3

「――――ッ!」


 最初に目を見開いたのは腕鎧の男で、何が起きたのか理解したのも彼だった。

 続いてもう一人の背の高い護衛が、残りの人間は同時に状況を目の当たりにした。


「どうか、やめてもらえませんか。彼は私たちの家族であり、父であり、恩人なんです」


 今度は銀髪の男の腕が動かなかった。

 何度か力を入れてみるが、鎧が軋みそうなほどの力で止められている。

 腕鎧の男が横目に見ると、自分とそう歳の離れていない黒髪の男が立っていた。

 一見すると独り身の寂しさが表情を暗くしているような印象を受けるが、護衛の男には理解することができた。

 これは、無数の戦いを潜り抜けてきた強者が辿り着く、悲しみを刻んだ貌だと。


「ひっ」


 ホープが小さく悲鳴を漏らしたが、自分でそれに気がつくと、踵でテーブルを叩き、誤魔化すように大声を出した。


「なにやってる、早くこいつを摘み出せ!」

「聞いてください。エマさんは、私たちにとって娘のような存在なんです」

「父だの娘だの、そんな言葉で私たちが引き下がるとでも?」


 ウィリアムがホープを助けるように口を挟んだ。


「思っていません。でも、今ならまだ穏便に済みます。彼女の心には深い傷が残るでしょうが、それでも、これから起こることに比べたら――」


 懐に手を入れたウィリアムの姿を見た瞬間、腕鎧の男は左手を離した。

 いまだに状況に適応できていないギルドマスターが糸の切れた操り人形のように座り込み、男はディランの手を掴もうとした。

 ディランは男の左腕を解放し、一歩後ろに下がると、背後から魔導銃で狙いを定めている背の高い男を横目で睨みつけた。


「――っと」


 右半身の能力を最大限に生かそうとしていた男は、ディランの気迫に当てられて右足で後ろに飛んだ。

 場には戦えるものが六人いた。しかし、ホープには立ち上がる気力がなく、ウィリアムは自分が護衛の足手纏いになることを理解していて、ギルドマスターは娘を魔導銃の流れ弾から守ろうと動くつもりはない。

 実際には、ディランと二人の護衛だけが戦闘体制をとっていた。


「アレクセイ、レイズン! あいつを殺せ!」


 アレクセイと呼ばれた腕鎧の男。

 背が高く、獲物を狙う獣のような細い目をしたレイズン。

 二人はウィリアムの命を受けて、殺しのスイッチを入れた。

 だが、その言葉よりも早く動き出していたディランが、レイズンの心臓目掛けて右拳を突き出す。


 自分の目の前に男が立っていたことに、レイズンは自分の身体が空中を漂っている間に気付いた。

 彼の動きは全く見えなかったが、幾度となく死地へ赴いてきた貯金があったのか、身体が命を守るために一人でに動いた。

 だが、それでも両腕を重ねて防御するのが精一杯で、レイズンはそのまま吹き飛ばされ、窓ガラスを破って落ちていった。

 上流貴族の護衛に抜擢される人間がこの程度で死ぬはずがないが、戻ってくるまでに戦いは終わる。ディランは背後から迫る腕鎧の音を聞きながら思った。


 歴戦の槍使いが放つ突きのような正確な左拳がディランの後頭部を狙うが、彼は右回りに体勢を低くしつつそれを躱す。流れのまま左の低いアッパー、右のストレートを見舞おうとするも、アレクセイは鎧で軌道を逸らして身を守る。

 二人の戦士は何度か拳を合わせるが、どちらも決定打にはなり得ない。応接室という広くない場所では文字通りの格闘を演じるのは難しいし、ディランはウィリアムとホープにも目を光らせている。


 読み通り、ウィリアムは懐から魔導銃を抜き出すと、それをディランの方へ向ける。

 ディランは魔導銃を躱すことができる。それに、銃の射線にはアレクセイが立っているから、狙いを付けるのも難しい。彼が発射したタイミングを見計らって、手強い銀髪の男を射線に誘い出せれば状況は好転する。

 そう思っていたが――ウィリアムは銃をエマへと向け、容赦なく引き金を引いた。


 ギルドマスターは反応できなかった。エマを庇おうとしたが、遅かった。ウィリアムの顔が勝利に歪む。しかし――、


 魔導銃から発射された麻酔の効果のあるそれは、ディランに着弾した。銃がエマに向けられた時、動揺したのはディランだけではなかった。

 アレクセイは相対する男から異変を感じ取り、一瞬早く戦いを捨てた男を見逃すことになる。

 とはいえ、概ねウィリアムの予想通りだった。エマに対して銃を向けることで、闖入者の気を逸らすことができるだろう、そうすればフォルモンドお抱えの用心棒の機になる。

 結果は最良のもので、相手は自ら敗北を選んだ。

 ウィリアムの肺は、知らずのうちに安堵していた。


「どんな夢を見ていたか、後で教えてくれるかな? ドラゴンに噛み殺されていなければな」

 

 恐るべき速さで身を挺した男は、意識を手放した。


 ・


 少しだけ開かれていた応接室の扉から一部始終を見ていたセルゲイは、彼らがギルドマスターとエマ、そしてディランを連れて行く間、マスターの私室に隠れていた。

 応接室の扉が強く閉じられる音を聞いてからしばらくして、ゆっくりと部屋から顔を出して周囲の様子を探る。

 先ほどディランと戦っていたアレクセイという男の背中が見えて、セルゲイはぎょっとした。

 扉の外の男は何故かしばらく立ち止まったままで、自分の存在を勘付かれてしまったのではないかと肝を冷やすが、やがて男が階段を降りる音が聞こえた。


(もう……誰もいないみたいだ)


 セルゲイはするりと、いまだに緊張感を保ちながら部屋を出ると、応接室の様子を見に向かう。

 部屋に人影はない。しかし、格式高いテーブルやソファの乱雑な位置取りが、この場所で何か荒々しい出来事が起こったことを伝えていた。

 レイズンと呼ばれた不気味な男が殴り飛ばされたことで窓ガラスが割れていて、そこから生ぬるい風が入り込んでいる。

 部屋を歩き回っていたセルゲイは、やがてしゃがみ込んで机の下を覗き始めた。そうして細部まで観察していると、何かが落ちていることに気がつく。

 近付いて手に取ると、それは金色のボタンだった。


「これは……さっきの腕鎧の男のつけていたボタン……? も、もしかして――」


 この手のひらにあるものが、偶然の産物だとは思わなかった。セルゲイはボタンに魔力を流し、痕跡魔術を発動する。

 痕跡魔術の発現方法にはいくつか種類があり、一般的なものが「投影」と「読み込み」だ。

 投影は、その場所の記憶を呼び起こして、それを幻影のように再現する方法。記憶する場所と投影する場所が同じでなければならないが、鮮明に再現することができる。

 読み込みは、物などの記憶を自分の脳内にコピーする方法。こちらは断片的にしか読み取ることはできないが、場所を選ばない。

 今、セルゲイが行おうとしているのは「読み込み」の方だ。応接室で起きたことはほとんど目視できたし、彼らがどこへ行ったのか知るためには、ボタンの記憶を読み込む必要がある。


 ボタンに流された魔力は、最初は物体に留まっていたが、徐々に絡まり合う線になってセルゲイの頭部へ向かっていく。

 この魔力の線――ボタンの記憶が青年の頭部に到達すると、彼にさまざまな情報を伝えた。


 最初に確認できたのは、ウィリアムの下衆な笑顔だった。明かりが部屋に降り注ぎ、趣味の悪い絨毯を強調している。

 彼が何か言っていて、隣にいるのは――ホープだ。

 次に意識がホープの方へ流れ、「これでしばらく遊べそうだね」と言うのが聞こえた。


(しばらく遊べそう?)

 

 彼らが見ているものはなんだろうと、セルゲイは再び精神に志向性を与える。だんだんと意識がホープから剥がれていき――次の瞬間、彼は目を疑った。


 裸の女。女たち。それも、まだ十代の女たちが寝かされていた。

 彼女たちの意識はない――おそらく眠らされている――ようで、合計で五人の女が裸で一列に眠らされていた。

 セルゲイは胃液を堰き止めるのに必死だった。

 外道と言わずなんと言うのだ。きっと、エマもこうなってしまう。それが目的だったんだ。

 彼は叫び出したい気持ちだったが、わずかに残っていた理性がそれを止めた。ここで意識を途切れさせてしまえば、再び同じ記憶を探るのは難しい。

 得られた情報は彼らの嫌らしい人間性だけで、ここがどこなのかがわからない。 

 フォルモンドの家の場所は知られているが、ウィンドモアには多数の敷地がある。一つ一つの位置が離れているから、当てずっぽうで乗り込むことはできない。どうにかして、この暴虐が行われている現場を知らなければならない。


(絶対にこの場所を……)


 しかし、うら若い青年に先ほどの光景は刺激的過ぎた。さまざまな感情が入り混じり、記憶の場面が変わってしまう。

 セルゲイは自分の至らなさに落胆した。数少ないチャンスを逃してしまったのだ。集中力はたちまち霧散した。


「そんな……これじゃあエマやマスターがどこに連れて行かれたか、なにより、僕を信じてくれたディランさんに合わせる顔が――」


 実際には、ディランの言葉はセルゲイの若さ故の無謀さを抑制しようという考えが大半だったが、当の若者は自分が頼られていると感じていた。

 自分よりも年長の――普段は表に出さないが――間違いなく経験豊富な男。尊敬すべき、自分に道を示してくれた男がむけてくれた信頼。それを裏切ってしまうことの罪悪感。

 その絶望にセルゲイは打ちひしがれ、ボタンを落とし、地面にへたり込む。


(やっぱり、こんな魔術じゃなんの役にも立たないんだ……)


 自分の爪が手のひらに刺さった痛みで初めて、無意識のうちに拳を固く握りしめていたことに気がつく。

 自分の手とボタン、美しい絨毯、全てがぼやけていく。それらに涙が落ちるのは痛みのせいではなかった。


(でも――)


 無力さはセルゲイの心をへし折りはしたが、それで足を止めてしまうほど彼は老いていない。

 彼の瞳に映る涙で揺れる風景は、いつのまにか揺らめく炎に変わっていた。


(でも僕が諦めるわけにはいかない。ここで諦めたら全部がダメになる。考えるんだ!)


 何かヒントはないのかと、セルゲイは思考を巡らせる。これまでの全てを思い出すには時間が足りない。

 痕跡魔術を使う前であれば推理の時間をたっぷりと用意できただろうが、生まれたままの姿で眠らされた女性たちの姿を見て、そんな余裕はないと理解してしまったからだ。

 

「絶対に、道筋はあるはず――」


 思考を続けていると、ふと、ウィリアムが言っていたことを思い出す。


『ドラゴンに噛み殺されていなければな』


 銃を発射した後、ディランに向けて放った言葉。

 これがどうにも引っかかる。


(ドラゴンに噛み殺されるだなんて、どうしてそんな表現を使うんだ?)


 ドラゴンは人間の共存することはできず、周囲の生き物を全て喰らい尽くす。そういう生き物のはずだ。

 しかし、先ほどの言い草は「ドラゴンがウィリアムの仲間である」ように感じられる。

 もちろん、これが比喩である可能性があるのは理解していた。この麻酔は強大な生物の攻撃にも匹敵する威力だと。

 だが、どうしてかこの部分が小骨のように喉につっかえている。

 フォルモンド家が過去にドラゴン討伐に多大な貢献をしたことは事実であり、ある意味彼らにとってドラゴンは「幸」と考えられるが、それでも甘く見ている節がある。

 セルゲイの所属するギルドメンバーの全員で戦ったとしても、灼熱の炎を吐き、一挙手一投足が死につながるドラゴンに勝てる可能性はわずか。そんな相手をどうして甘く見れるのか。


(この後、ディランさんを拷問にかけるのかもしれない。ただ、自分をドラゴン例えるのは貴族らしくない)


 下卑た笑みを浮かべて言い放ったウィリアム。皮肉を言っているというよりは、事実を述べているように見えた。


(……もしかして、本当にドラゴンが?)


 他種族どころか同種でも殺し合う運命だというのに、フォルモンド家はドラゴンを保有しているのだろうか。


(そんなことは不可能だ、不可能なはずだ。……でも、仮にドラゴンがフォルモンドの手中にあるとして、捉えたディランさんをドラゴンの――餌なんかにするなら……)


 なんのために恐ろしい魔物を捉えているのかは分からないが、自分たちの横暴な生活を邪魔する者を消すためなら納得できる。

 一般的な魔物と違って死体を残さず喰らい尽くしてしまうだろうし、焼き尽くされれば灰となって風に掃除される。つまり、痕跡は残らない。

 納得がいった瞬間、絶望的なまでの冷たさが背筋を走った。

 このままではディランが喰われてしまう。エマやマスターも悲惨な目に遭う。

 だが、全員が全員、どこへ連れ去られたのか明かすことはできなかった。自分の未熟な魔術では核心はつけなかった。

 しかし、セルゲイにギルドの面々に頼るという選択肢はない。


(みんなは家族を人質に取られてる、僕が一人でやるしかないんだ。頼りない魔術でも、戦うことすらままならなくても探さなきゃ)


 セルゲイは第一目標をディランに定めた。

 仮に、エマやマスターが連行された場所を見つけられたとして、自分一人に何ができるというのか。

 たとえ二人を助け出すことができたとして、その後の状況はどうにもならない。自分が殺された後、二人は再び地獄に連れ戻されるだけだ。

 それに対して、もしディランを解放することができたなら。セルゲイは先刻のディランの立ち回りを見て驚愕した。

 素人目ではあるが、彼の動きは、他のギルドメンバーの誰よりも力強く、精密だったからだ。

 ウィリアムの卑怯な行為によって捉えられてしまったが、それがなければ、勝利したのはディランだった可能性が高いのではないか。

 自分がドラゴンに喰い殺されることになっても、ディランの救助さえ間に合えば。そうすれば、彼は二人の元へ向かってくれるだろう。

 セルゲイは必死に考えた。ディランが連れて行かれる場所はどこか。ドラゴンという巨体を、ウィンドモアの人々に気付かれることなく置いておける場所はどこか。

 青年はやがて「百年ほど前から放置されている闘技場」ならばフォルモンド家の管轄であり、人も寄り付かないのではないかとひらめき、三人の人間が連れ出されたショックに揺れる一階の人々の声を置き去りにして外に出た。

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