宇宙樹の生贄~竜と少女が七聖樹を巡り世界を救う物語~

風雅ありす@執筆中。

【第一章】生贄の少女

第1話 ドラゴンの背に跨る少女

 目を開けると、そこは空の中だった。


 遥か遠い眼下に、茶色い大地が見える。


 目の前にすっくと伸びた長い首は、貝殻のような白い鱗に覆われており、首が上下する度、日の光を反射してきらきらと虹色に輝いて見えた。首の先に視線をやれば、頭部から生えている黄金色の角が二本ある。


 掌とお尻の下に、ごつごつと硬い感触。視界の両脇にちらちらと見える蝙蝠のような白い翼。跨いだ足の付け根からは、羽ばたきの振動が伝わってくる。


 私は今、ドラゴンの背中に乗っているのだ。


 胸の奥から熱い何かが込み上げてきて、言葉にならない。高揚と歓喜に、身体が震えるのがわかった。


 感嘆の声をあげようと開けた口から冷たい空気が入り込み、肺を満たした。驚いて、ひゅっと声にならない音が空気と共に喉の奥から零れる。思いがけない寒さに、身体がぶるりと震えた。


 それが太ももから伝ったのだろう。目の前にある長い首がぐるんと曲がり、二つの金色の目玉がこちらを見つめた。ドラゴンの目だ。縦に細長い瞳孔が左右に開き、〝大丈夫?〟といたわる気持ちが伝わってくる。胸がぎゅっと締め付けられた。


 大丈夫だと答えるために、ドラゴンの首を優しく叩いてやる。一枚一枚の鱗は、まるで虹の宝石のように煌き、つるつるとして触り心地がいい。ずっと触っていたくなる。


 ドラゴンが答えるように咆哮した。その声は、私を励ますかのように聞こえた。


 突然、長い首がぐいと上を向き、ドラゴンが上昇をはじめた。


 身体が後ろへ引っ張られる感覚に、振り落とされないよう必死でドラゴンの身体にしがみつく。顔に冷たい風を受けて、息ができない。


 それでも私は、ぐっと口を結んで耐えた。目指すべき場所は、この空の上にある。



 § § §



 空から陽の光が射し込む森の中、ひっそりと隠れるように小さな村があった。こぢんまりとした一階建ての家々は、木造であることが分からないほど表面に緑の蔦や苔がびっしり生い茂り、森と同化している。


 まるで今にも妖精や小人たちが現れそうな場所であるが、実際に暮らしているのは人間だ。


 村の中心にある一際大きなエルムの大樹を神樹として崇めていることから、<エルムの村>と呼ばれている。


 エルムの神樹は、通常のエルムの樹を百本ほど束ねた太さに、高さもその三倍か四倍はある。周囲に張り出した枝葉の下には、何軒も家屋が建てられるほど広い。樹齢千年は超えているであろうと思われるその大樹は、神樹と崇められるだけの荘厳さと存在感を放っていた。


 今日は、七日に一度の祈祷の日。村人たち全員が神樹の前にある広場へ集まり、地に膝を着きながら胸の前で両手を組み、目を閉じてこうべを垂れている。その数、ざっと四百人ほど。老若男女が一同にエルムの大樹へ向かって祈る姿は敬虔で、辺りに厳粛な空気を漂わせている。


 人々の祈りと森の清浄な気が空気中でぶつかり合い、弾けてキラキラと輝いていた。それは、空気中の目には見えない水滴の粒が、陽の光を反射しているだけに過ぎなかったかもしれない。それでも、人々に神樹の力を敬う心を芽生えさせるには充分な仕掛けであった。


 祈りとは、何か特別な祝詞を唱えるわけではない。ただ心の内だけで、今ある素朴な生活と平和な幸せを与えてくれている神樹へ感謝の気持ちを伝えるのだ。気持ちが神樹へ通じれば、平和な生活がこの先もずっと続く。神樹は、森を育むことで村人たちを守ってくれている。命は循環してこそ、連綿と続いていくのだ。


 もし、この輪が失われれば、神樹はやがて力を失い、村に災いがもたらされると言い伝えられている。神樹を傷つけることもご法度で、根本に沿って作られた拝殿は、もはや神樹の根と葉に覆われて、その入り口すら見えない。真鍮しんちゅうで作られた扉の取っ手だけが、日光を反射して時たまキラリと光る。


 村の子供たちは、その光を探す遊びに夢中になる。まるで隠れ家みたいだと喜ぶのだ。大人たちの中には、拝殿に用があるというのに、扉を探すところから始めなくてはならないのだから不便でならないと愚痴をこぼす者も少なくない。それでも、決して神樹を傷つけてはならないという掟から、扉を覆い隠す根や葉を切ろうと口にする者は一人もいない。ここは、村であった。


 人々が祈る先に、長身の老爺が背を向けて立っていた。オリーブ色の長衣ローブに見事な白髪が腰まで伸びている。


 老爺がくるりと一同の方を向く。その動きに合わせて、かさかさと地面を木の枝でこするような音がした。白く長い髭が、老爺の膝下辺りから茶色い枝に変わっている。老爺が動く度、その枝先が地面をこするのだ。それは、彼が村の中で特別な存在であることの証でもある。


 老爺は、名を【モリス=イーヴィック】という。エルムの神樹に仕える、この村で唯一の樹官長だ。


「この世界は、七本の聖樹――<七聖樹>と呼ばれているものによって成り立っている。<七聖樹>とは、世界の源となる七つの聖なる力が宿っており、世界の均衡を保っておるものじゃ」


 モリスは、ひざまづく村人たちに向けて、しわがれた声で朗々と語りはじめた。いつもと同じ説法のくり返しに、子供たちは飽き飽きした顔で欠伸あくびをこらえている。村の中で一生を過ごす彼らにとって、外の世界のことは御伽噺おとぎばなしか絵空事でしかない。ただ知識として知っているだけで、そこに何の関心もないのだ。


 そんな中、ひとりの男の子が顔を上げた。まだこの村に来て日の浅い、五、六歳ほどの男の子だ。


「神樹とどう違うの?」


 モリスは、自分の話を遮られたことに嫌な顔ひとつすることなく、目を細めて男の子を見つめる。七聖樹のことは、村の外でも常識として聞き知っているのであろうが、逆に神樹の存在は、外の人間からすれば珍しく映る。男の子が聖樹との違いを疑問に思っても不思議はない。


「確かに、この神樹は、我々の村を守ってくれている。じゃが聖樹とは、神樹と似て非なるものなのじゃ。神樹よりも巨大で神聖な、より尊い存在。神樹が我々の村を守ってくれるように、聖樹は、世界の均衡を守っておる。<七聖樹>の均衡が少しでも崩れると世界は破滅する……と、言われておる」


「破滅って……一体どうなるの?」


 今度は、一人の女の子が恐る恐る口を開いた。彼女は、先に質問をした男の子よりも村での生活が長い筈であった。ただ、いつもならば右から左へと聞き流す説法に、男の子が新鮮な切り口から質問をしたことで、改めて疑問に思ったのだろう。


 その時ちょうど太陽が雲に隠れ、モリスの表情に影が差した。モリスが重々しい口調で答える。


「植物は枯れ、土地は痩せ衰え、人々は争い、世界は闇に閉ざされる。……決して冗談を言っておるのではないぞ。神樹を傷つければ村に災いが降りかかる、という話は皆よく聞き知っておるじゃろうが、それよりも遥かに大変なことなのじゃ」


「わたし、なんだか恐いわ……均衡を崩さないためには、どうしたらいいの?」


 震える声で問う女の子に、モリスは、両腕を広げて見せた。枯れ枝のように痩せ細った腕は、ローブの長い袖の効果もあってか、モリスをより大きく見せるようだ。


「祈るのじゃ。自然への感謝の気持ちを忘れぬ限り、<七聖樹>が世界を守ってくださる。我々がこうして神樹に向かい祈りを捧げるのは、神樹の根から<七聖樹>へと伝わる。じゃからこそ、我々はこうして祈りを欠かしてはいかんのじゃ…………」


 そこまで説明したモリスの視線が、ある一点に留まった。皆が神妙な面持ちでモリスの話に耳を傾ける中、ゆらゆらと揺れているピンク色の頭がある。


 さわさわと風に揺れる梢が子守歌となり、今年十四歳になるその少女を心地良い夢の世界へといざなっていた。


 モリスが軽く咳払いをするも、少女は気づかない。こっくりこっくり啄木鳥きつつきが木をつつくように、頭を前後へ揺り動かしている。


 膝を地につけているとはいえ半立ちの状態で眠るとは器用なものだ、とモリスは半ば呆れつつも関心した。


 しかし、村人たちの手前、ここは厳しい態度を示して見せなくてはならないと思い直し、大きく胸を張る。


「……うぉっほん! 聞いておるのか、アムル=リーベ!!」


 低いしわがれ声に呼ばれて、少女アムルは目を開けた。その黄緑色の瞳に、モリスの怒った顔が映っている。アムルは何度か瞬きをして、ここはどうだろう、という風にぽかんとした表情でまわりを見回した。いくつもの見慣れた顔が呆れたようにアムルを見つめている。


 どうやら自分は、お祈りの時間に居眠りをしてしまったらしい、ということにようやく気付いたアムルだったが、彼女の関心は、そこにない。つい先程まで見ていた夢の世界に意識を半分もっていかれている。


 何か素敵な夢を見ていたような気がするが、もう覚えていない。でも、とても心地良く、使命感に満ち溢れた夢であった。


 ぼうっと夢見心地の顔をしたままのアムルを見て、モリスが再び咳払いをする。


「……アムルよ、<七聖樹>の呼び名をすべて挙げてみなさい」


 モリスがアムルに向かって静かに問い掛ける。<七聖樹>の話は、これまで何度も話して聞かせている。アムルが正しく知識を身に着けているか、試しているのだ。


 するとアムルは、はっと我に返り、狼狽えはじめた。

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