長城Ⅰ

 長城サァン、と誰かに呼ばれわたしは振り返った。


「春香さんのご家族がいらっしゃいました」


「ああ、今行く」


 昨日、佐原春香という女子大生が川から水死体となって発見された。


 自殺で間違いないと上層部は云っている。わたしもご遺体を確認した際、十中八九はそうだろうと思ったが、まだ彼女の自殺の動機が判明していないため、捜査員であるわたしは捜査を続けていた。


 所内へわざわざ自殺した方の遺族が調査に協力する事例は珍しかった。


 三日前から行方不明になっており、事件性が高くなったことで捜査一課の自分が「佐原春香さん行方不明事件」の捜査本部に加わることになった。が、わたしが加わるやいなや、あっけなく彼女は帰らぬ人となり発見されてしまった。本部はやがて解散し、自殺として断定されるだろう。ふと、そう考えながら待合室に座っていた男を見つける。


「お待たせいたしました、こちら捜査一課警部、長城です。わざわざ遠いところから、ありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそお忙しい中ありがとうございます。佐原慶次です」


 慶次という男は立ち上がり、軽くお辞儀したが、顔面が蒼白で、魂が抜かれたような体をしていた。


「すみません、最近はあまり食事も喉に通らないもので……」


「無理はなさらないでくださいね」


慶次はゆっくりと息を吸う。廊下の独特な匂いが私の鼻を絡めた。


「それで、お話があるというのは?」


 慶次は気の抜けたような顔で、こう云った。


「春香は、殺されたんでしょうか?」


「はい?」


 あまりにも突拍子もないことを言い出した。だが、遺族にはそういった傾向が良くある。


 自殺者遺族というのは、自分に責任があったのではないかと良く自らを責める傾向があるが、それを否定するために、「自殺した」という事実そのものをなかったことにしようとする。それを証明しようとここにわざわざ慶次は来たのだ。


「現在、他殺、事故、自殺の視野で調査しております。詳しいことが分かり次第」


「違うんですよ、そういうことは聞いていないんです」


 慶次は、半ば突き放すように云った。


「違う?どういうことですか」


「春香は水が大の苦手なんですよ。昔、親に海へ連れてもらったことがあるんです。その時、春香が波にのまれて溺れかけてしまって……号泣してしまったんです」


「ほう」


「それ以来、春香は極度に水を嫌うようになって……プールの日は絶対に出席しようとしなかったし、ましてや川に近づくはずがない」


 だから、春香が川に飛び込んで自殺するような真似はしない、と云いたいのだろう。


「でしたら事故という可能性がより高まります。何かのはずみで川に足を滑らせ、そのまま流されてしまい、泳げない彼女は波にのまれて死亡した……話の筋は通っているでしょう」


「そうかもしれません。でも、どうしても春香が自殺したなんておかしいんです」


 何を根拠に慶次はそう断定しているのだろう。さっきまでの蒼白した顔面は真っ赤に染まっていた。


「根拠なんてありません。でも、失踪する前日なんか、食卓を囲んで普通に食事をしていたんだ。あんなに元気だった春香が自殺するなんて僕にはどう考えてもおかしいとしか思えないんですよ」


 知らぬ間に慶次は目を充血させて大粒の涙を流していた。


「だから長城さん、お願いです。捜査本部を解散させるのは一週間後にしてください。その間に僕がなんとかして春香が自殺したかどうかの証拠を見つけます」


「なんとかしてって……慶次さんいくら何でもそれは」


「身勝手なお願いなのは百も承知です。でも、もう少しだけ待ってください。一週間以内証拠が見つからなければ、僕は春香が自殺したという事実を受け入れます」


 慶次の迫力に、一瞬だけ気圧されてしまった。だが、こちらとしても自殺の動機が分からないことには捜査本部を解散させることができない。その調査を他ならぬ遺族に協力してもらえるのは好都合だ。


 気づけば、膝を折り、がっくりとうなだれている慶次に向かい、わたしは云った。


「承知しました。こちらも全力で尽力させていただきます。私に任せてください」


 慶次はありがとうございます、ありがとうございますと泣きじゃくりながらわたしに礼を云った。

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