第百四十三話 眠りの魔
「くそっ、さっきのレッサーデーモンとは別口か!」
魔物の苦悶の声と、ヌルスの警告にアトラス達も即座に対応する。アトラスは金の剣を大きく振り回し、触れるものがあればそれへと切りかかった。アトソンはその場でメイスを握りしめて背を低くしたまま、ぶつぶつと何ごとかを祈っている。
それが状況を打開する祈祷である事を看破して、ヌルスはすぐに彼のカバーに入った。
視えている魔物の数はあと四、いや三つ。今しがた、アトラスが切り倒した。
耐久力は高くないようだ。
ヌルスの感覚には、今も周囲をうろつく異様な魔物の姿がはっきりとみえている。先ほどまで多く遭遇した小鬼のような悪魔とは違う、青白い肌を持った魔物達。脚は逆関節だが、より獣に近く偶蹄目のそれを思わせる。腕は肘から先が蟹の鋏のようになっており、顔は口だけが異様に引き延ばされて嘴のようにも見える。後頭部からは針のような毛が伸びており、なんのつもりか手には管楽器のようなものを持っている。暗闇の中で一匹が楽器に口をつけると、耳を擽るような奇妙な調べがその場に響き渡った。
「なんだ、この音……」
「あ、あれ。なんか、瞼が重たく……」
途端に、仲間達の行動が変調を来す。アトラスは頭を抱えるようにして、仲間の位置も把握せずに危なっかしく武器を振り回し、シオンはトロンと目を虚ろにふらふらとする。うっかりアトラスの刃がシオンを切りつけそうになるのを見て取り、ヌルスは慌てて彼女を触手で引き倒した。
「くっそ、何らかの精神干渉か!? クリーグ、何をしてる!」
「い、いや、ちょっと待ってくれ、あと少しで火が……」
「そんな事してる場合か!? こっちもか……アトソン!」
クリーグもどうやら術の影響を受けているらしいと見て取ったヌルスは、最後の頼りと言わんばかりにアトソンに声をかけた。それに、しっかりとした返事が返ってくる。
「大丈夫です、ヌルスさん! 『光よ、偽りの闇を払え』!!」
ホーリー・ライティング。邪悪を払う、祈りの光が闇を払拭する。
その光に照らされて、奇怪な怪物達の姿が露になる。と同時に、怪しげな動きをしていたアトラス達もはっと我に返った。
この機を逃さず、ヌルスは号令を飛ばした。
「今だ、仕留めろ!」
「っ! おおおおっ!!」
アトラスが一気呵成に切りかかり、一匹を切り倒す。残り二匹は、ヌルスが魔術を連射し、その後を追うように飛び掛かった。雷と火、二種類の魔術の連射で一匹が打ち倒され、最後の魔物は黒の槍で真っ二つに引き裂かれた。
がらがら、と音を立てて床に楽器が転がる。
途端に、ぼっ、と松明が激しく燃え上がり、闇に光が戻った。
「おわっ!? ……あ、あれ。俺何してたんだ?」
「厄介な魔物だったな……」
きょとんとするクリーグに苦笑しつつ、アトラスは灰へと還っていく魔物の躯に目を向けた。怪物の瘦身は忽ち燃え尽き、傍らの楽器も朽ちて鉄片になる。本来なら戦利品として徴収すべき結晶も鉄片も、今はとても拾う気になれない。何か触ったら呪われそうだ。
「遠い悪夢の呼び手、夢魔の一種に似ています。これもまた、悪魔の一種を原型としたのでしょう。あるいは、本に語られる夢魔こそが、こういった魔素から生まれた悪魔を元にしたのかもしれませんが」
「流石。博識だな」
とりあえず、インプとでも呼ぶ事にしよう。実に厄介な魔物であった。肉体的にはそう頑強ではなかったものの、楽器の音色でこちらの精神をかき乱してくる。単純に物理的な強さを突き詰めたと思われる赤い悪魔とは対照的だ。
ちらり、とヌルスは燃え盛る松明に目を向ける。
「松明が消えたのもあいつらの仕業か?」
「その見込みは高いな。いくらなんでも消え方が不自然だった。逆に言えば、奴らが近づいてきたら松明が消える、という見方もできるが」
「事前察知できるという事でもあるけど、単純にクソ厄介なだけじゃねえか。俺達、暗闇の中なんか見通せねえぞ……まあ、全く問題ない奴がいるから、助かったけど」
仲間達の視線が集まるのを感じて、ヌルスはふんす、と満足気に鼻を鳴らした。
「まかせろ。わかっていればどうという事はない。奴らの音色も私には効果が無いしな」
「いやはや、実に頼もしい事です。私にも効かなかったのは恐らく職業柄でしょうが、暗闇の中ではいかんせん……」
アトソンがニコニコと微笑む。そうだろうそうだろう、もっと褒めてくれ、とヌルスは胸を逸らした。と、その頭を、シオンがよしよしと撫でる。
「良い子、良い子」
「……シオン? だからな、私を小さい子扱いするのは頼むからやめてくれないか……?」
「はははは。しかし、思わぬピンチだったな。この先もこういう事があると考えると、このあたりで一度休んでおくべきか?」
アトラスの提案に、仲間達も異論はないようだ。
勿論ヌルスも。
普通であれば、迷宮のど真ん中で休憩など、魔物に襲撃してくれといっているようなものだ。極力階層の隅っことか、比較的安全な場所を探して休息するのが常識だ。
だが、この階層は、冒険者の認識によって道が作られる、すなわち、周辺にしか道がない。動かなければ、周辺は塞がれたままで、そこに当然悪魔たちは出てこれない。
遭遇した魔物を全滅させた場所から一歩も動かなければ、そこは安全地帯も同じだ。
勿論、完全な確証はないので、最低限の警戒は必要だが……。
「そうだな。では交代で見張りをしよう。まずは私とアトラスで見張り、その間に他の三人は休憩を。それが終わったら、私とクリーグで……」
「いやヌルスさんも休みなさいよ。最初にアトラス、次にクリーグ、持ち回りでいいでしょ」
「え?」
呆れたようなシオンの突っ込みに、ヌルスは首を傾げた。
「い、いや、私は魔物だからな。人間よりはタフだし、闇の中でも見通せる。私が極力長く起きて、見張りに回るのは当然……あ、そっか。私を一人にしたら心配か? そうだな、裏切るつもりはないが、君達の精神的には……なんだ? 何故そんな目を向ける?」
「ヌルスさん……」
心底呆れ切った視線をシオンに向けられて、ヌルスは困惑した。
助けを求めて視線を彷徨わせると、他のメンバーも同じような視線を向けてくる。今回ばかりはアトラスまで敵に回り、ヌルスはちょっと半べそになった。
「今回ばかりは言わせてもらうよ。……ヌルスさん、アホなのかい?」
「え? ええ?」
「生後一年未満のガキが気を使ってんじゃねえぞ、いいから寝てろ! 大体魔物つったって体はアルテイシアなんだろ、女子供が意地はってるんじゃねえ。シオン、つれてけ!」
クリーグに槍を取り上げられ、肩を掴まれて強制連行されるヌルス。
連れていかれた壁際では、手早くアトソンが毛布を床にしいて、シオンがおいでおいでをしている。どん、と背中を押されるようにしてつんのめったヌルスを、シオンが素早くきゃっち、ホールド、抱きしめたまま別の毛布で包み込む。
「はい確保ー。大人しく休みなさい」
「え、ええー?」
有無を言わせず抱きこまれたヌルスは脱出を試みてじたばたするが、シオンのホールドはびくともしない。さっきクリーグを締め上げた時も思ったが、どうにも彼女、関節技の類が得意らしい。魔物相手には全く役に立たないはずの特技なのだが。
「いいからいいから、ヌルスさんは休んでくれ。それとも、私達が信用ならないかい?」
「そ、そんな事はない。わ、わかった。今回は、ご厚意に与る事にする」
にっこりと、しかし有無を言わせぬ凄みのある顔をするアトラスにちょっとびびりつつ、ヌルスはこくこくと頷いた。
実際、多少疲労が溜まっていたのも事実なのだ。やたらと凸凹したこの階層の地面は、ずっと歩いているとそれなりに疲れる。
ヌルスが堪忍したのを見て取って、アトラスは周囲の監視に戻った。クリーグが手早く携帯椅子を取り出して組み立てる横で、予備の松明を用意している。
「ところで、その、シオン? 抵抗しないので、そろそろ解放してくれると助かるんだが……」
「おっと」
ようやく戒めが解かれる。自由になった体をもぞもぞと動かして、ヌルスはふぅ、とため息をついた。
「アルテイシアもそうだったが。君達人間は、なんで魔物の私にこう……過保護なんだ? 生後数か月というのがそれだけ変か?」
「それもあるけど……単純にヌルスさん、割と抜けていて心配になるっていうか」
「抜けてる!?」
がびーん、とショックを受けるヌルス。自分ではそういうつもりは全くなかっただけにショックも強い。そして彼らがそういう理由だという事は、似たような対応をしていたアルテイシアにもそう思われていたという事になるのではないか。
二重の意味でショックである。
「抜けてる……ぬけてる……」
「あらら。そんなにショック受けないの」
ぎゅぅ、とシオンが強く抱きしめてくる。自分より体温の高い彼女の躰と、奥でとくとく鳴る心音を感じ取って、なんだかヌルスはあったかい気持ちになった。同時に、自分の躰は……アルテイシアの躰は、彼女にどう感じられているのかが気になる。
「その……シオン、変じゃないか? 冷たくないか? 死体みたいだったりしないか?」
「んー? まあ、多少ひんやりするけど、個人差でしょう。何、気になる?」
「気になるというか……アルテイシアの躰がちゃんと維持できてるかは気になって。迷宮には、人間の死体が魔物化したのも存在する。彼女の躰がそうなってるだけなのではないかと、不安になる事もあってな……」
正直、ヌルスは人間の肉体構造をまるで理解していない。そもそも魔物には、複雑な内部構造など無いのだからなおさらの事だ。
そんな魔物が、人間の肉体を維持できているか心配になるのは当然と言えよう。
「別に変じゃないと思うけど。敢えて言うなら、あんまり魔力結晶馬鹿食いするのはやめた方がいい。元に戻った後、お腹からじゃらじゃら結晶が出てきたら病気と勘違いされるかも」
「そ、そうなのか!?」
「冗談。真に受けない」
しゅん、とヌルスは肩を落とした。シオンは悪戯っぽく笑って、つんつん、とヌルスの頬を突いた。
「ねえ。話してよ、アルテイシアさんの事。彼女と仲良くやってたんでしょ? 聞きたいな?」
「そんな事を聞いてどうするんだ?」
「ヌルスさんはもう私達の仲間でしょ。その仲間が、命を懸けて助けたいと思ってる人の事、知りたいと思うのはおかしいかしら。確かに私達もアルテイシアさんとは知り合いだったけど、あくまでたくさんいる冒険者仲間の一人、って感じだったからね。ヌルスさんから見て、どう彼女が特別だったのか、聞いてみたいな」
駄目かしら、と問いかけてくるシオンは、あくまで純粋な好奇心によるものだ。
その瞳を覗き込んでいたヌルスは、ふとあの霧に包まれた宴会場の事を思い出した。
現世に残せなかった者達が、互いに語り明かす場所。消えていく自分の事を、誰かにせめて覚えていて欲しいと。
「そうだな、それも、悪くはないか。……私が、アルテイシアと出会ったのは、4層での事だ。当時、私はまだ未熟な触手魔物でな。人目を忍んで、うろつきまわっていたんだ……」
そして、ヌルスは彼女との思い出話を、シオンに語り聞かせた。
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