第16話 *神野希春*
*神野希春*
莉子ちゃんが実験室を出て行った後、すぐに上重さんが入室してきた。廊下で上重さんと莉子ちゃんと何を話していたか聞こえていた俺は、さっそうと入ってくる彼女を見て、少し吹き出しながら尋ねる。
「ねえ、三年が一年の教室の前をたまたま通ることってあるの?」
すると上重さんは「はぁ」とため息をついた後に「弟くんに言われたのよ」と一枚の紙を、ペラリと俺に見せた。受け取ると、今月の見守り当番表だった。なんで今更こんな物を?
「下よ、下」
「下?」
不思議がる俺に、上重さんが「下を見ろ」という。目をやると、「亀井さん用」と書かれてあった。
「なに、この亀井さん用って?」
「さっき弟くんがすごい息を切らせて私の教室まで来て、亀井を脅すために、見守り表を改ざんしてほしいって頼んできたのよ」
「亀井さんを脅す?」
何のために?また亀井さんが莉子ちゃんに何か悪い事しているのかな?
前、下校中に亀井さんが莉子ちゃんに詰め寄っているところを見た。あれは、嫉妬心から来るものだ。女性の怖さっていうのかな。亀井さんはそのヒエラルキーの頂点にいるような人だから、最悪の場合は、莉子ちゃんがイジメられる可能性も視野に入れないといけないかもね……。
俺が嫌な予想をしたところで、上重さんが「心配ご無用よ」と説明する。
「彼女、案の定、小野宮さんのカバンに手を伸ばして何かをしようとしていたの。だから、言っておいたわ。もしも私の部員に何かすることがあれば、この表を皆に配るからよろしくね、って」
「そしたら?」
「彼女、顔が真っ青になって、もうしません!って逃げていったわ」
「そりゃ、これを見たらねぇ……」
亀井さん用の当番表には、毎日亀井さんの名前が入っていた。毎朝七時に校門に集合して見守りをしろと言われたら、さすがに小野宮さんからは手を引くかな。
「瞬時にここまでの予想をする斗真も斗真だけど、この資料をすぐ作って教室に持っていく上重さんも上重さんだよね」
「どうせ怖いわよ」
フンと、そっぽを向く上重さん。そういえば今日、上重さんに怒られながら告白されたんだった……。
さっきの莉子ちゃんの話、斗真と上重さんが一緒にいたのは――俺に告白をした後に教室を飛び出した上重さんと、その上重さんを追いかけた斗真が、二人で授業をさぼってたって事だよね?
「あの時……追いかけてあげられなくてごめんね」
「……なんの話?」
上重さんは、知らぬ存ぜぬを貫き通そうとする。告白はなかったことにしたいって、そう思っているのかな。
「さっき上重さんは自分の事を怖いってそういってたけど、俺から見た上重さんはカッコいいよ。一年の時からずっと、そう思ってた」
「……あなたにカッコいいって言われても何も嬉しくないわ」
「そうだよね……でも」
さっきの莉子ちゃんの顔が目に浮かぶ。必死に俺に想いを伝えてくれた莉子ちゃん。俺も、もっと自分の気持ちを口にしないとダメだよね。
「そんなカッコいい上重さんに好きって言ってもらえて、俺は嬉しかった。素直に、嬉しかったんだよ」
「……」
「ありがとう、好きって言ってくれて。まだ知らない上重さんの事を、知っていけたらいいなって思うよ」
すると上重さんは「プ」と笑った。
「三年間も一緒のクラスだったのに、まだ私の事しらない事あるの?」
「そ、そりゃあるよ!」
「私は知ってるわよ。神野くんは鈍感だってことも、いま傷心中だってことも」
「!」
傷心中――その言葉が胸に刺さる。自然と、ため息が出た。
「莉子ちゃんに不用意に近づいたり、ほのめかしたりしたのは……斗真が珍しい反応をした女の子だからなんだ。俺は昔から斗真の事を羨んでいて……斗真が特別視する莉子ちゃんに、興味を持ったんだ」
「そしてミイラ取りがミイラになったのね」
あきれた声で言われ、ぐうの音も出ない。
「そうだね。気づいたら本気で好きになっていたのかも。だから困ったよ。莉子ちゃんから好きだったって言われた時、あのまま、実は俺も好きなんだって言ってしまおうかどうか……すごく悩んだ」
莉子ちゃんの前で、顔を隠した一分間――あの時間で、俺は久しぶりに自分に自信が持てた気がする。斗真と比較をしない自分。引け目を感じない自分。
莉子ちゃん、俺の方こそね、君に惹かれ始めていたんだよ。あの場で君と友達になる選択をした俺の心は、上重さんの言う通り、確かに傷ついていたのかもね。だけど、俺は自分の言ったことに後悔はないよ。
むしろ――弟へ向かっていく君を、俺は迷いなく、全力で強く押したい。そして君が困った時は、初めて会った日のように、手を差し伸べてあげたい。それが好きだった人に出来る、唯一の事だと思うから。
莉子ちゃん、俺の方こそ好きになってくれて、ありがとう。君と会う事ができて、本当によかった――
「いっその事かっさらっちゃえば良かったんじゃない?小野宮さんは、まだ斗真くんが好きって確信してたわけじゃなかったでしょ?」
「そうだね。でも、明らかに斗真が好きって顔をされていたら、いくら俺と付き合ったとしても、誰も幸せにならないからね」
「そうだけど……」
上重さんは、理解はできるけど納得がいかないようだった。そんなありのままをさらけ出してくれる彼女に、親近感が湧く。
「上重さんって、結構グイグイいく派なんだね?」
「そうよって言いたいけど、本当にグイグイいく人なら、三年間も好きって気持ちを隠してないと思うわ」
「そりゃそーかも」
二人で笑う。お互いが、お互いの初めての姿を見たようで、初めて上重さんと話しているかのような――そんな気持ちになった。
「あーあ、俺ももっと斗真みたいに強引にアタックすればよかったのかなぁ」
外を見ながらぼやいてみる。だけど心は妙にスッキリしていて、清々しかった。俺の隣に上重さんがやってくる。そして同じく外を見ながら、まるで独り言のように呟いた。
「鈍感で、そういう奥手な希春くんの事を好きな女の子が、すぐ近くにいるんだけどなぁ」
「……っ」
不意打ち。ちょっとドキッとしてしまった。俺は上重さんを見て笑う。
「お手柔らかに」
すると彼女は今まで見たことのないような柔らかい笑みを、俺に返した。
*神野 希春*end
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