第36話 幾千の未来

 歪は目を見開いた。なぜ、確実に仕留めたはずのレモネードが、まだ立っているのか。しかし、それだけではない。纏う空気そのものが変わっていた。


 肌を刺すような存在感、圧に押し潰されそうな威容。何より、その瞳。二重に重なった虹彩は、人のものではない。冷たくも鮮烈な光を放ち、彼がもはや“別の存在”に変わり果てたことを告げていた。


 ……一体、何が起こっている……?


 思わず奥歯を噛みしめる歪。彼は己の異能――【先を視る者フォーサイト・リーパー】を発動させ、未来を覗き込む。


 視界に映し出されたのは、幾重にも重なるレモネードの像。手刀を放てば屈んで避ける未来。蹴りを放てば回避される未来。初めての光景。自らの眼をも欺く未来に、歪の心臓が強く跳ねた。だが、いくら未来が増えようとも全て単純な動きにしか過ぎず、彼は呆れた。


「……結局、何も変わらないか」


 吐き捨てるように呟き、動揺を隠すために踏み込む。振り抜かれる手刀。続けざまに回し蹴り。完璧な連携のはずだった。しかし、次の瞬間――。


 レモネードは、未来視に映った動きとは違う動きをした。一直線に間合いへ潜り込み、手刀を片手で受け流す。その体勢のまま拳を固め、全身の力を叩き込む。


「ッ――――!!!」


 炸裂する衝撃。空気を切り裂く衝撃波が建物を震わせ、歪の胸郭を内側から揺さぶった。胃液が逆流し、喉を突き上げる。


「オッ、エ”ェ”ッ……!?な、何だ……コレ……!」


 歪は完全に混乱していた。視えていたはずの未来とは全く違う。レモネードは、未来そのものを書き換えるように行動したのだ。


 新たな体験に彼は口角を上げるもその余裕は一気に削られていく。


 轟音が響き渡り、レモネードの拳が空気を裂くたび、地面が沈み、瓦礫が砕け散った。その速度は、もはや肉眼では追えない。


「ッ……!」


 歪は必死に未来を視ようとした。【先を視る者】の瞳が強く光り、未来が洪水のように押し寄せてくる。しかし――彼には視え過ぎていた。


 一つの動きに対して、無数の未来が枝分かれする。右へ避ける、左へ踏み込む、跳び上がる、蹴り上げる。


 幾千もの像が同時に視界を埋め尽くし、脳を焼き尽くすような痛みに歪の呼吸が乱れ、鼻血は頬を伝って滴り落ちる。。


 まさか、人の法則を超えたとでも言うのか!?


 焦燥が胸を締め上げる。その間にもレモネードは加速し続けた。未来の重なりを踏み越え、速度を増すたびに姿が霞む。


「何なんだ一体……!」


 叫んで振り払う歪の拳を、レモネードは容易く屈んでかわす。視えたはずの未来が、ノイズと共に瞬時に変わってしまう。回避の未来を選んだと思えば、真正面から突っ込んでくる。防御を固めたと思えば、背後に回っている。


「どうして、なぜ……ボクが絶対君主のハズなの、にぃ……」


 冷汗が滝のように頬を伝う。脳裏に重なる未来はもはや制御不能、幾千の像が波打つごとに歪の意識が削られていく。


 そして――。レモネードの姿が、未来視のどれにも一致しなくなった。ただ“今”という刹那に、数多の可能性が分裂し、考える暇もなく重く鋭い拳が突き出される。


「――ッぐぉぉあああッ!!!」


 雷鳴のような衝撃。歪の身体は宙を舞い、背骨にまで響く衝撃が全身を叩きつけた。崩れ落ちる瞬間、彼の脳裏には一つの思いだけが残った。


 視えない……視つからない。彼を殺す答えが!!!


 遠くの瓦礫の陰。星七は冬祢を背負い、肩を貸したしゃしゃけと共にその光景を見つめていた。


 眼前の戦場で繰り広げられるのは、常識を覆す一方的な攻防。歪の未来視が崩壊し、ただレモネードの拳だけが時を支配する。


「……信じられねぇ」


 星七の口から、思わず言葉が漏れた。


「俺もかつて経験したが……まさか、極限領域ゾーンを発動させたのか」


 しゃしゃけが顔を上げ、荒い呼吸の中で問い返す。


「ゾーン……って、周りの動きが遅くなるやつ?雑音すら遮断されて、目の前しか見えなくなる現象の……」


 星七は小さく頷いた。その横顔は驚愕と憧憬どうけいに染まっていた。


「だが、アイツのは俺のものとは違う」

「違うって……どういうこと?」

「俺が発動したゾーンは、あくまで一瞬。極限の集中で世界を狭めるだけの現象だった。だが――」


 星七は視線をレモネードに向ける。拳を振るうたび、世界の方が彼に合わせて遅れていくかのようだった。


「レモネードのゾーンは……止まらない。加速し続ける道そのものだ。同等……いや、それ以上。まるで時間の概念すら押し潰すような感覚だ」


 しゃしゃけは息を呑み、星七は茫然とその背を見つめ続けるしかなかった。圧倒的な存在感。ただ立っているだけで戦場そのものを変える男――。


 彼の姿は、希望であり、恐怖であり、そして――奇跡の体現だった。

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