婚約者は「愛してる」と言わない

月橋りら

第1話

侯爵令嬢へレネは、紅茶を一口飲み、ふぅとため息をついた。


彼女には、悩ましいことがある。

それは、婚約者が私を好いてくれないことーー。

彼女がそう思うのも無理はない。


だって、彼女の婚約者で公爵子息のリシェルは、彼女に「愛してる」と言ったことが一度もないのだから。


「…へレネ様。カップをお下げしましょう」

「え?…ああ、飲み終わっていたのね。お願い」


侍女であるリサが、いつのまにか空になっていたティーカップを下げる。


そして、飲み干したことにも気づかなかったへレネは、クッションをぎゅっと抱きしめてぼそっと呟いた。


「……いい加減、言って欲しいのに」



へレネが婚約したのはまだ10歳の頃。

2歳年上のリシェルが紹介されたとき、彼女は一目で恋に落ちた。


それから父に「お前の婚約者になる方だ」と言われ、どれほど舞い上がったことか。


それから、心の中では必死に愛を求めていた。


母は自分の護衛と駆け落ちし、行方不明だ。

それから父は心を痛めたが、それでもヘレネとその弟ルークのことを男手ひとつで育ててくれた。


だけど、へレネは寂しかった。


父は、跡取りとなるルークを優先させてしまい、へレネはいつも2番目。

姉なのに、と彼女は憤ったりもした。


侍女であるリサが心の拠り所で、それ以上にリシェルと一緒にいることが居場所だった。


リシェルは、ヘレネによく言ってくれた。


「今日も可愛らしいね」


だけど、ヘレネには分かっていた。

彼が、私を「一人の女」としてではなく「妹のような存在」としか見ていないということにーー。


たった、2歳差で。


婚約者の彼が、ヘレネに「好き」だとか「愛してる」とか、そういう愛の言葉を囁かないということ。これは、ヘレネにとって非常に悩ましくそして悲しい現実だった。



「今日もリシェル様をお待ちだわ」

「それもそうね、お二人は愛し合っているのだもの」


侍女たちが、窓から外を見つめる彼女の後ろ姿を見つけ、こそこそと噂している。

なんと、この家の侍女たちまで、「二人は愛し合っている」と思っているのだ。


けれど、本当は違うということを、ヘレネはよく理解している。


「ヘレネ様〜!リシェル様が、おいでになりましたっ!」


リサが勢いよく飛び込んできた時にはすでに、ヘレネは支度をだいたい終えていた。

もちろん、誰よりも早く窓から愛しの婚約者の姿を見つけたのだから。


「…流石、お早いですね」

「ふふっ」


リサももう、これが日常茶飯事なので、半分呆れている。


「さあ、待たせてはいけないわ」

「本当に健気ですね」

「別に、悪いことでもないでしょう」


ムッとして廊下を歩いていくと、ヘレネはリシェルが手を振っているのを見た。


「リシェル!」


思わず駆け寄ると、彼は優しく支えてくれた。


「こんにちは、ヘレネ」

「こんにちは!寂しかったわ、会えなくて」

「会えないって……ほんの二週間じゃないか」


いつもなら2日に1回ほどの頻度で来るのだが、今回はリシェルが王都まで行って騎士団の試験を受けてきたため、しばらく会えない日々が続いていたのだ。


「私にとっては長いのよ!」


ぷくっと頬を膨らませると、リシェルは少し笑いながら「はいはい」と流した。


「…で?どうだったの?」

「受かっていたよ」


するとヘレネは「本当!?」と手を合わせて顔を輝かせた。


「リシェルは流石ね」


ヘレネは、少し頬を染めながら婚約者を見つめる。

だけど、彼の視界に彼女はいなかった。


それがすごく悲しくて。


「リシェル。次はいつ会える?」

「うーん。そうだね、3日後なら会えるよ」

「本当!嬉しいわ、待ってるね」


お互い手を振りながらも、へレネは段々と感じていた。


このまま、婚約者でいいのか、とーー。


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