第9話 デート 




 そして、約二週間後の秋分の日。



 イベント会場は少しへんぴな場所らしく、田沼さんからは「手配しとくから車で行こう」と、約束の時間にアパートの下で待つように言われていた。



 信じられない……

 初デートで初ドライブなんて……



 これは今日、本当に何かが起こるかもしれない!



 今か今かとアパートの前に立って待つ。

 どんな車で来るんだろう……



 右、左、右……と、目に入る車を忙しなくチェックしていると、除外していた一台の軽トラックが目の前で停まった。


 

 やけに高いホロには見慣れたロゴが印刷されている。これ、うちの会社のトラック……?そう気づいた瞬間、バンッ!と大きな音を立てて運転席から田沼さんが降りてきた。



「お待たせ。乗って」



 いつもの印象とはかなり違う。

 まず眼鏡をしていない。それに、当たり前だけど会社の制服じゃない。27歳の、シンプルだけど大人っぽくて女性らしい私服姿に、思わず声が上ずってしまった。



「はっ、はい!」


  

 それにしても、まさか会社の軽トラで来るとは……。てっきりレンタカーだと思っていた。色んな衝撃を受けつつ、助手席に乗り込む。



 田沼さんとデート出来るなら何も文句はないけど、こんなにも椅子が硬い車は初めてだった。まるでベニヤ板の上に座ってるみたいで、パイプイスのがまだマシなくらい。



「ちょっと恥ずかしいかもしれないけど、会社の車は社長がいつでも好きに使っていいって言ってくれてるから」 


「それは助かりますね!」



 想像のドライブデートとは違ったけど、お尻は痛いけど、それでも私は大満足だった。



 どんな車だろうが、ここには電車移動では絶対得られない二人だけの空間がある。いつも朝のわずかな時間しか二人の時間を味わえない私からしたら、指名だらけで全然席にいてくれないNo.1ギャバ嬢を独占してるようなものだ。



 軽トラに慣れてきて、運転席の田沼さんをようやくちゃんと見る。いつのまにか眼鏡をしている。運転する時はちゃんとかける真面目なところとか、そうゆうとこ好き……と密かに思う。



 気づかれないよう視線を少し下へ下ろした。そうなってしまうのも仕方がなかった。今日の田沼さんが胸元の少し広めに開いた服を着ているせいだ。



 谷間までは見えないけど、そこから何かが始まりそうなギリギリのところまでは見せてくる……。



 よく出来た映画の予告みたいに好奇心をつついてくる。祝日の真っ昼間から憎らしいくらい知らず知らずに欲望をかき乱させる……さすが田沼さんだ。



 一瞬、まさか私のため?と思ってしまったけどそんなことあるわけない。もしあるとすればぺこりんのためだけど、多分それもない。



 田沼さんは体を売りにするようなそんな下品な人じゃない。きっと気に入ったデザインの服を着てみたら、思ったより伸縮性があった素材と、自分では把握しきれてない胸のサイズのせいでそうなっちゃっただけだ。



 でもどうであれ、こんなレアな田沼さんの姿を見れて嬉しかった。エッチな格好のくせにいつも通り姿勢がいいところもそそってしまう。そして、これは完全に新情報だけど、田沼さん、異様に運転が上手!



 絶望的にクッション性のない座席に座っているにも関わらず、滑らかなハンドルさばきのおかげでだいぶ体への負担が軽減されている。なんと言っても赤信号で止まる時のスムーズさに、相手=私を思いやる田沼さんの見えない優しさを感じて心臓がきゅんとする……。



「田沼さん、運転お上手ですね」



 素直に思ったことを伝えると、珍しく田沼さんは自分のことを話し始めた。



「昔、教習所の先生になりたいって本気で思ったことがあるの」


「そうなんですか?!それまたどうして?」


「伊吹さんは教習所って通ったことある?」


「はい、地元で通ってました」


「教習所の先生って助手席から運転席のハンドルを片手で操って、S字カーブとか難しい駐車とか簡単にこなすでしょ?あの瞬間て、どんなにハゲて太ったおじさんでもちょっとかっこよく見えない?」


「確かに、あの一瞬はハゲを忘れてたかもしれないです」


「私も教習所の先生になれたらはたからそんなふうに見てもらえるかなって一時期憧れたの。……でも結局、運転が上手くてモテるのは男だけなんだよね。女が上手くてもほとんど意味ないだなって気づいてあきらめた」 



 そんなこと考えてたってことは、田沼さんは案外モテたい願望が強いんだろうか……?



 大好きなぺこりんのイベントに向かってるからか、今日の田沼さんは仕事の時よりだいぶ明るくて、自分のことも話してくれて、サービス精神も旺盛な気がする。



 いつもはぬりかべみたいな心の壁も、今日は金網かなあみみたいに風通しがいい。



 一時間半ほど下道を走り、着いた会場はイベント会場ではなくライブハウスそのものだった。



 勝手の分からない私は手慣れた田沼さんにひっついて受付を通り抜け、普段はロックなライブでもやっていそうな、落ち着かない地下の会場でイベントの始まりを待った。



 不定期で月に一度か二度と開催しているというイベントには、小さなライブハウスを埋め尽くすほどのぺこりんファンが集っていた。



 物販で買ったうちわやタオル、ぬいぐるみなどを片手に楽しそうなファンは、老若男女、本当に色んな人がいて、その層を見ていると会ったこともないぺこりんの人となりを感じた。



 いよいよぺこりんの登場五分前。

 会議室で使うようなテーブルとイスが置かれたステージを前に、田沼さんはどことなく緊張していた。

 うちわをぎゅっと握りしめてぺこりんを待つその姿にちょっと嫉妬して、思わず唇の端を軽く噛んだ時、真っ暗になった会場に歓喜の叫びが轟いた。



 カッ!と何かの機材の音がすると、それと同時にステージの上がまばゆく照らされた。



「みんな〜!!今日は満腹アイドルぺこりんのランチへようこそ〜!」



 まるでイリュージョンのように突然現れたのは、見たことない巨大なカツカレーと、その真ん前にスプーン片手に鎮座ちんざするぺこりんだった。



 不覚にも、恋敵こいがたきの生ぺこりんに感激を隠せなかった。言ってみれば自称アイドルのただの一般人なんだけど、あれだけ画面越しに見てた人をたりにすると、本物の芸能人に会っているような感覚になる。



 悔しいけど、あのお決まりのフレーズを生で聞いて、否応なしに私のテンションは爆上がりしている……。

 


「今日のお昼は5kgのカツカレーだよ〜!」



 カンッ!



 リングゴングの甲高い音が鳴ると、ぺこりんは「いっただきま〜す!」と早速カツカレーに勢いよくスプーンを差し込んだ。その瞬間、ステージ脇のデジタルタイマーが60分のカウントダウンを始めた。



 こんなにいきなり大食いスタートするの?!



 イベント初参加の私を置いてけぼりに、常連だらけの会場は応援するでもなく、食べ進めるぺこりんをただただ見守っている。

 司会者もおらず、いつもの動画の通りにぺこりんは食べながらトークを繰り広げ、一人ですべてを回していた。

 ライブにも強いぺこりんに、また別のポテンシャルの高さを感じて尊敬の念すら抱き始める。



 はっ!ぺこりんに魅入ってる場合じゃない!と、隣の田沼さんの方を見ると、いつのまにか再び眼鏡を外していた。やっぱりぺこりんを意識してるんだろうか?目をらんらんと輝かせ、息を飲むようにしてカツカレーをむさぼるぺこりんを見つめている。入り込みすぎて話しかけづらい……



 最後の10分を切ると、ラストスパートをかけるぺこりんへ次々に声援が飛び始めた。



「ぺっこりーーん!!」



 田沼さんが聞いたことのないボリュームで叫んだ。その声が届くとぺこりんのペースは更に上がり、それを見た田沼さんはうっとりとしていた。



 ファンの応援に応え、残り時間を1分残して、ぺこりんは見事5kgのカツカレーを見事たいらげた。



「はぁ〜い!今日もぺこりん、ぺろりと完食で〜す♪」


 

 空になった巨大な白いお皿をチャンピオンベルトのごとく頭上に掲げるあっぱれな姿に拍手をしていると、二の腕を軽くぺんぺんと叩かれ、田沼さんが私に話しかけてきた。



「伊吹さん!ぺこりんすごかったね!!」


「は……はい、すごかったですね」



 初めて田沼さんに触れられて、しかも靴下の時とはまた違う見たことのない無邪気な笑顔を自分だけに向けられて、拍手の手は自然と止まり、ときめきに胸撃ち抜かれていた。



 大食いコーナーが終わると、ぺこりんは素早い動きでテーブルセットを片付け、マイク片手にライブハウスのスタッフさんに何かの合図を出した。すると、大きなスピーカーからポップな音楽が流れ出した。



「一曲目は『恋の大食いチャレンジ!』行っくよ〜!!」



 元気よくステップを踏み、突如ぺこりんが知らない歌を歌い始める。



「えっ?!どうゆうこと……?!」


「完食した後はライブなの」


「そ、そうなんですか?!また斬新な……」



 異文化にあっけに取られていると、



「そろそろ行く?」



 と田沼さんから予期せぬ言葉が出てきた。



「え?……ぺこりんのライブ、見なくていいんですか?」


「伊吹さんが見たいなら見てってもいいけど、私は基本食べてるぺこりんにしか興味ないから」



 そ、そうなの?!

 でも確かに、さっきまであんなにのめり込んでステージを見つめてた田沼さんは、歌ってるぺこりんにはチラッとも視線を向けない。



 さすが田沼さん……クレイジー&ミステリー。どこまで見逃せない女なんだ……



「じゃあ、出ましょう!」



 そうして私たちは盛り上がる会場を後にした。





 





 





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