第4話
その日の午後、リサは村を周り、薬草摘みの手伝いを頼んだ。難色を示した者はおらず、皆こころよく引き受けてくれた。
二日後の夕暮れ、約束どおり現れたユリウスは、薬を確認するとすぐに重たい袋を置いた。予想できたことだが、見れば、中には大金が詰まっている。
「……あの……ユリウス様ご自身の給金ではありませんよね?」
「先日の話をして俺が身銭を切るほど馬鹿に見えるか? 辺境伯から引き出したものだ。騎士団内でよく効くと評判になっていたお陰で高値で買い取らせることができた」
それならよかった。胸を撫で下ろし、他の人達が誤解しないうちにと仕事に応じて金を分ける。皆から口々に感謝されながら金を分配し終えた後、リサは、ユリウスが馬から降りたまま待っていたことに気が付いた。
「……あの、どうかなさいました?」
「いや。いい関係だと見ていただけだ」
「ええ、この村の方々は穏やかで優しくて、いい人ばっかりですから」
「それでも、人は変わると言っただろう」
親切や厚意を受け取っているうちに、それが当たり前になってしまうから。前回と同じで、妙にその点を強調するものだ。
「……ユリウス様にもご経験があったのですか?」
「いや。俺にはなかった」
本当だろうか? 訝しんだが、ユリウスは薬の袋を馬に積み始めながら「保管方法に制限はあるか」と誤魔化した。
「湿気の多いところにはおかず、あまり暑いところには保管しないようにしていただければ大丈夫です」
「そうか。次はいつ来ればいい」
「そうですね……毎日採っていては森も枯れてしまいますし……。ああいえ、でも、別の種類のものであればすぐに採集して薬にできますから――」
あれ、と喋っていてリサは戸惑った。
ユリウスのしたことは、自給自足生活のこの村に外部と取引できる仕事を与えるということだった。みんな、薬草摘みは喜んでやってくれたし、いまそこでもお金が入ったことに喜んでいる。だからユリウスが薬を買い取ってくれるのはこの村のためになる。
しかし、そうではなく、いまの自分は“ユリウス様がすぐ来てくれるように”と──自分は、村のためではなく自分がどうしたいかを考えたのではないか?
なぜそんなことを考えてしまったのか。リサは一人で戸惑いながら「でも、騎士団で必要になるものは痛み止めくらいで……」と言い訳をした。
「他の種類の薬は、必要ありませんよね……」
「それは物によるとしか言いようがないな。例えば、そうだな、質の悪い酒を飲んで次の日に使い物にならなくなる馬鹿もいる。そのときに――」
「それならトーリン草とスピナッチを混ぜたものを飲めば多少気分が良くなると思います!」
渡せる薬がある! 思わず身を乗り出してしまった後で、目を丸くしたユリウスを見て我に返った。
「す、すみません……つい……たまにカスパーさん――あの隻腕の方がこっそりお酒を飲むんですが、次の日に気分を悪くしたときにはそれを……お役に立てると意気込んでしまいまして……」
嘘だった。役に立てるなんて殊勝な気持ちはどこにもなかった。
ただ、ユリウスがここに来てくれる口実が欲しかった。
それにユリウスが気付くはずもない。そうか、と無愛想な顔を少し明るくするだけだ。
「それはあると助かるな。領主が欲しがるとは限らないから最初の薬ほど高値で買い取れるかは分からないが……」
「構いません、だって――」
ユリウスに会えるのなら、そう言いかけて慌てて飲みこんだ。
「……鎮痛の薬を高く買っていただけるのですから、滋養の薬は安くても、合わせれば適正な価格になりますでしょう? それで充分です」
「村の連中がそれでいいなら、こちら側が応じることに問題はない。労働力が余っていてそれを活用できるなら互いにいい関係になるが、金に目のくらんだ連中が働き過ぎないようには見張っておけ」
無茶をして体を壊さないように、と心配してくれているのだ。ユリウスの言葉の訳し方が分かってきたリサは、クスクスと笑ってしまった。ユリウスは怪訝な顔をしたが、特に問いただしはせずに馬に乗る。
「それで、結局何日後だ」
「あ、そうですね……また二日程度いただければ……」
明日も来てくれたらいいのに。そう思ったが、理由はなかった。ユリウスも「分かった、二日後だな」と頷いただけだった。
「ではまた来る」
リサは、きれいに手入れされた尾が揺れながら遠ざかるのをじっと見つめた。
ユリウス様も、用がなくても来てくれればいいのに。
その願いは、通じることはなかった。ユリウスは、薬を取りにきては次の予定を確認して帰り、また予定通りに薬を取りにくる、そんなことを繰り返すだけだった。まるで淡々と仕事をするように――いや、ユリウスにとっては仕事以上でもそれ以下でもないのだろう。
その代わり、ユリウスの態度は段々と柔らかくなった。最初の、言葉少なく誤解を招く言い方はあまり変わらないが、ものを投げるようなぶっきらぼうな口調ではなくなった。リサと話す時間も少し長くなり、村にいる他の女性さえ、ユリウスのいないところでは「騎士団長様はいい男ねえ」と噂するくらいになった。それを聞いたリサは、ユリウスが村に歓迎されて嬉しいような、ユリウスの良さを知っているのが自分だけでなくて寂しいような、複雑な気持ちになってしまった。
そんなある日、いつもの薬を取りにくる時間、蹄の音が違うことに気が付いた。あの黒いたてがみの馬が「相棒」なんだと聞いていたのに、馬が負傷でもしたのだろうか――そう訝しみながら扉を開けると、やってきたのはいつかの騎士の一人だった。
彼は、馬から降りるやいなや「リサさん、すみません」とぺこぺこ頭を下げた。
「自分はローマンと申します。いつぞやは大変ご無礼を失礼しました」
「いえ……お気になさらず……」
今日はユリウスは? 騎士団のほうで忙しいのか? それともその身に何かあったのか? 不安を浮かべると、ローマンが「騎士団長でしたら、別の土地に遠征中でして」と口にした。
「リサさんのもとへ行く約束があるから、帰りが間に合わなかったら代わりに行くようにと申し付けられていました。次に来る日も確認しておくようにと」
「そうでしたか……」
大事があったわけではない。せめてそれだけ聞ければ安心だ。リサは胸を撫で下ろしながら、しかし落胆しながら、用意しておいた薬を渡した。
「次はいつ参りましょう? 騎士団長からは大体三日置きと聞いておりますが」
「そうですね、いつもそのくらいで……」
曖昧な返事しかできなかったのは、“三日あればユリウスが帰ってくるだろうか”と考えたせいだった。
でも、この予定はなにもリサだけのものではない。もしユリウスが明後日までに帰ってくるとして、二日後には取りに来てくださいと言えば、薬草摘みを手伝っている村人は普段より働かなければならないかもしれないし、いつもより薬が少なければユリウスに調整を依頼しなければならなくなる。
自分の我儘で、周囲に迷惑をかけたくはない。悩んだ末「いつもどおりで、大丈夫です」と伝えた。
「承知しました。……しかし、リサさん、改めまして、初めてお会いしたときは大変ご迷惑をおかけいたしました」
薬を馬に積んだところで、ローマンは深々と頭を下げた。リサの頭はユリウスでいっぱいだったせいで、素直に困惑してしまう。
「ええと……何のことで……」
「……聖女がいるという噂を真に受けて、リサさんを無理矢理騎士団に連れて行こうとしたときのことです。その節は大変失礼しました」
「あ……ああ!」
そうだ、そういえば彼は自分を聖女だと決めつけて小屋にあがりこんだのだ。今となっては全く気にしていないことだったので、リサは本心で首を横に振る。
「いいえ、お気になさらず。お陰様でこうして薬を買い取ってもらえるようになり、村のみんなも少しずつ豊かになりましたから」
「そうですか……いえ、申し訳ないのですが、そう言っていただけると助かります。騎士団長に叱られてしまいました――」
ユリウスはあの場だけではなく、去った後も部下を指導してくれていたのか。そう知ったリサは頬を緩めてしまいそうになり「聖女なんていないのだから、と……」続きに言葉を失った。
そういえば、そうだった。ユリウスは親の仇とでもするような顔をして、聖女の存在を否定していた。だから、リサも最初は、ユリウスに対して少し壁を作ってしまっていた。
「……ユリウス様は、過去になにかあったのでしょうか? 例えば……、聖女に騙されたなど……」
言いながら喉が閉塞感に襲われる。ローマンは「いえ、そうは聞いておりませんが……」と首を横に振りながらも、そう言われてみればとでもいうように顎を指で挟んだ。
「あの方は、かつてご家族を亡くされたそうです。もしかすると、そのお方が聖女に救ってもらえなかったのかもしれませんね……」
ドク、と心臓が揺れた。リサの反応を勘違いしたのか、ローマンは「ご存知ないですか、少し前にいた聖女のお話を」と少し意気込んだ。
「もとは貴賤にかかわらず人を助けていたようですが、王家に召し上げられて以来、金のない者は相手にしなくなったそうです。贅沢な暮らしに慣れ、金に目がくらんだんでしょうね。騎士団長は貴族の生まれではあると噂がありますが、だからこそ謝礼金を吊り上げられでもしたのかも……」
黙り込んでいると、ローマンは「ああいや、これは無駄話を失礼」と軽く会釈し、帰り支度を始めた。
「では、三日後に改めて参ります。騎士団長がお戻りになったら伝えておきますので」
「……ありがとうございます。よろしくお願いします」
ユリウスは、早くに家族を亡くしていた。それ以外に確たる話は何もなかったが、聖女が治療を拒絶したせいで助からず、“聖女なんていない”と怒り、嫌っているというのも、有り得なくはない話だ。
この自分の話を聞いたら、ユリウスはどんな反応をするだろうか。
ローマンを見送りながら、リサの心には暗雲がたちこめていた。
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