第百七十三話 銀色の魔女

「うむ。美味であった。美味、美味。……もう10皿ぐらいもらえないだろうか?」


「ヴィヴィアン。流石にちょっとそれは業突く張りよ」


「そうか……」


 フルコースを食べ終えての第一声に、食堂に集った一行の間に失笑が漏れる。


 ウェイター達が皿を片付けていき、食後の紅茶だけが残される。


 カップから漂う良い香りを堪能しながら、シオンは次々と姿を消す使用人たちにちらり、と視線を向けた。


 やがて最後の一人が扉をくぐると、ばたん、と音を立てて閉ざされる。


 それで、広い食堂の間は、ヴァーシス一家とヴィヴィアン・シオンだけが残された。


「ヴィヴィアン。聞き耳を立ててる人とか、変な魔術とか、探知できるかい?」


「問題ない。私の目からは、何人も逃れられない」


 目を光らせて答えるヴィヴィアン。魔物としての彼女の感覚は、触手を出していなくとも人間のそれを超越している。光にも音にも頼らず世界を把握するその認識能力が、盗み聞きしている者はいないと保証していた。


「人払いをしたという事は、深い話に切り込むという事か?」


「そうだね。……という訳で、父さん。変な勘繰りはしなくとも、ヴィヴィアンの正体について話そうと思う。私と、彼女の契約についても」


「ふむ。まあ、これまでのわんぱくな食べっぷりで、お嬢さんが無害と確信するには十分だったがな」


 カップを皿に置き、クラウスが嘆息する。


「何かよほどの事情があるのだな?」


「まあね。……言っておくけど、吃驚したりしないでね?」


「ははは、そうそう父を脅かすな。多少の事で驚くようでは辺境伯なぞやっておれんわ」


 呵々と笑う父親に、「言質はとったからね」という視線を向けると、アトラスはヴィヴィアンに合図した。


「ヴィヴィアン。いいよ、遠慮せずに」


「うむ、了解した」


 許可が出たなら遠慮はいらない。ヴィヴィアンは、ずっと体の中に押し込めていた、自らの本性を露わにする。


 襟元のボタンを緩め、大きく開けた軍服の上着。その背中側から、爆発するようにピンク色の触手が噴出した。うねうねとうねり、粘液を滴らせるそれら。いくつかの先端がぷくぅ、と膨らみ、ぴっと裂けて目玉や口が出現する。


 久方ぶりに己の容を現出させて、ヴィヴィアンは解放感に安堵の息を吐いた。


「『【ああ、すっきりした】』」


 触手と口、複数の声が同じ意思の元に統一されてぴったり重なる。


 思えば、無理をさせて悪かったなあ、とアトラスは改めて思った。旅の間もかなり我慢させていたし、彼女としてはひと月ぶりぐらいに己の本性を開放するわけである。


「な、なな、な、な……」


「まあそういう訳で、父さん。彼女、そういう事なので」


「何がそういう事だ!?」


 椅子から転げ落ちそうになっている辺境伯当主が喚いた。その横で夫人は腰を抜かして動けなくなっており、テオスだけが目をきらきらさせていた。


「何ですかそれ!? すごーい!! 別々にしゃべれます?!」


「勿論」『最大3人ぐらいは』【余裕だ】


「すっごーい!!」


 顔を真っ赤にしてはしゃぐテオス。なんというか、子供の方が適応が早いなあ、とアトラスはぼんやりとそんな感想を抱いた。


「まあ、うん。そういう訳で、実は彼女、人間だけど人間じゃないんだ」


「まるで意味がわからんぞ!?」


 率直な感想である。まあ気持ちはわかる、とシオンは苦笑いしながらも深く同意した。


 今となってはその無害っぷりを思い知っているのでなんとも思わないが、何も知らなければ美少女が突如得体のしれない大怪異に変貌したシーンだ。クラウスの取り乱しようも当然といえよう。


「た、確かに、多少の事では驚かないとは言った。だがこれのどこが多少だ!?」


「まあまあ、父さん。彼女の事情は今から説明するから……」


「半端な事情では承知せんからな、まったく」


 クラウスがぷんぷんしながら姿勢を正し、アトラスはとりあえず小さく息を吐いた。話を聞いてくれるなら説得のしようもある。


 そしてヴィヴィアンはというと……。


「ヴィヴィアン。テオスと遊ぶのはあとにしてくれないか?」


「え? あ、ごめん」


「えー!? いいじゃないですか、兄さま!」


 いつの間にか触手を伸ばして、テオスと握手していた彼女に釘を刺す。テオスは不満そうだが、緊張感を維持できないので仕方ない。


「じゃあ、説明するよ。彼女が何で、何のために、私に協力しているのかを……」




 アトラスが語ったのは、ヴィヴィアン……否、ヌルスの半生についてだ。


 迷宮の中で冒険者を助ける、不思議な魔術師。彼の正体が魔物であり、魔物でありながら知恵と自我に目覚め、生き延びるために冒険者と協力していた事。


 協力者の名はアルテイシア。二人は固い絆で結ばれ、種を越えた友誼を結んでいた。


 だが、悲劇はおき……アルテイシアは失われ、ヴィヴィアンが生まれた。


 その悲しい献身の物語を。




「……という訳なんだ」


 アトラスが語り終えた時、その場には沈痛な静寂が満ちていた。


 誰も、発する言葉を探して口を紡いでいる。傍らでマリーシア夫人が涙し、ハンカチでぬぐっている。テオスも、どこか気まずそうな表情だ。


 シオンはシオンで、改めてその救いのない話に陰鬱な気分になっていた。


 元気なのは、当事者であるヴィヴィアンだけだ。


「補足する事はあるかい、ヴィヴィアン」


「ないぞ、余さずきっちり語ってくれて感謝する。という訳で、私としてはアルテイシアが目覚めるまでの残された時間を全て、アトラスとの友情のためにささげるつもりだ。その上で、アルテイシアを目覚めさせるよい方法があれば、ぜひとも教えていただきたい。まあそういう事だな」


 ヴィヴィアンの口調はあくまでカラッとしている。


 だが、話を聞いた者達にはそれがひどく痛ましいものに見えた。


 アルテイシアが目覚める、それはヴィヴィアンの……ヌルスの永遠の眠りを意味する。にもかかわらず、彼女はそれを恐れる様子が無い。


 彼女の中ではもう、ヌルスという存在は死んだものとして処理されているのだ。ただ、彼女の願いはただ一つ、誰よりも大切な人が、また再び笑ってくれる事、それだけなのだ。


 何の報いがなくとも、彼女はただそれだけを望んでいる。


 遅まきながら、クラウスは先ほどのヴィヴィアンの誓いがどれほど重いものなのかを考えさせられていた。


「……よかろう。ヴィヴィアン君、君がアトラスに仕える事を認めよう。同時に、可能な限り君の願いが叶うよう、当家でも働きかける。それでいいかな?」


「全く以って申し分ない。有難い限りだ。私も、この力の限り、アトラスの助けになる事を誓おう。まあ、どこまでこの頭が役に立つかは怪しいが」


 多分謙遜じゃなくて本気でいってんだろうなあ、とシオンはちょっと遠い目をした。


 そりゃあ初級の魔術しか使えないといっても、そもそも人知を超えた歪みの魔術の使い手である。その価値は、知っているものほど測り切れないだろう。


 謙遜も過ぎると嫌味であるというよい例だ。


「うむ。期待する。だが流石にいきなり、という訳にもいかぬ。しばらくは、うちの使用人の元で教育を受けてもらう。その上で、近い内にアトラスの帰還を祝う式典を行う、その時に二人をお披露目するとしよう。それでよろしいかな」


「うむ、了解した」


「が、がんばります!」


 一人は力強く、一人はちょっと控えめに拳を握りしめる。


 そうして、ヴィヴィアンとシオンの、ヴァーシス領での生活が始まったのだ。






 そうしてさっそく始まった、幹部教育だが。


 実のところ、シオンはともかくヴィヴィアンに関しては、さほど厳しい教育ではなかった。


 人間の常識に疎い彼女に、常識を教え込む作業がメインだったというか。そもそも彼女に期待されているのは、秘書や副官としての仕事ではなく、その魔術師としての知識と技能で、辺境伯領の発展に寄与する事である。ましてや、迷宮から独立した魔物という極めてレアな存在である彼女にしかできない事は数多く、最低限の常識教育が終われば早速と言わんばかりに、多数の仕事が舞い込んできた。


 ゆえに、彼女はクラウスから与えられた“辺境伯直属”を示すローブを羽織り、今日も領地を行ったり来たりしている。


「という訳で、今日は農場の石をどうにかしてもらいたく……」


「ふむう」


 今日も今日とて呼び出された先、馬車で半日ほど揺られた先で彼女が案内されたのは、とてつもなく大きな岩の前だ。周囲はよく開墾された農地になっているだけあって、ここだけ巨大な岩が鎮座しているのは違和感がすごい。


「先祖も、この大岩をどうにかしようとしたのですが、これは非常に硬い花崗岩でして。大半が地中に埋まっているためどかすこともできず、長年悩まされていたのです。魔術師様の力でどうにかなりませんか?」


「ふむ。問題はない」


 農民の代表である男から頭を下げられ、ヴィヴィアンは顎に手をやりながら大岩を検分する。


 確かに、なかなか頑丈な材質なようだ。大きさも大きな岩ほどもあり、どれだけ牛や馬、人を借り出しても手に余る、というのは伺えた。


 だが、ヴィヴィアンにとってはなんという事はない。


「おお、そうですか! 人が必要ならお申し付けください、村総出でご協力します」


「いや、それには及ばない。むしろ下がっていてくれ、危険だ」


「え……?」


 きょとんとする男に、ヴィヴィアンにつけられた付き人達が下がるように手で合図する。二人の女性使用人は、監視も兼ねてヴィヴィアンにつけられた者達だが、すでに数週間の付き合いである。彼女が無害な存在ではあるが、同時に取り扱いを間違えると辺境伯領の存亡にも関わりかねない危険人物であるという事も、重々承知していた。


「ヴィヴィアン様、村人は下げました。よろしくお願いします」


「うむ」


 頷き返すと、彼女はばさり、とローブを翻し、大岩の前にたった。


 手にするのは、辺境伯直属の鍛冶師があつらえた高性能な魔術の杖。だが、今回はそれは使用しない。というか、現状、迷宮からのドロップ品でなければ、彼女の歪みの魔術には耐えられない事が判別している。


 ローブの下で蠢く触手翼。村人に見えないように使用人たちが立ちはだかるのを背中に、彼女は歪みの魔術を発動した。


「ワープ・ボルト!」


 自分の触手から生み出した豆粒みたいな魔力結晶を媒介に、極小の歪みの矢を放つ。迷宮での戦いでは間に合わなかった、完全制御できるまで威力を抑えた一撃だ。


 迷宮の戦い、執行者相手では到底物足りない一撃だが、外の世界では果たしてどうか。


 紫色の歪みの矢が、巨大な岩に突き刺さる。着弾地点から空間がねじれ、それによって大岩が粉砕されていく。


 一瞬の後には、まるで脆いガラスのようにひび割れ砕け散った大岩が、がらがらと音を立ててその破片をまき散らしていた。


 さらにそこへ、2発、3発目が叩き込まれる。


 一連の攻撃が終わったころには、農地を悩ませていた大岩は、その根元にいたるまでが手でつかめるサイズまで完全破砕されていた。


 連続で歪みの魔術を使ったことによる弊害である空間の亀裂が閉じるのを確認して、ヴィヴィアンはこれぐらいでいいか、と背後に振り返った。


「まあ、こんなものだ。……どうした?」


「い、いえ……」


「相変わらず、ヴィヴィアン様の魔術の凄まじさに感嘆しておりました」


 唾を飲み込みながら、使用人たちは率直な言葉を返した。


 彼女の魔術行使は何度も見るが、その度に底知れぬ歪みの魔術の力に驚嘆せざるを得ない。傍らでは農村の村人達が開いた口がふさがらない、といった顔をしているが、使用人たちにはその気持ちが痛いほどよくわかる。彼女らとて、慣れていなければ似たような反応であった。


 なにせ、数世代にわたって頭を悩ませていた障害が、ほんの数秒で取り除かれてしまったのだ。これまでの苦労は一体……となっても仕方あるまい。


「お疲れ様でした、ヴィヴィアン様。馬車に戻ってお休みください、今夜の宿の手配をしますので」


「うむ、助かる」


「見たな、村の者! これぞ、次期当主アトラス様の懐刀、ヴィヴィアン様のお力である! ヴァーシス領はアトラス様のご指導の下、ますます繁栄するであろう!」


 使用人たちが、どちらかというと恐れおののく村人達に激を飛ばす。村人たちははっと我に返ると、互いの顔を見合わせ、笑顔で両手を振り上げた。


「あ、アトラス様、ばんざーい! ヴィヴィアン様、ばんざーい!!」


「長年の障害はこれで取り除かれました! おっとうもおっかあも、これで安心して成仏できます!!」


「ヴィヴィアン様ー! ありがとうございますー!」


 使用人の誘導もあれど、心からの感謝を述べる村人達。そんな彼らの対応に、ヴィヴィアンはむふん、と小鼻を膨らませながら満足そうにうなずき返した。


「何、これも仕事だ。全てはアトラスの善意である。皆の者、誠心誠意、辺境伯領の為に尽くすように。さすれば、彼からの厚遇があるであろう」


「ははーーー!」


 まあ。こんな感じで、ヴィヴィアンは日々を過ごしているのだった。


 故に、彼女の異名が辺境に轟くのに、そう時間はかからなかった。




 “銀色の魔女”。


 それが、辺境における彼女の通り名である。そのまんまじゃないか、と彼女が憤慨したのは、まあ別の話である。




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