Chopped Cookies
カリーナ
第1話 再会
"フライパンでの菓子作りはやめましょう。"
"シン・オーブントースター型電子レンジ"
"これさえあればあなたも簡単!たった10分で焼き上がる超加熱"
様々な広告がビルに張り付いている。どれもクッキーに関する広告だ。
20××年、ボクたちの国はクッキー作りが盛んだった。
というより主要産業だった。
生まれてから読み書き計算、そしてクッキー作りを習う。
国が定めたレシピに従って。
高校、大学受験でクッキー作成は必須科目だった。
無論、差別化、競争を図るためにある程度の柔軟さは許されている。
チョコレートクッキーにジャムを中央にはめ込んだクッキー。合計5種類の違った形に、コーヒー味のクッキーだってある。
ただ、許されたレシピはいつもひとつ。
同じ作り方、同じ材料。
規定量、規定の焼き加減。
定められたレシピ以外でクッキーを焼くことが禁じられていた。
入れてはいけない材料がある。
卵が先か、砂糖が先か事細かに決められている。
国の認可を得たオーブンを使わなければならない。
決してフライパンを使ってはいけない。
そんなクッキーだらけの国で、ボクはクッキーがあまり好きではなかった。
会社を出て、クッキーに関する広告を横目に帰りを急ぐ。
今日、ネットで頼んでいた外国料理が届くはずだ。
ボクは甘ったるいクッキーよりも辛い食べ物が好きなんだ。
1週間お疲れ様でした、と心の中でつぶやき、心待ちにしていた異国料理を堪能しながら、映画を見ようと考えていた。
「よう、ケイ。飯行かねぇか?1杯飲もうぜ。あそこのクッキーが美味しいんだよ」
同僚のライトに話しかけられる。
「いや、いい。今日はやめとくよ」
「いいじゃんか、1杯だけ、な?コーヒーも奢ってやるから」
肩を組んで、ボクの顔を覗き込みながら、な?と笑う。
気さくな奴だった。
ライトはボクの同僚で、要領の良い、いわゆる世渡り上手だった。
甘いクッキーが大好きで、新しいお店をいつもチェックしている。
会社の女の子を連れて行くこともあれば、ひとりで行って店員をナンパしてくることもある。
そんな奴だが嫌いになれない。
憎めない性格だった。
人懐っこい笑顔で、喜多船の新店舗だからどのクッキーも間違いないと喜んでいる。
喜多船はこの国最大級のクッキーカンパニーのひとつで、全国に500店舗以上を構えている。
本店は首都にあり、会員しか入ることの出来ない超高級店だ。
元々老舗の和菓子屋で、クッキー法が制定された時にクッキー専門店に変更した。
代々続く和菓子の製菓を取りやめ、西洋菓子一筋に変更すると主張した現社長は先代とかなり揉めたようだが、こうして日本一を謳っても過言ではない大会社に成長したのは路線変更のおかげかもしれない。
その喜多船の新店舗が先月ボクたちの会社の近くにオープンしたらしい。
オープン当日は大行列だったそうだが、今月になると少しマシになったそうだ。
「なんと言ってもこの店イチオシは抹茶クッキーってわけよ!」
「ライトはもう食べたの?」
「うん、オープン当日弟に頼んで並んできてもらった」
「パシられてる....」
「ちゃんと小遣いあげたから!でな、喜多船は元々和菓子屋だったろ?今の社長が先代と遂に和解したのか、和の要素を取り入れ始めたんだって!本領発揮ってやつよ!」
「それは....楽しみだね」
クッキーよりも和菓子の方が好きだ。
喜多船が和菓子屋だった頃、祖母とよく買いに行った。
饅頭におひがし、落雁に御手洗団子。
「ケイくん、今日はなににしましょうか?」
「まっちゃあじがいいー!」
「ケイくんは抹茶が大好きですね。」
祖母の優しい笑顔が蘇る。
もう、あの頃の喜多船の和菓子を食べることは叶わないのだ。
18時前に店に着くと、2組待っていたが案外すんなりと入れた。
奥の席に通される。
和洋折衷な内装を目指したのか、壁紙はハイカラな、赤と白のキャンディケイン柄を基調としていて、椅子は畳で出来ていた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
若い、まだ学生であろうバイトスタッフが笑顔で聞きに来る。
やはり西洋を意識した、赤と白のフリフリとした制服。
「えーっと、じゃあビールと抹茶クッキーのセットで」
「かしこまりました!」
「コーヒーと抹茶クッキーのセットをひとつ」
「ご注文繰り返させていただきます....」
キッチンから香る抹茶の匂いは和菓子を売っていた頃を彷彿とさせる。
程なくして抹茶クッキーのセットが運ばれてくる。
「左から抹茶のラングドシャ、緑茶のサブレ、ほうじ茶のクランチクッキーでございます。当店では全て正規のレシピを使用しております」
ライトの頼んだビールジョッキにはチョコレートクッキーが刺さっており、ビールに浸しながら飲むのが最近の流行りだそうだ。
何がいいのがさっぱり分からない。
「じゃ、金曜日の夜にカンパーイ。っぷはあ、ほんとコーヒー好きだな、お前」
「ビールにクッキーって....」
「美味いぜ?この抹茶のラングドシャも」
確かに、喜多船の抹茶味はピカイチだった。
世界中、どこに行ったってこんなに美味しい抹茶味のクッキーを食べることは出来ない。
コクが違う。香りが違う。
クッキーを食べているのに本当に抹茶を飲んでいる気持ちになる。
「仕事が週3日くらいになりゃいいのにな。」
「それは賛成」
会社の愚痴を話しながら、質素な料理を堪能する。
かつてボクたちの国は美食文化で一世を風靡したそうだが、今じゃどこもかしこもクッキー作りばかりで、料理の味はどこも似たりよったりだった。
実際それで稼ぎが出る。
クッキーさえ美味ければ....。
もう一杯コーヒーを飲もうかと考えながら、ビールの3杯目を叫びつつ店員に絡んでいるライトに目をやる。
「へぇ、そうなんだ。俺たちあそこの会社で働いてるんだよ。また来るよこの店。いつシフト入ってるの?」
こうなったら、ライトはこっちの話はあまり聞いていない。適当なところで切り上げよう。
「トイレ行ってくる」
「はいよ。そうなの、先月働き始めたんだ、へぇ〜看護学部....」
窓の外に目をやると、仕事終わりの人で来た時よりも外に列が出来ていた。
(早めに入って良かったな)
少し遅れていたらだいぶと待たされたに違いない。
トイレから出て席に戻ろうとすると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
声の主を探すと大きな瞳と目が合った。
「ケイ..ケイじゃないか!」
「カイリ....」
顎のラインできちんと切りそろえられた黒髪のストレートヘアに精悍な顔つき。
元々大きな目をさらに見開いて驚いていたが、やがてニコッと笑って手を挙げる。
旧友だった。
もう何年会ってないだろう、中学を卒業して、大学2回生の春に1回会ったっけな....。
自分は同窓会に行くようなタチじゃない。
ただ、親しかった友人ら数人で集まろうということになってその時にカイリも出席していたはずだ。
中学の時、カイリはやんちゃ坊主だった。
染髪は禁じられていたが、いつもオレンジや赤色に染めては先生に怒られていた。
「いいんだよ、これで。俺がやりたい色にするんだ」
カイリの家は代々クッキー警察だった。
「警察になんかなるもんか」
それが彼の口癖だった。
「久しぶりだね、カイリ」
「ケイこそ!変わってないなあ!髪の毛も染めずに、ケイの会社は....」
「そこだよ」
窓から見える、株式会社オーブントースター檸檬と書かれた建物を指す。
「オーブンを作っているのかい?立派だな。美味しいクッキーの基本じゃないか」
「そう..だね..」
「1杯一緒にどうだ?」
「連れが....」
席に目をやると、ライトはまだ店員を口説いていた。
そろそろ番号を聞き出せるか、と言ったところだろう。
「1杯だけなら」
カイリは中学卒業後、ボクたちと同じ高校には進学せず、クッキー警察学校に行ってクッキー警察になった。
カイリと一緒に飲んでいたのは後輩らしい。
「カイリ先輩は凄いんす。最年少で副署長ですから!」
「こうして俺たちに美味いクッキーも奢ってくれるし!この前なんて喜多船本店のクッキーをお土産にくれたんです!」
口々にカイリを褒め称える。
ああ、確かにカイリは気の良い奴だった。
やんちゃではあったが、優しく、努力家だった。
「仕事は、どう?」
「ああ、楽しいよ、毎日。楽なことばかりじゃないけどね。けどこの国の治安を守れるんだ。最高の仕事じゃないか」
屈託なく笑う。
中学の頃のカイリはいつも、警察になんかならないと言っていた。
今はそれで楽しいのだろうか。
「なら..良かった」
「ケイは?」
「ボクは、まあまあだよ。趣味で観劇も出来てるし」
「いいなあ、劇、か。もう何年見てないだろう」
ボクたちは舞台を見に行くのが大好きだった。
学生時代は小遣いをはたいて見に行ったっけ。
もう何年も見に行ってないなんてカイリらしくないな。
「最近は誰が有名なんだい?」
「歌手で女優のハス・トゥニックだよ。歌声がとっても優しいんだ。それでいて、希望を与えてくれる、力強くもある。最高だよ」
「そう....」
シャンパングラスを左手で回しながら、目を細めてどこか遠くを見つめる。
その横顔がどことなく寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
「じゃあそろそろ戻るね。会えてよかった」
なんとなく気まずくなって、足早に席を立つ。
「ああ、いつでも会いに来てくれよな。警察署に電話してくれたら行くぜ」
「寄せよ。警察の世話になんかなるもんか」
「ははは、そうだな」
「じゃあ」
カイリ達を後にする。
席に戻るとライトはだいぶと酔いが回った様子でクッキーをかじっていた。
「遅いなあ、どこまでいってたんだよ。もうこの店中の女の子を口説いちまうところだったぜ」
「本当はひとりも番号貰えてないくせに」
「ところが違うんだな。あの子、あのショートカットの女の子が....」
なんだか疲れてしまった。
カイリと会ったからだろうか。
久しぶりの友人に会うというのは、嬉しい半面どこか疲れてしまう。
あの頃の、楽しかった頃にはもう戻れないと知っているからだろうか。
「帰るわ」
「なんだよ付き合い悪ぃなあ」
「お金置いてくから」
「コーヒーは奢るって」
「クッキー代って意味」
「なんだよ払うんじゃねぇのかよ」
「払わないよ。こちらも安月給でね」
「給料一緒だろ同じとこで働いてんだから」
話半分に聞いていたがライトが女の子を口説けたのは本当だろう。
自分が今帰っても大丈夫なはずだ。
まだ7時半。急げば8時からの劇に間に合う。
異国料理は土日で堪能することにしよう。
(金曜日の夜だと混んでるかな。立ち見でもいいや)
当日券を買って、サークル座で劇を見よう。
観劇したい。非日常に浸かってたい。
そんな気分だった。
バスに飛び乗ると、ネットでチケットをチェックする。
立ち見だったが空いていた。
ハス・トゥニックレヴェルの女優はこんなローカル劇場には来ないが、ここはここでなかなか面白いものが見られる。
有名な監督が最近ここに来たらしい。
(ギリギリかな)
腕時計を睨みながらバスに揺られていた。
サークル座には思っていたよりも早く着いた。
と言っても開演5分前だからトイレに行っている時間はない。
金曜日の夜だが交通渋滞に巻き込まれず、バスは定刻通りバス停に着いた。
Closedと書かれた看板横の細い階段を降り、地下へ急ぐ。
サークル座の地上階では月曜日以外、毎日さまざまな劇が上映されている。
土日は専ら有名作品が、著名な監督や今をときめく演者たちによって。
平日は、まだまだ若手のバンドや駆け出しの俳優たちの演劇が比較的安値で見ることが出来る。
金曜日のこの時間から始まるのは、劇というより小品集だった。
新米の歌手や俳優が、独白劇をしたり朗読をしたり。
もちろん歌を歌うこともある。
サークル座の地下は、劇場とは言っても、どちらかというとステージのあるバーに近かった。
夜はジャズミュージックの流れる、お洒落なバー。
年配の方からボクくらいの歳の人まで年齢層は様々だ。
カウンターでいつものトニックを頼むと、予約していた立ち見席に向かう。
小さなステージではバンドのジャズ演奏に始まり、15分程度のモノローグ、コメディ調のパントマイムが終わり次が最後かなと思っていたところで予期していなかったアナウンスが入った。
「えー、次を持ちまして今夜は終劇とさせていただきます。最後を飾っていただくのは、シークレットゲストのハス・トゥニックさんです!」
観客からもどよめきが起こる。
ボクもかなり驚いた。
本当に、あのハス・トゥニックだろうか。
ステージを凝視すると、すたすたと綺麗な女性が歩いてきた。
スタイルが抜群に良い。細身だが適度に筋肉がついていて、ガリガリではない。
シックな、濃い紫色のパンツドレスを身に纏っていた。
豊かな、少しカールのかかったブロンドヘアは腰まであり、異国情緒を感じる。
「こんばんは、皆さん。ハス・トゥニックです。今日はご縁があって呼んでもらいました。まず皆さまに出会えたこと、感謝致します。」
直角に頭を下げる。
「今日は私の歌いたい歌を歌います。こんな夜に、疲れた人の心に届きますように」
大好きな曲だった。
少しジャズ風にアレンジしている。
詩的な、美しい言葉ひとつひとつが、彼女の優しい声によって奏でられる。
金曜日仕事終わりのこんな夜に、酒を傾けながら聞くのにぴったりな曲。
最高の耳触りに心落ち着くピアノ伴奏。
繊細でいてパワフルな歌声。
And I thought I saw you out there crying
And I thought I heard you call my name
And I thought I heard you out there crying
Just the same....
気がつくと一筋の涙が頬を伝っていた。
酔いが回ったのだろうか。
朗々と歌い上げ、観客たちが立ち上がって拍手をする。
余韻に浸りながら惜しみなく喝采を送る。
やはり深く礼をして、その美しい人は舞台袖に歩いていった。
家に帰ると、頼んでいた荷物が届いていた。
せっかく好物の辛い料理だったが、今は食べる気分じゃない。
疲れていたのでこのまま眠ってしまいたかったがせめて包装から取り出して、冷凍庫にいれておこうと思った。
広告が入っていた。
"入会無料!入会時に当店のギフト券とクッキーの詰め合わせをプレゼントします!"
どこもかしこも、クッキーだらけだった。
広告を捨て、料理を冷凍庫に入れる。
明日の昼にでも食べようかな。
ゆっくり風呂に入って、1週間の疲れを癒そう。
風呂に湯を貯めながら、幸せなひと時を思い出す。
今日はいい日だった。
まさか本物のハス・トゥニックに会えるとは。
(改めて、良い曲だったな)
最近はあまり歌わなくなった、少し前に流行った曲だった。
God, tell us the reason youth is wasted on the young....
鼻歌を口ずさみながら、カイリとの日々を思い出す。
ボクたちはやんちゃだった。
大層な言い方だと思うかもしれないけれど、恐れ知らずだった。
若かったというのもあるかもしれない。
学校の帰りに、よく違法クッキーを焼いた。
ボクたちが子供の時分は法律がそんなに厳しくなかったということと、18歳まではレシピを間違って作ってしまったと言い訳することで親に厳重注意がいくだけで済んだので、大人の目を盗んでは色んな方法を試した。
ラテン料理を混ぜたこともあった。
とんでもないゲテモノを作って、やっぱり正規のレシピが1番だねと言ったりもした。
(カイリは結構気に入ってくれたのになあ、ボクのオリジナルレシピ)
子供の時代は誰だって1度は作る、オリジナルレシピ。
そんなもの、許されるわけが無いのに。
否、許されないからこそ作ってしまう。憧れてしまう。
ボクたちが見る劇の作品の中でも、オリジナルレシピの認可を求める一族と警察一族の娘の禁断の恋を描いた悲劇が大好きだった。
最後、2人は矛盾と抑圧だらけの世界へ一石を投じるため心中をはかって幕が閉じる。
正義の鉄槌の為に死を選ぶのは、正義の執行を諦めた愚か者のすることだとカイリはいつも批判していた。
難しい言葉を使ってたくさん批判していたけれど、本当は彼らが死んでしまうのが辛かったんだと思う。
観劇の後、必ず彼は鼻を啜っていたのだから。
その劇はボクたちが高校に上がる頃に上演禁止となる。
ボクのオリジナルレシピは、フライパンを使ったものだった。
絶対に許されない。
時折入る、クッキー庁が行う抜き打ちテストで、フライパンにクッキーを焼いた痕跡が残っていれば、即牢獄行きだ。
痕跡が残らないように作られた違法なフライパンもたまに出回っているが、そんなもの所持しているとバレた時点で事情聴取されるに決まっている。
クッキー刑法の中でも、フライパンでの罪状は重いと聞く。
(....もうずっと作ってないな)
湯船からお湯が溢れ出る音がする。
止めに行かなくちゃ。薄給に無駄な水道代を払う余裕は無い。
ドクドクとお湯が流れる音が遠くなり、心の臓が高鳴る音が次第に強くなる。
自分で歌う鼻歌をどこか遠くで聞きながら、もう戻れないあの頃を思い出す。
魔が差した。
そうとしか言いようがない。
警察官の仕事をしている友達と会った夜に、いくら観劇の興奮が残っていたからと言って、フライパンでクッキーを焼こうと思うだなんて。
風呂はとうに沸いている。
休肝日の野菜炒めくらいにしか使わなくなったフライパンをおもむろに取り出すと、その晩ボクはクッキーを焼いた。
自分でクッキーを焼くこと自体久しぶりだった。
普段は売っているものを食べるから。
日常生活の、どこにでもクッキーは売られているから。
多分コンドームよりも売られているだろう。
それでも体は正しいレシピを覚えている。
砂糖の量、卵を入れるタイミング。
幼少期から徹底的に叩き込まれた正規レシピ。
いつしか競争を辞めた、資本主義国家の成れの果ての、国認可の唯一のレシピ。
全部、全部あべこべに作ってやった。
めちゃくちゃに、思うがままに。
最後に、フライパンでクッキーを焼く。
とんでもない罪悪感。
じわじわと脇汗をかく。
じゅう、とフライパンの上で我が国の国民食が焼ける音を聞く。
もし今、誰かがインターホンを鳴らしたらどうなるだろうか。
抜き打ちテスト隊が入ってきたらどうしよう。
高鳴る鼓動を抱えながら、星型のクッキーをお皿に乗せた。
少し焦げた色。
箸でひっくり返した跡のある、歪な形。
どれもこれもが、禁断だった。
材料の投入順が違うことは、後に警察らが相当詳しく調べないと分からないだろうから、ボクがこのクッキーを平らげてしまえば一先ず隠ぺい完了となる。
残るはフライパンだった。
たった今クッキーを焼き終えたフライパンを横目にひと口クッキーを齧ってみる。
(..こんな味だったかな)
久しぶり過ぎてもう忘れてしまった味。
素朴で、乾燥した味だった。
出来たての、熱々をもう1つ口に放り込む。
(....悪くないな)
パサパサで、ほんのりと甘い。
懐かしい日々を思い出す。
余韻に浸っている場合ではない。
真っ先にフライパンを処分するべきだろう。
頭では分かっている。
先に洗えと頭で声がする。
否、処分したところでバレるのは時間の問題だから"処分の仕方"を考えるべきなのだ。
少し後悔してきた。
それでも食べるのを止めない。
むしゃむしゃと、今日初めての食事のように貪り食らう。
久々に、食べていて楽しいと感じたクッキーを。
クッキーを焼いた禁忌のフライパンを眺めながら食すのは、さながらサイコパスにでもなった気分だ。
殺人に押し入った家で、自分が殺した死体を横目に食事をするサイコパス。
この愉悦、この興奮。
結局全部平らげてしまった。
いやこんなもの、人に共有するものでは無い。
子供の頃ならともかく、全部自分で食べて当然だ。
....さて、フライパンをどうしようか。
とりあえず洗う。
丁寧に、何度も何度も。
ワックスをつけまくった日の夜に、シャンプーを何回もして洗い落とすように、何度も何度もスポンジに洗剤をつけて洗う。
これで取れただろうか。
テフロン加工を取ってしまう勢いで、ガシガシと洗う。金網で洗う。
以前見たドラマか何かで、殺人犯が何度も血のついた手を洗い流すシーンがあった。血が取れても尚、ひたすら洗い続ける....。
まだ鼓動は高鳴ったままだ。
落ち着け。大丈夫だ。
今この部屋には自分しかいない。
金曜日なんて、副署長であるカイリが浮かれて飲み歩くほど、警察も気が緩んでいるに違いない。
焼いてしまったものはしょうがない。
見つからない言い訳を頭の中で可能な限り探り出す。
なぜって聞かれると、明確な理由があったわけじゃない。
社会に満足はしていないが、普通に仕事があって、普通に趣味があってそこそこの毎日を普通に楽しんで生きている。
ただ何となく、何となく違うレシピを試してみたかった。
これしかダメだという当たり前で覆しようのない常識に疲れてしまっていたのかもしれない。
(....風呂入ろう)
汗を流すためにも冷めた風呂に入った。
さっとシャワーを浴びて、風呂場から出る。
不自然のないように、フライパンはあった位置に戻しておいた。
(....またカイリと会えるだろうか)
今度はボクもビールを飲もう。もう少し酔ってしまえば、本音で語り合えるだろうか。
そう思いながら、舌の裏にあのクッキーの味を噛み締めながら、眠りについた。
この国最大の禁忌を犯した翌朝、起きるといつもと変わらぬ休日が待っていた。
冷凍していた異国料理を楽しんで、いつもと変わらぬ月曜日が始まる。
「月曜ってのはなんでこんなにかったりぃんだろうな」
「同感」
ライトと愚痴をこぼしながら朝礼が始まるのを待つ。
ボクは朝が極端に弱い。
社会人になって早1年。さすがに大学時代のように寝坊はしなくなったが、それでも月曜の朝はきつい。
今だってゾンビのような表情をしているに違いない。
眠気眼を擦りながら、朝礼を聞く。
そんなボクの眠気が一気に吹き飛ぶニュースが朝礼で入ってきた。
「という訳で、A班のふたりは今週から小西研究所と共同で開発を行ってもらう」
A班....と言ったよな。
....ボクたちじゃないか。
「了解で〜す」
ライトが呑気に返事をする。
「よろしく頼んだよ」
「は、はい..」
小西研究所だって?
聞いたことがある。
というかどんな理由があってうちみたいな一般企業があそこと共同開発を?
小西研究所と言えば、何度もクッキー名誉賞を受賞している国家最高峰の研究機関の研究所だ。
テレビでもニュースでも連日よく目にする。
世事に疎いボクですら知っていた。
というのもそんな研究所にひとり知り合いがいるからだ。
学生時代同じ学校に通っていて相当優秀だった奴がそこに配属されたと聞いた。
(いや、にしてもなんでうちがそんなところと..?)
ボクの疑問を部長が解決してくれた。
「うちの社長が小西研究所の所長と知り合いらしくてね。アップル・パイオ....は源氏名だな、小西所長とはよく飲みに行く仲らしくて今回の商談が纏まったそうだ。くれぐれも先方に失礼の無いようにな」
世間は狭いんだなあ。そしてアップル・パイオって誰だ....?
その疑問も、小西研究所に着くなり理解することになる。
Chopped Cookies カリーナ @Carina
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