第四話「記憶」
美咲は授業中、スマートフォンの通知を見つめていた。
「昨日の突然死、原因不明のまま」
「専門家も首をひねる前代未聞の事態」
「AIによる死因解析も難航」
クラスメイトの席が、いくつか空いている。
担任の説明では、風邪が流行っているとのこと。
放課後、美咲は図書館に立ち寄った。
『透明な夜の向こう』の最終回を見逃してしまい、気になっていたのだ。
配信サイトで検索すると、普通に視聴することができた。
「あれ?」
なんとなく違和感を覚える。
でも、画面の中で物語は自然に進んでいく。
***
翔は病院の当直室で、カルテをめくっていた。
昨日の異常事態の後、システムは復旧している。
心停止による死亡者のデータが、整然と並んでいる。
「全員午後3時...」
そう記録されているのに、違和感を感じない自分がいる。
検査結果は明確だった。急性心不全。
原因は不明。しかし、それ以上の疑問は湧いてこない。
***
英明は書店で立ち読みをしていた。
『あの日の記憶装置』。
確か読んだはずなのに、内容をはっきりと思い出せない。
電子書籍で購入履歴を確認する。
ちゃんとそこにある。
レビューも星評価も。
でも、なぜだろう。
記憶が靄がかかったように曖昧だ。
スマートフォンで『群青』の曲を再生する。
心地よいメロディ。
でも、何か足りないような。
何かが違うような。
そんな違和感は、すぐに心地よい日常に溶けていく。
***
【ニュースサイト】
2024年11月15日
先日の大規模心停止事案を受け、政府は原因究明委員会を設置。
AIを活用した詳細な調査を進めるとの発表。
【SNSでの会話】
「群青の新曲、良いよね」
「うん、デジタルサウンドの質が高い」
「レコード版は出ないのかな」
「え、そんなの需要ある?」
【掲示板「現代の謎を語る」】
2024年11月20日
>>1
11月9日の集団死について語るスレ
>>234
心停止の原因、結局わからないままだよね。
>>235
でも、なんか気にならなくなってきた。普通に日常が戻ってる。
>>236
そういえば、職場の人が何人か来なくなったけど、転職したんだって。なんかすんなり納得してた。変だな。
***
美咲は放課後、カフェでスマートフォンを見ていた。
『透明な夜の向こう』の最終回について、SNSで感想を探している。
「あれ?」
最終回の内容が、なんだか思い出せない。
でも、配信サイトで見直すと、そこには普通のアニメの結末が。
すごく自然な終わり方で、違和感はない。
隣のテーブルから会話が聞こえてくる。
「『残響の街』って映画、観た?」
「うん、良かったよね。山城監督の新作」
「雨のシーンが印象的だった」
「私も好き。デジタル技術の進歩を感じた」
美咲は何か引っかかるものを感じたが、それが何なのかはわからなかった。
***
翔はスマートフォンで『あの日の記憶装置』の電子書籍を読んでいた。
病院の夜勤の合間に。
図書館が出てくるシーン。
なぜか懐かしさを感じる。
でも、それは初めて読む本のはずだ。
カルテのシステムは完璧に動いている。
11月9日の記録も、整然と並んでいる。
死因:心停止
死亡推定時刻:午後3時
これほど多くの人が同じ時間に亡くなったことを、
翔は医師として不思議に思うべきなのかもしれない。
でも、そんな疑問は湧いてこない。
***
英明の書斎の本棚には、
『あの日の記憶装置』が並んでいる。
背表紙の日付が、かすかにぼやけて見える。
スピーカーからは群青の音楽が流れている。
デジタル音源特有の澄んだ音色。
何か物足りないような気がして、
英明はレコード店を探してみたが、
もう街にはレコード店など残っていないことに気がついた。
「そうか、もうそんな時代なんだ」
そう思った瞬間、何かを忘れてしまったような気がした。
でも、それが何なのかは、思い出せない。
【ニュースサイト「デジタルニュース24」】
2024年11月25日
11月9日の集団死から気温の変化か
環境省発表
突然死の後、各地で平均気温の低下が観測された。専門家は「偶然の気候変動」と説明。
***
美咲の教室の窓から、冷たい雨が見えた。
スマートフォンで天気予報を確認する。
画面に表示される数値は正確で美しい。
「ねぇ」
隣の席の友達が話しかけてきた。
「最近、なんか空気が変わったよね」
「そう?」
「うん。なんか...懐かしい感じ」
美咲は考え込む。
確かに何かが違う。
でも、それは心地よい違和感で、
特に気にする必要はないような気がした。
教室の時計は午後3時を指していた。
デジタル表示の数字が、静かに瞬いている。
***
翔は診察室で患者のデータを見ていた。
11月9日以降、微妙な変化があった。
患者の数が減っている。
でも、それは統計的に自然な減少だと、
AIが分析している。
「先生」
看護師が声をかけてきた。
「昔の紙カルテ、全部処分していいですか?」
「ああ、もう必要ないだろう」
返事をしながら、
どこか引っかかるものを感じた。
でも、それは霧の向こうのような、
つかみどころのない感覚だった。
***
英明は図書館でパソコンに向かっていた。
デジタルアーカイブを検索する。
画面には整然とした情報が並ぶ。
「あの、すみません」
若い司書が声をかけてきた。
「古い資料室を取り壊すことになりまして」
「ああ、そうですか」
「はい。もう誰も使わないので」
英明は何か言いかけて、
言葉を飲み込んだ。
何を言おうとしたのか、
自分でもわからない。
外では冷たい雨が降っていた。
図書館の時計は午後3時を指している。
誰もそれを不思議だとは思わない。
【SNS「デイリーライフ」】
2024年11月30日
@daily_news
最近、街の古い建物が次々と取り壊されているけど、誰も気にしてないのかな?
@city_walker
そういえばそうだね。でも、新しい建物の方が便利だし。
@digital_life
古いものは消えていくものだよ。それが進歩ってことでしょ。
***
美咲は通学路で立ち止まった。
いつも通っていた古い本屋が、いつの間にか無くなっている。
更地になった場所に、工事現場の看板。
「AIスマートビル建設予定地」
スマートフォンで検索してみる。
そこには「老朽化による取り壊し」という記事。
ごく普通のニュース。
でも、どこか引っかかる。
教室に戻ると、また一つ、空席が増えていた。
「転校したんだって」
クラスメイトはそう言う。
みんながそれを自然なことのように受け入れている。
美咲は窓の外を見た。
デジタル掲示板が瞬く街並み。
雨は、相変わらず冷たく降り続いていた。
***
翔の病院でも、古い棟の取り壊しが始まっていた。
「効率化のためです」
院長はそう説明する。
新しいAI診断システムが導入され、
患者のデータは全てクラウドへ。
診察室の古いアナログ時計が、
午後3時で止まっていることに気づいた。
でも、誰も修理しようとはしない。
必要のないものになっていた。
「先生、この古い医療機器も処分しますか?」
「ああ、もう使わないだろう」
言いながら、どこか懐かしさを感じる。
でも、それは確かな記憶ではなく、
靄のような、儚い感覚だった。
***
英明は自宅の書斎で、
古い本を段ボールに詰めていた。
電子書籍に移行する決心をしたのだ。
一冊の本が手から滑り落ちる。
開いたページに、インクで書かれた日付。
11月9日、午後3時。
何かを思い出しそうになって、
すぐに忘れてしまう。
それはまるで、
誰かが意図的に記憶を消しているような。
でも、そんな考えは、
すぐにデジタルの波に飲み込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます