第27話 英雄の再誕㉗

「いいや、俺は本物の発狂頭巾さぁ」

 ぬらりと、男は言う。木の枝をまっすぐに貝介に向ける。

「狂ておるのは、おれか! お前か!」

 叫び駆け出す男。貝介は迎撃せんと鉈を正面に構える。男の軌道は不規則に変わる。だが、自身に向かってくるのであれば話は簡単だ。打ちかかるその瞬間に、相手との距離は一番短くなる。そこを叩く。

 男が二度急旋回をして貝介に迫る。踏み込み木の枝を突きこんでくる。ここだ。鉈の背が木の枝を握る手を捉える。手ごたえ。細い棒を踏み折るような。だが、折れたのはおそらく木の枝ではない。

「きょえええ!」

 奇声。男が地面を転がり回る。貝介はそれを睨む。追撃はしない。その動きは陽動の可能性がある。また突きかかってくるなら、それに対応すればよい。

 ぎょろり、と男の目が貝介を見た。

「お前じゃない」

「なんだと?」

「お前は発狂頭巾ではないなぁ」

「そうだ。俺もお前も発狂頭巾ではない」

 貝介は静かに答えた。じっと男の動きを見張りながら。男の口がぱっくりと開く。その割れ目から長い舌が伸びて宙を舐めた。

「だが、いるなぁ! 発狂頭巾が!」 

 男は叫び、跳んだ。痛みを感じていないのか? 発狂模倣者特有の頑丈さか。問題ない。貝介は壁を作るように鉈を構えた。動けなくなるまで叩けば良い。いざとなれば腕の一本も落とせばよい。再び不規則な跳躍。距離が詰まる。来る。鉈を突き出す。

「なに!」

 驚愕。突き出した鉈が空を切る。体勢が崩れる。鉈を引き戻し、衝撃に備える。

 だが、衝撃は来ない。代わりに貝介の脇をぬるりと何かがすり抜ける。男だ。

「しまった!」

 振り下ろす鉈は、再び空を切る。男は貝介を完全に無視して走り続ける。その向かう先は……。

「待て!」

 貝介の声は届かない。男は路地裏に向けて駆けていく。ヤスケたちが隠れる路地裏へ。

「困りますねえ」

 ゆらり、と姿を現したのは、ヤスケの父親だった。なぜ? 下がっていろと言ったはずなのに。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。そして、その目がぎらりと輝く。それは、発狂模倣者特有の瞳の輝き。

「お前じゃないぃ! 俺が発狂頭巾だぁ!」

「いいや違うぞ」

「おとう」

 ヤスケが父親の服の裾を引っ張る。父親がやさしくその手を払う。男が木の枝を振り上げる。

 父親はだしぬけに動いた。その動きはまるで意識を介していないかのように起こりがなかった。ただ一歩、いつの間にか父親の身体が前に動いていた。男の木の枝の間合い、そのさらに内側に。男の木の枝が振り下ろされるよりもはやく、父親の手が伸びていた。貝介は見た。男の手に父親の手が添えられるのを。木の枝が振り下ろされる。だが、その軌道は禍々しく歪められている。悍ましい軌道。次の瞬間には結果だけが現れていた。

「なんだぁ?」

 男が驚きの声を漏らす。

 一体、どのような動きを辿ったのか、尖った木の枝の先は寸分の狂いもなく男の心臓に突き刺さっていた。真っ赤な血が迸り、父親を染め上げた。

「おとう……」

 赤く染まった父親を見上げて、ヤスケが呟いた。


【つづく】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る