第14話 初黒星

 まるで鈍器だ。完璧にガードしたつもりでも、蹴りを受け止めた腕に走る衝撃の余波が全身に流れ込んでくる。痺れが完全に取れる前に、すぐ次の蹴りが繰り出され、徐々にガードが甘くなっている。




 九条朱音。女だと甘く見ていた。想像より手強い。瞬きの間に繰り出される蹴りの連撃。一撃一撃の重さ。極めつけは、その正確さだ。蹴りをガードし続けて弱った部位を的確に当ててくる。激しく身動きしながらも、俺から視線を外していない証拠だ。




 このままではジリ貧。なんとかして体の痺れを取らなければ、躱す事すら危うい。万が一蹴りを躱せたとして、満足に体を動かせない今の状態では、次の蹴りに対応出来ない。




 攻めに転じれずにいると、しなりを効かせた蹴りが、俺の横腹に直撃されようとしていた。スローモーションの時の中で、俺の思考は支離滅裂となり、半ばパニック状態に陥っていた。




 だが、俺の体は冷静に最的確を導き出していた。思考を抜き去った体は身勝手に動き、足に腕を回して挟み、尚も生き延びた蹴りの余波を体を捻らせてダメージを抑えた。




 俺は思い出した。いつだって、俺は考えなしに体を動かしてきた。そうして今まで勝ってきた。それは俺が思考を巡らせたからじゃない。何十何百とダメージを受けてきた体が、自ら学び続けてきたからだ。俺が俺の強さを疑わない限り、俺の体は俺に応えてくれる。




 強さの再確認によって、全身に流れていた痺れや痛みが消えた。すぐにでも反撃に移ろうとする体を抑え込み、絶好の機会を待つ。九条朱音は言うだけあって手強い相手。自らの武器である足の片方を封じられたからといって、そこで止まるような相手じゃない。




 予想通り、九条朱音はその場で跳躍し、もう片方の足で俺の首を狙ってきた。この瞬間に、俺は挟んでいた足を解放してやり、身を屈んだ。頭上で飛び蹴りが空を切ったタイミングで前に飛び出し、背中側から押し倒した。




 マウント状態になった瞬間に足を足で絡め、右腕を九条朱音の顔面に回して、左手と右手を握りながら力一杯に絞め上げた。




 振り解こうにも振り解けないだろう。足の片方を抑えられ、八十キロ以上の重さが背中に圧し掛かっているのだから。腕だけで立ち上がるには、相当の筋力が必要だ。




 蹴りばかり鍛えてきた支障が遂にやってきたな、九条朱音!




「ギブアップ、するか?」




「グ、ググ……!」




「このままじゃ、お前の顔面がオシャレなバーテンが使うメジャーカップみたいに変形しちまうぞ」




「わ、私は……アガッ……ギ、ガァッ……!」




「……クソが!!!」




 絞めていた力を緩め、九条朱音の背から離れた。掛けた自分でも分かる程、凄まじい激痛のはずだ。なのに、彼女は降参しなかった。俺の力が緩まる時を待ち続けていた。




「はぁ……参った! 俺の負けだ」




 九条朱音。蹴り技の鋭さと威力はさることながら、それ以上の太い根性だ。その根性に、俺は根負けした。過程はどうあれ、俺は彼女に負けたんだ。




 俺が負けを認め、少し間を置いてから、周囲を囲んでいた門下生達から拍手歓声が上がり始めた。自分の師範代が気を失っているというのに、誰一人として動かず、一連の内容に歓喜している。




 俺は激怒した。特に、指笛を鳴らしている図体がデカい奴に。俺は助走をつけて、指を咥えているソイツの顔面にドロップキックを喰らわせた。障子を突き破り、更にその先にあるガラス戸をも突き破って、外に吹き飛んでいった。   




 その光景を目の当たりにすると、一気に静寂が訪れ、蜘蛛の子を散らすように門下生達は逃げ出した。九条朱音と違って、根性無しの集まりだ。




「……さて、どうしようか」




 道場に残されたのは、気を失っている九条朱音だけ。揺さぶっても一向に起きる気配が無い。今ならここから逃げ出せるが、気を失った奴を置いていくのは気が引ける。それに彼女は、久しぶりに楽しめた相手だった。




「とりあえず、起きるまで待つか。起きずに死んだら、ここを葬式会場にして畳に埋めてやろう」




 九条朱音の傍であぐらを組み、目を閉じて浅い眠りについた。寝ている感覚を覚えつつも、目を閉じているだけなので夢を見る事は無い。水樹が傍にいない時に眠る為、小学生の頃に習得した寝方だ。これで十分に体を休めさせられるが、どうせ寝るなら、布団にくるまって惰眠を貪りたい。




 再び目を開くと、九条朱音はうつ伏せから仰向けに変わっていた。表情一つ変えずに天井を見る目からは、一筋の涙が流れている。




「起きたか」




「……負けた……初めて、負けた」




「いや、俺が負けた。約束通り、お前が知りたがってる事を何でも教えてやるよ。知ってる範囲でな。あんまり期待すんなよ?」




「……うぅ……うわぁぁぁぁん!!!」




 泣いちゃった。




「負けた! 負けたくないのに負けた! 負けちゃったぁぁぁ!!」 




 凄い駄々のこね方だ。凛々しくてあんなに強かったのに、今じゃ幼児化してる。雨で遊園地に行けなくなった事を告げられた子供みたいだ。俺こんな奴に苦戦したのか?




「ま、まぁ、落ち着けよ。ほら、よく言うだろ? 負けを知らない奴は強くなれないってさ!」




「うるさいうるさい! そんなのは慰めの言葉だ! 負けた奴が苦し紛れに言った戯言だ!!」




「えぇ……俺、結構腑に落ちたんだけどな」




「ッ!? 貴様!!!」




 九条朱音は勢いよく立ち上がると、心底悔しそうな表情で俺を見下ろしてきた。 




「貴様の名前! 名前は何だ!」




「負けた奴に名乗る筋合いは無い」




「ッ!? うわぁぁぁぁん!!!」




「あ、ごめん! 良い返し言葉が浮かんで言っただけだから! 名乗る! 名乗らせてもらいます! 相馬響、高校生です!」




「ググッ……相馬、響……! 貴様がどう言おうと、私は貴様に負けた! 敗者として、勝者の願いを聞こう!」




「何でも?」




「ああ! その、貴様が、望むなら……この私の体を―――」




「じゃあ俺の飼い主になってくれよ!」




「……はぁ?」

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