。それを難なく防御すると鋭い蹴りが飛んできた。
グッ…
止めたが早くてしかも重い。
次に飛んでくるのは回し蹴り
身長差を感じさせず、顔に飛んでくる蹴り。
グラッピングをしようとするがかわされる。
そしてバク転をしながら下がる。
わざと派手に動いているようだ。
様子を見ながら防御中心だったが、甘くなさそうだ、マイカも、蹴りなどを次々と繰り出す。
体格が良いのに鋭い動きに嘆声がもれる観戦者たち。
スペースも広く使う戦闘に皆が後ろに下がる。
その時、ヴィッキーの右手がマイカの腹にヒットしたように見えた。
「!」ヴィッキーがマイカを見上げると、マイカはニヤリとした。
か、硬い!なんだこれ!鋼かよ!普通の人間なら骨が砕けていたかもしれない。
マイカがすかさずグラッピングにかかるが、アクロバティックな動きで逃げられる。
逃げたところを見えないくらいのスピードでマイカが掴みにかかる。
その時、マイカの目が黄色っぽく光った。
パンッ!「そこまで!!!!」
トレーニングルームの入り口に立っていたのは百合だった。
「朝ご飯の時間です!」
マイカとヴィッキーは息を切らしている。
しかし、お互いに目を見合わせるとニンマリと笑った。
「想像以上だったよ…」と、マイカ。
「身体、なにでできてんだよ」とヴィッキー。
「マイカさん眼の色変わってましたよ」
と、百合が小さな声で言う。
「あ、ほんと?ちょっと本気になりすぎた」
と、首に手を当てるマイカ。百合の動体視力にも感心した。
「いやあ見事だったよ!映画を見ているみたいだった!」と、おじさんの1人がマイカに言った。
「また遊びに来てくれよ!」と、初めのボクサー。
みんな拍手をしていた。
百合に案内されたダイニングルームには、既に5人分のカトラリーがレストランのように並べられていた。
ライトもダイニングルームに入ってくる。と、当然のように百合の隣に座った。
バトラーがワゴンで食事を運んでくる。
いちいちすごいなとマイカは驚く。
焼きたてのパンが凄く良い香りだ。
「どうぞ召し上がって」と、百合。
「何から何までありがとう」と、マイカ。
「良いんですよ、ちょうど両親はドバイのフォーラムに出てしまっていて食卓が寂しかったところですから」と、百合。
「そうなんだね、ザイオニアのCEOとなればそれは忙しいだろうね」
と、マイカ。
「マイカさんは百合とも知り合いなんですか?」
と、ライト。
「そんな警戒すんなよ、コイツはゲイだから君の百合ちゃんを取ったりしないよ」
と、ヴィッキー。
「別にそんなこと思ってないよ」
と、ライト。表情は変わらないがピリピリしている。2人の関係性がわからない。
「俺はゲイじゃないぞ」
と、マイカ。男装のヴィッキーに綺麗だって言ったからそう言われているのかもしれないが、断じて異性愛者だ。それかレズビアンだと思われたことの意趣返しだろうか。
「頼斗君はもともと私の遠戚で、ボディガードとして子どもの頃から一緒に育ったんです」と、百合。
ああ、なるほど、定位置をヴィッキーに取られてしまったという訳かと、マイカは不仲の理由に納得する。
「ライト君は今大学生?」
と、マイカが聞く。
「はい、百合たちの大学と同じ大学の3年生です」
「頼斗はザイオニアのエンジニアとしても働いてるんだよ、インターンって位置付けだけど」と、ヴィッキー。
「凄いね!ザイオニアのエンジニアなんて世界の最先端じゃないか!」とマイカ。ザイオニアのエンジニアは世界中の理系エリートの憧れだ。アメリカの大学にいた時も周囲に夢見ている学生が沢山いた。
「僕は腕よりこっちを使う方が向いてたみたいです」
と、自分のこめかみを人差し指でポンポンと叩いた。
なるほど、先程の違和感の正体はこれか。と、マイカは思った。百合のためじゃなかったらずっとPCの前にいたはずだったのか。
「ザイオニアのAIの開発者のおいちゃんのお気に入りなんだよ」
とヴィッキー。
「おいちゃんって」
と、マイカが笑う。
「おいちゃんって自分のこと言ってるんですもの」
と、百合。
「そうなんだ、面白いね」
と、マイカは苦笑いする。ザイオニアのAIの開発者なんて世界のほんの一握りの天才だろう。その凄い人を近所のおじちゃんみたいに言って良いのか。
豪華な朝食にコーヒーまでいただくと、QOLが普段の何倍も上がった気がして、睡眠時間の少なさが全く気にならなかった。
それに、ワイシャツも綺麗に洗われてノリが付いて元よりシャキッとしていた。
遠慮されたもののバトラーには、自分の習慣だからと言ってチップを渡した。ここまでのサービスを受けてチップを渡さないのは気持ちが収まらなかった。
「行ってきます!ありがとう!」
と、言って邸宅を出ると、心が温かくなる。誰かと朝食を食べて、行ってらっしゃいと送り出される、そんなの何年振りだっただろうか。
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