第2話「2人だけの秘密」



 君野と桜谷はその日の放課後、一緒に下校をし、商店街を歩いていた。


 桜谷の計画によって今も上機嫌な君野だが、

 隣の彼女は彼が見えないところで深く思い詰めた顔をしている。


 そう、今日お昼の時間に彼にキスしてしまったのだ。つまり、もう明日には彼の記憶が消えてしまう。


 桜谷はキスをして無駄になった日を


「捨て日(すてび)」と呼んでいる。


 その捨て日をする日は特別な時間が用意されている。


 桜谷はそのまま君野を自宅に招いた。


 君野は何も知らず、まだあどけない顔を扇風機のようにふる。

 桜谷の住宅展示場のモデルのようなおしゃれな家に興味津々だ。


「すごくおしゃれな家だね。桜谷さんっぽい!」


「ありがとう。」


 そのまま黒い、デザイン重視の階段を登っていく2人。二階に登ると、まるでマンションの廊下の一部を切り取ったような廊下があり、二つの黒いドアが並んでいる。


 奥の部屋には–RURIKO-と書かれた、手紙くらいのドア看板がそのドアにかかっていて、

 君野を引き連れた桜谷がそのドアの前に到着した。


 

 ガチャ


 とドアノブを下ろすと

 そこには年頃の女の子とは思えないシンプルだがおしゃれな部屋が広がっていた。


 そして左側にはサーフボードを子供用にしたようなサイズの、月をイメージしたおしゃれな大きな鏡が壁にかけられている。


「入って。」


 桜谷は先に君野を部屋の中へ通す。真ん中には大きなベットがあり

 窓側には木を基調としたデスクがある


 照明はトイレットペーパーのような黒の筒状のライトが3つ、ベットに向かってついている。

 またも君野は目線をうろちょろさせ、ドーム型の水族館の魚を追いかけるように夢中になっている。


 その後ろで桜谷は突然、長い、一つにした三つ編みを結っていた髪のゴムとメガネを外し、いつもとは違う姿を見せる。


 はらりとゴムが落ちるのに対しメガネはカチャンと絨毯の上へ。黒髪は流れるように重力に負けてさらさらと桜谷のほおや手首を撫でる

 七夕にゆれる短冊のようにシャンプーのいい匂いが広がるそして目の前にいる君野に抱きついた。


「ど、どうしたの?」


 顔を紅潮させ、君野はその大胆な行動に、首一つ動かせず体を硬直させる。

 しかし、体に広がるのは女の子独特のいい匂いと柔らかな体温。リュック越しでそれが伝わってくる。


「私、あなたと昔のように戻りたいの。」


 桜谷の言葉に君野は首を傾げた。


「昔のことなんて、事故のせいでほとんど覚えてないけど、僕たちは昔から仲良かったの?」


 桜谷は穏やかに微笑んで、君野の手を握った。


「大丈夫。きっと思い出すわ。」


 君野の耳に囁かれる甘い声。

 全身に電気が走るように心臓がバクバクと

 シンバルを持つ猿のおもちゃが狂ったかのように激しく手のシンバルを叩いているようだ。


「わ!?」


 ドサッ


 君野はそのまま後ろからの重みで前のベットに倒れ込んだ。慌てて体を起こそうと前にむけた瞬間、桜谷がそこに覆い被さり、彼の二つの手に彼女の細く白い手が絡みついた。


 恋人繋ぎに封じられた君野の両手は、力を吸い取られてしまったかのように抵抗できない。

すると白く絡みついた指は、君野の手を掴み、桜谷はそのまま君野の胸に体を密着させた。


「桜谷さん…!?」


「戻りましょう。あの頃みたいに…」


 桜谷はそう言って目を瞑った。





……



 小さな女の子と男の子はベッドの中で仲良さげに話している。


 お互いに口元に人差し指を当て、

 親がこの部屋にくるのを待ち構え、いたずらしようと息を殺している。

  

 その時間はとても甘くて、

 心の中に安心感と暖かさが心臓から体内に広がり

 毛布にくるまるような安心感を与えてくれる。


 この時間が、私を癒してくれる。彼と私しかいない世界がこの下で広がっていたんだから…




 ドンドンドンドン!!!


「出して!!桜谷さん!!!!


 桜谷はベッドにほおをつけていたが、そのけたたましい音で目を覚ました。

 現実に戻った彼女は、ベッドの中から叩かれる切羽詰まった振動に一度は目を覚ますも、再び虚ろな目をさせる。


「僕閉所恐怖症なんだ!お願い!!出してよ…!!!手品って言ったよね!?閉じ込めるなんて聞いてない!!」


 泣きそうな声とベッドの板を叩く音がその下から聞こえてくる。

 棺桶のように、一人分のスペースしかないベッドの下に閉じ込められた君野。

 手足を縛られ、暗闇と狭い空間に恐怖を感じ、君野はパニックになりながら叫んだ。


 だが、桜谷は冷静に彼の苦痛に耳を傾けるだけで、丁寧にベッドメイキングした柔らかなマットの上で、何も反応しない時間が続いた。


 


数時間後


 ようやくベッドの蓋が開けられると、君野は疲れ果てていた。真っ赤に腫れた手を抱え、恐怖と混乱で表情を失った彼を、桜谷は上半身をおこしてあげてベットの囲いの中で体育座りをさせた。


「あ!君野くん、指毛が生えてきたのね。」


 と、真っ青な顔の彼を心配することもせず、

まるでおもちゃを見つけたかのような口調で言い、机の上のピンセットで君野の毛を引き抜き始める。


「痛いよ…!」


 と抵抗しようとする君野。だが、手足が縛られたままではどうすることもできなかった。


「君野くんには体毛なんて必要ないわ。だって思い出に雑草が生えたみたいでしょ。」


 桜谷は楽しげにそう言うと、さらに毛を抜かれるたびに体をびくつかせる君野を尻目に毛をむしり続けた。







 翌朝


 いつもの通学路で出会った君野は、桜谷に何事もなかったかのように笑顔を浮かべていた。


「僕、桜谷さんの彼氏なの?嬉しいよ!僕、一人ぼっちだと思ってたから…」







 それから1週間


 二人は、まるで普通の恋人同士のように見えた。今も2人はクラスから浮いていても気にしないほどランランで手を繋いで廊下を歩く。


 


何度もリセットして君野くんの好感度は今の所100%。キスなんかしなくても、私たちは愛し合える。


 桜谷は屈託なく笑顔を向ける君野の横顔を女神のように微笑んで眺める。


「本当にありがとう…僕、桜谷さんがいなかったら学校行けてない。本当に大好きだよ。」


 君野は誰もいない階段の踊り場は到着すると、彼女の手を引いて立ち止まり、顔を赤らめて告白した。


「そんなことないわ。私なんか何もしてない。君野くんは頑張ってるわ。」


 桜谷が微笑んで返事をする。


「…。」


 君野は俯き、唇にきゅっとシワを寄せている。

なにか思い詰めた様子に、桜谷が油断してその顔を覗き込んだ。


 その刹那


「っ!?」


君野は桜谷の唇に、流れるようにキスした。

時間が止まったようだ。廊下にある大きな窓からは午前の日差しがキラキラと差し込む。 


そして少しばかり長いキスの後

君野は桜谷から唇を離した。


 ごくっと唾を飲み込み


「あ、あ、愛してます…。これからもよろしくね…!」


 と、君野が顔を上げた瞬間だった。



「何すんのよ!!!!」


 バチン!!!!!


 次の瞬間、君野は頬を叩かれ後ろに倒れこんでいた。


「うぐっ…!!」


 後ろに倒れた君野は、その状況が理解できず立ち上がれずに床をみながら頬を抑えている。


「なんでキスするのよ!!今までの努力が全部無駄になっちゃったじゃない!!!!」


 桜谷の怖い顔が君野をくわんばかりに顔面スレスレに近づく。

 その迫力に君野は泣きじゃくり、やがて大粒の涙を流して謝罪した。


「ごめんね…勝手にキスしてごめん…」


「今度勝手にキ…!」


 桜谷は気づいた。

 

まって

恋人にキスされるのは普通のことじゃない?


 途端に怖い顔が絶望的な顔に変わる。

 まるで真っ白なだけの世界に小さな自分がぽつんといるような、 

 えもいわれぬ恐怖と絶望感が心臓から脳みそからみぞおちから

 墨のような黒のモヤモヤが、じわじわと内臓や目の前を真っ黒に染めていく


そこには、憧れだったはずの彼が、足元にイモムシのようにすがりついている。


「僕、いま桜谷さんがいなくなったら本当にひとりぼっちになっちゃう…」


 土下座するように、君野は桜谷の黒タイツの足に縋り付いた。 


 



私が見たかったのは

 こんな彼だったのかな。


 泣きたい…私も泣きたい。

 なんでキスしたら好きな人から私の記憶が消えてしまうの?


こんなの 


 悪魔になるしかないじゃない



桜谷はその場に力なく崩れた。

そして泣いている君野の元へ四つん這いで近づき

優しく抱きしめた。


「君野くんごめんね。私と君野くんがキスすると、あなたは私の記憶がとんじゃうの。」


「ぐす…うう…どうして…?」


上目遣いの大きな目でそう問いかける

 泣きじゃくる君野を優しく抱きしめた彼女は、そう遠い目をして答えた。



「知らない…私、今のあなたのこと何も知らない。知らないし、知りたくもないのよ…。」


と虚ろな目で答えた。



 



2ヶ月前の4月


 新品の、黒いセーラー服の桜谷は教室の窓からサッカー部の練習を眺めていた。


 外では君野が巧みなボール捌きでゴールに華麗にボールをシュートし部員たちがそれに盛り上がっている。


「すごい…」


 桜谷はそう言って静かに手を叩いた。


 君野くんはチームの期待の星だった。


 サッカー選手も夢見てきたこの頃

 桜谷とは隣の席なのに接点がほとんどなく、

 彼は女子を警戒してるのかストイックにサッカーに取り組んでいた。 


 桜谷はどうにか彼と話せる機会を伺っていたが、

この日もいつも通り、教室の窓からサッカー部の練習風景を見つめていた。



「あ!!」


 君野は次の瞬間、校庭にあった小さい穴にハマり足を捻ってしまった。


「痛い!!痛いよ…!」


地面に倒れた君野は

右足を抑えピッチの真ん中で転がり、まもなく保健室に担ぎ込まれた。


それが、転機だった。

 



「はい。消しゴム落ちたよ。」


「ありがとう桜谷さん。いつもごめんね。」


1年2組の教室、桜谷はそう君野の足辺りに落ちた消しゴムを手渡しした。

君野はニコッと笑い、その右足には病院からもらった包帯をぐるぐるに巻き

その窓辺には松葉杖が置いてある。


捻挫だった。

しかし、そのおかげで隣の席である桜谷は当然のようにこうして、助ける機会が増えたのだった。


「君野くんって、もしかして掃除苦手?」


「あはは…バレた?」


君野のあからさまな汚い引き出しを指摘できたのは、

この頃だった。

2人はそれからだんだん仲睦まじく話すようになり、桜谷は君野を世話できることに、幸せすら感じていた。



「ねえ君野く…」


「君野!!!これみてくれよ!マロネイロのユニフォーム!!」


「あ!すごい!!!みせてみせて!」


君野の周りには、休み時間になるとサッカー部達が押し寄せる。

あの頃なら、彼に女子も数人恋をしていたかも知れない。


「あ…。」


桜谷はその盛り上がりの外。口をあわあわした後、閉じてしまう。


人気者だった。

そう簡単に授業中以外に話せないことに桜谷は歯がゆさを感じていた。





そうこうしているうちに、タイムリミットは近づいていた…



「え?明日からサッカーに復帰するの?」


「うん。2週間休んだからね。足もお医者がもう大丈夫って言ったから。」


 いつもの放課後、家が同じ方向の二人。

君野は桜谷にそう笑いながら答えた。



「あ、じゃあさ、私サッカー終わるまで待ってていいかな…。」


「え?あ…でも…僕サッカーに集中したいし…もう桜谷さんとは帰れない…。本当に今までありがとう!」


ドサッ


桜谷はスカートの前で持っていたスクールカバンをその場に落とした。

君野が驚いていると桜谷も地面に膝を付けて地面に顔を伏せた。



「どうして…。どうしてなの?」


「どうしてって、言われても…。」


「ねえお願い!私の家に来て!」


「え!?なんで?」


 桜谷は駄々をこねる子どものように、君野の右腕を掴んだ。

地面に引きずり込むような力に君野は途端に怖くなる。


「今日だけでいいの…最後に…」


その言葉に


「わかったよ…。」

 

と、君野は困惑しながらもその頼みを受け入れた。






「えぐ…ひぐ…。」


公園で、小学生の小さい髪の長い女の子が泣いている。

 

私はいつも一人。

と、6歳の少女の小さい胸の中はすでに絶望感いっぱいだった。


するとそこに、一人の男の子が近づいてきて彼女の背中をちょんちょんと指でつついた。


「どうして泣いてるの?この花、笑顔の君に似合うと思うんだ!」


すると、目の前に雑草の花束がいっぱいに広がった。

この公園で集めていたのだろうか、

泣いてばかりで気づかなかった。


彼はそう言って、花束の横から顔を出し、ニコッと微笑む。

その姿は、まるできれいな絵本の中の王子様だった。



 初恋だった。 

 いや、今もずっと恋してる。

 あの彼に今もずっと…


「僕、君野吉郎。名前は?確か今日同じクラスに転校してきた女の子だよね。」


「私、桜谷瑠璃子…。」


 

その時、絶望しか感じていなかった人生に、光がさした。









 ドンドンドンドン!!!


 その下からの突き上げる殴打音で現実に戻った。


「桜谷さん出してよ!!!なんでベッドに閉じ込めるの!?マジックをするって言ったよね!閉じ込めるなんて聞いてないよ!!閉所恐怖症なんだよ僕!」


 ベットの中からぐぐもった声が聞こえる。桜谷の部屋には先ほど縋り付いて招待した君野くんのリュックと私のバッグやメガネ、髪のゴム紐が散らばっている


 ドンドンドン!!!


 そんな音も振動も気にせず、私は黒いセーラー服と長い髪の毛ををゆらゆらさせながら寝ていたベッドの木板をなぞる。


「ここは私のタイムカプセル…。」


 もう1人しか入れないけど、

 ここに彼を入れれば昔の彼に戻る気がして。

公園での出会いから、この家で彼とよく遊んでいたのを思い出す。


母親の気を引きたいといった私に、君野くんがベッドの下に入ってみて驚かしてみようと言ったのだ。



しかし

「僕覚えてないよ!!桜谷さんと小学生の頃出会ったとか、桜谷さんが転校するまで恋人同士だったとか、この中でキスしたことなんて…!!」


泣きそうな声で彼が言う。

そんなことない。そんなことないはずなの。

だって、ステキな思い出だったんだから。


「思い出せるはずよ…。頑張って君野くん…。」


 そうよ。 

 この中でキスしたの。

 あなたが


 取り返しのつかないことをしたのよ。




「うわあああああ!!!!!」


 君野ベッドの中で叫び声を上げると、サッカーで培われた脚力で気づいたら木板と桜谷は宙に浮いていた


 必死にキックして脱出。

 桜谷が体を起こして近くに落ちた木板をどかす間に

 君野は木の囲いから這いずり出て、芋虫になって必死に部屋のドアを開けて外に脱出した。


「足も縛っておけばよかった…!!!」


 桜谷が部屋の外を覗いた時に、君野は手を縛られながら目の前の一階を見渡せる欄干に体をカタツムリのようにのぼっていた。


「君野くん!!ダメ!」


 パニックになった彼は、そのまま欄干に足をかけそのまま一階へ体を投げた。


 

桜谷は手を伸ばしたまま硬直する。彼が消えた瞬間、血の気が引いていくのを感じた。  


ガシャン!!!!!


と派手な音が真下で聞こえた。



君野は2階から転落し、一階のダイニングのガラステーブルに背面から落ちて真っ二つにしガラスを粉々にしたようだ。



 欄干から下を覗くと

 君野くんは粉々になったガラスの上で頭から血を流している。

だが意識はあるようだ。


「う…」


 と、意識朦朧で目を開けた。


 気がつくと目の前には長い髪を垂らし、こちらを見下ろす桜谷の姿が。

まるでホラー映画のように直ぐ側で立って微笑している。


タイツを破ろうが皮膚に刺さろうか構わずに、床に膝をついて彼の顔をのぞいた。

とても血が目に入ってあけにくそうだと冷静に思った。


  

 なんて愛おしいんだろう。


「サッカーなんていらないわ。君野くんは私だけのもの。」


その頬をやさしく撫でる。

抵抗する力もなく、虚ろな目で半口で息をする君野。


「大好きよ。あなたは私だけのものになるの。」


髪の毛に君野の血が付着しながら桜谷は

そのまま震える君野の唇にキスをした。

  

「私はあなただけの女神になる。」



続く。

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