1 外れた世界
それは、日常から、わずか五分の距離。
突然、
レストランや飲み屋の立ち並ぶ繁華街、そこに流れ、悠二を混じらせていた
その最初の瞬間、悠二は、
「え」
と、ただそれだけしか言えなかった。
驚き
周りを壁のように囲み、その向こうを霞ませる
足下に火の線で描かれる、文字とも図形ともつかない
歩みの途中、不自然な体勢で、
「…………?」
常人が取る当然の反応として、これは悪趣味な夢だと思い込もうとする、その現実逃避が、
「っな!?」
その何かが着地する
降ってきた何かが、雑踏の真中に、そびえている。
一つは、マヨネーズのマスコットキャラそっくりな、三頭身の人形。
もう一つは、
いずれも、人の身の
(……なんの、
それが悠二の率直な感想だった。もはや悪夢さえ通り越した、まったく馬鹿な眺めだった。
しかし、それらは現に、目の前にいる。
その怪物たち、人形が巨体を
首玉がけたたましい声を
口を開けた。
この中で、悠二は
ただ、見ている。
こんな出来事の中で、それ以外に何ができるというのか。
その、半ば
燃える人々の炎の
その内にある人々は、服も
燃える炎も、内にある人も。
最初はキャンプファイヤーほどの大きさだったものが、すぐに
悠二は、その炎が吸われてゆく
見る内に、まばらに
そんな彼の姿に、怪物が二つして、ようやく気付いた。
人形が首だけをぐるりと回し、
「ん〜? なんだい、こいつ」
「……あ」
と間抜けな声をあげる悠二を、
いつしか首玉も丸ごと向き直っていた。真中にぱっくりと開いた口から、女の声で言う。
「さあ?
「でも、
「〝ミステス〟……それも飛びっきりの変わり種ということかしら。久しぶりの
「やったあ、僕達、お手柄だ!!」
人形が、ズシン、と
「じゃ、さっそく……」
巨大な人形が悠二に向かって、地を
「……あ、あ……?」
パニックを起こして騒ぐには、目の前に迫るものはあまりに異常で、圧倒的過ぎた。悠二にできたのは、せいぜい後ずさるくらいだった。
しかし、その一歩を下がる間さえ与えられない。
悠二は視界を
「……う! うわ……」
もう、何をするにも遅すぎた。
持ち上げられ、振り回され、そして、
その行く先は、自分を軽く
絶叫さえ上げられない。
目を見開いて、冷や汗をびっしりとかいて、ただこの光景に
「いただきま─────す!!」
こうして、悠二は喰われる運びとなった。
それは、日常から、わずか五分の距離。
そして、そこから
その落下の
「っぎ、ごぉ!?」
首玉が持つ口、全身の小さなもの、真中の大きなもの、それらから
何者かは、着地と打撃を兼ねた一撃の力を、細くしなやかな足を曲げて溜め、さらに跳躍。
今度の先端は、鋭く輝く、
「っ!?」
人形がふと見れば、目の前に、今喰おうとしていた
自分の腕ごと。
「──っ」
すっぱりと、
「っうぎゃああああああああ!!」
片腕をいつしか失っていた人形は叫び、よろめく。
その身の毛もよだつ叫びの中、悠二は地面に
「うぐ!!」
自分をつかんでいた
目の前で、切り落とされた巨腕が薄白い火花となって散る。
(……誰……?)
自分と人形の間に
焼けた鉄のように
マントのような黒
着地の
コートの
少女、らしい。
灼熱の赤を点す、しかし柔らかな質感を持つ髪が、ゆっくりと地に引かれ、腰の下まで伸びる。その動きに取り残されるように、赤い火の
火の粉を舞い咲かせて
圧倒的な存在感だった。
その向こうで、口を耳まで
「どう、アラストール?」
不意に、背を向けたまま少女が言った。
「〝
と姿の見えない誰かが答えた。こちらは遠雷のように重く低い響きを持った、男の声。
「うあぁぁあぁ! よくも、よくも僕の腕ををを!!」
その会話を
少女はそれを軽く見上げると同時に右手を振って、刀の切っ先を鋭く後ろに流す。その背後の路面にへたりこんでいる悠二の、側頭部ギリギリで刀の
「─っ!」
悠二が息を詰めた、そのときには
人形の、頭身が低い分だけ巨大な
「潰れちゃえ───!!」
その拳の軌道が予定の半分も行かない間に、
少女は人形の
もう刀は振り抜かれている。
少女はその振り抜いた勢いのまま体を九十度回し、人形の真横へと後ろ
「!?」
人形の拳の軌道が突然狂った。腕は
「ぎえっ、あ?」
振動に
地面に、自分の足が一本、膝から下だけ残って立っていた。
少女が膝元に
足が、すぐに薄白い火花となって散る。
その火花の向こうから、少女が地に倒れた彼(?)を、
火の
「え、え、
少女は、自分の身の
その終わりは
「う、うああ……っ」
何か言いかけてもがいた人形の頭部を、少女は
人形が薄白い火花を
まだ路面に座り込んでいた悠二は、初めて少女を観察することができた。
今までの異常な状況と圧倒的な存在感で気付かなかったが、少女の背丈は、百四十センチ前後。自分が立てば、その胸までしかないだろう。年もせいぜい十一、二というところだった。
ただし、その整った顔立ちには、あどけなさが
そしてなにより印象的なのは、焼けた鉄のように
その、幻想的と言うには、あまりに強烈過ぎる姿が、悠二の目の前にそびえる。
「……あ、その……ありがとう」
悠二は、我ながら芸がない、と思いつつも礼を言った。実際、格好をつけても
しかし少女は、その悠二の声を全く無視して、言う。
「ふ〜ん、コレ……〝ミステス〟ね?」
「……?」
その、返答ではなさそうな言葉の意味を悠二が
「うむ」
少女の胸元にはペンダントが下げられていた。
銀の
どういう仕組みなのか、男の声は、そのペンダントの中から出ているらしかった。
「
不意に、悠二の背後で
少女に
「え」
振り向こうとした悠二の鼻先を
「っ!?」
少女の強烈な前蹴りが打ち出される。真反対からの、強烈な
少女は、蹴りの反動で路面に
動揺していた悠二は、取り残される恐怖から思わず少女のコートの
その、取り残された悠二に向けて、少女の真反対から人影が飛んでくる。
人影は、悠二の背を
少女が振り返り様、刀を
悠二の頭上すれすれを、横
これら、
「っぐぎ!」
背後で、誰かが路面に落ちた。
振り向いた悠二の目の前に、女性のものらしい、切り落とされた腕が転がっていた。
「な、うわっ……!?」
思わず腰を引いた
その火花の向こうに、切られた腕を押さえてうめく女性がうずくまっていた。
少女は一歩進んで悠二の
「ふん、『逃げるにしても、せめて〝ミステス〟の中身くらいはいただく』ってわけ? こんなに簡単に
少女は笑みを含ませて、
美女が、整った口元を無理矢理こじ開けるように、憎悪の声を
「
「そうよ。だからなに?」
「私のご主人様が、黙ってはいないわよ……」
「ふん、そうね。すぐに
笑いながら、片手で刀を大きく振りかぶる。
「でも、今はとりあえず、おまえのを、先に聞かせて」
少女が、あまりに平然と取ったその動作の意味に、悠二は一瞬遅れて気付いた。
殺そうとしている。
自分の置かれた立場や状況など分からない。
だから目の前の、少女が殺そうとしている、という事実だけに反応した。
かばおう、とまで考えたわけでもない。
ただ、自分の当たり前の感覚として、反射的に止めに入った。
「待っ」
振り下ろされる刀と美女の間に。
その、
美女の腕が、自分をかばった悠二の背中を貫き、内側に潜った。
「!?」
悠二は感じた。
(なんだ?)
自分という存在が、核のような何かを
(僕の、中……なにか、なにかを……!)
感じて、恐怖した。
(やめ……!!)
その、一秒あったかどうかの感触と恐怖は、
「ぎゃああっ!!」
美女の絶叫によって
頭上、両手に
その間にいた、
一切の
「……ッ!?」
悠二は
「ちいっ!」
これを追おうとした少女は、しかし、胸元のペンダントからの叫びを受ける。
「後ろだ!」
レストランで
少女は瞬時に体を返し、切り
首玉は
そしてこの間に、人形も
不意な静けさが、人々の小さな残り火と破壊の傷跡を残す街路に訪れた。
それを破るのは、やはり少女。
「あの〝
答えるのも、やはりペンダント。
「久々に〝王〟を
「うん。それにしても」
「ううう、ぐ……」
(き、斬られた……)
少女は自分の足下、路面に
「さっきはびっくりしちゃった。コレが動いているってこと、すっかり忘れてたから」
「ううう……」
(肩から、ばっさり……)
「そうだな。我も一瞬、〝
「うう」
(死ぬ!)
「ま、あのときは最初っから飛び掛ってきたし……」
「うう、うぐはっ!?」
(死っ!?)
いい加減
「あーもう、うるさいうるさいうるさい。今さら、斬られたくらいで騒がないで」
ペンダントもそれに
「生前の器が知れるわ、
「……そ、そんなこと言われても、
悠二はようやく気付いた。
斬られた感触を、それこそ自分の中を通り抜けた
(痛く、ない……?)
(一体、なにがどうなって……う)
我ながら
やけに遠くにあるように感じられる『左肩側の体』と、手前で見事な一直線の切り口を斜めに走らせている『首付き、右肩側の体』。
二つに
なのにどういうわけか、血も噴出せず、苦痛もない。嫌な感じの『自分の中身』は見えるが、その断面は薄い光に
「どういうこ……」
少女が自分の上に
その、
「なっ、なに、を……!?」
鼻にかかる、熱い火の香りと、ほのかで柔らかな
肩に、つ、と細くたおやかな指が触れた……
「っ?」
体の断面が合わさる不気味な感触が、悠二の目を覚ます。
正気に戻って見れば、少女はもう体を離していた。
その小さな
いきなり、悠二の全身が激しく燃え上がった。
「っうわ!!」
驚いた悠二は反射的に身を起こした。起こせた、そのことで、分かった。
火は消えていた。
恐る恐る、斬られた
しかし、そうやって
(……なんだ?)
ぽつん、と
体ははっきりと見えるが、その奥にあるこの灯も重なり、感じるように見える……それとも、見えるように感じているのか。
さっきから異常なことばかり起こってはいたが、この胸の中の灯は、なぜか特に気になった。
胸騒ぎを感じさせられる、何かがあった。
(そうだ、さっきあの女に触られたのは、これだ)
直感以上の、確信。
目の前の、自分を
「な、なにをしたんだ?」
が、悠二のこの当然の問いを、少女はまた無視した。見向きもせずに立って、刀をコートの中、左腰のあたりに収める。
切っ先から、後ろに突き抜けるような勢いで押し込まれた刀が、そのままコートの中に消える。刀身が少女の身の
手ぶらになった少女は周囲を見回して、肩をすくめた。
「さっきの見た? あの〝
小さな人形は逃げる際、大きな光の結晶のようなものを二つ、手の内に引き寄せて持ち去っていった。それは、手下の怪物たちが集めた、とある力。
ペンダントからの声も、
「うむ、抜け目のない
少女は
周囲で光が
路面にまばらに散っていた、まるで人々の
一瞬ほっとした悠二はしかし、棒立ちに立つ彼らの胸の中心に、自分の中にあるものと同じ灯が、ちろちろと
その灯は、最初に怪物に襲われた際、燃え上がった
(でも、あのときは体全体を包んでたのに、今はあんな小さな……まるで怪物に吸われた分、減ってしまったみたいだ……?)
突然、悠二の体をおぞ気が走り抜けた。
(……なんだ……?)
その自分の想像が、なにか、とんでもない破局のようなものの
少女はそんな悠二に全く構わず、ペンダントと会話する。
「〝トーチ〟はこれでよし、と。直すのに何個か使うね」
「うむ……それにしても、
「
言う間に、幾人かが、再び一点に
瞬間、灯は
それら火の粉は、この
「あ……」
悠二が
修復の終わった場所からは微光が失せ、光景はどんどん元通りになる。
この空間に囲われた人々が、胸に灯を点した以外は。
少女の指先で火の
やがて、修復が
少女が、おもむろに告げる。
「終わり、と」
光と
「っわっ……!?」
周囲を
異変が起こる前の状態に、完全に戻ったのか。
(……違う……)
悠二は、その違いをはっきりと感じていた。
自分と一緒にあの
少女の指先で火の
そして何より、自分の中に、灯が見える。
なのに、誰もそのことを言わない。当たり前のことのように、みな、気にしない。
(いや、気付いてないんだ……さっき起こってたことにも、今、僕が見てるものにも)
やがて、灯を胸の内に点す人々は、雑踏の中に、どこか弱々しい足取りで散っていった。
呼び止めるでもなく、それが去るのを見ていた悠二は、自分の前にまだ少女が立っていることに、ようやく気付いた。周囲を見渡して、何かの確認か警戒かをしているらしい。
少女の髪と瞳はいつの間にか、焼けた鉄が冷えるように、
そうやって少女を見上げていた悠二は、やがて自分こそが、周りの雑踏から
「っと……!」
そこには、弱々しい灯を胸の内に点す人間が、幾人も混じっていた。
灯の小ささや距離は関係がない。ただ、感じる。
その内の一人、頭の薄いサラリーマン
(さっき襲われた人じゃない……でも、灯を中に持ってるし、やっぱり本人も気付いてないみたいだ……いったい、なんなんだ……?)
元に戻ったはずの世界に
その混乱を収めるための答えを知っているはずの少女が、目の前にいる。
いるのだが。
「……あ、あの、さっきの、いや、今のことでもあるんだけど」
悠二は目の前の、自分の胸元までしかない少女に、しどろもどろな声をかけた。
そして、何度もそうされているように、やはり無視された。
少女は目の前にいるのに、自分の顔を見ようともしない。
さすがに
「ちょっと、あんた、っぐ!?」
肩に行く前に、手首が取られていた。軽く添えただけのような、その細く優美な指は、しかし
少女が、ようやく悠二と顔を合わせ、言う。
「うるさいなあ、もう」
冷たい、顔だった。
まるで騒がしいラジオでも見るような。
相手の人格を認めない……いや、そんなものなど最初からないと認識しているかのような。
「コレ、消そうか」
「な……!?」
悠二には、その言葉の意味は分からなかったが、ただ、少女が本気であることだけははっきりと分かった。ほんの少し前、人形に自分の中を
しかし、
「待て」
そこにペンダントから制止の声がかかった。
「
少女は、ふん、と鼻を鳴らして悠二の手を放した。
「もちろん分かってるけど、コレ、さっきからうるさくて」
「真実を教えてやればよい。それでコレも黙るだろう」
「あ、あんたら、コレ、コレって人を物みたいに……!」
悠二は勝手な言い合いに、赤くなった指の跡をさすりながら喰って掛かった。
少女はいきなり冷淡に告げた。
「おまえは人じゃない、物よ」
「な……!?」
絶句する悠二に少女は、よく聞きなさい、と念押ししてから言う。
「本物の『人間だったおまえ』は、〝
理解を超えた言葉の乱発。
「…………なにを、言って……?」
悠二は
しかし、意識の片隅に、その言葉の意味を冷静に
そこから何か、不気味な実感が忍び寄ってくる。
言葉が頭の中で転がり始める。
(グゼノトモガラ、怪物。消える、なにが。存在、なんの。本物、誰の。
今度はペンダントが言う。
「我らの加護によって修復された今なら、その
ペンダント(?)が言うとおりだ。
見える。自分の胸の内にちろちろと
(……灯……存在の、力……?)
腹の底に冷たい感触が
少女らの言っていることの意味が、じわじわと理解されてくる。
言葉が、意味を持って
(僕が、消えた、さっきの、怪物に喰われて、僕は、残り滓、代替物……物……?)
異常なこと。恐ろしいこと。
しかし、今さら否定することはできそうにない。
なかったことにするには体験は生々し過ぎ、知らされたことは説得力を持ち過ぎていた。
追い
「周りにぞろぞろ歩いてるのも見えるでしょ? そいつらもみーんな、喰われた残り
『本物のおまえ』も、その犠牲者ってわけ。別に珍しくもない、世界中で普通に起きてることよ」
悠二には、少女の言うことが、うっすらと理解できる。できてしまう。
気付けば、少女が彼を置いて歩き出していた。
「ま、待って!」
それだけのことに取り乱してしまう。まるで親に取り残されそうになった幼児のように、悠二は後を追った。
「で、でも、その、グゼとかなんとかの、怪物が暴れたなんて話、聞いたことがない」
「当然よ。おまえも中で動いていたんなら、
「あ、あの周りにあった、赤い、
「正確には、あの壁の中の空間。あそこは世界の流れ、
「……そんな……」
少女が立ち止まった。
少女は店員に言って、ホットプレートの上にある分を全部買う。袋に詰めてもらうのを待ちながら、世間話でもするかのように、軽く言う。
「でも、ただ喰い散らかしていると、急に存在の空白を開けられた世界に、
少女はタイヤキで一杯になった袋を受け取る。店員に対して軽く
「見えるでしょ、周りにうろついてるトーチが。ああやって、喰われた者の代わりに人や世界との
少女が
「えっ?」
「今、正面から歩いてくるトーチ、おまえには見えるでしょ?」
人込みに頼りない足取りで混じる、印象の薄い中年の男。その胸の内に、小さな灯がある。
「あの、灯の弱い人か……あ……」
ふと、灯が、消えた。
燃え尽きた。
男もいつしか、消えていた。
それがなんでもないことであるかのように、異変への衝撃を感じさせず、ただ、ふと、男は消えてしまった。
周りを歩く人々は誰も、そのことに気付かない、いや、気にしない。悠二も、言われなければ注意を払わなかったかもしれない。それほどに、男の存在感は薄かった。
ふと、人込みに
そうなっても、誰も気にしない。
そんな人間が、しかし今、確実に、消えた。
「あ、あれが、燃え尽きる、ってこと……?」
「そ」
少女は簡単に答えて、また歩き出した。袋からタイヤキを取り出す。
その横に、小走りになって並んだ悠二は、少女の言う、トーチとなった人々を探す。
三十人に一人、いるかいないか……人込みの中、弱々しい灯を内に宿す、その〝人の代替物〟は、
「!」
また一人、視界の
誰かが、消えた。
人込みは変わらず流れ行く。
これが、自分の暮らしていた、自分が知らずに過ごしてきた世界の、本当の姿……?
人込みは変わらず流れ行く。
喰われた人々の残り
人込みは変わらず流れ行く。
「あの人たち、みんな、みんな喰われたってのか……さっきの化け物たちに……ひどすぎる」
タイヤキを
「そうでもない。我ら〝
「我ら? あんたもあのグゼなんとかの……怪物の仲間なのか」
悠二はようやく、ペンダントそのものが声を出していることを感じた(理解はできない)。
「貴様が出会ったのは〝
「とにかく、その
そのフレイムヘイズの少女は、軽く確認すると、またタイヤキを
悠二は少女らの話した、ほとんど
自分の、核心に。
いつしか腹の底に溜まっていた冷たいもの……恐怖が、声を詰まらせる。
「……あ、あんたたち、僕の……ことを、〝ミステス〟って、言ってたよな」
よく覚えてたわね、と少し感心した少女は、しかしやはり、軽く答える。
「〝紅世の徒〟が、この世で作った
トーチのこと……?
悠二は、破局を感じる。
「そのトーチが燃え尽きたら、中のものはすぐ、次のトーチの中へとランダムに転移する、言ってみれば『旅する宝の蔵』ね。おまえは運悪く見つかって、その中身を
トーチ。
この少女は、それをどのように説明したか。
(おまえは人じゃない、物よ)
(本物の『人間だったおまえ』は、〝
胸が痛い。
(おまえは、その存在の消滅が世界に及ぼす
(喰われた者の代わりに人や世界との
声が震える。
「じゃ、あ……じゃあ、僕は……」
少女もうざった気な顔をして足を止め、悠二に向き直る。
「何度も言わせないの。おまえはただの、本人の残り
衝撃、
と言うにはあまりに遠く大きな、恐怖と寂しさ。
それは、世界の
「燃え尽きれば、
その〝真実〟は、彼にとって死刑宣告、どころか、〝今、自分がいること〟、その全ての根幹の崩壊に
「そん、な」
声が
ここからの、今の自分からの逃げ場を探すように、周りに目をやる。
日はすっかり暮れていた。
自分たちのいる場所が、繁華街を含む市街地と、その対岸の住宅地を結ぶ大鉄橋の歩道だということにも、今ようやく気付いた。
その、二人が立ち止まっていても
「でも」
トーチが、その中に、いる。
胸の内に灯を
男だったり、女だったり、老人だったり、子供だったり……たくさん、いる。
重い首を回して夜景を見渡せば、街明かりに混じって、彼らにだけ見える
自分の前に、広がっている。
いつか燃え尽き消える灯を、自分と同じものを、
「でも!」
少女の
それでも、せずにはいられない。
(僕が死んだなんて言われて!! ……いや、坂井悠二という人間はもう死んでるなんて言われて、この僕が、そうですか、って答えられるわけないじゃないか!!)
認められないのではない、認めたくない。
ただそれだけ。
「でもさっき、僕の体は傷ついて!」
「
即座に少女が答えた。
悠二は詰まりかけて、しかし再び返す。
「記憶だってある!」
「本人の残り
悠二は必死になって探した。自分を証明するもの、いや、自分が『生きた
「……」
目の前の少女は、待っている。
「…………」
自分が、それを示すのを。
「……………………」
あるいは、示せないことを理解するのを。
「…………………………………………」
ない。
なかった。
何一つ、示せない。
どうやっても、できない。
無力感が、全身を包む。改めて、
「僕が……坂井悠二が、とっくに、死んでいた?」
「そうよ」
もう一度、確認する。
「燃え尽きて、消える? ……僕が?」
「そうよ」
最後の抵抗は、弱々しかった。
「夢、じゃないのか?」
「ただの現実よ」
少女は
「……」
「もっとも、おまえはまだ
少女の言葉に、何も感じることができない。
自分は、いや、
そもそも、まず、なにより、
(今、この僕は、どうすればいいんだ?)
夜景に混じる、トーチの灯。
自分の胸にも、それがある。
「これが、現実だって?」
化け物を
何も為すことなく、覚えていてもらうことさえできず、消えてしまう自分。
「そりゃあ……ひどすぎるよ」
悠二の心底からの悲嘆に、少女はやはり、容赦なく答えた。
「そういうものよ」
翌日、
半身を起こすと、まず寝ぼけまなこで、自分の体を見下ろす。
寝巻き代わりのジャージを着た、自分。
(……夢でありますように……)
と願いつつ一度目を閉じ、また開く。
恐る恐る、胸に目をやる。
奥に
しばらくそのちろちろと燃える
「………………はあ……」
やがて深いため息をつく。
昨日の少女の声が脳裏に
肩を重くする、しかしはっきりと思い起こせる、強い声。
『ただの現実よ』
「……現実……」
自分の声で、我に返る。
そう、これは現実なのだった。
悠二は、心細さと怪物への恐怖から、
(今思えば、慌てたってのも
見えなくて結構ではないか。
それは、『自分が
ともあれ、現実はすぐに、
視線に力を入れた
悠二はそのとき感じた。推測ではなく、はっきりと感じた。
灯は常に、自分の中で
新しい目をもう一つ開けるように、見ようと思って初めて、この灯は目に映る。
(ああ、そうだ、昨日、そうして確かめたんだっけ)
悠二は、自分がこの感覚を昨晩の内に幾度となく試して、だいたいの
少女の言った、自分がとっくに死んでいるという、
自分は、坂井悠二の残り
いつか訪れるだろう、燃え尽き、消える日を、恐れるべきなのだろうか。
(なのだろうか?)
昨日は確かに抱いて、恐れていたのに。
今は、どうも薄ぼんやりとして、分からなくなっている。
それとも、どうしようもなさすぎる事実の前に、
(……? 待てよ)
ふと、もっと根本的な違和感があることに気が付いた。
(昨日も今も、僕は〝本物の
かつて生きていた、怪物に喰われる前の〝本物の坂井悠二〟なら、自分が死んだことに絶望し、その存在が消えてしまうことに恐怖するのも当然だ。
(じゃあ、〝今の僕〟は、どうなんだ? なんなんだ? どう思うべきなんだ?)
残り滓である自分は。
「……」
不意に悠二は、そんな
「……やめた」
こんな状況に追い込まれて、前向きに生きていけるほど強くはないと思うが、だからといって
そんな悠二の思いに答えるように、階下から母が声をかけてきた。
「
悠二は時計を見る。いつもなら居間に下りている時間を、十分はオーバーしていた。
「うえっ、もうこんな時間!?」
それまでの思案などどこかに放り捨てて、階段を大急ぎで
朝の時間密度は高い。寝床で
駆け込んだ居間でテレビを見れば、いつも朝食を食べながら見ることにしていたスポーツニュースも、もう終わっていた。いよいよ
居間の、半月前までこたつだった食卓の上に、ご飯と
坂井家は三人家族だが、父の
悠二が
「どうしたの、悠ちゃんが寝坊なんて珍しいわね」
「うん、ちょっと」
トーチではない。
母は、人間だった。
ほっとすると同時に、これも昨日と同じ、胸を締め付けられるような寂しさを覚える。
自分という存在が消えたら、両親はどうするだろう。いきなり、子供を持たなかったことになってしまう二人は。自分を育てた十五年という長い時間を、
しかし、『死ぬ』よりは、悲しみを後に残さないだけ、『消える』方がまだましかもしれない。いなかったことにされるのを悲しく思うのは結局、自分一人だけなのだし。
(やっぱり僕はドライなんだろうか)
いや、それでも二人のためには、二人の再出発には、余計な悲しみなど、ない方がいいに決まっている。幸い二人は学生のときに結婚しているから、まだ若い。自分がいなくなったら、身軽になった母は、父の所へ行って新しい生活なんか始めたりするかもしれない……。
「なに、ボーっとしてるの、悠ちゃん。もう出る時間でしょう?」
「え? ……あ!?」
非常に後ろ向きな未来像を描いていた
「ごちそうさま!」
悠二は半分も食べられなかった朝食を置いて、階段を
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
軽く声を交わして家を出た。
これだけのことが、何でもないことが、どうしてこんなにも悲しいのか。
「……」
悠二は、ドライになりきれていない自分を証明した気になって、少しだけ、ほっとした。
そんなことは分かっていた。
分かってはいたが、それでも。
悠二の住む
市の中央を割って南北に走る
悠二がこの四月から通ってほぼ一月になる市立御崎高校は、その西側、住宅地の中にある。自宅から徒歩で二十分ほどの近場だが、混み合った住宅地の中に建っているので、敷地に余裕がなく、自転車通学は原則的に禁止である。
悠二もこの規則を一応は守って、徒歩で通学している。
その、いつもの通学路も、今日ばかりは違って見える。正確には、違ってしまったのは自分の方で、この本当の状態が見えるようになった、ということのようだが。
自分と同じ、いつか燃え尽きて忘れ去られる運命の人々・トーチが、
灯の明暗による程度の差こそあれ、
そんな中で、
昨日見たように、そして、今見ているように。
「……」
「でさ、変身のときに色々間違えてピンチになったろ」
「そだね、お面とか魚とかでさ」
「うん」
「敵の方も面白かったぜ」
その中に、
やはり存在感が
それが、
ふ、と燃え尽き、消えた。
「……っ!」
何となく、いなくなった。
周りを歩く人はおろか、
実際、トーチだと認識している悠二でさえ、ほんの少しの違和感しか持てなかった。
少年は、全く、何となく、いなくなってしまった。
存在感を少しずつ無くしてゆく、というのはこういうことなのか。
それでも、何も変わらず、世界は動いていく。
これまでも、多くの人が、あんな
自分もいつか、ああやって消えてしまうのか。
思う悠二の体中に、冷たいものが走った。
(それにしても……)
昨日の少女が言うには、あの怪物たちは、この街で多くの人々を喰い続けているという。昨日も一人、それとも一体というのか、取り逃がしている。あの怪物や、その主……つまり親玉にあたる怪物が、今もどこかで人を喰い続けているのだ。しかも世界中で、これと同じことが行われているという。ひどい話だった。
そして悠二は、今になってようやく、気付かされていた。
昨晩も今朝も、母の無事に安心したが、これからもそうだという保証は、どこにもないということに。それは、これから確かめに行く学校の友人たちについても同じことだった。いつ襲われて、自分のようなトーチにされてしまうか分からない。
じわじわと危機感がつのってくるが、だからといってなにができるわけでもない。自分は
(そもそも、僕だって怪物一味の標的になってるらしいけど、なにができるわけでもない……だいたい、自分の身だって……)
昨日の
(守れない、よな……あの子が連中を早々に退治してくれることを祈るしかないのか)
なんとも情けない話だが、それこそ少女の言った、
『そういうものよ』
ということか。絶望や恐怖などよりも、まず無力感が先に立つ。
(そういえば、あの子は、今もどこかで戦っているのかな?)
歩きつつ、周りに目線をやるが、目に映るのは、いつもの通学通勤の
ただ、トーチが混じっているのが分かるだけの。
その雑踏の中、高校に通い始めて一ヶ月間の習慣として、悠二は
モデルがかぶっている
つらつらと流れる、なんでもない思い。
そうやって、逃避にも似た、
ポスターの前を通り過ぎたスーツ姿の女性、その胸の内にある
「!」
「……どうすれば、この僕は、どうすればいいんだ……?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます