婚約者は「愛してる」と言わない
月橋りら
第1話
侯爵令嬢へレネは、紅茶を一口飲み、ふぅとため息をついた。
彼女には、悩ましいことがある。
それは、婚約者が私を好いてくれないことーー。
彼女がそう思うのも無理はない。
だって、彼女の婚約者で公爵子息のリシェルは、彼女に「愛してる」と言ったことが一度もないのだから。
「…へレネ様。カップをお下げしましょう」
「え?…ああ、飲み終わっていたのね。お願い」
侍女であるリサが、いつのまにか空になっていたティーカップを下げる。
そして、飲み干したことにも気づかなかったへレネは、クッションをぎゅっと抱きしめてぼそっと呟いた。
「……いい加減、言って欲しいのに」
◇
へレネが婚約したのはまだ10歳の頃。
2歳年上のリシェルが紹介されたとき、彼女は一目で恋に落ちた。
それから父に「お前の婚約者になる方だ」と言われ、どれほど舞い上がったことか。
それから、心の中では必死に愛を求めていた。
母は自分の護衛と駆け落ちし、行方不明だ。
それから父は心を痛めたが、それでもヘレネとその弟ルークのことを男手ひとつで育ててくれた。
だけど、へレネは寂しかった。
父は、跡取りとなるルークを優先させてしまい、へレネはいつも2番目。
姉なのに、と彼女は憤ったりもした。
侍女であるリサが心の拠り所で、それ以上にリシェルと一緒にいることが居場所だった。
リシェルは、ヘレネによく言ってくれた。
「今日も可愛らしいね」
だけど、ヘレネには分かっていた。
彼が、私を「一人の女」としてではなく「妹のような存在」としか見ていないということにーー。
たった、2歳差で。
婚約者の彼が、ヘレネに「好き」だとか「愛してる」とか、そういう愛の言葉を囁かないということ。これは、ヘレネにとって非常に悩ましくそして悲しい現実だった。
◇
「今日もリシェル様をお待ちだわ」
「それもそうね、お二人は愛し合っているのだもの」
侍女たちが、窓から外を見つめる彼女の後ろ姿を見つけ、こそこそと噂している。
なんと、この家の侍女たちまで、「二人は愛し合っている」と思っているのだ。
けれど、本当は違うということを、ヘレネはよく理解している。
「ヘレネ様〜!リシェル様が、おいでになりましたっ!」
リサが勢いよく飛び込んできた時にはすでに、ヘレネは支度をだいたい終えていた。
もちろん、誰よりも早く窓から愛しの婚約者の姿を見つけたのだから。
「…流石、お早いですね」
「ふふっ」
リサももう、これが日常茶飯事なので、半分呆れている。
「さあ、待たせてはいけないわ」
「本当に健気ですね」
「別に、悪いことでもないでしょう」
ムッとして廊下を歩いていくと、ヘレネはリシェルが手を振っているのを見た。
「リシェル!」
思わず駆け寄ると、彼は優しく支えてくれた。
「こんにちは、ヘレネ」
「こんにちは!寂しかったわ、会えなくて」
「会えないって……ほんの二週間じゃないか」
いつもなら2日に1回ほどの頻度で来るのだが、今回はリシェルが王都まで行って騎士団の試験を受けてきたため、しばらく会えない日々が続いていたのだ。
「私にとっては長いのよ!」
ぷくっと頬を膨らませると、リシェルは少し笑いながら「はいはい」と流した。
「…で?どうだったの?」
「受かっていたよ」
するとヘレネは「本当!?」と手を合わせて顔を輝かせた。
「リシェルは流石ね」
ヘレネは、少し頬を染めながら婚約者を見つめる。
だけど、彼の視界に彼女はいなかった。
それがすごく悲しくて。
「リシェル。次はいつ会える?」
「うーん。そうだね、3日後なら会えるよ」
「本当!嬉しいわ、待ってるね」
お互い手を振りながらも、へレネは段々と感じていた。
このまま、婚約者でいいのか、とーー。
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