第7話:運命の人は過労死寸前?!(7)
その時、バルコニーの扉が静かに開き、後ろからひっそりと人の気配が近づいてくる。
「エリオットさん、ここにいたんですね。」
振り返ると、そこにはリリスが立っていた。彼女の頬はわずかに赤く染まっていて、軽く酔ったような笑顔を浮かべている。その表情にはほんのりとした色気が漂い、近づくたびにエリオットの肩越しに甘い香りが漂ってきた。
「酔っ払ったか?」とエリオットは冷めた調子で尋ねるが、リリスはわざとらしく肩をすくめ、彼の隣に来てバルコニーの手すりに寄りかかり、エリオットに挑発的な視線を向ける。
「ぜんぜん酔ってないですよお……」
その仕草に、エリオットは眉をひそめた。
「酔ってるやつほどそう言うもんだ。」
リリスが近づくたびに、エリオットは内心で何かがざわつくのを感じ、すぐさま冷たい声を出す。彼女の気配に敏感になっているのか、同じ空間にいるだけでリリスに対する苛立ちが湧き上がってくるようだった。
「……タイラーのところに戻れよ。お前の彼氏だろ。」
エリオットの口調は冷たく、遠ざけるような言葉だったが、リリスはその態度を楽しむかのように微笑んでいた。彼女はふわりとした動作で彼の目をじっと見つめ、耳元でささやくように言う。
「……彼氏がいる女の子に、あんなことするんだ?」
その小悪魔的な言葉に、エリオットの中で何かが崩れるような感覚があった。今夜彼女が自分にわざわざ近づいてきたことが、どうしても気に入らなかった。そして、彼女がタイラーの「恋人」でありながら、あろうことか自分にさえ媚びているように見えるその態度に、心の奥底にある劣等感が膨れ上がってきた。
「あなたのこと、もっと知りたいんです。」
彼女の軽く挑発するような微笑に、エリオットはますます苛立ちが募っていく。
「だめですか?」
エリオットはわざとらしく首をかしげる彼女を見つめる目に、言葉に自分でも抑えきれない感情を込めていた。タイラーの隣で笑い、周囲の注目を一身に集めていた彼女の姿を思い出すと、なぜか胸の奥が妙に重くなるのだ。そんなよくわからない感情に振り回されて、エリオットの苛立ちは限界を迎えていた。
「性悪女が……」
リリスは、彼の言葉を冷静に受け止めると、そっと彼の顔をのぞき込むように見上げて微笑んだ。
「エリオットさん、タイラーに嫉妬してるとか?」
その一言が彼の胸を鋭く刺した。嫉妬と言われた瞬間、エリオットは逆に笑いが込み上げてきたような気がした。彼女の軽い態度に、自分がどうしてここまで振り回されているのか分からなくなる。
「ふざけるなよ……」
エリオットは怒りを抑えきれず、リリスの腕を強く掴む。彼の目は冷たく、そこには彼女への複雑な感情が見て取れた。リリスが驚いたように目を見開くと、彼はリリスの首に手をかけ、逃げられないようにしっかりと捕らえ、彼女を乱暴に引き寄せた。
「……どうせお前も俺を見下してるんだろう?タイラーに選ばれて満足か?」
「どうせ俺なんて……」と呟く彼の声には苦々しさが滲んでいた。リリスが潤んだ目で「ごめんなさい……」と小さく呟くと、彼は少しだけ笑みを浮かべる。
「昨日の続きがしたくてここに来たんだろ?タイラーはこんな風に乱暴にしてくれないもんな。」
エリオットはそう言いながら、彼女の唇を奪った。夜風が静かに舞うバルコニーで、二人は熱烈なキスを交わしていた。月光が二人を薄く照らし、冷たい夜気と重なって肌をくすぐる。
一度唇が離れると、エリオットはリリスに挑発的な視線を向け、再び彼女の唇を強く奪った。リリスは一瞬息を飲んだが、エリオットが見せる冷酷な態度の奥に感じる、彼の独占欲と自分に向けられた情熱に胸が高鳴り、何もかもを忘れるように唇を重ね返した。
その時、リリスは唇の接合部から温かいエネルギーが流れ込んでくるのを感じる。それはまるで綿菓子のような甘さで、ふわりと柔らかく広がり、口の中で繊細にほどけていく。その奥深く複雑な味わいのある不思議なエネルギーは、リリスの心と体をゆっくりと満たしていった。リリスにとってこの体験は、今までしてきたどんなキスよりも特別なものだった。
(……もしかして、この人が運命の人?)
心の中にそんな疑問が浮かんだ瞬間、ふと彼の目の奥に揺れる影が見えた。そこにあるのは深い孤独と哀しみ。彼がどれほどの孤独を抱えているのか、リリスにはまだわからなかったが、その一瞬に漂う哀愁が、彼の心をほんの少し垣間見せた。
「……エリオット?」
リリスは、胸が痛むような思いで彼の名前を呼ぶ。
だが、その瞬間、エリオットの体がふらりと揺れ、そのまま彼はリリスの腕の中で崩れ落ちてしまった。驚いたリリスは、咄嗟に彼を支え、バルコニーのソファにそっと横たえる。顔には疲労が色濃く浮かび、唇はうっすらと青白くなっていた。リリスの指がそっと彼の髪を撫でると、冷たくなったエリオットの肌に触れ、その呼吸が浅く弱々しいことに気づく。
「エリオット!」
彼の名を呼んでも答えはなく、リリスの心にかすかな焦りが広がっていった。どうすればいいのか、どうすれば彼を救えるのか必死に頭を回転させていた。どうしようもなく混乱していると、背後から突然、どこか冷めた声が響いた。
「あー、そういうことか。」
振り返ると、月光を浴びた白銀の髪が闇の中で冴え冴えと浮かび上がっていた。喪服のような黒いスーツに身を包み、だらしなくネクタイを緩めた男が、リリスとエリオットを交互に見ている。煙草の煙がぼんやりと漂い、その奥にある目はどこか無表情で、興味なさそうに二人を見下ろしていた。
「それ、嬢ちゃんの“獲物”?」
唐突にそう尋ねられ、リリスは驚いて首を振った。「ち、違います!」と咄嗟に答えると、男は軽く笑みを浮かべて肩をすくめた。
「ふーん、あんなに楽しそうにしてたくせに。」
「誰なんですか、あなた。覗き見なんて悪趣味ですよ!」
男は煙草を口から離し、ふっと煙を吐く。
「仕方ないだろ。こいつの監視が俺の仕事なんだからさ。」
そう言うと、男は無造作にエリオットを指さした。その仕草に、リリスは無言で男の顔を見上げる。続けざまに男は呆れたようにため息をつく。
「こいつの寿命が急に不安定になったもんでな、様子を見ろって上から指令が来た。そしたらどうだ、まさか悪魔に魅入られてるとはね。」
男は再び煙草を一服し、真夜中の空に白い煙をくゆらせた。
「……あたしを祓うつもり?」
リリスは警戒を強め、睨みつけるように男を見上げた。
「いや、そんな権限は俺にはない。ただの監視役さ。お前が彼を“食っちまう”なら、それを上に報告するだけ。」
リリスの心臓が一瞬だけドクンと音を立て、男の冷笑が浮かんでいる口元に不快さを覚える。だが、彼女が睨み返すと男はあっけらかんとした調子で続けた。
「さ、俺のことは気にせず続けなよ。」
「できるわけないでしょ!」
リリスは唇をかみしめて男に反論した。
「サキュバスのくせにカマトトぶるな。」
「偏見だわ!」
リリスは強い調子で言い返すが、心の中に宿る不安は晴れないまま、エリオットを膝にのせてそっと撫で続けた。彼がどうしてこんなにも疲れ果てているのか、それがリリスの心の中で小さな棘となって引っかかる。何度も彼の髪に手を滑らせ、その額にかかる汗をハンカチで拭いながら、自分が何もできないことがもどかしかった。
すると、煙草を吸っていた男が、静かに言葉を投げかけた。
「なあ、嬢ちゃん。その男、あんたと寝たら死ぬぜ。」
その一言にリリスは凍りついた。
◇・◇・◇・◇・◇・◇・
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