第8話 過去を語る朝 ―Maria's Tale―

朝方、薄暮の部屋の中で寝ていると、マリアさんの声が静かに響き始めた。


「なんだか、話したくなっちゃった」


ベッドの中で横たわったまま、マリアさんが語り出す。俺は黙って聞いていた。


「私ね、昔は冒険者だったの。弓使いとしてかなり名の通った冒険者でね」


月明かりが、マリアさんの横顔を柔らかく照らしている。美しい。


「その時、婚約者がいたわ。あなたとよく似た魔法使い。優しくて、穏やかで...回復魔法が得意だった」


俺に似ていた...?マリアさんの声が懐かしそうに揺れる。


「両親は、街の裏通りで食堂を営んでいた。小さな店だったけど、私が冒険から帰るたびに、いつも温かい食事を用意してくれて...」


マリアさんは目を細めながら、思い出を紡いでいく。


「でもね、ただの食堂じゃなかったの。今じゃ考えられないけど...密かに魔物の肉を調理して、冒険者たちに力を与えていた」


その言葉に、俺の心臓が早鈍りを打った。まさか...。


「その頃は、もっと自由だったのよ。冒険者たちも、こっそり魔物の肉を求めて...今みたいに『邪教』なんて呼ばれることもなく」


月明かりに照らされたマリアさんの横顔が、どこか誇らしげだった。俺にはその気持ちが痛いほど分かる。


「私も、その力のおかげで強くなれた。婚約者と組んで、数々の討伐をこなして...幸せな日々だった」


一瞬の沈黙。俺は息を潜めて、続きを待った。


「でも、両親が病で倒れて...」


マリアさんの声が重くなる。胸が締め付けられる感じがした。


「最初は、冒険の合間に店を手伝おうとしたの。弟と交代で切り盛りして...でも、だんだん分かってきた。この店には、特別な意味があるって」


「特別な...?」


思わず声を出してしまう。


「ええ。単なる商売じゃない。困った人を助ける場所。力を必要とする人に、そっと手を差し伸べる...そんな場所」


マリアさんは少し体を起こし、窓の外を見やった。その横顔に、俺は言いようのない美しさを感じた。


「だから決めたの。冒険者を引退して、店を継ぐって。婚約者も『君の夢なら、僕も一緒に』って賛成してくれて」


柔らかな微笑みが、すぐに悲しみの色を帯びる。胸騒ぎがした。


「でも、それは叶わなかった。光耀神教会の一斉検挙が始まって...」


マリアさんの声が途切れる。俺は黙って、彼女の言葉を待った。


束の間の沈黙の後、再び語り始める。


「あれは...嵐の夜だった」


声が、かすかに震えているのが分かる。


「光耀神教会が、一斉検挙を始めた頃。魔物の肉を扱う店は、次々と摘発されていって...」


窓の外で木々が風に揺れる音がする。俺は思わずマリアさんの手を握りしめていた。


「でも、私たちは変わらなかった。困っている人を助けるのは、間違っていないって信じてたから」


深いため息。


「その日も、いつも通り店を開いてた。雨の中、一人の客が...」


マリアさんの左腕が、無意識に震えている。


「罠だったの。客を装った神官が、一斉に襲いかかってきて...」


月明かりに照らされた顔が、苦痛に歪んでいるのが見えた。


「婚約者が、必死に結界を張って。弟は店の裏口から、常連の客たちを逃がそうとして...」


言葉が詰まる。俺は黙って、マリアさんの手をそっと握り返した。


「火の魔法...神官たちは、容赦なく...」


月の光に、マリアさんの左腕の火傷痕が浮かび上がった。俺は思わず息を飲む。


「私は...婚約者を庇おうとして。でも、逆に庇われて...この火傷は、その時の」


マリアさんの頬を、一筋の涙が伝う。俺には何も言えない。


「弟も、婚約者も、私を守るように...目の前で...」


震える声。でも、マリアさんは語り続けた。俺は黙って、その手を握り締める。


「私も、その時死んだの。でも──」


「死んだ...?」


思わず声が出た。


「ええ。でも、生き返ったの。両親が遺してくれた秘蔵の食材、フェニックスの肉のおかげで」


「フェニックス...」


伝説の魔物。その肉には一度だけ、死から蘇る力があるという。


「一度だけ、死から蘇れる効果があるのよ。両親は『万が一の時のため』って...でも、私一人だけ...」


マリアさんの言葉が途切れ、静かな啜り泣きに変わる。俺は、ただ黙って手を握っていた。


「気がついた時には、ギルドの医務室だった。冒険者仲間が、燃え盛る店から私を見つけて...」


深いため息をつくマリアさん。俺も胸が締め付けられる。


「ギルドは私を保護してくれた。元冒険者として、料理の腕を買われて...今のギルドの食堂で働かせてもらえることになって」


「この家も...?」


「ええ。ギルドの関係者用の住居よ。表向きは光耀神教会に従順な料理人として...」


微かな自嘲の笑みを浮かべるマリアさんに、胸が痛んだ。


「でも、忘れてはいない。困った人の力になるって決意を」


マリアさんが俺の手を優しく握る。温かい。


「あなたが昨日、初めて命を奪って悩んでるのを見て...思い出したの。私たちの時代の過ちを、繰り返してほしくないって」


「マリアさん...」


「強くなるのはいい。でも、優しさは失わないで。焦らなくていい」


月の光が、俺たちを静かに照らしていた。


「私には守れなかった人たちがいる。だから...せめてあなたには、正しい道を歩んでほしいの」


マリアさんの手が、そっと俺の頭を撫でる。


「一歩ずつでいいの」


その言葉に、俺の目から涙が溢れた。まだ、自分がノクトゥルナ様の使徒だということは明かせない。でも、確かな絆を感じていた。


「ありがとうございます...」


「さあ、もう少し眠りましょう。朝まであと少しだけど」


マリアさんの温もりの中で、俺は静かに目を閉じた。


かつての食堂の記憶と、ギルドでの新しい生活。その全てを抱えながら、マリアさんは今も、誰かの力になろうとしている。


その強さに、俺は密かに誓った。

必ず、この人の信頼に応えようと。

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