7発目 ラスボス


 光は収まった。

 眩い光で覆われていた空が元の水色に戻る。皆、何か本能的な異変を少なからず感じていた。多少の寒気すらあった。

「おう……何?」

 アグラが訊く。

「し、知らないのかよっ? ど、ドナルドって男だっ」

「ドナルド……」

 兵士達は分からないようだった。しかしアグラの顔色は変わった。思い当たる節があるようだ。

「兵長、ご存知なのですか?」

 アグラは静かに語り始める。

「いや……風の噂だがな、信憑性に欠けていると思っていた。けど、噂の全てが本当なら……奴と戦うのは悪手だ」

 私は興味が湧いた。アグラはジョシュを単独で制圧出来るくらいには実力がある。私には勝てないだろうけど。頭だって切れるように見えた。そんな男が恐れる噂とは余程のこと。つまりそいつを倒せば私の名にさらに箔がつく。

「そんなに強いんですか? さっきの光も何か関係してます?」

 何か知っているなら言語化させ情報共有を促す。ほうれんそうは社会人の常識だ。シーロが怯えない程度に概要が分かればいい。あとは私がチャチャっと倒して万事解決。

「あれは聖光セイントライト。トードっつー目が見えねえウチの副兵長の仕業だ」

 魔法による光。そんなことは誰だって分かる。副兵長。つまり仲間がやったこと。それも役職で考えるならアグラに次いで腕の立つ人間の筈だ。その意味を考える。私の思案の結果より先にアグラの言葉が連なった。

「そいつは戦いで発光魔法を使うんだ。それも相手と自分を同じ領域に落とし込む為。その上で剣で斬り伏せる。それが常套手段。あんな……上空に上げて信号のように用いるのは初めてのことだ」

 その声は神妙だった。事はそう楽観出来る状況には無いらしい。

「それは……緊急事態ですね」

 私がそういうと、兵士の1人が僅かに悲鳴を漏らした。緊迫した中でのそれは、その場の全員の視線を誘導した。

「ひっ! お、おしまいだ……!」

 ジョシュが嘆いた。諦観が顔に塗りたくられている。

「!」

 皆、息を呑んだ。私もアグラも。

 西の方角、数分前ジョシュと兵士達が来た向き。そこから悠々と闊歩してくる影。まだ遠く、小さいがはっきりと見えるものがある。たった1人の男。

 身の丈程もある大きな円形の刃物を背に担いでいる。輪っかを背負っている様を見ると、前世での仏教的な感覚を思い出す。なんだか後光とかの表現でああいったものを見た記憶があった。あんな大きなものを入れる鞘は無いのだろう、男は恐らく魔法でそれを浮遊させていた。

「大きな円の武器……そうか、やはりあいつが……」

 男は一歩ずつ迫ってくる。私達の誰もそこを動こうとはしなかった。いや、動けないのかもしれない。

「た、助けてくれ!」

 ジョシュが声を枯らす。アグラが私へ投げかける。

「女。ガキ連れて逃げろ」

 私はシーロを見た。既に肩を震わせている。確かにここでシーロだけでも避難させるべきだ。私は自分の為にも、この兵士達の為にも加勢つもりでいる。けれど口を開く直前、シーロが呟いた。

「お、お婆ちゃんの為に西へ行かないといけないんです……大きく迂回すれば時間が掛かります。それにあの人がこの町を襲う気なら、この男の人を殺す気なら。私は見過ごせません……そんなの、駄目……!」

 シーロは必死に自分の言葉で思いを捻り出した。この子に人殺しなんて見せれない。この子の気持ちを無下にも出来ない。

「私、あなたより強いから、力になりますよ?」

 私は軽口を叩いた。強がりではない。

「馬鹿野郎、言ってる場合か?」

 アグラは男から目を離さずに私へ苦言を呈する。

「あいつがやばい奴なら、大人しくここを通してはくれなさそうだし」

 本心だった。あのドナルドとかいう男は話が通じるようには見えなかった。

 男が立ち止まる。見たところ40代後半くらい? イケオジって感じ。シーロちゃんじゃないけど、あの男も聖職者っぽい格好してる。色味は黒ずくめ。

「……盗っ人が」

 ドナルドが口を開いた。低く、お腹に響くような重い声だった。

「盗っ人?」

 アグラがジョシュを見る。ジョシュは依然顔に脂汗を滲ませている。

「ゆ、ゆるっ、許してくれ! 返す、返すから!」

 命乞いをした。避けられぬ死に向かって手を合わせるように。迫る死神の足音は鳴り止まない。

「貴様のざいであろう。甘んじて死を受け入れよ」

 場の誰も微動だにしない。ジョシュの口とドナルドだけが動いている。

「あ、あんたが誰か知らなかったんだ! 本当さ! だからあれも、あんたのモノだって知らなかった! そんなに大事だとも思わなかった!」

 私は訊ねた。

「大事な物?」

 すると答えは向かう男から返ってきた。

「友人に預けていた転移魔法の入った石だ」

 ドナルドは言った。アグラが喫驚する。兵士達も同様だ。

「転移魔法!? 超高等魔法じゃねえかっ」

 転移魔法。魔法を勉強する上で避けては通れぬ記述。歴史上でも数人しか出来なかったと言われている稀有な魔法。それは自身が一度通った場所であればそこに瞬間的に転移出来るというもの。場所と情景を正確に思い浮かべなければならないので常人にはまず不可能。魔力も相当量が要る。そしてそういった魔法を何かしらの物体に納めたもの、それが魔法マジック媒質エンティティ。才能や魔力に拘らず、どんな人間でも納めた分だけの魔法を使うことが出来る。短縮の利便性。

 どこにでも瞬時に行けるなんて夢のようじゃない。そしてそれが本来使えない人間でも使えてしまう。素晴らしい。喉から手が出る程に欲しがる人間は数え切れないだろう。

「其奴は残り2度しか使えぬ魔法マジック媒質エンティティのうち1つを消費した。万死に値する」

 ジョシュは青ざめた。明確に言葉にされた。自らの生涯がここで終わることを悟った。

「友人が家を空けた隙に……腹立たしい限りだ」

 単なる泥棒。どこにだっているありふれた、姑息な盗みを働く小悪党。それだけの話だった。ただ、相手がまずかった。入っていけないところの物を盗ってしまったのだ。

「トード副兵長はどうした!」

 兵士の1人が声を張った。アグラが目を伏せる。

「あの盲目の男か。丁寧に埋葬してやるがいい」

 ドナルドは非情な言葉を並べた。

「な!!」

「やっぱりか……くそっ」

 兵士達に動揺が走る。副兵長がやられたのだ、当然だろう。あの信号の意味は1つだ。

 私はここで不思議に思った。こちらには兵士が30人はいる。何を躊躇うのか。アグラがどんな噂を聞いたかは分からないが、10人を1人で相手取るような人間がいるとでもいうのか。私以外に。

 私は拳に力を入れた。

「恐らく、西門周りを警護してる兵は全員殺されているだろう」

 アグラが言った内容をすぐには信じられなかった。今一度ドナルドを凝視する。寒気。ふざけた話が真実味を帯びる。あの男は、人……なのか?

「ドナルド、であってるか? お前の危険性は聞いてる。こんな敵国の男1人くれてやって構わない。けどな……仲間を殺されて黙っていられる程、出来た人間じゃねえんだよ! 俺は!」

 アグラが叫んだ。兵士達は皆、部下としてその一瞬の意図を察知したようだった。恐らくそれは、開戦の合図だった。

「俺の道を塞ぐな」

 全員が剣を抜く。ドナルドに向かって構える。十全の戦闘体勢。

「何だと!」

 兵士が凄む。ドナルドは歩みを再開させた。

「邪魔をするか。下民」

 空気がひりつく。落ち着け。相手は“1人”。この人数が相手なら問題ない。魔法を理解してれば分かる。けれど油断もしない。私を含めた全員で掛かる。

 誰1人として動かない。動けない。あんなものに対し飛び込むことは誰だって怖いのだ。恐怖で足が竦む。無理もない。私が先陣を切らなければ。

 全身の筋肉を信頼する。駆け出す。ハムストリングスを信じろ。瞬く間に間合いに到着する。大腿四頭筋を信じろ。手前でブレーキをかけ減速。転倒しない程度に体重の乗った左拳。振りかぶって、当てる!

「加減はしても遠慮はしない。よっ!」

 寸前で避けられてしまった。左を引きながらすかさず右。コンビネーション。また躱された。左右の攻撃を繰り返す。打撃の連続。この連撃では接触に成功した。しかし何度も拳を捌かれる。まるで格闘技でいうパリングだ。

「す、凄い……」「あの男と渡り合ってるぞ」「なんで素手で戦えるんだ……?」

 背後で兵士達の声。

「くっ」

 わりかし強めに打ってるのにこんなことある? 生半可な攻撃ではない。すると後ろから兵の声。

「うおおお!」

 私は無駄に鼓舞させてしまった。このタイミングでの助力は邪魔だった。

「え、何!?」

 気を取られた私は腹部への蹴りを許した。突き放される。

「ぐふっ!」

 私と入れ替わるように兵士数人が剣を手に襲いかかる。一瞬のことだった。ドナルドは背にしていた武器を握り、その全員を斬った。無駄のない動きだった。

「いやっ……!」

 シーロの声。何人もの殺害模様を見せてしまった。私の落ち度だ。

(前言撤回! ありゃ聖職者なんかじゃない! 激ヤバ男だ! マジで全力で殺す気でいるっ!)

 ドナルドは円形の刃を巧みに扱った。ジョシュが言っていた二つ名、鏖殺の戦輪。チャクラムって確か輪投げみたいな投擲武器だよね。あんな大きさ馬鹿げてる。

 外側は全て刃になっていて内側の等間隔に4箇所の持ち手が付いている。さっきの動き。柄の1つを右手で握り、そこを軸に回転させ拳が接点のようになっていた。その分リーチを増した円で斬り伏せたのだ。

「ホントにめちゃくちゃ強いかも……」

 私は意図せず弱音を溢した。ジョシュが説明を添える。

「あ、当たり前だ……あいつはプリズムを1人、九角ノーネゴンを2人殺してる」

 兵士とアグラの様子が一層悪化した。シーロですらより具合が悪そうになった。私は知らない単語だった。都会の知識なのか。今は質問している時間は無い。

「それでも……それでもやらなきゃやられる……!」

 アグラは両腕を赤く光らせた。兵士達の体が同じ色の光を帯びる。複数人への強化。やはり熟練。

 それを見たドナルドは武器を手放した。武器全体が青く光る。

「い、行くぞ!」「おお!」「トード副兵長の仇!」

 兵士達が突進する。ドナルドは武器を飛ばした。浮遊した武器を自由自在に操る。凶器と化したフリスビー。いや、刃のついたドローンみたいだった。

「なっ……!!」「くそっ!」「狼狽えるな!」

 兵士達は応戦する。私も接近を試みたが、武器に邪魔された。武器はとてつもないスピードで高速回転しながら縦横無尽に飛び回る。私は当たらないように避ける。兵士は大きな金属音を立てながら剣で迎え討つ。ドナルドは微動だにしていない。これだけ複雑な動きで、且つ強い衝撃を与える程の勢いで操作しているのに、意識を割いているのみ。使役魔法の極致。

 私はタイミングは測った。これだけの人数。いかに速く操ろうと、隙は出来る。そこを縫って走る。

(丸腰なら危険性は低いっ。それにもう手加減はいらないよねっ!)

 その不動さにムカついた。だから私はスライディングで足払いを狙った。ドナルドが跳躍する。良し。まずは体勢を変えた。地面に両手を突き、体を捻転させ、足を組み替えながら下から上へ突き上げるように蹴りを放つ。ドナルドは空中で体を後ろへ仰け反らせ、バク転の要領で回避した。

「ちっ!」

 ドナルドがバックステップで再び距離を取る。

「させるかっ!」

 私が足を踏み込むと背後から武器が迫るのを感じた。直前で避ける。近寄らせる気はないようだ。ドナルドは何も言わない。

 兵士達はなんとか後ろで凌いでいたようだが、息が上がっている。強化の魔法は解けていない。むしろ状況を鑑みてか、アグラは残る兵士20名以上の全員に強化を掛けていた。魔力量が高い。しかしその分疲弊も見える。

「おい女! お前どういう体してやがる!」

 アグラが叫んでいた。

「何! なんか言いました!?」

「お前に魔法を付与しようと思ったが、弾かれちまった! 魔法を受け付けない人間なんて初めてだ! お前自身がやってるのか?」

 何。どういうこと? アグラはこの戦闘に際して私への援護として強化の魔法を使った。それが私に掛からなかった。そんな、魔法の効かない人間なんて聞いたことがない。修行でも感じたことはない。でも確かに今まで誰かに魔法を掛けてもらったことは無かった。私が転生した人間だから? そういう異物だから? 特例だって言うの?

「なにそれ知らないっ!」

 回転音。武器が迫る。私は構える。避けれなくなったとしても針と同じで側面を叩けば対処出来る。あの大きさの割に中が空洞な分やり辛さはあるだろうけども。

 すると、ドナルドの武器に水が当たった。勢いを殺す程の激流。

「ウルさん! わ、私だって戦えます!」

 シーロだった。今のはシーロの魔法ということになる。驚かないという方が無理な話だ。

「ひ、人に向けるのは初めてだけどっ」

 そう言ってからシーロは両手を広げた。周囲に幾つもの水の球が生成されていく。

操蛇水流パイソンフォール!」

 球は一本の線状に飛んでいく。何本もの蛇のような水流がドナルドへ蛇行して向かう。ドナルドは円形の武器で迎撃する。

(マジ……!? あの子!)

 シーロの手数。この戦いにおいてかなりの助けになるものだ。

「水魔法……」

 固有魔法。3つの基礎魔法の外側。ある意味で、魔法という概念の自由度。

 中でもあれは生産魔法。無から有を可能にする、ものを生み出す魔法。高度な技量が要る。トードって副兵長の男が使った発光魔法もこの一種。けれどシーロは目眩しなどではなく、攻撃として用いている。間違いなく才女。

(可愛い上に強さも兼ね備えてるの!? 推しが誇らしい〜!)

 私・強化された兵士20人強・シーロが手を合わせた。目まぐるしい攻防。ドナルドの武器はスピードを増した。けれども私達の方が僅かに優った。

 3度目の接近。もう逃さない。近接では私が上。最強である私は驕ることなく攻めた。ドナルドは攻撃を捌き、私へ拳や蹴りを向けた。けれども私には届かない。お互いの攻撃が撃ち落とされていく中、訪れた絶好のタイミング。

(ここっ!)

 ドナルドの左の拳を体を回して避け、背面からこめかみへ向けて、遠心力を乗せた回転肘打ち。ピンポイントで直撃。強い感触。

(当たった!!)

 漸く私の技術が届いた。手応えがあった。敵は倒れる筈だった。

「……初めてだ、俺に攻撃を当てた人間は……!」

 ドナルドの全身が赤く光っている。私は理解が追いつかなかった。相手は単独であるからして。

(強化の魔法……その、己への付与!!)

 浮遊での6段階目に当たる己への魔法の作用。強化なら耐久力上昇。膂力上昇。目を瞑ってのそれら。そして威力のさらなる上昇。そういう風に段階がある。そして己へ作用させるのは最高位の難度。自己を対象にするのはそれだけ水準が異なるということ。

 気の緩んだ私に、強化された蹴りは効いた。体ごと吹き飛ぶ。

「遊び過ぎた」

 ドナルドの元へ武器が戻る。右手の近くで浮遊している。すると武器は回転を速めだし、赤と青の光を帯び始めた。2色。

「嘘でしょ……」

 右手を素早く動かし、その禍々しい武器を放つ。強化と浮遊。2つを併用したそれは兵士達を紙切れのように両断していく。まるで悪魔や死神の所業だった。

(こ、こんなんラスボスじゃん……)

 止められない。兵士の誰1人としてその勢いを殺せない。

螺旋激流ハイドロ!」

 シーロが魔法を放つ。ひとまとまりの大量の水が螺旋に流動していた。ドナルドはそれを近くに引き戻した武器のさらなる回転で防ぐ。円を円としてでなく、中心の空白を軸として球体のように回転させた。そして盾として応用した。

 水が消え去る。それを目隠しに、赤い兵士数人での斬撃。ドナルドは武器を手持ちに変え、意に介さず対応する。

 そのまま斬る。押し込んで斬る。兵士を円の中に入れ、逃すことなく胴体を拘束するような形で打撃を浴びせる。そして斬る。背後からの攻撃を見ることなく武器をくるりと回し、フラフープのように自身が円の中に入り、それを斜めに起こして防御。そのまま刃を兵士に押し付け弾き、また元のように斬る。

 圧巻だった。同時に複数を相手し、多角的に戦っていた。あの変わった武器をこうも巧みに扱えるのか。死体が積み上がっていく。

 残る兵士もドナルドへ向かう。ドナルドは武器を下ろし、左手を下へ向けた。

ヘロウ

 ドナルドから半径5m程の地面に光の輪が描かれる。そしてそこから同心円状に衝撃波が発生した。兵士達の剣は折れ、鎧は砕けた。

 アグラが殺された兵士の剣を手に取る。斬殺された者の握っていた、折れていないつるぎ。剣に強化を掛ける。

「この、野郎ォォっ!!」

 アグラとて自身に強化を掛けれない。その分、残る魔力全てを剣に込めていた。

 しかし止められる。剣戟。ぎりぎりと刃物同士の音が鳴る。そしてアグラは何度も振り下ろした。あらゆる方向で、仇を討つべく死に物狂いで剣を振った。

 ドナルドがアグラの胸を下から斜めに斬り上げると、その猛攻は終わりを告げた。

 私はその光景を見ているだけだった。強化の付与された蹴りが腹部に直撃し、恐らくだが中の骨は数本折れている。内臓へのダメージも深刻だ。痛みはアドレナリンのせいか、そこまでは感じない。

「い、いやあああ!!」

 シーロはまたもや魔法を放った。精神状態が不安定なままに放たれる水。

「……極光路レイ

 ドナルドは円形の武器を地面に突き刺すと、上部の持ち手に右手を軽く添え、そう唱えた。円の中の空白に魔力が集まっていく。

「シーロっ!!」

 私は全力で駆けた。ドナルドの武器から光線が放たれる。眩い光の柱。私はシーロにぶつかりながら横へ転がり込む。光線は水魔法をいとも簡単に蒸発させ、地面を抉り、一本の道を作った。

 なんとか直撃は免れたが、その衝撃の余波は凄まじく、私とシーロは店の壁に打ちつけられた。

 とてつもない威力だった。ドナルドは平然としている。その魔力量は想像がつかない。

「くっ……いったた……」

 シーロが気を失っていた。

「シーロちゃん!」

 人がいっぱい死んだ。こんなに血を大量に見たのなんて初めてだった。相手は笑っちゃうくらいに強い。このままだとシーロも危ない。

 昨日は人生で初めて人と戦った。だから最強の私でも負けちゃった。遠慮していたから。

 そして遠慮をやめた。さっきまでもそう。でもまだ手加減をしてた。決して遠慮はしてない、けどそれだけじゃ駄目だったみたい。死ぬ気で敵に向かわなければ。

 今度は加減もしない。もう全力を出す。人を殺したことはないし、殺すつもりもないけど、後先を考えてたらこうして死人が増えていく。シーロも殺される。そんなの……そんなの許せない。

 観客はいない。町民は皆、窓までを閉じて隠れた。惨状に慄いた。正しい判断だ。誰も目にする必要なんかない。

 私は立ち上がった。そして倒すべき相手を睨んだ。

「本気って、初めてだから……勝手が分からないかも」

「!」

 ドナルドの瞳孔が開いていた。驚いているのだろうか。今更遅い。力を振り絞る。全てを出し切る。最強は、1人でいい。

 風が吹いた。地面の微かな砂が舞った。お互いに言葉は発さなかった。沈黙を許容した。

 動く。

 全速力。真正面からの特攻。向かいくるはドナルドの投擲。縦に高速回転しながら横にも緩やかに回り、飛んでくる。体を半身にしたり反らしたりして避けるのは難しい。真剣白刃取りはどうか。それも左右から内側に平手で押す力だけであの突進力を止めるのは現実的ではない。滑る可能性だってある。確実に、物理的に引っ掛かる場所を作る。

 眼前に迫る武器。白刃取りの動き。そして手の平を合わせるのではなく、回転する持ち手に手を挟み入れ込む。反射神経には自信があった。

(握った!)

 あとは投げた分の力学的エネルギーを腕の力と全身の踏ん張りで止めるだけ。

「ふっ!」

 掴んだ武器を力の限り後ろへ投げる。そして前進再開。

 突進の勢いのまま、武器を失ったドナルドへ先手の攻撃。地面を蹴り、体を浮かせた右の拳。スーパーマンパンチ。ドナルドは曲げた左腕を上げガード。全身を強化している。しかし関係ない。そのまま右を振り抜く。

「!!」

 左腕を弾いた。続けて左のレバーブロー。大胸筋の下、腹直筋の横の腹斜筋を突き刺す。

「ぐうっ!」

 ドナルドが牽制に腕を振る。私はその腕と同じ方向に体を潜らせ、高く上げた後ろ足の踵で顔面を蹴った。メイア・ルーア・ジ・コンパッソ。ドナルドの反射的前蹴り。私に躱されるも、戻しが速い。

(こいつ、よく見ると空手っぽい動きだ)

 より近くに迫る。私の腹部と顔を狙った不規則な打撃。私とて守りに徹する気はない。攻撃を捌きつつ反撃を入れる。

 ドナルドの左膝が微かに動いた。曲がっている。刹那の瞬間。この近距離。あたしに膝蹴りしようっての? 私は左脚を曲げながら足を外側にして股関節を開く。そして対角にあるドナルドの左腿を足裏で押さえる。ストッピング。

「!」

 初動を押さえた。

「膝蹴りはこうやってやんの!」

 私は即座に両手をドナルドの頸に回し、引き寄せるように膝蹴りを入れた。鳩尾に膝蓋骨を沈ませる。ティーカウ。

「首が弱いね」

「く……ぬんっ!」

 ドナルドのショートアッパー。私の頬に当たる。

「うらァ!」

 すかさず私の裏拳。頭に血の上った相手の攻撃は単調になる。それは複雑に四肢を使ったところで変わらない。多少のパターン化は数秒だが確実に起こる。

 ここで退いたら流れが途切れる。敢えての前進。1発1発の攻撃の接地をその都度の前方にある片足のみし、体重を乗せた攻撃に特化させる攻めの戦法。ジョルトブロー。ドナルドのガードはさらなる綻びを見せ、蹌踉めく。そして私は宙で回転するように跳躍し、体重とその遠心力の勢いを兼ねた蹴り。とっておきの2回転。パラフーゾ。

「っっ!」

 続けざまに喉仏へ、中指を突き出した握り拳。中高一本拳。

 当たった。しかし、ドナルドはより強く体を赤く光らせていた。耐えている。私は顔面に近接での順突きのカウンターをくらった。

「ぶっ……!」

 ドナルドは続けて腹部への手の側面での打撃。まるで手刀。やはり空手に似ている。そこからの連続した追い討ち。骨が折れていく。体中に痣が出来ていく。

 肉薄する死の気配。回転する武器の音が聞こえた。こんなとこじゃあ死ねない。

「うおおおおお!!」

 ドナルドの手を払い、振り返り、私目掛けて飛んできた武器を思い切り横へ蹴り飛ばす。武器は地面へ叩きつけられた。

 堪えろ。踏ん張れ。死ぬ気で足掻け。

 さらに振り向きざま、胸の中央、胸骨に狙いを定め、全身全霊の発勁を打ち込む。

「いっけええええええええええ!!!」

「う、ぐうぅぅ!!」

 吹き飛ぶドナルド。

 全身から力が抜ける。立っているのがやっと。それでも、まだ立ち上がってくるようならやる。それだけだ。

 やがて円形の武器が所有者の元へ戻る。

「はあっ、はあっ……しつこいね、あんた」

 視界が眩しくなった。

 緑色の輝きが見えた。強い発光。信じたくはなかった。認めたくはなかった。あれは支援魔法、回復を齎す光だ。打撲の跡の1つも残さず、ドナルドは仁王立ちで立ち上がった。

 まだ、まだ全力を出さないと。そう思った時だった。

 私とドナルド以外の人間の声が聞こえた。

「何の騒ぎかと思えば……ひどい有り様じゃ」

 小柄な老齢の男性だった。真白い髭をこれでもかと貯えている。それでいて体は分厚く、腰ほどの高さの岩のような老人だった。

 この戦いを見て声を掛けるなど正気ではない。はっきり言って異常だ。

「娘っ子や、ここは諦めろ。ぬしではあれには勝てん」

 老人は言った。私の気持ちなど考えずに。

 ふざけるな。まだ勝機は消えていない。闘志は消えていない。諦めない限り、チャンスはある。

「そんなのっ……!」

「後ろのお嬢さんまで、主の身勝手で命を落とさせるつもりか?」

「!!」

 頭が冷えた。独りよがりを自覚した。兵士が30人以上殺され、兵長も死んだ。西門にはもっと多くの被害がある。シーロは怪我をしている。私も重傷。こんな状況で全快のドナルドと戦うのは、無謀といえる。

 アグラが言う通りなら私は魔法の援護を受けられない。この老人に傷を癒してもらうことも出来ない。畢竟、詰みだ。

「手を貸す。そこでじっとしておれ」

 老人は私とシーロの元まで歩いてきた。そしてドナルドに問う。

「そこの。手を引いてはくれんか?」

 そう言って私に背を向ける。

「ふむ……いつもならそうしたいのだがな。生憎、少し愉しくてな」

「!」

 ドナルドは嗤った。不気味な笑みだった。私とまだやりたいのか。あそこまでの戦いをして、一体何が楽しいのか。

 恐ろしい男だった。老人は冷や汗を流している。そしてこの場に似つかわしくない言葉を放った。

「良かったわい」

 私もドナルドも意を汲み取れない。

「?」

 老人が言う。

「あらかじめ呼んでおいて」

 そしてポケットから1つの水晶を取り出した。ドナルドが語気を強めた。

魔法マジック媒質エンティティか!」

 大きな鳴き声がした。大地を揺るがす音の振動。耳にしたことのない声だった。私が出会った魔物の中にはいない。

「左様。人間には聞こえぬ音でな」

 老人の姿が陰る。それは私やドナルドも同様。見渡す限りが暗くなったように思う。シーロが目を覚ました。猛々しい咆哮を聞いてのことだった。

「ん……」

「シーロちゃん! 気がついた!?」

「ウル……さん……? 一体、何がどうなって」

 空には大型の魔物が居た。長い胴体に4対の鉄の翼。蝙蝠のような羽と鳥のような羽が交互に付いている。長い尾に長い首。紫とオレンジの混ざった竜。

竜種ドラグルの1体、混沌の錠ケイオスロック

 老人は視線を上にし、頭上の竜に向かって叫んだ。

「来い!」

 竜は老人とドナルドの間に落ちてきた。瞬間の出来事に、堪らずドナルドは身を退く。翼が強い風を生む。私とシーロは老人に抱えられ、ひょいと竜の背に乗った。

 竜が飛翔する。砂煙が起こる。町が小さくなった。すでに上空高くにいる。建物の遥か上だ。ドナルドは私達を見上げていた。

「数秒でいい! 奴を足止めするのを放て!」

 老人の命令を受け、竜は口から黒い火炎の息吹を吐いた。地獄の業火。それは背にいても伝わる衝撃と熱で、ドナルドは消し炭になるかに思えた。竜が息を吐き終える。

 炎が晴れて姿を現したドナルドは平気そうな顔をしていた。そして一瞬だけ見えたが、前に出した右手が異形に変化していた。色が変わり、紋様が浮かび、鉤爪のようなものへ変わっていた。その右手が煌めいて見えた。それはすぐに元の手へ戻った。

「悪い夢でも見てるみたい……です」

 シーロが呟く。私も老人も何も言わない。

 ドナルドは追ってこなかった。あの男なら本気を出せばまた光線を打ってきたり、空中線だってしてきそうだったけど、追撃は無かった。興が醒めたのか。

 そしてその視線を私達から外すと、ゆっくりと歩き始めた。

「あ……あっ……」

 シーロが声を漏らす。

 閑散とした大通りで、ジョシュの元へ近づく。彼は手足を縛られた状態で、ずるずる後退し、道の脇にずっと隠れていたのだ。私は咄嗟にシーロの目を覆った。見てほしくなかった。

 竜はガムヴェルデを離れていく。雲一つない青空が澄んでいた。

「ごめんね……ごめんね……」

「いや……駄目……やめて……っ」


 ドナルドは、己が目的を果たした。


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