混線乱戦BBQ


「よっしお前ら! 焼け! そして食え!!」


 トングで肉を威嚇しながら、紡が叫ぶ。

 言っている端からお構いなしに肉を取り皿に迎えているのは、碧乃と刹那だ。この二人は相変わらず待てが出来ない。


「碧乃ちゃん、こっちも美味しそうだよお」

「ほんとだ。一緒に焼こう」


 マイペースに肉を焼く、音夢と碧乃。その横では、結月と美魚が野菜と魚を焼いている。砂羽は早速缶ビールを開けており、つまみにステーキを頬張っている。咲人は陽和に絡まれながらも、何だかんだ楽しんでいるのか、眉間の皺がいつもより浅い。水那子はノンアルコールサワーを片手に、伶桜の隣で賑やかな面々を眺めていた。

 建物前に設営されたテントは、金属棒の四つ足と白い布の三角屋根で構成された、至極簡素なものだ。どうもこれは会社の備品であるらしく、紡が経営する会社の一つ『白羊水産』の文字が屋根に刻まれている。此処だけ見ると地域イベントのよう。


「聡ちゃん、美魚ちゃんたちが捌いたお魚も食べるの」

「ん」


 美魚が差し出した魚を受け取ると、聡一郎は黙って口に運んだ。

 表情は然程変わらないが、雰囲気が何処か普段に比べて柔らかいように見える。


「聡ちゃんとせっちゃんとツムツムがテント作ってくれたお陰でちょっと涼しいの」

「……昼以降、日当たりが厳しいと思ったものですから」

「うんうん。そーゆーの美魚ちゃん気づけないから感謝なの。感謝の印に、おさしみあげるの」


 ニコニコと笑って言いながら、美魚は聡一郎の皿にカンパチの刺身を乗せた。皿の上が魚塗れになっても構わず、聡一郎は黙々と食べ進めている。


「碧乃ちゃん、しっかり食べてるかしらぁ?」

「食べてるよ。……ていうか、水那姉お酒臭い」

「んふふ。お姉さんもちょっとだけ飲んじゃった。海には入らないから大丈夫よ」

「当たり前だよ。ていうかおっぱい重い。頭に乗せないで」

「えぇー? しょうがないわねぇ」


 渋々といった様子で水那子が離れると、碧乃は溜息を一つ吐いてグラスに炭酸水を注いで押しつけた。冷却用の氷水バケツから出したばかりで、実に良く冷えている。


「お酒はもういいから、飲んで」

「はぁい」


 上機嫌にグラスを受け取り、水那子は炭酸水を飲み干す。よく冷えたそれはスッと火照った体に染みて、僅かばかり酔いを覚ましてくれた。


「ありがとねぇ。お礼にお姉さんがいいものあげちゃう」


 焼きたてのトウモロコシにバター醤油を塗ったものを碧乃の皿に乗せて、水那子はグラスを片手にふらりと去って行った。

 ご機嫌な水那子と入れ違いに、今度は砂羽が碧乃に近付いてきて皿を覗いた。


「お、碧乃も妖怪トウモロコシ配りの犠牲になったか」

「なにそれ?」


 半分ほど裸になったトウモロコシを囓りながら碧乃が訊ねると、砂羽は左手にあるトウモロコシの芯をぷらぷらさせて笑う。囓り始めが何処かわからないくらい綺麗に食べ尽くされているそれを見て、最初の一列だけはどうしてもボロボロにしてしまう碧乃は、いたく感心した。


「水那子が来たろ。アイツ酔って色んな奴の皿にトウモロコシ乗せて回ってんだよ。さっきは咲人が犠牲になってた。アイツじゃ一本丸ごとは食えねえだろうに」

「ご愁傷様だね。でもこれ美味しいよ」

「んまあ、ものはいいからな。音夢の実家の農場からだし。ああ、そうだ。もうすぐ塊ステーキが焼けるから、碧乃も食いてえならスタンバっとけよ」

「りょうかーい」


 去りゆく砂羽の背を見送りながら、音夢が「ふふっ」と笑い声を漏らす。その声は何処か擽ったそうで、碧乃は焼きもろこしを咥えたまま首を傾げた。


「うちのお野菜、褒められちゃったあ」

「音夢んちの作物美味しいもんね。お店で使ってる小麦とミルクもでしょ? 看板に産地直送ってあって、そりゃそうだよって思ったもん」


 音夢はパティシエールとして都内に店を持っている。可愛くデフォルメされた牛が目印の看板で、牧場直送の乳製品をメインに取り扱ったスイーツが人気の店だ。主に女性客が多く訪れ、碧乃が配信中のおやつにしたことからSNSで爆発的に広まり、映えを意識していない素朴な作りが却っていいと評判になっていた。


「そうだよお。碧乃ちゃんも涼しくなったら一度遊びにおいでねえ。ソフトクリームごちそうしたげるからねえ」

「えーマジ? 牧場のソフトクリームとか絶対美味しいやつじゃん。配信休みのとき行くからさ、空いてる日あとで送って」

「わかったあ」


 音夢と話しているあいだは、時間がゆっくり流れている気がする。いつも好奇心の赴くままに行動している碧乃だが、このときばかりは音夢の独特なおっとりペースで過ごすのも悪くないと思っていた。会話のペースは遅いが、無為に長引かせることはしない。興味が余所へ移った碧乃を引き留めることもしない。流れる風を見送って、そしてまた戻って来たときにゆったりとした時間を過ごさせてくれる。

 不動にして安定。大洋の中の無人島。荒れ地の止まり木。碧乃にとっての音夢は、まさしくそんな存在だった。


「お前ら! 肉が焼けたぞ! 喰いたい奴は取りに来い!!」


 太平洋の向こう岸にまで届きそうな良く通る声で、紡が叫んだ。拡声器など持ってくるまでもなく、彼に言わせればビーチの果てから果てまで声が飛ぶ。

 わあっと集まる皆に習って、碧乃も「取ってくるね」と音夢に告げて立ち上がる。音夢はにこにこと見送り、自身の皿に未だ残っている実家産の野菜に手をつけた。


「砂羽姉、お肉まだある?」

「おう、来たか。ちゃんと取ってあるよ」


 山賊の宴のような、巨大なかたまり肉を手頃な大きさに切り分け、碧乃の皿に一つ載せる。切り分けられた一切れの肉でさえ、一般的なステーキサイズはある。

 毎年のことながらこれが溶けるように消え、更に夕飯時には大鍋二杯分のカレーが瞬く間に消えるのだから、作る側も甲斐があるというもの。

 折りたたみ式のリゾートチェアに腰掛け、肉に齧り付く。立派な見た目に反して、前歯だけですんなり噛み切ることが出来るやわらかさと、鼻の奥に抜けるスパイスの香り。噛みしめるごとにじゅわりと口の中を満たす肉汁。繊維残りなどなくすんなり喉を通り抜けるこの上質な肉もまた、音夢の牧場が提供しているものだ。


 毎年恒例のサマーキャンプは、企画立案兼場所提供者の紡、食材の大半を用意してくれる音夢、そして業種も性質もバラバラな十二人のスケジュールを纏めて管理する咲人のお陰で実行出来ていると言っても過言ではない。特に咲人の役割は、地味且つ地道で、目立つものではない。ともすれば誰もその活躍に気付かないまま見過ごして仕舞いがちだ。

 そんな陰の功労者である咲人の傍に、ふらりと近付く影が一つ。

 気配に気付いた咲人が顔を上げると、影の主――陽和がひらりと手を振った。


「咲ちゃん、食べてる?」

「ちゃんと頂いていますよ」


 ベンチの隣に腰掛け、陽和は巨大なかたまり肉から切り出されたステーキを囓る。場所が場所なら、銀色に輝くナイフとフォークで小さく切り分けながら丁寧に食べていたであろうそれは、いまばかりは海賊アニメの宴会シーンのように豪快に貪られている。他のメンバーも同様に、口元がソースで汚れようともお構いなしだ。

 此処が家や店なら「お行儀が悪いですよ」と窘めていただろう咲人も、いまだけは目を瞑って元気な喧騒を眺めるに留めていた。


「そういや咲ちゃん、水那子ちゃんにもらったトウモロコシどうした?」

「聡一郎さんが半分受け取ってくれました。彼も一本もらったそうなんですが、もう少しほしかったそうで」

「なるほど、良かったじゃん」


 皿が空になった陽和が、徐に立ち上がる。それを視線だけで見上げながら、咲人が小さく「こういうとき、皆が羨ましくなりますね」と呟いた。


「特に碧乃ちゃんとかせっちゃん辺り? それとも音夢ちゃん?」

「いえ、其処までは……」


 真面目な咲人の返しに、陽和が小さく吹き出した。

 咲人は十二人の中でも一二を争うほどの小食である。このBBQでは新鮮で良質な食材が山と積まれるのだが、その恩恵を思うように得られないのは少し寂しいと常々思っていた。ぼやいたところで胃の容量が増えるわけでもないのに口にしてしまい、言ってからすぐに後悔した咲人だが、それを陽和が一言で吹き飛ばしてくれた。

 彼はいつもそうだった。その場のその人に一番適切な言葉をくれる。計算尽くだがそれを相手に悟らせない空気を纏って。


「まあでも気持ちはわかるよ。おれもこういうときだけでいいからお腹の容量が倍にならねえかなって思うし」

「陽和さんもですか?」

「うん。だって音夢ちゃんとこの食べ物全部美味いじゃん?」

「そうですね。あ、引き留めてしまってすみません。どうぞ、取ってきてください」

「ありがと、行ってくるよ」


 鼻歌を歌いながら、陽和がオーブンの元へ歩いて行く。

 その背を見送るついでに全体を見回してみると、いつの間にやら碧乃の姿がない。いつもなら気付いたらいなくなっているのは刹那のほうなのだが、刹那は上等な肉に夢中のようだ。

 他のメンバーに聞いてみたらわかるかも知れない。そう思い、輪の中心へ向かう。そんな咲人に、真っ先に気付いたのは伶桜だった。


「あら、どうしたの? なにか食べる?」

「いえ、碧乃さんの姿が見当たらないのでどうしたのかと」

「あの子なら店の奥の座敷で仮眠取ってるわよ。食べたら眠くなったんですって」

「なるほど」


 言われて店を覗いてみれば、確かに。テーブル席の向こうにある小上がりになった座敷で、二つ折りにした座布団を枕に眠る後ろ姿が見えた。


「伶桜姉、美魚ちゃんもちょっとおやすみしてくるの」

「わかったわ。夕方近くなったら一応起こすわね」

「はあい」


 美魚と手を繋いだ結月が、眠そうにしながら碧乃のいる座敷に消えていった。夏の強烈な日差しとテンションの高い仲間たちにずっと囲まれていると、疲れる気持ちは咲人にもわかる。


「あの子たちはまだまだ元気ね」


 伶桜の視線は、紡と刹那に注がれている。

 それにつられて咲人が視線の先を追うと、白いシャツをはためかせながら、何故かバーベキューの串を片手に勝ち鬨を上げている刹那と、反対に項垂れる紡がいた。

 ボタンを全て外したシャツの真ん中を縦断する鍛え上げられた肉体が眩しい。特に刹那は、人に見られる仕事をしている関係で専門家の指導を受けながら鍛えている。咲人も決してだらしのない体をしているわけではないが、しかし人目を意識した体と比べるとどうしても見劣りしてしまう。


「彼らはなにを?」


 憧憬と羨望を悟られないように、咲人は努めて普段通りを装って、伶桜に訊ねた。伶桜は頬杖をついたまま微笑ましそうに二人を眺めている。


「最後のお肉をかけたじゃんけん大会決勝だそうよ」


 エントリーは二名。予選にして決勝というわけだ。

 大喜びで肉に齧り付いていた刹那だったが、あまりにも紡が落ち込むものだから、武士の情けで一切れ口に放り込んでやっていた。

 それが、咲人一人なら食べきるのに一ヶ月以上かかりそうな巨大なかたまり肉の、最後の一口だった。


「もうあの塊が消えたんですか」

「早いわよねえ」


 食べ物がなくなり始めると、誰からともなく片付けを始める。

 準備のときこそ、料理の邪魔にならないよう――と好意的に解釈しておく――海へ駆けていった紡と刹那だが、片付けのときには率先して動いていた。彼らはあまりに大雑把が過ぎるため、料理のときは戦力外通告をされている。二人は弱火で三十分と書かれていると強火なら十分で済むと考えるタイプなのだ。

 それゆえ火の番さえ任されない二人だが、さすがに割れ物は慎重に扱える。音夢に渡された羊と弓矢のプリントが胸の真ん中に描かれた可愛らしいエプロンをつけて、長身をかがめながらシンクに立っている。

 グリルの焦げ付き、炭火の始末、串の本数確認、皿洗い以外にもやることは多い。手分けして片付けを終えた頃には、二時を回っていた。

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