(9番目)

 こうして春矢達が戸惑う中でも歌い始めた愛。すると最近は特に歌う事に執着し、その分無意識でも芽生えていた歌声に宿る力は更に強化。その効果なのだろう。逃げようとしていたはずの高島の思いとは裏腹にその足の動きは不思議と止まってしまう。それだけでなく歌声も自然耳に入ってきてもしまったのだから…。

(…っ、どういう事?私は…逃げようとしていたのに…。)

春矢から逃げようとした足が自分の意思に反して止まってしまった。しかも春矢の声ですら耳に入れないようにしていたはずだというのに、愛の歌声は何故か耳に入ってきて。強制的な感覚に高島は動揺してしまう。だが、それ以上に高島が驚いたのは周囲の光景が変わってしまった事だ。いくつものビルが建ち並ぶ街中らしい光景から、何処かのホール内のものに…。

(…っ!?私、屋外にいたのに…。しかも目を閉じても見えてくる…。)

周りの光景が変わったばかりか、目を閉じても頭の中に流れ込んでくるかのように見え続けるのだ。動揺してしまうのは当然だろう。更に高島自身は最初客席にいたのだが、ステージへ上がるように黒子姿の何者から手招きされた事。何より聞こえ続ける愛の歌声はまだ高島を動かすような力を持ち続けていたらしい。その世界の中の高島の足はステージへと向かっていく。そして黒子の隣に並ぶと歌声に合わせるように声を発した。


 すると高島の動きは愛の唄の力だけで見えていた世界の中だけのものではなかったらしい。それを物語るように彼女の口は自然と開かれると喉も震え始める。愛の歌声に合わせるように…。

「っ、すごい…。」

「綺麗…。」

日はあまり経過していないとはいえ、元々歌手としてメジャーデビュー出来たぐらいには実力があったのだ。愛の力に動揺しながらも歌声を認識する事が出来れば、それに合わせるのは難しいものではなかった。その事を物語るように愛の唄に合わせられた声は見事なもので。春矢達だけでなく観客も思わず声を漏らしてしまうほどだった。


数分後。愛の歌声で少し強引に出された形ではあったが、久し振りに全力で歌えたからだろう。疲労よりも達成感や満足感を得る事が出来た高島。それは彼女の精神状態を更に落ち着かせるものになったのか。振り向いたかと思うと愛に近付いていき告げた。

「その…ありがとう。あなたの唄のおかげでまた歌えそうだわ。」

「…。」

「でも勿体ないわね、あなた。いえ…あなただけじゃない。彼やその子の演奏も含めて勿体ないと思うわ。表舞台に十分出られそうなのに。」

「え…?」

「はぁ…。」

歌唱だけではなく春矢や真歩の演奏も褒めてきたのだ。皆は困惑してしまう。それでも皆を代表するように愛は告げた。

「…褒めてくれて嬉しいです。ただ…私達これ以上は目立つ事をしないつもり、だから。」

「あら、そうなの?良い所まで行けると思うのに。…あなた達も同じかしら?」

「そうだな。あくまで趣味だな。」

「私も。弟や妹達がいるので。」

「そう…。残念だわ。」

言葉通り愛と同様に春矢や真歩もプロとしてデビューする事までは志していない。何より少し前まで自分達に敵意のようなものを向けてきた相手が急に自分と同じ業界に誘うような事を告げてきたのだ。困惑した様子で誘いを断る言葉を口にするのは当然だろう。そして高島の方も本気ではなかったのか。ただ単に再び歌えそうな状態に戻れた事に満足したのか。愛と共に断る春矢と真歩に対しても特に問い詰める事なく、そこから満足そうに立ち去っていくのだった。

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