第5話 Hallows’nightmareⅡ

 駅前の広場に辿り着くと、辺りはすっかり賑わいを見せていた。

 月を見上げる者や杯を交わしあう者。色事に耽る男女など、皆、違いはあれど一様に今宵のイベントを楽しんでいるようである。

「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……ッ!!」

 むしろ、この場においては悠月の方が異質な存在であった。壁に手をついて息を荒げるその姿は、さながら狼男のソレだ。仮装をしていればまだしも、この様子ではおよそイベントを愉しんでいるとは言い難い。一人だけ鬼気迫る形相を浮かべているともなれば、行き交う人々も不安になるだろう。

 見上げた双眸が月の全容を視る。

 極彩色の瞳は眼としての機能を超越して数瞬先の未来を視ていた。

 嘆きが、悲鳴が、音のない映像となって映し出される。本能が告げていた。もはや、羞恥に躊躇っている時間など残されてはいなかった。

「みんな……っ、逃げろおおおォォオオオオオッ!!」

 地に両膝を着いた姿は、神に祈りを捧げる聖職者のソレだった。

 周りにいる人々が訝しむような視線を向けてきた。当然だ、傍から見れば狂人のソレなのだから。

「くすくす。あのぉ~……なにやってんスか、大丈夫ですかぁ?」

 見かねた通行人が哀れんだ表情で尋ねてきた。

 誰も異変には気づいていないらしい。

 ――二十二時。世界に漆黒の帳が堕ちし時、幽世からの来訪者は忽然と姿を現した。

「……た……す……け……ッ、コフ――ッ」

 死の悲鳴はすぐそこで上がっていた。

 いつから其処に居たのか。広場の一角に、腹部を裂かれた女性が頽れていた。

 恐らく喉に血を詰まらせているのだろう。必死に懇願し助けを求めているが、群集心理とは恐ろしいものでこの異常事態もまた、何かの演出だろうと思っているおめでたい輩がいるようだ。ほどなくして、これがハロウィンの余興などではなく、本物の死に瀕した人間であることを知ると、群集は一斉に怯え始めた。

「お、おい! これ、本物だ。本当の人間だぞ!! おい誰か……誰か救急車を頼む!」

 男性の一人が、勇敢にも死に瀕した女性に駆け寄った。

「酷い出血だ。腹を割かれてる。骨も何本か……待ってろ、いま、なんとかするから」

 なんと滑稽なことか。それを皮切りにして、密集していた人たちが分断されていく。

 面白がる者、取り乱す者、逃げる者、声を荒げる者、恐怖に怯える者。

 あらゆる感情が詰め込まれたこの瞬間を〝奴ら〟は決して見逃しはしなかった。

 ビルの屋上にナニかが群れを成していた。

 奴らは一様に表情を笑みで固めた白い仮面と総身を揺らめく黒で纏っていた。仮面から迸る濃い赤橙色はランタンの灯りを連想させ、さながら提灯の怪人を彷彿とさせた。

 奴らは、階下で蠢く餌に目標を定めると一斉に身を投げ出した。

 いち早く奴らの狙いに気付いた悠月は、声を荒げて吼えた。

「それは罠だ! 構わずに逃げろッ!!」

 そう、これは奴らが仕込んだ人を陥れるための罠。虫が甘い蜜に吸い寄せられるように、人もまた興味をそそられるモノには盲目的になる。背後に迫る脅威などお構い無しに。

「――ッ!!」

 だが、願いは届かない。正気を失った群衆に悠月の言葉は呆気なく掻き消される。

 次に目の当たりにしたのは、人の命が簡単に摘み取られていく凄惨たる光景だった。

 あまりにも一瞬の出来事だった。視覚外からの強襲は過たず人々の命脈を断っていた。

 これは果たして現実か。奴らは刈り取ったばかりの獲物の生き血を啜り飲んでいる。群がり肉を突く姿はさながら鴉のようだった。

「なんて、ことを……ッ!!」

 逃げ惑う人々の様子を、悠月はただ跪いて諦観していた。未曾有の災害がこの街で起こる。魔女の予言は本当だったのだ。

 ――奴らの滾る双眸が悠月を捉えた。

 血を啜った奴らの仮面は真紅に染まっていた。皮を裂き、肉を抉った指先には肉片がこびりついている。恐怖の象徴は足音も立てずに一歩、また一歩と距離を詰めてきた。

「ッ……次は僕の番だって言うのか……くっ、冗談じゃない!」

 そう思ってはいても、身体が言うことを聞いてくれない。

「逃げないと。でも、まだ玲愛が、ナオトだって外にいるのに……ッ!!」

 自分一人ならまだ良かった。この悪夢から背を向ければ或いは助かる望みはある。だが、家族はどうなる。この場所にいる友達はどうなるのだ。まさか、自分だけが尻尾を巻いて逃げ出すというのか。――否、そんなことは赦されるはずがなかった。

 無力感が重石となって悠月はその場にへたり込んだ。

 終わりだ。成す術など無い。いっそ清く死んでしまおうか。そうすれば、臆病者と後ろ指を差されて生き恥を晒すこともないだろう。

 奴らの影が目の前までやってきた。魔の手が伸びてくる。もはや逃げることは不可能だ。全てを諦めて瞳を閉じた時。

 皮膚を切り裂かれ、鮮血を散らし絶命したのは怪物の方だった。

「え?」

 一体何が起きたというのか。頬を濡らした鮮血が悠月を正気へと戻した。

 流れ出る血潮は自分のモノではない。腐ったような濃い緑色。どうやらこの怪物は人のようでいて、人ではない別のナニかだった。

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