Mana says, "I love you" .3

「れ、蓮人のこと……好き、なの。だから、わたしと、付き合ってほしい」


 それは、奈乃が久しぶりに話してくれた本心だった。

 嫌われていたわけではない。それくらいはわかっていたが、果たして僕が奈乃に抱いていたのと同じ気持ちを、奈乃が僕に対して持っているのかどうか、それがわからなくて。

 僕は関係性が壊れるのを恐れてついぞ告白をすることができず、いつの間にか普段の接し方までわからなくなって、避けられているような気がして、こじれていって。

 ようやく聞けた奈乃の本心に、だからこそ僕は苦しかった。

 マナちゃんに出会う前だったら。

 そう、思ってしまうから。


 僕は、ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「ごめん、僕には好きな人がいるんだ。だから、奈乃の気持ちには応えられない」


 僕が絞り出した言葉を、奈乃は黙って聞いていた。

 最後まで聞いて――、コクリと、小さく頷いた。


「…………そっか」


 そして、呟くような声でそう言って、立ち上がった。

 奈乃は泣いていた。頬を伝う涙は一秒ごとに粒を大きくして、細い顎の先から滴ったそれは床にまあるいシミを作った。


「――――じゃあね」


 そんな言葉を残して、奈乃は長いツインテールをたなびかせながら、走って店を出ていった。



 *****



 それが昨日の記憶だった。

 そして今日は、マナちゃんが家に来る約束の土曜日。

 普段ならそろそろ来る時間だなと思いマナちゃんのトーク画面を開くと、ちょうどそのタイミングでメッセージを受信した。


『もう間もなく到着しますので、外に出てきてもらえますか?』


 外に? いつもなら出かけるにしてもまずリビングで少しくつろいでからなのに、今日はいきなりどこか出かけるつもりなのだろうか。

 まあ、別にそれでも全然問題はないし、この様子だとマナちゃんが行きたいところがあるんだろうから僕としても異論はない。支度はしてあるからいつでも出られるしね。

 そんなわけで僕は、『わかったよ』と返信して、忘れ物がないかを確認して玄関に向かった。



「あひぃ」


 僕は玄関を出るなり、目の前の光景に腰を抜かす勢いで驚いた。

 見慣れた景色に、見慣れないがとんでもない存在感を放っているその光景に。

 そのあるもの――イギリスメーカーの「超」が付くほどの高級車のリアドア。観音開きになっている重厚そうなドアを開けて中から降りてきたのは、何を隠そうマナちゃんだった。


「先輩。お待たせしました!」

「お、おはようマナちゃん。その車で来た、んだよね?」

「はい! 今日は先輩を私のお家にご招待しようと思いまして……えへへ」


 マナちゃんは照れくさそうに笑って、「どーぞ!」と後部座席を手で指した。

 こ、この車で行くの……? というか、マナちゃん、何者?


「とにかく、まずは乗ってください」


 マナちゃんに促されるまま車に乗る。意味不明なくらい上質なレザーシートに腰が深く沈んでいき、後ろにひっくり返りそうになる。実際には背もたれがあるからそんなことはないけれど。

 運転席――左ハンドルだ――に座った運転手の男性が会釈をしたので、僕もそれに合わせて「よろしくお願いします」とご挨拶申し上げる。

 何気なく天井を見ると――うわっ。ほ、星? プラネタリウム? すごい車だな……。


「美心ちゃんから私のおうちのこと、聞いていなかったんですね」

「うん、なにも……。なんとなく、お嬢様ということはわかったけどね」

「お嬢様かどうかはわかりませんけど……。私の家、お医者さんなんです。春見医院ってきいたことありませんか?」

「……………………あー、ある!」


 春見医院といえば、この件では最大規模の病院だったはずだ。

 父さんが家の階段から転げ落ちてたまたま玄関のドアが開け放されていたもんだから勢い余って外に出てしまいちょうど家の前を通ったスクーターにねられて弾き飛ばされた先が電柱でタイミング悪く近所の野良犬にマーキングされた時もそこの病院に掛かったっけ。

 言われてみれば、同じ苗字だもんな。

 ……ということは、かなりの豪邸に案内されるんだろうか。緊張するなあ。


「ところで、なんで今日はいきなりお家に招待してくれたの? 話があるって言ってたけど、関係あったり?」


 後部座席で揺られながら――といいつつほとんど揺れないんだけど――ふと感じた疑問を聞いてみると、マナちゃんはボンっと音が聞こえそうなほどに顔を真っ赤にして俯いたっきり黙ってしまった。

 そんな恥ずかしがるような話なのだろうか。一体なんだろう。

 まあでも、心の準備みたいなのもあるんだろうし、あえてこちらから追求せず、マナちゃんが自ら話してくれるのを待とう。

 そう思って視線を車窓の外に向けると、服の袖に引っ張るような弱い力が加わった。

 その力の加わる方──マナちゃんをみると、さっきまで俯いていた真っ赤な顔をこちらに向けて、大きな瞳に緊張の涙を溜めて僕を見つめていた。


「マナちゃん?」

「──しの……」

「え?」


 マナちゃんの小さい潤んだ唇が、ゆっくりと、控えめに開かれる。

 その声はロードノイズの一切届かない静寂しじまの車内でもともすれば聞き逃してしまいそうなほどで、だから僕は少しだけ頭をマナちゃんの方に傾けて、耳をすませた。


「先輩。私の、許婚になってくれませんか?」

「────────え?」



 *****



「蓮人さん、起きてください!」

「──んあ? 茉奈?」

「はい、茉奈ですよ。もう、午後の診察始まるんですから、しっかりしてください!」


 まどろみの中、愛する人の声で目が覚めた。

 寝ぼけた頭を起こすため少し強めに頭を振って、自分の状況を認識する。

 時計を見ると、もう間も無く十三時になろうというところ。午後の診察の時間が差し迫っていた。


「昔の夢を見てたんだ」

「へえ。私に全部の支度をさせといていいご身分ですね!」

「ごめんってば」


 茉奈は殺菌庫の器具の数をチェックしたり、予約の入っている患者さんの過去の診察履歴をさらったりと忙しなく動きつつ、僕に向かって小さく舌を出してみせた。


「で、どんな夢だったんですか?」

「茉奈にプロポーズされた頃の夢。出会ってから数週間しか経ってなかったから、驚いたよ。なんで女の子がいたもんだってね」

「れ、蓮人さんだって出会って数週間の女の子からのプロポーズを受けたくせに、同類です!」


 茉奈は壁のフックからストラップ付きの名札を二つ引ったくって、片方を自分の首に通し、もう片方を僕に手渡した。

『春見蓮人』と書いたそれを受け取って、僕は首に通す。


「さ、もうひと頑張りですよ」

「うん、ありがとう」


 茉奈がコーヒーをデスクにそっと置いた。温かそうな湯気がのぼっていて、濃密なクレマが芳醇に香っていた。


 僕はあれから死に物狂いで勉強して、今『春見医院』の医師としてこの椅子に座っている。

 茉奈に出会わなければば決して目指すことはなかった道で、茉奈がいなければ決して拓かれなかった道。

 きっとこれからも、茉奈と二人で歩いていくのだろうな。


「海外に行った茉樹義兄さんの分も、僕が頑張らないとな」


 茉奈が淹れてくれたコーヒーを飲んで、パチンと自分の両頬を叩く。ヒリヒリした痛みが、なんとなく心地よい。

 僕は隣に立つ茉奈を見上げた。

 コバルトの瞳が、僕の視線を吸い込むようにきらめいている。


「茉奈。好きだよ」

「仕事中ですよ、蓮人さん」


 でも、そうですね──。


「私も、愛してますよ、先輩!」





 Girs side-MANA 了
















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