第百十九話 胎動


 ソレは、久方ぶりに永い眠りから目を覚ました。


 意識を向けると、待ち望んでいた物はあと少しではあるものの、未だ完成には至らない様子。


 それならば何故、自分が目覚めたのか。


 確認をすると、放棄した研究室の一つに、何者かが侵入したという警告。これが自分の意識を覚醒させたようだ、と理解すると、ソレは少しばかり興味を惹かれた。


『ホホゥ……?』


 魔導球を手繰り寄せ、魔力を同調させる。たちまち、球の表面に、研究室の様子が浮かび上がった。


 ぐにゃりと魚眼レンズのように歪んだ映像が浮かび上がる。とっくに放棄され朽ちた室内に、侵入する人間の姿が確かにある。


 どうやって入り込んだのか。あの研究室は、階層の生体防壁で封鎖したはずだ。よほど魔力の操作に長けているか、あるいは超越級の魔眼でもなければ、迷宮の一部ともいえるあの外壁を開く事はできないはずだが。いや、そもそも、どうやって研究室の存在に気が付いたのか。


 闖入者は、何やらボロボロの恰好をした若い女のようだった。服は血が滲んでおり損傷が激しく、一瞬魔物化した死体がうろつきまわっているのかと思ったほどである。しかし見た所服の下に覗く肌には傷一つない。その矛盾に関心を引かれ、ソレは観察を続行する。


 女の容姿はかなり整っている。細いが均整の取れた肢体、先端が金色で、根本に近づくにつれて銀色にグラディーションのかかる長髪。瞳は怪しい赤紫色で、肌は病的なまでに白い。


 まるで美しく怪しげな妖精のようだ。


 と。


 生体サンプルを物色していた女が、弾かれたように振り返った。戦闘態勢を取るその視線は、まっすぐ魔導球に向けられている。


 信じられない事だが、こちらの気配を察したらしい。さらに驚くべき事に、その女の体からは、明らかに人間にはない器官が生えてきていた。


 触手だ。


 ピンク色の触手が数本、女の腕に絡みつくように伸びている。まるで武器のように構えられているその様子から、それらの触手が女の完全な制御下にある事は間違いない。


『……ホゥ!』


 これまでのなによりも、その様子がソレの関心を引いた。目を奪われたといってもいい。


『コレハコレハ……』


 小さく笑いながら、魔導球の稼働を停止させる。


 こちらの気配に気づいた以上、ずっと見られていてはあちらも落ち着かないだろう。


 ……研究室には、いざという時侵入者もろとも全てを消し去る仕掛けがある。しかし、ソレはその仕掛けを作動させない事を決めた。


 あの部屋にはいくつか品が残してある。予備の装束や、予備の杖。ソレにとっては何の価値もないガラクタに過ぎないが、あの侵入者には何よりも必要なモノだろう。


 思う存分、部屋を調べるとよい。それによって何かに気が付くかもしれないが、それでよい。


 ちらり、とソレは残された時間を確認し、軽く脳内でスケジュールを確認した。あの侵入者が順調に迷宮を攻略し、最下層まで降りてくるとしたら……。


 想定された展開の奇跡的な噛み合いに、ソレは笑みを浮かべる。


『オモシロイ。コレモ運命トイウヤツカナ?』


 す、と手元に他のいくつかの魔導球を呼び寄せる。これらは、迷宮の魔物の視界と同調する事ができる。これを通せば、あの闖入者の行動を観察する事が出来るだろう。


 ただ退屈に時間を潰すだけのつもりが、思わぬ余興に巡り合えた。


 闇の中で、クックッとソレは愉快そうに笑う。




◆◆


「いやあ、助かった助かった」


 襟元を調整しながら、ヌルスは衣装の着こなしを確認していた。


 保管庫には、いくつかの物品が残されていた。その中に、アルテイシアの体でも着れるような衣服があったのは、まさに僥倖だったといえる。


 保管されていたのは、銀色のシンプルな衣装とローブ。フリーサイズという奴だろうか、男物のそれはあきらかにサイズが大きかったが、なんとかならない訳でもない。何故かやたらと在庫があった革ベルトを体に巻き付けてズレないように固定し、そのままだとみっともないのでローブで隠す。


 そうすれば、とりあえずは冒険者に遭遇しても白眼視されない程度の装いにはなった。


 また手に入ったのも衣服だけではない。


「おまけにこんなのもあったしな」


 金属製の杖を手に、ヌルスは薄く微笑んだ。長さは1mほど。銀色の円柱の先には、クリップのような機構がありそこに魔力結晶を組み込めるようになっている。エジニアス式とは違った意味で工業的なデザインの杖だ。構造的にはニコライ式の運用を想定しているようだが。


「変な研究をしているから大体想像はついたが、やはりここも魔術師絡みか。……しかし」


 むぅ、とヌルスは顎に指をやって思索にふけった。


 ヌルスにとって魔術師の拠点といえば、以前利用していた隠れ家が代表的なイメージだ。アルテイシアの体から抜け出せない今、あの狭い通風孔を遡って隠れ家に戻る事はできないが、この隠し研究室と何か繋がりはあるのだろうか。


 どちらも、迷宮内部にあるはずのない施設、という意味では共通点があるように思えるが……。


「今の所は何とも言えないな。早合点が過ぎる」


 少なくとも、こちらの研究室には持ち主につながる資料の類は残されていない。何か違法な研究をしていたのならおかしな話ではないが、そういう方向で筋が通ってしまうと少し不安になってくる。


 興味が沸いてくる。が、それをヌルスは敢えて押し殺した。最重視されるべきは、アルテイシアの肉体の維持だ。ヌルス個人の欲求や要望など、今は必要ない。


「気にはなるが、どうでもいい事だ。私の全ては、アルテイシアのために消費すべきで、他は必要ない」


 気持ちを切り替え、ヌルスは割れた筒の破片を鏡代わりにして身だしなみを再度チェックした。


 しかしこうして気が付いたが、結構肉体の見た目が変化している。


 髪の色が変わっていたのは気が付いていたが、見れば目の色も違う。肌色も妙に白い。体格とかは全然変わっていないのだが、色が違うだけで別人のような印象を受ける。


「むぅ……。私が融合した結果か? これだと、アルテイシアを名乗るのは別の意味で無理があるな」


 勿論、ヌルスを名乗るのも論外である。この肉体はアルテイシアのもので、ヌルスという存在は彼女を救う為に死んだのだ。


 それにそんな心理的理由以外にも問題がある。


 一応、鎧で正体を隠していたから、この姿でヌルスを名乗っても知り合いは理解してくれるかもしれない。が、ヌルスの知り合いイコールアルテイシアの知り合いだ、そうなると逆に色は違うものの見た目がそっくりな事に追及されかねない。


「いっそ、偽名を新しく名乗るべきか? まあ、人間の冒険者と遭遇する事があったら、だが……」


 理想としてはこのまま冒険者に追いつかれる事なく最下層まで降りてしまいたいが、目的はあくまで迷宮踏破ではなく、どこかにあるかもしれない生存手段の探索だ。目的をはき違えてもいけない。


「……まあ、ここでたら、ればを煮込んでいてもしょうがない。結果は行動のみについてくる、だ」


 とりあえず、この研究室で得るべきものは全て得た。


 ヌルスは名残惜しさを切り捨て、7層の探索へと戻った。




「ギュギイィ!」


「っ!」


 炎の魔術を回避した長蟲が高速で突進してくる。それを身を捻り紙一重で回避したヌルスだが、視界の端には白いスライムを捉えたままだ。それが鋭く突き出してくる槍のような一撃を壁へ飛び上がって回避し、壁面を蹴って三角飛び。空中で身を捻って反転しつつ、素早く空中で触手を背中から広げる。ボルト系の魔術回路を構築すると同時に空気抵抗を得て落下速度を調整、眼下の魔物に狙いを定める。


 ファイアボルト。


 炎の一撃が、動きの鈍いスライムを焼き尽くす。


 一方で長蟲は相棒の死滅を気にすることなく、壁に駆け上がるとそのまま空中のヌルスへと飛び掛かってきた。


 その頭を、空中ヤクザキックで迎撃するヌルス。思ったより軽い手応えと共に長蟲が蹴り飛ばされ、ヌルスも反対側に反作用で大きく弾かれる。


 距離が出来た。床に降り立つなり、すかさず二発目のファイアボルト。狙いたがわず炎の矢は長蟲の頭を消し飛ばす。


 本物の長蟲は頭を吹き飛ばされたぐらいでは死なないと言うが、これは所詮魔物。頭を吹き飛ばされると忽ち活動を停止し、失った頭部から順次灰になって燃え尽きる。


 カラカラ、と転がる魔力結晶が戦いの終わりを告げた。


「ふぅ……」


 際どい所でなんとか無傷のうちに勝利を掴んだヌルスは、深く息を吐いて火照った体をクールダウンした。


 魔物との遭遇戦。


 魔眼があっても、完全ではない。注意して歩いていても、想定外の戦闘を完全に回避する事は困難だ。ちょうど、今のように。


 油断していた訳ではない。曲がり角を曲がる前に確認はした。が、少し離れていた所で争っていたはずの魔物が、もみ合ったままこちらまで転がってくるのは想定外だ。魔物の性質として、外敵を確認した場合本来の敵対関係は一時棚上げになり、外敵の排除が最優先となる。


 ヌルスは一応魔物ではあるが、今は人間と融合している。外敵としての優先度が高いのも納得できる話だ。


 そうして始まった戦いではあるが、なんとか勝利を掴む事が出来た。


「手傷は、無し。ちょっと息が上がったけど、違和感はない。……人間の体を動かすのにも慣れてきたな」


 正直言うと、思った以上に戦えていてビックリである。


 思えばアルテイシアは、アストラルセイバーを手に壁を駆け上ったり跳躍したり縦横無尽に魔物と切り結んでいた。魔術師というと運動が苦手なイメージがあるのだが、やはり天才はそういった常識の枠には収まらないらしい。人体力学に通じていないヌルスでもこれだけ動けるのだから、やはりものが違うのだろう。


 とはいえ、魔物の感覚で体を動かしていたら思わぬ無理をかけてしまう恐れもある。少しずつ動かし方が分かってきたとはいえ、慎重さを忘れてはいけない。特に、関節は決まった方向にしか曲がらないという事は、肝に銘じるべきだ。


「いやしかし、それはそれとして人間の体、なかなか興味深い」


 以前は、ヌルスは人間の事を脆弱で貧弱な動物だと思っていた。それこそ、最弱の魔物である触手以下だと。その最終結論は今も変わっていないが、その内約は変わりつつある。


 確かに人間は脆く、貧弱だ。だが見るべき所が無い訳ではない。


 特筆すべきは持久力だ。人間の体は、想像以上に連続して動き回る事が出来る。今の戦いとて、触手型魔物であった頃のヌルスであればどこかで動きが止まり、魔物の攻撃を受けていた。


 思えば、いつぞやのトレインを引き起こしたチンピラも、列を成して追いかけてくる魔物から逃げ切る事そのものはできていた。7層の魔物は中距離攻撃手段を持ち、単純な移動速度が速いため振り切れないが、それが無ければ同じことが出来るだろう。


 その秘密は、体のバランスにあるようだ。


 当初、この体で歩くのにヌルスは随分と苦労したが、それはひとえに人間の頭が大きく重い事にある。そのせいでバランスが悪く、内心なんでこんな造りをしているんだ、と思わずにはいられなかったが、それは逆に言うと力を使う事なく重心を移動できるという事である。人間の歩く、という動作は、絶え間なく倒れ続けるという事であるとこの体になってヌルスは知った。触手型魔物であった頃の移動という行為は、全ての触手を用いた全身運動であり体力をそれなりに消耗する行為であったが、人間は殆ど体力を使う事なく歩き続ける事が出来る。


 人間という生き物は、敢えてバランスの悪い肉体を得た事で、各種移動におけるコストを軽減している生き物である、という理解にヌルスは至った。


「人間の強みって、個体差の幅広さからくる環境適応能力と、それによって稼いだ個体数によって成した集積知、それと消耗戦への強さだと思ってたけど、単体で見ても結構色々、やれる生き物なんだなあ。それはそれとして、貧弱なのは変わらないけど」


 やはり人間というのは興味深い。まさか、その人間そのものと一体化する日が来るだなんて思いもしなかったが。


「とはいえこれは吉報だ。アルテイシアの体を守りながらこの7層を探索するのはかなり厳しいと思っていたが、これならなんとかやれそうだぞ」


 ヌルスは、展望が思ったよりも明るそうな事に、少しだけ頬を緩めた。




 なお。


 人間の肉体の不便さに彼女が苦しめられる事になるのは、ほんの僅か後の事である。






<作者からのコメント>

佐田 桃矢さん、miucciaさん、mankyさん、暮寝イドさん、tektektekさん、entoma0123さん、tg43hh5さん、shimijuderaさん、kojijunさん、Gura998さんレビューありがとうございます!






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