第5話 Hallows’nightmareⅣ

「……どうしてそんなものがこの場所に」

「ハハハッ、んなこたぁ決まってるだろ。原因はアレだ」

 仁は空を見上げた。夜空にはすっかり紅に染まった月が浮遊していた。

「まさか……あの紅い月のせいだって言いたいの」

 首肯を返した仁に、悠月は戸惑いを隠せなかった。

「そんな、嘘だよ。あんな色を変えただけのモノが本当にこの世界を作ったって言うの!?」

「その通りだ」

「馬鹿げてるよ! 有り得ない。可笑しいよ。こんなのどうかしてる!」

「可笑しいか?」

「可笑しいよ。外界? なんだよそれ、この世界はゲームの中の話じゃないでしょう!? 僕たちは生きていて、死んだ人は死んだままだ。喪ったものはもう二度と返ってこない。それが〝この世界の常識〟でしょう!?」

 きっとこの真実を受け入れたくなかったのだろう。悠月は尽きぬ疑問に頭を抱えた。

 地を見る焦点は定まらない。頭が混乱してどうにかなりそうだ。

 だが、現実は時として残酷なまでに牙を向く。

 酷な話しではあるが、世界は得てして奇妙なモノである。道理は通らず、不条理がまかり通る。正義が悪となり悪が正義と成ることも往々にしてあるのがこの世の常なのだ。

「……悪いがこれが本当の〝真実〟だ」

「――ッ」

「コインに裏表があるように、オレたちの世界にも裏の顔があったってことさ」

「そんな」

「つくづく馬鹿げてるよな。可笑しいとはオレも思うさ。――けどな」

 仁は一度呼吸を整えて、しゃがみ込んでいる悠月に視線を合わせた。

 自分と同じ輝きを放つ極彩色の魔眼が弱々しくも力を得ている。逃れられぬ運命。これもまたサダメなのだと言い聞かせ、仁は悠月に自立を促した。

「自分の眼で視た真実くらいは受け入れろ。これが本当の世界の姿だ。闇の世界に生きる奴らは……いつでもオレたちの命を狙ってる。ずっと昔からだ。生き残るには戦うか、逃げるしかねぇんだよ」

「僕は……どうしたらいいの?」

「自分で考えろ。オマエはもう気づいてるはずだ。その力の使い道を」

「……ッ!!」

 言葉に詰まった。仁の言う事は理解できているつもりだ。〝闘争〟か。〝逃走〟か。どちらかを選べということなのだろう。

 けれど、選択肢はあるようでないのだ。この真実を知ってしまった以上、目を背けることは許されない。仁は暗に告げているのだ。戦えと。力ある者の責務として、戦うことで世界を護れと。

 しかし――

「わからない。わかんないよ! いきなり世界がどうだ、眼がなんだって言われたって、使い方も教えてもらってないのに答えなんて出るわけないよッ!!」

 気づけば悠月は、沸き立つ感情を父にぶつけていた。

「戦えって言ったって、僕は父さんみたいに強くはないんだ……戦えないよ」

「……それがオマエの選んだ答えか?」

 悠月は答えない。否、答えられるはずがなかった。これが父の望む答えでないことは、わかりきっていたからだ。

「確かにオマエの言う通りかもしれない。逃げるのは……アリだ。そりゃそうだわな。誰だって、戦うのは恐いさ。痛てぇし、悲しいこともあるし、謂れの無い文句だって言われる。ヒーローってわけじゃないんだ、自分の得にならないなら、無理に背負う必要だってねぇかもしんねぇな――やっぱり、オマエにはまだ過ぎた力だったか」

 仁は深い溜息を漏らしていた。

 一体どこで育て方を間違えたのか。この期に及んでこの体たらく。悠月の性格が優しいのは理解していたが、こうも悪い方に作用するとは。

 悠月には恵まれた才覚がある。それも、他の誰もが羨むような、生まれ持っての特異な能力だ。うまく使えばどんな困難であろうと道は切り開けるというのに。

『全く。とんだ忌み子を産んだものだな。戦士に足る資質は持ち合わせているというのに、まるで赤子のようではないか』

「……ッ!?」

 ――それはほんの僅かな隙だった。

 声は木霊のように彼方から聞こえてきた。幾重にもかけられた認識阻害の魔法は、その声質を特定させずに悠月たちの元へと届く。

 なればこそ、仁はすぐ後ろに現われた黒衣の怪物を察知することができなかった。

「後ろかッ!!」

『一手、遅かったな』

 死はなんの前触れもなく訪れた。

 ぞふり、と肉を穿たれたのは誰か。条件反射的に瞳を閉じた悠月には理解ができなかった。

「グっ、ごはぁッ!!」

「父、さん……?」

 頬を撫でた生温かい液体によって悠月は瞳を開いた。

 赤黒く、水のようでいて、人の体にはなくてはならないもの。命を繋ぐのに必要不可欠な鮮血の雨が、あろうことか仁の胸から溢れ出ていた。

「ッ、テメェ……なんで生きてやがる!」

 口元から血を零しても尚、仁は相変わらずの威勢で以って吼えていた。

 自分の身体から伸びる悪魔の手を掴まえて、決して逃しはしないと喰らいついていた。

『どうして? はて、何のことかな。此処では非常識こそが常識なのだろう。ならば、屠ったはずの我が生きていたとしても不思議ではないはずだが』

「ぐっ……亡霊如きが、ふざけやがってッ!!」

『ふざけてなどいないさ。こちらは大真面目だ。予想以上だったよ、多少の犠牲は覚悟していたが、まさか全て倒されるとはな。お陰で上の駒を使うしかなくなった』

「あぁそうかよ。そりゃあ……残念だったな!」

『フンッ!』

 黒衣の怪物は仁が太刀を抜くよりも早く、深く突き刺した自身の手を引き抜いた。

「がはぁッ!?」

 あまりの激痛に仁は表情を歪めた。

 奴の穿った手刀は仁の左の肺を貫き心臓の一部までを削り取っている。常人であれば即死であるはずの致命傷だが、仁は気力と魔法による加護で耐えていた。

『終わりだな、魔眼の担い手よ。永久に眠るがいい』

 悪魔より授かりし火種は奈落に堕ちた魂が残した未練や執着の塊だ。

 煉獄より生まれし炎はそう易々と消えるものではない。魔法使いであっても祓うことのできなかった怨念は、復讐を遂げる為に再びカタチを成していた。

「チッ……舐めんじゃねぇええええッ!」

 極彩色の魔眼に更なる力が宿る。

 白刃が再び黒衣の怪物へと牙を向いた。だが、仁の攻撃は先に経験済みだ。万全の状態であればいざ知らず、深手を負った担い手が繰り出す剣技など高が知れていた。

「オレの攻撃が読まれてる!?」

『フフフッ、さっきの威勢はどうした。酷く衰えたな』

「ハッ、余計なお世話だ。んなことくれぇテメェに言われなくたって解ってる!」

 言うが否や、仁は一瞬で黒衣の怪物との間合いを詰めた。

 超至近距離戦闘。これならば間合いもへったくれもない。既に瀕死の状態ならば、死なば諸共、捨て身の死闘をすれば良いだけのことだ。

『ほう、思い切った作戦だ』

「そりゃどうも!」

 たちまちの内に両断された黒衣の怪物は抵抗することもなく地に落ちた。

 白い仮面から迸っていた赤橙色の闘気が失せていく。今度こそ決着だ。

「ハハッ、どんなもんだ。不覚を取ったってこのくれぇはまだヤれんだよッ!」

 吐き出された夥しいまでの鮮血を見て、悠月が動いた。

「父さん!!」

 駆け寄った悠月に抱かれるようにして、仁は力なく膝を折る。

「悪ぃな、ちょっとヘマしちまった」

「喋らないで! それよりも早く逃げないと。今度は本当に殺されるよ」

「まぁ、できりゃあ苦労はしねぇがなぁ……どうやらお相手さんは見逃す気はないらしい」

 ――二人の前に絶望が舞い降りた。

 ポツポツと辺りに灯っていく煉獄の炎はその規模を拡大させていく。

 新たな種火は新たな依り代となり、新たな命を宿してまた新たな受肉を果たす。

 四面楚歌。多勢に無勢。退路を断つようにして黒衣の怪物は依然として其処に居た。

『残念だよ。鷲宮仁。どうやらお前にはこれ以上我々の進行を拒むことはできんらしい』

「……それは、どうかな。生憎とこっちはまだ諦めてないんでね」

「駄目だよ父さん、これ以上は無茶だ!」

 仁は、悠月の必死な呼びかけを完全に無視していた。

 力なく明滅する極彩色の魔眼は、未だに黒衣の怪物を捉えてはいるものの、その瞳に宿る闘志はあといくばくかの余力も残されてはいなかった。

『戯言を。今更何ができる。生き恥を晒すくらいなら清く果てたらどうだ』

「だったら早く殺しに来いよ……ご丁寧に距離取っといてよく言うぜ。おかげで、謎が解けたぜ」

『なに?』

「時間をかけ過ぎたな、亡霊。いや……魔法使いって呼んだ方がいいか」

 僅かに、黒衣の怪物がたじろいだ。刹那の沈黙が仁の発言を正解であると肯定していた。

『――やはり、お前を先に殺しておいて正解だったな。賞賛を受け取れ。その洞察力、見事なものだ。これほどの魔眼の使い手は二人といるまい。だが残念だ。その真実は誰にも伝わることはない』

「ははは……アッハッハッハッハッハ!!」

 絶望的な状況であるにも関わらず、仁は嗤った。

 絶体絶命の窮地にあるというのに、その様子は何処か余裕さえ窺えた。

『なにが可笑しい』

「オマエ、大事なことを忘れてるよ。魔眼を扱えるのはオレだけじゃない。ここにもいるだろうがよォ」

 力なく抱かれていただけの仁が、最後の力を振り絞って息子を抱きしめる。

 血染めの手が悠月の頬に優しく触れた。

「なぁ、悠月。あの時の約束を覚えているか?」

「やく、そく……?」

「あぁ。遠い昔にした、オレとの約束だ」

 仁の魔眼が力強く色彩を露わにする。呼応するように悠月の魔眼も一際に強い異彩を放った。

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