六章 所長と舌打ち部隊

 狭い室内には応接セットと観葉植物、何かよく分からない物が並べられた棚が一つ。

 その応接セットの小さな長いすに男三人(一人は平均体系、一人は横に巨体、一人は巨漢)が肩を並べて無理やり座りこまされている。そしてその三人の背後と左右にを取り囲む形で配置された男たちは合計で六人おり、その雰囲気は明らかに堅気の人々からはかけ離れていた。

「さて、もう一度ご用件を確認させていただきますね」

 口を開いたのは、そうした男密度の高い長いすからローテーブルを挟んで向かいに座ったこれまた男で、シックな色合いのスーツを着て、柔和な笑みを浮かべた顔には細長い眼鏡をかけている。三十代だろうか。背後に並ぶ男共とは正反対な様子なのに、彼らと同じ臭いを醸し出しているのはなぜだろう。その男が柔らかな笑みで話しかけてくる。

「住まいがこちらの会社だと、そちらの先生の病院で受診された方が間違えて書かれたのでしょうね?」

 笑顔と同様に口調も穏やかだが「間違えて」という部分だけ微妙にアクセントが強い。あえて強調することで、逆に信ぴょう性を欠いているわけだが、指摘を許さぬ雰囲気を醸し出している。そして、うっかり口に出そうものならば、もれなく背後と横から強面共がふきげんな舌打ちを浴びせてきそうでもあった。

 誰もが無言の中で、一番冷や汗を流してうつむきながらも、長いすの男(横に巨体)の一人であるイリヤ医師が恐々と言った。

「そ、その人が問診票をご記入される際は、とくに何か見ながら書いているようではありませんでした……覚えておられる住所をそのまま書いているような……なのでここの住所に間違いはないと思います」

 すかさず医師の背後から「チッ!」とふきげんな舌打ちがされた。何をどうしたらそんな風に気崩せるのかとおもうくらいに、開襟シャツの胸元がはだけている。乳首が見えそうで、つい目線のやりどころに困りそうなのだが、舌打ちされた医師はそんなところまで勿論見ることはできない。

だが、更に身を小さくさせながらもイリヤは果敢に言葉をつづけた。

「メイ・リーという方をご存じありませんか? 治療の最中なのですが連絡がとれなくなりまして、一刻を争うのです」

 イリヤの言い分に、彼を挟むように座らされていた男二人(平均と巨漢)は顔には出さないが、少し感心した。

この状況下でよく言ったものだ。

治療の最中となれば、ここまでやってくるのは不自然ではないだろう。

よく言ったぞ医師!

 だが関心する二人をよそに、目の前に座る男は笑顔を崩さず呟いた。

「……だとしたら? お二人は、その女性とはどういったご関係で?」

 お二人、というのは勿論長いすに座る神父服の男二人のことである。

 言われて、お二人は無表情のまま、スッと目を細めてみせた。

 考えがあった、からではない。

 自分たちの存在をすっかり念頭から外していた事実を相手に気取られないようにするためである。

 ……そうだよな。

 ……ほんと、そうだよな。

 なんで医者の付き添いに神父の恰好した二人が付いてくるのか、そんなの分からないよな?

そもそも通常神父なんてものは教会外に出ることは少ないわけだし、それが医師と一緒なんてもっと理由がつかないよな?

「以前から教会のボランティアセンターに、相談をしに来られていたんですよ」

 平均身長の男、リロイがサラッと笑顔でそう答えた。

内心ドキドキしているものの、そこは普段からの営業スマイルで誤魔化す。

「それが最近になって急に回数が減りまして。お体の具合が悪いと言われていてレーピン医院に通われているのもきいておりましたので、病院に確認に行ったところ、丁度先生と出会ったので我々もご一緒させてもらったんですよ」

「……へぇ」

 立て板に水のように話したリロイに対して、メガネの男は更に目を細めた。

 口角は笑顔の形だが、その目が細めているのに笑っていない。背後では、また別の男が「チッ」と舌打ちをした。この舌打ちは当番制なのだろうか?

 思いはしたが振り返らず、リロイは更に目の前の眼鏡の男に詰め寄った。

「間違いはあるかもしれませんが、先生もおっしゃっているように、何か関係がないと見ず知らずの住所を書くのは無理じゃないですかね?」

 無理じゃないですかね? とリロイが軽く言った際に、クルーガーは目の前の男の顔をじっと凝視した。その眼圧を察したのかどうかは定かでは無いが、男の方はまったく表情を変えずに口元に笑みをうかべたままである。

 そしてリロイの横に立っていた男が、おもむろに「チィッ」と舌打ちをした。昼食は皆で、なにか筋張ったものでも食べたのか? 

そんな風に思って気をそらしつつ、リロイは目の前の男に笑いかけた。

「なんにしても、知らなければ知らないと言えばいいことですよね? 間違いじゃなくて、知らないっていえばいい話ですよね」

 そうだ。

知らなければ「知りません」と言えばいいことである。

だが「知らない」と言えば終わることを、周りを強面の男達で包囲し、あえて「間違い」を強調するのはなぜだ?

 そこには、調べられたらまずい真実があるからだ。

「知りません。本当に」

 眼鏡の男はニッコリ微笑んでそう言い放った。

 そのままの言葉で返してくるとは、余程の度胸である。

 だがそれと言われて、こちらもそうですかと帰るわけにはいかない。

「ところで……こちらはどういった商売をされているのですか?」

 これまで黙していた巨漢の男、クルーガーがこの場に来て初めて口を開いた。すかさず背後にいた別の一人が「チイィッ」と舌打ちしてきたが、ほうれん草の筋でも挟まっているんだろうと、無視する。

「見た感じで申し訳ないのですが、あまり平和なお商売には見えないのですが。商会というには何か商いをされているのでしょうが、主に何の取り扱いをされているのですか?」

 鋭い金色の目は、そのまま眼鏡向こうの男の目を睨みこんだはずなのに、相手もどうやらかなりの強者なようで視線を逸らすことなく頷いた。

「色々です。本当に、いろいろですよ」

「答えになってないっすねぇ……」

 男の言い分にすかさずリロイが唇をひん曲げた。同時に背後で新たな男が舌打ちをしかけたが、その前に

「色々ってことは、法律に触れる物の取り扱いもあるってことですか?」

と言い放ってみる。

 瞬間、室内の空気が変化した。明らかに剣呑な変わりように、イリヤ医師の額から出る汗も冷や汗から脂汗に変化しそうだったが、リロイは更にはったりをかけてみる。

「こちらの区画を通るとなんだか具合が悪くなる、という連絡が教会側に来ているんですよ。最初は土地特融の有毒なものが排出されているかと調査されたようですが、どうも自然物ではないらしいって。魔法関係のことはカーロンにっていうのが世間の常識じゃないですか。そう思った人達がうちに相談してきましてね」

 そう言ったリロイの口元は意地の悪い笑みが浮かんでいた。たぐいまれな美貌も相まって、その表情は悪さを企てる悪魔のようにも見える。

「何か人体に害をなすものを使ったり、作ったりされてません? メイ・リーさんの具合の悪さも、こちらに通うことがあったからじゃないんですかね?」

 場の空気は相変わらず殺伐としているが、瞬間時が止まったかのように静まり返る。あれほど定期的とも思えた舌打ち要員達も、すっかり黙り込んでしまった。だが、無言で睨みつけてくる圧は先ほどよりも更に強く、何かの拍子にすぐさま襲い掛かってきそうだ。

 ただ、リロイの挑発にも、クルーガーの威圧的な眼差しにも、目の前の男はどこ吹く風といった様子だ。一瞬こちらを睨んだようにも思えたが、その顔は当初の柔和な笑いに早変わりした。

「そこまで言われるとは、いやはや申し訳ない。確かにうちでは魔導具のいくつかを製造していますよ」

「ちょっ、所長っ……!」

 リロイの背後に立っていた、まだ舌打ちをしていない最後の男が悲鳴のような声を上げた。が、その男をぎろりと睨んで黙らせ、所長と呼ばれた眼鏡の男は再び穏やかに笑いかける。

「行政からの許可はとっています。ただ、そうですね。新たな製造工程を取り入れたところで、その対策に技術がまだ追いついておらず、先日、役所からも注意を受けましてね。対策が出来るまで製造を中止しているのですが、先に漏れ出ていた魔力や薬品の影響が、ここいら一帯にまだ残っている状態なのですよ」

 そう言って、大げさに頭を抱えて首を横に振って見せる。

「違反金の支払いを命じられ、現在うちもてんてこ舞いでしてね……悪いことに、そうした噂を聞きつけた金にうるさい輩が、個人的に慰謝料を払えと連日ここにつめかけるようになりまして。治療費は役所に言ったら支払ってもらえるはずなのですが、それだけでは足りないという人間が多くてですね……だから仕方なく、ここに来られた初見の方には、しばらくの間はこうした荒っぽい歓迎をして、明確な目的がない場合は自然とお帰りいただくようにしているのですよ」

 そうして大仰に頭を下げてきた。

「不愉快にさせたと思います。申し訳ございませんでした」

「すいませんっしたぁぁっっっ!」

 それと同時に舌打ち要員達が突如声をそろえて頭を下げた。唐突の大音声に、イリヤ医師は文字通り椅子から座ったまま飛び上がり、クオリテッド班も思わず肩をびくつかせる。男六人の容赦ない大声というのは、ある意味暴力よりもはるかに攻撃的である。

 が、驚いて黙り込んだこちらに向かい、所長がパっと顔を上げて言った。

「メイ・リーさんですね。以前こちらでも働いてもらったことがありました。その後ご自宅に近い職場に移られると言われて辞められたのですが」

「……住所、わかるんですか?」

 まだ冷や汗を流しているイリヤだったが、メイ・リーの所在が分かるかもしれないことにすぐさま食いつく。その様子を見て、所長が苦笑した。

「と言っても、すでに二か月前の住所ですので、今もお住まいかどうかは分かりかねますが……。お伝えしましょうか?」

「お願いしますっ」

 頭を下げる医師に、所長は再び苦笑して、舌打ち要員の一人に合図した。開襟シャツの男が棚の中にあったファイルをとって、所長に手渡した。

「本来、個人情報なのでお伝えすべきではないのですが……ただ、医療行為の最中だとすると、早い方がよいですからね」

 ファイルをめくりながら、所長が呟く。

「うちは女性や子供が身に着ける防犯用の魔導具を主に製造しています。彼女にはその製造の最終工程をお任せしていたんですよ。もともとご実家が魔導具製造を生業にされていたそうで、経験もあったのでしょうね。入社してすぐに難しいことをお任せできるようになりました」

 分厚い紙の束から一枚取り出して、テーブル越しに手渡してくる。

「こちらです。もし彼女に会ったら、いつでもうちは戻ってきてもらっていいから、とお伝えください」

 そうして、にっこり笑って見せた。



 モルタル作りの怪しい商会から外に出て、三人は再び駐車場へと歩き出す。

 渡された紙に書かれた住所は、なるほど、最初にコダマ婦人と出会ったというレストランから近い場所だ。柄の悪さに驚きはしたものの、コンラッド商会の言っていることは何もおかしな点が無い。

 ように、思えた。

「それじゃあ、さっそくこの住所に向かいましょう!」

 思わぬ収穫に意気揚々と、イリヤ医師が前をのしのしと歩く。彼の頭の中は、今は困窮した母子の安全でいっぱいなのだろう。医師としても人としても、良い存在だ。

 が、クオリテッド班は彼の後ろを歩きながら思案顔である。

「なんか、しっくりこない」

「オレもだ」

 いまだに商会から漏れ出る魔導成分の臭いは強いままだ。対策をとるまでは製造を中止していると話していたが、本当にそうなのだろうか。そもそも何を製造しているのか。

「確かにメイ・リーが所有していた指輪にも成分としてヤシㇲは使われていたが、それにしても臭いが強すぎる。本当に防犯装置を作るためだけに、こんな小さな会社からこれだけの魔導成分の臭いがするものだろうか?」

「それに魔力感知に引っかからないように何かしら術がかけられているのも、内部に入って分かった」

「そうなのか?」

「うん。ファイルを置いてた棚があっただろ? あそこに置かれていたなんか訳わからんオブジェみたいな色々な、あれ、魔力を増大させる装置だった」

「魔力増大? なんだそれは?」

 さっぱり分からないクルーガーが問いかけると、リロイは渋い顔で答えた。

「あそこにもともと感知させないための術がかけられているのは分かったんだけど、その術を強くさせるために魔力増大、つまり術者の魔力を増加させて術の効果が強く長持ちさせるためのアイテムだったんだよ。でも、なぁ?」

 そこで首をかしげる。

「あの場で術を使っている気配のする奴はいなかった。だから、誰のためにあの装置があるのかが分からない。でも、実際にあそこにあれだけの感知させない術がかかっていたのは事実だからさ、術をかけている奴が傍にいたのも事実なんだけど……」

「分からなかったのか?」

「分からなかったんだよなぁ……寝不足だからかなぁ……」

 心底自分に嫌気がさしたように、リロイはため息を吐いた。魔術のプロフェッショナルとして、そうした未確認案件があるのはプライドが傷つくのだろうか。なんにせよ、コンラッド商会は、何か隠していることは事実である。

「もう、みんな秘密ばっかだよ。コダマさんだって、なにか隠してるっぽいし」

「それを言うなら、メイ・リーだってどこにいるか分からないじゃないか」

「あああ……大人はみんな嘘つきばっかだぁ。俺は正直に生きるぞ。とにかく今はもう寝たいっ」

 そう言って大きなあくびをする相棒に、クルーガーも無言でうなずいた。

「今日ばかりはオレも同意見だ。休みたい」

 グダグダと言っている間に、駐車場に到着する。と、そこで聞きなれない音がイリヤ医師の上着から聞こえてきた。

「あ、すみません、母からです」

 そういって、内ポケットから取り出したのは、最近市井にも出回り始めた、携帯できる電話である。以前は魔導具での携帯通話機が流通していたのだが、魔術師を通してだとその会話を傍受されやすいという事実が発覚し、電話に切りかわってきたのだ。

「あれ、便利だよな。俺もほしい」

「いらんだろ。どうせかかってくるのは、教会か、家族か、オレからだけだぞ」

「……恋人できたら、持つんだ」

 悲し気な相棒の最後のつぶやきはあえて聞こえないふりをしたクルーガーだったが、電話にでた瞬間イリヤ医師の顔が引きつったのを見逃さなかった。

 どうやら電話向こうで、彼の母親がかなりの剣幕で怒鳴っているらしい。

 イリヤ医師は「これからメイ・リーさんの住所に向かうから」と伝えようとしているのだが、相手は一刻も早く病院に戻れと言っているようだ。耳が良いというのも考え物である。人の会話なんぞ聞きたくもない。

 だが、電話向こうで叫ぶママの言葉に「コダマ」という単語を聞いて、クルーガーもギョッとする。

「おい。レーピンの病院にコダマ婦人が乗り込んできたらしいぞ」

「……なんだって?!」

 一難去って、また一難。

 ややこしい婦人と、攻撃的なママとが今まさに一種即発の状態で病院の中にいるらしい。すぐに戻るから! と悲鳴じみた声で電話を切ったイリヤが、情けない顔でこちらを見てくる。

 いや、そんな顔になるの、わかるよ。

 俺たちもずっとそんな顔になってると思う……。

 今日はもうこれで何度目の溜息なんだ。

 ため息一つするたびに幸せが逃げるとかいうけれど、それだとしたら向こう二月分くらい幸せはやってこないのだろうなぁ……とクオリテッド班は次第に暮れかけていく空を見上げてため息をついた。

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