#2 山納人形工房 (下)
それは人形殺人が世間を騒がす二年程前の事。
まだ幼い真琴は二つ上の兄と共に、自宅からそう遠くない公園でかくれんぼをして遊んでいた。
十数えて目を開けた真琴は、夕暮れ時の人気が消えた公園内で兄を探し始める。少し心細さを覚える中、兄が隠れていそうな場所を順番に回っていると、隅の草むらがガサっと揺れた。真琴は自分の背丈ほどの草を少し掻き分け、茂みの中へと声を掛ける。
「お兄ちゃんみーっけ!そんなとこ隠れたら虫に刺されるんだからね」
ガサガサゴソゴソと声に反応する様に、奥の茂みが動く。
「見つけたんだから早く出てきてよ」
茂った草の揺れがこちらへ近づいてくるが、自分より背の高いはずの兄の頭が見えて来ない。何か直感的に嫌なものを察した真琴は一歩後ずさった。
すると兄のシルエットとは程遠い、小さな少女の様な人影が茂みを割り出てきた。真琴は更に一歩下がると、それを見て腰を抜かしてしまった。
そこに現れたのは人間のそれとは違い、関節を歪に曲げながらカタカタとにじり寄ってくる人形だった。薄汚れ、所々ひび割れた姿が痛々しく
なぜなら、人形のその手には赤褐色の錆を纏った刃物が握られ、どこに狙いを定める訳でもなく、気が触れたようにそれを振り回し、こちらへ近寄ってきたからだ。
突然の恐怖で、兄を呼ぼうにも声の出し方がわからなくなってしまっていた。人形が刃物で空を切る音が更に近づいてくると、涙が出るよりも先に、地面とお尻の間に生暖かいものが広がっていった。思わず目を閉じ、直後にどんな痛みが襲ってくるのだろうかという恐怖で、真琴の頭は埋め尽くされた。
すると目の前で鈍い音が響き、少し離れた場所から水しぶきの上がる音が聞こえた。恐る恐る目を開けると、そこには太めの木の枝を持った兄が立っていて、それを持つ手は少し震えていた。公園の池の水面は大きく揺れている。
「ま、真琴、帰るぞ。立てるか?」
真琴はまだ地面を見ながら首を横に振る。そこには人形から外れた左腕が、砂の上で僅かに動いていた。兄はそれも木の枝で思いきり打ち払う。飛んで行ったそれは、体を追うように池の底へと沈んでいった。
兄に背負われ家へと帰ると、先ほどの事はそれなりに騒ぎになった。だが、その話を信じる大人はおらず、後日公園には不審者注意の看板だけが建てられたのだった。
真琴の話を聞き、樹は眉をひそめる。
「人形が独りでに・・・?なるほど、それで人形恐怖症に。しかし、あの人形殺人は人間の仕業でしょう?今の話は怪談の類だと思うのですが」
「ええ、あんな事ありえないと頭では分かっているのですが、事件が起きた時期が近かっただけに、結び付けてしまって。それに近々、その事件と向き合わなければならなくなりまして」
「と言うと?」
「お恥ずかしながら、私これでも警察官なのです。ずっとお世話になっている人から、あの人形殺人を個人的に調査したいから協力してくれないか、と頼まれていて。だから何とかしないとと思っていて・・・・」
「確かに、今のままでは支障をきたしそうですもんね」
「はい。なので、近くに人形工房があると聞いて、曝露療法じゃないですけど、作っているところでも見れば治るかと思って足を運んだのです」
「それはまた、結構な荒行事をしようと思いましたね」
真琴は頷くとそのままうつむいてしまった。そんな彼女の前で姉弟は目を合わせると、舞果は黙ったまま席を立ち、人形の置かれた棚へと向う。樹は机に肘をつき少し前のめりになって真琴に声を掛けた。
「では今度は僕らかも、少し不思議な話をさせてもらいます。真琴さん、もし記憶が一つだけ消せるとしたらどうです?」
「え?それは今話したような、嫌な記憶を消してもらいたいですけど」
「実は僕ら人形に人間の記憶を移せるんですよ」
「私が突拍子もない話をしたからって、からかってるんですか?」
「とんでもない。どうです?騙されたと思って」
真琴は樹の目を見て暫し考え込むと、
「わかりました。これでも一応は犯罪捜査とかはしてきてるんです。あなたが今嘘をついてるとは思えません。これで人形恐怖症が治るなら、まぁ」
そこに子供が抱えるのに丁度良さそうな大きさで、どこか真琴に似て凛とした表情の人形を抱えた舞果が戻ってきた。舞果がそれをテーブルに座らせると、思わず真琴は身をすくめ、再び小さな悲鳴を上げた。怯える彼女を樹は安心させようと説明を続ける。
「この子は勝手に動いたりしませんよ。・・・今からこの人形にあなたの辛い記憶を預けます。怖かったらそのまま目を瞑っていても構いません。何も感じないですし、すぐ終わりますから」
「わ、私はどうすれば?」
「消したい記憶、人形に襲われたその瞬間の記憶だけ思い浮かべていて下さい」
そう言われると真琴は固く目を閉じ、膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。樹の手が自分の頭の上に軽くかざされるのを感じると、すぐに声が掛かる。
「終わりましたよ」
「え?もうですか?」
「目を開けてみてください」
そこにはさっきと同じ光景があるだけで、特段何か自身に変化があったという感じもない。しかし、何か忘れ物に気づいていない時の様な、胸にそわそわとした感覚を真琴は覚えた。そして何より、すぐ近くにある人形を受け入れている自分に驚いた。
「あ、あれ?怖くない。怖くないです!ああ!わかりました!催眠術か何かですね!」
「まぁどう捉えて頂いても構いませんが、この事は口外しないようお願いしますね。僕らの本分は、人形作りですから」
「そ、そうですね。でもホントに不思議。私なんで人形怖かったのかなぁ」
真琴はテーブルの上の人形を手に取り、先ほどとは打って変わって、動物をあやすような目でそれをじっと見つめる。そんな彼女の様子を見て、樹は問いかける。
「その人形どう感じます?」
「今は何かこう、愛おしいと言うか・・・、気に入りました。お二人にはご迷惑をかけてしまったですし、買わせていただきます」
「ありがとうございます、良かった気に入ってくれて。じゃあ姉さん、この子のお見送りの準備を」
舞果は奥の部屋から櫛や鋏、レース生地を持ってきてテーブルへ広げると、まず人形の髪をとかし始めた。続いてレース生地の上に人形を乗せ、服の裾を整えながら丁寧に包装していく。
真琴はその様子を興味深そうに見ながら、樹に、
「私が人形を買うなんて信じられません。ほんとに騙されちゃったかも。ところでさっき、お見送りって言ってませんでしたか?」
「はい、人形をお買い上げいただく方はお迎え、だからこちらはお見送りと言っています」
「なるほど、確かにそう言った方が愛着が湧きそうですね。なら、私の言い方は不躾でしたね」
「いえ、とんでもない。でもその辺、こだわりが強いお客さんも、中にはいますけどね」
舞果がレース生地をリボンで閉じ包装し終わると、それを両手で優しく真琴の方へと寄せる。
「服を変えたくなったらまたいらして。樹の作った人形が着ている服は、全部私の手作りなの」
「じゃあ、もしかして、そのご自身の服も?」
「ええ」
「器用なご姉弟ですね、羨ましい限りです。そうだ、おいくらになりますか?」
樹が領収書に値段を書き込み、くるりと真琴に向きを直し提示すると、彼女は目を丸くする。
「ごごごご、五みゃん円!?専門店の人形はそんなにするんだぁ・・・、今月大丈夫かな」
真琴は渋々支払いを終えると、二人に見送られ工房を後にする。小さくなっていく真琴の背中を見ながら、舞果が口を開く。
「さっき私も包装してるとき、人形の記憶を見たけれど、あの子の話していた事は、嘘でも子供の見間違えでもないようね」
「どこでも買えるような既製品の人形だった。人形殺人、ね・・・・」
舞果はそう呟いた樹をチラリと睨む。
「家族と呼べるのはあんただけなんだから、面倒事に首突っ込まないでよ?さっきは止めなかったけど、私たちの人形に関わる力が知られたら、どんな不運が舞い込むか分からないわ」
「わかってるよ、姉さん」
「まったく、お人好しなんだから。さて、ちょっと遅くなったけど、朝食にしましょう」
「ふ、姉さんも少し乗り気だったくせに」
「うるさいわね」
二人が家の中へ戻って行くと、門の外に立て掛けてある
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