第31話 君に伝えたいこと

 羽田空港の到着ロビーに着いた僕はその姿を見つけるとスーツケースがあることも忘れて駆け足で彼女の元へと向かった。


 「ただいま、夢咲」

 「長旅お疲れさまでした」


 やっぱり夢咲の顔を見ると安心する。

 この出張の中で自分の気持ちをよりはっきりと自覚したつもりだったけど、こうして目の前にいる彼女を見てそれが間違っていなかったと改めて確信した。


 僕の出張は日数にすればたった三日だが、連絡したい時に連絡ができなかったもどかしさと、夢咲自ら空港まで来てくれたことに対する喜びで、僕の気持ちはもう最高潮に達している。でもここでこの気持ちが漏れてしまうのもそれはそれで恥ずかしいし、僕の方にだって色々と準備や段取りは必要だ。


 僕は夢咲をそのまま抱きしめてしまいたくなる気持ちを抑えてなんとか平静を装った。


 「それにしてもよくこの飛行機だってわかったな」

 「一体誰が先輩の航空券の支払処理をしたと思ってるんですか?」


 そういえば夢咲はうちの会社の経理部だった。


 「でもまだ定時過ぎたばっかりでしょ? どうやって来たの?」

 「それはその……」

 「その?」

 「……先輩が心配だったからフレックスで早めに上がってきたんですー!」


 夢咲はやや赤らんだ頬を膨らませながら僕の方に一歩寄ってきた。

  

 (ち、近い……)


 彼女の綺麗な瞳が僕を下から見つめてくる。

 ドキドキと安らぎという相反する感情を揺り起こす彼女のその香りに思わず目の前にある小さな頭を撫でてしまいたくなりそうだ。


 「先輩、LiMOライモの既読も返信も全然ないからすごく心配だったんですよ?」

 「え?」


 僕は解除し忘れていた機内モードをオフにするとスマホにどんどん通知が届く。

 その中に夢咲からのLiMOが何件か入っている。



 《先輩、出張はどうですか?》

 《お土産待ってますねー!》


 《先輩、食べ過ぎ飲みすぎで体調崩してないですか?》


 《先輩、大丈夫ですか?》

 《やっぱり忙しいですか?》


 《不在着信》


 《不在着信》



 「LiMOで連絡くれてたんだね……」

 「そうですよ。本当に心配だったんですからね?」


 僕からだけでなく夢咲からも連絡をくれてたなんて。

 それに心なしか瞳がいつもより潤んでいるように見える。


 「夢咲、ありがとう」

 「そ、そんなしみじみと言わなくてもいいですよ」

 「だって僕も夢咲に連絡しようとしてたから、なんか嬉しくて」

 「え、そうなんですか!? でも私のところには連絡届いてないですよ?」

 「僕も忘れてたんだけど、中国ってLiMO使えないんだよ」


 「え……そうなんですか?」


 夢咲はみるみるうちに耳が赤くなっていく。


 「……なんで先に言ってくれないんですか! 知ってたらあんなに連投しなかったですよー!」


 そういえば初めてのデートの時もこうして夢咲が心配してメッセージとか電話してくれたっけ。「勝手に死なれたら嫌です」って。


 でもね、夢咲。それならもう心配いらないよ。

 僕はもう死にたいなんて思っていないから。


 「ごめんって。僕も向こうに行ってから思い出したんだよ」

 「もー。わかりましたよ。その代わり晩ご飯付き合ってくださいよ?」

 「わかったよ。それに今日は金曜日だから僕もそのつもりだったし」

 「ありがとうございます! さすが先輩ですねっ」


 こうして僕が応えられる範囲の罪滅ぼしを用意してくれて、それをいつも笑顔で喜んでくれるのが夢咲らしく優しくて僕は大好きだ。


 「じゃあ今日は折角だし空港の中でなにか食べてくか」

 「はいっ!」

 

 僕らは出発ロビーのフロアへと移動すると目についた洋食屋へと入った。


*


 「それで先輩、出張の方はどうでしたか?」

 「おかげさまでバッチリだったよ」

 「ほんとですか? ならよかったです!」


 夢咲はハンバーグに入れたナイフの動きを止めて僕に笑顔を向けてくれる。


 「うん。ちゃんと監査も合格したし、お客さんとの関係も良くなって大成功って感じで、僕もだんだん仕事が楽しく思えてきたよ」

 「それはいいことですね」

 「これも夢咲のおかげだよ。だから改めてお礼を言わせてほしい」

 「そんな、お礼なんていいですよ。実際に頑張ったのは先輩なんですから」


 「いや、本当にありがとう。今やっと僕の人生が上手く回ってきた気がするんだ」


 僕もハヤシライスを食べていたスプーンを一度皿の縁へと置く。



 「だからこれからは死ぬためじゃなくて、成長するために頑張っていきたい。夢咲に心配をかけないような人間になりたいと思ってる」



 まだ僕の中にある特別な感情を伝えるのには早すぎる。

 だけどそれに向けて頑張りたい、夢咲と並んで歩ける人間になりたいということくらいはきちんと伝えておきたかった。


 これからはマイナスに向けてではなく、プラスに向けて頑張りたい。


 僕はただそれを彼女に伝えておきたかった。


 「そう、なんですね」


 それを聞いた夢咲は嬉しいとも悲しいとも似つかない表情をしていた。

 

 「夢咲は僕が前向きに頑張るのはやっぱり間違ってると思う?」


 「いえ、そんなことはありません。屋上で話した時にも言った通り、私は先輩にむしろ生きててほしいと思ってるんですから」


 「それにしてはあんまり嬉しくなさそうだったから」


 「すみません。ちょっとこれまでのことを思い出して勝手に感慨深くなってました。先輩、本当に変わりましたね」


 その言葉の通り、気づけば夢咲の頬には一粒の涙が伝っていた。


 「何度も言うけど、これは夢咲のおかげなんだよ。僕は君のおかげでこうして立ち直ることができた。だから感謝してもしきれないよ」


 「もう。先輩ってば、私が褒められ慣れてないの知ってて言ってますよね?」


 「ち、違うよ。本当にそう思ったから……」


 「でもそんな頑張った先輩にはご褒美をあげないとですね!」


 ご褒美? もしかしてまた頭を撫でてくれるのだろうか?

 それとももっと凄い何か——



 「先輩、水着で一緒に温泉に入りましょうっ!」



 (それ、ただのリスケになってたやつじゃん!!)


 こうして僕の風邪のせいで保留になっていた夢咲との水着温泉デートの日程が一ヶ月後に決まった。

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