中編 獣人の旦那様ともふもふの息子
「長旅お疲れ様。グラッサーグへようこそ」
馬車に揺られて一週間。やっと着いたのは広大な敷地内にあるお城だった。 華やかな庭園に大きなお城は、これだけで財力が存分にあるのを感じるのに十分だった。
手を差し出してくれたのは、黒い瞳に黒い髪が美しい青年だった。頭からは黒いピンと立った大きい耳が生えていて、よくできたコスプレみたいだ。
「さあ、お手をどうぞ」
「あ。ありがとうございます」
従属国からの嫁入りだという事態にしては、対応がとても優しい。獣人を下に見ているうちの国の人とは大違いだ。
とはいえ、私は前世を思い出す前から特に獣人に対して嫌悪感もなかったし、今となっては可愛さしか感じない。
つやつやの毛は、前世実家に居た猫を思い出させた。
ちょっと、いや、かなりさわってみたい。
「私はこの国の王であるレイナルド・グラッサーグだ。これから、よろしくお願いするよ」
「陛下とは知らず、失礼いたしました。……私はフィリーナ・ラエネックです。よろしくお願いいたします」
……まさか王様が出迎えだなんて!
敵国に売られて来たとは思えない待遇に、私は目を瞬いた。
この一週間、馬車に揺られながら最悪の事ばかりを考えていた私は、寝不足のあまり幻覚を見ているのかと疑った。
「この耳や姿は珍しいか? ……フィリーナの国では獣人が居ないし、君の国での獣人の扱いは知っている。王命であるだろうから、なるべく君の希望には沿うようにしたいと思っている」
値踏みするように私を見る彼に、やはり警戒されているとわかった。しかし、その言葉の中には心配してくれているような優しさも感じる。
「そうですね。残念ながら私の国では偏見が蔓延っています。でも、私たちとあまり変わらない印象です。耳とかはやっぱりちゃんと作りものじゃなくて、不思議で、少し触ってみたい気がします……あっ」
ついうっかり本音を話しすぎてしまい慌てて口を押えると、レイナルドは目を見開いた後くはっと噴き出した。
「触りたいとは、面白い感想だ。……後で思う存分さわらせようか?」
ひとしきり笑った後、レイナルドはすっと私に近づき囁くように嘯いてくる。その声は低く甘やかで、自分の頬がカッと赤くなったのがわかった。
近すぎる! 急に色気が凄い!
「わわわ、大変不敬でした申し訳ありません大丈夫です! それに私はこれから結婚する身ですから、そんなに近付いたらいけないと思います!」
私が恥ずかしくなって訳が分からなことをまくしたててしまった。従属国がしていい態度ではない。
動揺する私の肩を、レイナルドがぽんぽんと優しく叩く。その瞳からは警戒心が消えていた。
「気にしないでくれ。……秘密だけれど、私は威厳がないってよく言われるんだ」
「まあ……ふふ」
私の失敗に怒るでもなく冗談にしてくれた。優しい。
こちらが彼の本当なのだろう。王がこの穏やかで優しい雰囲気なんてすごい。
うちの国の陛下も王太子であるテオフィールも、有無を言わせず命令するタイプだもんね……。
優しい上司とか、やっぱり全部幻覚かも……私、凄く疲れてるしな……。
今までとの違いに想いを馳せていると、レイナルドは不思議そうな顔で私の顔を覗き込んできた。
先程の事を思い出し、どきどきとしてしまう。
……純粋に心配してくれているのに! もう!
「大丈夫かな。やっぱり疲れているようだ」
「いえ、こんな風に出迎えていただいてとても光栄で……わっ」
話している途中に急にどしんとした衝撃をうけた。不思議に思って下を見ると、ぎゅうぎゅうと温かな塊が私の足に貼りついている。
「ママ!」
ぴょこんと私の半分にも満たない身長の小さい男の子が、私に抱き着いていた。
嬉しそうな顔で私を見る目は大きく、大人よりも毛がもじゃもじゃとしていてかなり犬に近い。
ふわふわで、もっこもこだ。銀色の毛並みは豪華で、あどけない笑顔が庇護欲を誘う。
可愛すぎる。動物と子供のいいとこどりかな?
「ママ、ママだ!」
可愛い声で、もう一度ぎゅっと足を抱きしめた。毛がふわふわとくっついて、くすぐったい。
「ねえ、可愛いさん。あなたは誰かしら」
「ぼくはリカランドだよ」
頭をなでると、金色の瞳を細めてぐりぐりと頭を擦り付けてくる。子供特有の湿った温かな体温が伝わってくる。
ううう、可愛い。レイナルドの弟だろうか。
「リカランドというのね。可愛いわね。どこから来たのかな?」
「ママに会いに来たよ」
「ふふふ、私はあなたのママじゃないわ。あなたのママはどこなのかしら?」
「ううん、ママなんだよ」
この子は誰なのかしら。
きょろきょろと周りを見ると、皆があからさまにほっとした雰囲気で私たちのことを見ていた。
なんだろう? ほほえましいとかじゃない感じ……。
レイナルドも驚いたように私の足に居るリカランドを見つめている。
「ねえ、ママ、好き!」
リカランドがそう言って笑うと、レイナルドは一瞬何故かぐしゃりと顔をゆがめ、そして、ふわりと笑った。
そのあまりに綺麗な笑みに、どきりとする。
「リカランド……ああ、良かった。この子はあなたの事がすごく気に入ったようだ。フィリーナ、リカランドは私の息子なんだ。可愛く思えてよかった……彼は君の息子にもなるから」
「あっ。私は第二夫人って事だったんですね!」
一夫一妻が染みついていたからこの可能性について全く考えていなかった!
そういう事だったのか。獣人の国だから珍しい人間の第二夫人が欲しかったのかもしれない。
「違う。どうしてそういう話になるんだ。それに私が相手では不満なのか?」
私が心の中で頷いていると、何故かぶすっとした顔でレイナルドが抗議してくる。その顔があまりにも子供っぽくて、最初の美しい印象とのギャップで笑ってしまう。
「いえ、私に不満などありません」
そうだ。もちろん婚約破棄されたばかりの悪役令嬢に選択肢などない。それに、意外だったけれど、彼との結婚自体は嫌でもない気がした。
「ちがうよママー」
リカランドもぴょんぴょんと飛んで否定する。
「何が違うの?」
「ママは、ママ一人だよ!」
私の手をぎゅっと握り、ママは私だけだと真剣に伝えてくる。
リカランドは私の事をママと呼んでいる。多分だけどこの子は四歳ぐらいだろう。普通なら自分のママが誰かわからないなんてことはないはずだ。
……ということは。
「死別の奥様がいらしたのですね。失礼しました」
「それも違う」
確実に正解だと思い謝ったけれど、そっけなく首を振られた。
「……難しすぎませんか? 正解をおしえてください」
「フィリーナはなかなかせっかちだな」
私が解けない問題に悔しい気持ちで居ると、レイナルドはくすくすと笑った。正解をすぐに教えてくれる気はなさそうだ。
「リカランド、こっちへおいで。立ち話じゃなくて、移動しよう」
「やだ。ママとははなれない」
「わがまま言わないんだよ。フィリーナは長旅で疲れているから、こっちへおいで」
「やーだー。レイナルドとはいかなーい」
「そこはパパじゃないんですね」
ぐぐぐっと私の足に捕まって抗議を示すリカランドを、私はそっと抱きあげた。
私の腕の中に納まったリカランドは、小さな両手でぎゅっと私の首につかまった。
苦しい。力がつよい。
「ちょっとこっちにしてね」
手を外して自分の腕をぽんぽんとすると、わかったというように腕をぎゅっと握った。
ううう、やっぱり可愛すぎる。
そんな私達のやり取りを、なんだか泣きそうな顔でレイナルドが見ている。
「ありがとう、フィリーナ。一緒に美味しいご飯でも食べながら話そう。この国の料理はなかなか美味しいと思う。君も同じように感じてくれるといいんだけど」
レイナルドから聞いた話はこうだった。
リカランドは王家に代々伝わる魔法陣の中に突然現れたらしい。
なので、レイナルドとリカランドは血のつながりがないどころかリカランドは精霊の類ではないかということだった。
「魔法陣から現れるのは神様からの贈り物という伝説だけれど、本当に見るとは思わなかった。おとぎ話のように聞かされていた話が、現実だったとは」
ため息をついて、レイナルドはお茶を飲んだ。
ふるまってくれた食事はとても豪華で美味しくて彼らの歓迎の気持ちを感じた。
リカランドは野菜を嫌がっていた。
「……それはなんというか、素晴らしいですね?」
膝の上でごろごろと転がっているリカランドは、見た目動物っぽいものの普通の子供と変わらなく思える。ふわふわの髪の毛に、ぷくぷくほっぺ。触ると吸い込まれそうに気持ちいい。
撫でると嬉しそうにくすくすと笑うのが可愛すぎる。
贈り物は天使だったのかな?
「書物によると王家の子供として育てなければいけないということだから、私の息子になったのだが……」
「みんなきらーい」
「この国にはリカランドが気に入る令嬢が居なかったのだ。……それで、ええと、タイミングが良かったから、藁にも縋る気持ちで」
最後は少し申し訳なさそうにしていたが、戦争の賠償をタイミングが良かっただなんてうちの国は本当に相手になってなかったんだなと思った。
しかし、私にとっては幸運だったともいえる。
「伝説の神様の贈り物がここにいて、こんなに可愛いだなんて」
「可愛くはあるが……もう結婚は無理かと諦めかかっていた」
「リカランドが気に入らないと結婚できない仕組みだったんですね」
だから皆もほっとした雰囲気だったんだ。
「そうなんだ。だから、フィリーナが来てくれて本当に良かった。正直リカランドが大丈夫なら誰でもいいと思っていたのに、こんな可愛くて面白い子が来てくれるとは思わなかった」
「私に面白要素ありました? ……ああもう、戦争の賠償に嫁が欲しいなんてどんな裏があるのかとすっごく悩みました」
「それは申し訳なかった。でも、リカランドの事は言うわけにはいかないんだよ。フィリーナの事は当然大事にするつもりだ。 ……リカランドが気に入らなかった場合は、返すつもりもあった。もう返さないけれど」
「ふふ。それなら良かったです。……今帰ってもきっと大変になってしまうところだったので」
婚約破棄が二回は大変な事だ。
父はああ言ってくれたものの、問題を起こした私は良くて一生家に居ることになるだろう。
……それに、今頃あの二人が正式な婚約者になっているはずだ。それを自分の目で見なくてはいけないのは、きっとつらかったから。
私がほっとして呟くと、レイナルドはぐっと私に近付いた。
「……それはどういう事?」
「え?」
「フィリーナが大変ってどういう事なの。ちゃんと教えて」
謎の圧に押されながら、私は今までの事をレイナルドに話した。私の話を聞きながら、レイナルドの綺麗な顔はどんどんと険しくなっていった。
私が助けを求めるようにリカランドを見ると、彼はにっこりと笑った。
「ねえねえ、フィリーナの国、ほろぼす? こわい目にあったんでしょ?」
「わわわ、滅ぼすだなんていわないで。私の大事な国で家族もいるのよ。……そうだ、お父様にも、大丈夫だったって伝えなくっちゃ」
「そうだ、リカランド。そんな風にしなくても、あの国はうちの従属国なんだ。長い間苦しめる方法なんていくらでもある。まずは王族への財政を絞っていこう」
「えっ。過激派」
私が謎の行動力に引いていると、キラキラとした目でリカランドがレイナルドを見ている。
「そうなの? じゃあそうしよー」
「それにフィリーナはもう私の妻だ。彼らはフィリーナに頭を下げるしかない。そういう方がきっとああいう奴らには痛いはずだ。私達の権力を見せつけよう」
「じゃあそれもそうしよ! ねえねえフィリーナいついく?」
二人が盛り上がってどんどん話しているが、結局は新婚旅行の話に落ち着いたようだ。
会ったばかりの私の婚約破棄のことをこんな風に怒ってくれて、心が温かくなる。
一緒に旅行、行きたいなと素直に思えた。
「ふふふ。色々あるわ。ここの国がいい所なのは間違いないけれど、私の育った国にもいい所はあるのよ」
「わーたのしみー。フィリーナ、案内してくれる?」
「ええ、もちろんよ。家族旅行は初めてね」
「かぞくりょこう」
「ええ、リカランドとレイナルドと私と、家族三人で」
「……フィリーナだいすき」
「ええ、会ったばかりなのに不思議ね。私もあなたが大好きよ」
リカランドは真っ赤になった後に、私に抱き着いた。ふわっとした毛の感触が嬉しくて私も抱きしめ返す。
「私もだ」
何故か拗ねたようにレイナルドも呟いて、さらに大きな身体に私は包まれた。
三人でいる体温は暖かく、悪役令嬢にもしあわせがあるんだなと嬉しくなった。
「ああそうだ、フィリーナ。リカランドは本当に国を滅ぼせるから、迂闊な事は言わないように。フィリーナが望むならいつでも滅ぼしていいけれど」
「えっ」
「いいんだよー」
にこにこと笑うもふもふ天使は、可愛いだけじゃないみたいだった。
でも、その優しさと可愛らしさに、私はもう一度彼を抱きしめた。
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