十六章、行き着く原因は、蟹

 周囲から聞こえる虫同士の衝撃音が、あらかた減ったのを確認してから、リロイは改めて片腕を虫目に突き出した。

 魔力を基にした生物を相手に戦うには、相手の戦意を喪失する方法が一番いい。

 こちらの常識がそもそも通じない輩だ。そうした相手を組み敷くのに、言葉や単なる暴力では解決しようもない。

「さて」

 己の空間を乗っ取られたことを理解した虫目の表情は、すでに虚ろだ。

 抵抗しても挽回しようも無いことを、理解したのだろう。

リロイは口の中ですぐさま呪文を唱えた。彼の突き出した手の先に、光る網のようなものが現れる。それはクルクルと回りながら虫目の頭上に到達すると、まるで蛸が脚を広げて獲物を捕まえるようにして虫目を頭から包み込んだ。

 光る網から飛び出たのは、虫目の足の先だけで、履いているのがティーンの好みそうなスニーカーなだけあって、見ただけだと人間のようにも見える。だが、もう油断はしない。

「……ふう」

 リロイはそこで漸く一息ついた。

 捕獲の際には暴れるかと思った虫目だったが、結局最後まで動くことなく捕まえられたので良かったと思う。とにかく光る網、つまりは魔力の網で拘束出来たので、これ以上虫目が眷属を呼ぶことは出来ないだろう。

 こちらの力よりも相手の力が強ければ、たとえ相手が無抵抗に見えても網は断ち切れる。逆に言えば、網でとらえることが出来る相手ならば、こちらの魔力が相手よりも強い証拠となる。そうなれば、どれほど抵抗されても逃がすことは無い。

 

 これまでの所業を考えると、虫目の頭を吹っ飛ばしてやろうかとも一瞬考えたリロイだったが、やめた。

いくら空間を乗っ取ったと言っても、空間内の使役している眷属分の権利を乗っ取っただけだ。この空間すべてを作り出す力を奪えたわけではない。

 もし虫目の息の根を止めでもしたら、この空間を破壊しかねない。そうすると自分はここから出ることが可能でも、後ろで座り込む子供達を逃がすことが難しいだろうから。

 今はとにかく虫目ごとこの空間の外に出て、外から空間を安定させるような結解をはってもらうのが一番だ。

 そこまで考えて、リロイは背後の子供達を改めて振り返った。

「もう大丈夫だぞ。皆、よく頑張ったな」

 神父の声に、それまで頭を抱えて小さくなっていた子供達が、恐る恐る顔を上げた。そこにいるのが恐ろしい悪魔ではなく、先程から助けにきた神父だと分かると、安堵よりも驚きの方が大きかったらしい。

 一番手前にいる子供のやせ細った顔に付いている、大きすぎる瞳がまん丸と開くのを見て、リロイは優しく笑いかけた。

「まだ立てないよな? 俺の相棒が来たら、そいつに手伝ってもらって外に出ような」

 さすがに子供三人と、拘束された精霊を抱えて一度に外に出るのは不可能だ。

 クルーガーが来たら、あの体力に任せて全員を運び出してくれるだろう。

 いや、それよりも。


 魔力制御の腕輪が一つ外れたことで、リロイの感知能力はいつもよりも更に研ぎ澄まされていた。研ぎ澄まされたからこそ、分かることはある。

 虫目の作るこの空間、ここより更に奥へ向かうには相棒であるクルーガーがいないと、無理だ。

 実際はリロイ一人でならば、いけないこともない。

 ただ子供達をここに残すのは、危険が大きすぎた。

 魔力の光が届かない、その向こうの場所に、うすぼんやりと光る何かが見て取れる。メイ・リーの話していた「大戦中の兵器」なのだろう。そこから漏れ出てくる異様な魔力に、リロイの肌が粟立った。


 早くこいこい、早く来い、クルーガー何してんだよ!


 その焦りが顔に出たのか、手前の子供が不安そうな表情を浮かべたのに気が付き、リロイは慌てて微笑んだ。

「大丈夫だぞ。俺の相棒が遅いから、ちょっとプリプリしてるだけ」

「プリプリですか?」

「そうだぞ、ほら、俺のほっぺがこう、プリプリ……」

 言ったところで、リロイはハッとする。

 

 今の誰の声だ?


 大人の男の声だった。


 すぐさまリロイは魔力障壁を子供と己を中心に展開する。先程よりもさらに強い障壁を四重にかけて彼らの周囲が発光するのと同時に、遥か前方から音も無く光速の青い光が帯のようにして飛んできた。

 リロイが息を飲む間もなく、一瞬にして光はリロイ達を除いて周囲を薙ぎ払う。

 背後で子供達の悲鳴が聞こえたが、障壁の為にその光が届くことは無い。 

 だが、リロイの目の前で、拘束されたままの虫目の体が光に飲み込まれるのが見えた。

 リロイの魔術の網ごと、虫目の体は高熱に溶けるバターのようにして、空間に消え失せる。

 だがそれは、先程リロイが空間を乗っ取ったことで消え失せた眷属とは違い、存在の消滅だと分かる消え方だった。

 障壁の展開が少しでも遅れたら、自分達も同じ状況になっていた。

 それが分かってリロイは更に強い障壁を展開する。とにかく相手の出方が分からない。子供達を危険な目に遭わせないためには、逃げや攻撃よりも先に防御に徹するしかないと考えたからだ。


 しかし、神父の様子に、また先程の男の声がする。

「防ぐなんてすごいですね。でも、いつまでもそのままは無理じゃないですか?」

 どことなく笑みを含んだその物言いは、覚えがあった。

 リロイは油断なく障壁を展開しながら、声の主の姿を黙視で探す。さして広くない空間だというのに、姿が見えない。何より、虫目が消え失せたはずなのに空間が破壊されていないことに、リロイは嫌な予感がした。

 なので出来るだけいつもの調子で、空間に叫んだ。

「所長さんだろ、コンラッド商会の!」

 昼間見た、スーツで眼鏡の所長。舌打ち部隊を従え、メイ・リーを雇い、親切を装って沢山の親子を絶望へと追いやった張本人。

 言うと、空間に朗らかな笑い声が響いた。

 先程の光の帯がとんでくるかと思って警戒したが、どうやら連発は出来ないらしい。だが、空間内に次第に魔力の増幅を感じて、リロイは冷や汗を流す。

 どれくらいか分からないが、次が必ず来る。

 

 ついでにもう一つ嫌な事実がわかった。

 虫目の体は消え失せた。空間の作り主を失った場合、次第に空間自体が消え失せるはずなのに、まだこの場にそれが残っていて、自分達もここに存在している。

 先程レーピン医師の病院で、電話を通じてクルーガーに兵器の説明をしていた社長の言葉を思い出す。


「その魔導兵器は、使用者の体と融合して使用する。初期動作には大量の魔力を必要とするが、一度起動すれば使用者が行動不能になるまでは、半永久的に動くものだと考えた方がいい」

 通常ならば、起動後も魔力を消費するはずだが、何故半永久的に動けるのだろうか。その質問に、社長は淡々と答えた。

「この兵器は攻撃した相手の魔力をすべて奪い取る。いうなれば、捕食だ。動けなくなると手近にいる誰かを攻撃すればそれで動けるようになるわけだ」

 話では聞いたことはあったが、実態を聞くと非人道的な兵器なのだとより実感できた。しかしそこで説明は終わらない。

「高度の兵器になれば、相手の使っていた術まで奪い取ることが出来たらしい。大戦中はこの兵器で、互いの陣営の食い合いが起こったと聞いている。これ一つあれば、相手を殺すだけでなく、その力を奪い取り、より強い兵器を生み出すことが出来るわけだからな」


 その兵器が、今、リロイを攻撃している。

 間違いない。

 攻撃を受けたことで、規模としては随分小さいと分かったが、空間が消え失せないと言うのはつまり虫目の力を奪い取ったからだ。

 だが同時に社長の言葉の続きをリロイは思い出した。


「ただ、単なる魔力媒介の魔術ならば取り込まれるようだが、神聖魔法には効果がない事実も残っている。大戦中にも教会に所属する術師が集まり、神聖魔法で対抗したらしい。リロイ、使えるな?」


 神聖魔法。

 魔力を媒介にして単に現象を起こす魔術とは異なり、超自然的なモノの介助を加えて使用する魔法の中でも、特に高度な精霊に働きかけて使用する魔法のことである。

 使えるな? って社長さんよ。いや、使えるけどね?

 使えるけれども、あれって多分、一人で出来る魔法じゃないんじゃないかね?

 話を聞いた時には「出来るよ」と得意げに言い放った身の上としては、今更やりたくないとは言えないわけだが、まさかこんな状況に陥るとは予想していなかった。

 神聖魔法には、とにかく時間がかかる。

 それを、子供三人引きつれて、相手の空間内で、腹が減った状態で使用するのは、まず不可能だ。

 次の攻撃のため、相手の魔力が膨れ上がる事実にも気づいて、リロイは内心八方ふさがりの状態に冷や汗を流していた。

 とにかく子供達だけでも地上に逃がさないといけないわけだが、相手の攻撃を回避するのには障壁が必要であり、その障壁があるとうまく動けない。ついでに子供達は立ち上がることも出来ない。……ああっ!

 その時、頭上から別の声が聞こえた。


「リロイッ!」

 ずっと聞きたかった待ち人の声だ。思わず、ものすごく喜んだ声でリロイは叫んだ。

「クルーガー! 待ってた!」

「気色悪いこと言うなっ!」

 こちらの喜びの声に、すぐさま不機嫌な声で返したのは、やはり相棒クルーガーだ。

 姿は見えないが、恐らく空間の入口がある応接室にいるのだろう。

「クルー! ここに動けない子供三人がいる! 運べるか!」

 敵の魔力の増幅を感じ焦りながらリロイが叫ぶと、すぐさま大きな影がリロイの横に着地した。

 黒髪、金目、クルーガー・バーズ、既婚者!


「おおおクルーガー! 本当、待ってたぞ! 信じてた!」

 思わず抱きつきかけるリロイを手で払いのけ、クルーガーは空間の先を睨む。

「おかしな臭いがする……これがタジャさんの話していた兵器か?」

 彼の鋭敏な嗅覚は、兵器の持つ暴力性を臭いとして感知した。すぐさまクルーガーは、床に座り込む子供一人をその背に乗せ、後の二人をそれぞれ小脇に抱えて立ち上がった。あまりにも軽々と抱え上げるものなので、緊張も忘れてリロイは呟く。

「……幼稚園の保父さんみたいだな?」

「馬鹿言ってる場合か! 脱出するぞ!」

 叫んでクルーガーは階段の方へ駆け出した。その後を慌ててリロイも追う。

 背後では魔力が更に膨れ上がっていくことに、神父二人は気が付いていた。

 階段を駆け上がり、例のヴェールを通り抜けようとした瞬間、背後で爆発が起こる。

「んにゃろぉっ!!」

 リロイが叫んだ。

 自分達を追いかけるように飛んできた光の帯を、高度の障壁を掲げて分散させる。

 即席の神聖魔法を混ぜて作った障壁は、敵の攻撃を跳ねのけはしたものの、その魔力のいくらかが相手の腹に収まったらしい。

 爆発に追いかけられるようにして応接室から飛び出した二人は、そのまま外への階段を駆け下りて社屋から飛び出した。

 外はすっかり夜になっていて、あたりには明かりも無い。

 それなのに、振り返ったコンラッド商会だけが薄青く光っている事実に、神父二人は絶句する。

 周囲には場違いなまでの朗らかな笑い声が響いていた。

 あの、所長の声だ

 応接室の窓が突如開いた。中から、薄青く光る所長が体半分乗り出して、笑っている。

 朗らかな笑顔は昼間見たのと変わらない。それが逆に異様な光景となって、リロイ達の目に映った。

 だが次の瞬間、その体が青い炎に巻き込まれ人の形でなくなった。

「おいっ!」

 クルーガーが思わず叫ぶ。が、笑い声は変わらず夜の闇に轟くばかりだ。

 

 青い炎は、うねり、燃え盛り、そして二足歩行の化け物へと姿を変える。燃え盛る炎に、手足が付いたと言えば可愛げがあるが、目の前にいるのは明らかに凶悪な存在だ。

 それなのに、口元と思える黒い穴からはずっと笑い声が響いている。

 子供達を抱え直しながら、クルーガーはいつでも駆けだせるように半歩後ろに身を引いた。その横でリロイも、次なる攻撃に備え術の準備をしながら、横の相棒に問いかける。


「……俺達、なんでこんな状況になってるんだっけ?」

 敵から目を離さず、そうきいたリロイに、クルーガーは指輪や、回復魔導具や、色々と考えたが、のちに一つの答えに行きつき、呟いた。

「……コダマさんのごちそうしてくれた、蟹のせいだ」

「……そうだ、蟹のせいだったな……」


 数時間前の自分達の馬鹿者!


 だが、いくら脳内で自分達を罵倒したところで、目の前の敵は変わらない。

 クオリテッド班は、覚悟を決めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る