第14話 私の知らない神野くん



『お前もしかしてだけど……副委員長に嫉妬したのか?』

『副委員長とキスした俺が、許せなかったのかよ?』



神野くんからそう言われた時――早乙女くんと話していた時よりも、自分の中で納得がいった。胸に引っかかっていた物が、ストンと落ちたような……スッキリした気持ちになった。


私の中で、神野くんは先生?

友達?

それとも――?



『好きだ小野宮。お前だけが、ずっと』



お願い、誰か。

誰か私に、

本当の答えを教えて――。



「小野宮!待てよ!!」



神野くんに私の想いを指摘されて、そして、まるで見透かされたようで……。その場にいることに耐えられなくなって、思わず教室を飛び出してしまった。



「ハァ、ハァ……ッ!」



分かってる。私の鈍足じゃ、神野くんにすぐ追いつかれる。けど、まだ分かってない。私の中にある気持ちがなんなのか、まだ分かってない。



「(考える時間がほしい……っ)」



次に神野くんに捕まったら、絶対また聞かれる。「俺のこと好きか」って聞かれる。私の気持ちに向き合った後で、ちゃんと神野くんと向き合いたいから、だから、今は時間が欲しい。



「でも、すぐ、」



捕まってしまう――そう思った時だった。ある教室の前を通った時に、横からニュッと手が伸びできた。そして的確に私の腕を掴み、中に引きずり込む。



「き、」



思わず叫びそうになった時、大きな手が私の口を塞いだ。



「(なに?誰……っ!?)」



恐怖から目を開けられない。両手を、体を抱きしめるように自身に回した。だけど――



「ごめん莉子ちゃん、俺だよ。希春」

「へ……」



目を開けると、本当に希春先輩がいた。



「いきなりごめんね。先生にここに提出物を持ってくるように言われててね。でも、いきなり斗真の大きな声が聞こえたから様子を伺ってたら、必死な顔で莉子ちゃんが走って来て……助けた方がいいのなって思って引っ張っちゃった。ごめんね、迷惑じゃなかった?」

「い、いえ……」



むしろ、本当に助かったので、深々と頭を下げる。希春先輩は汗だくの私とは違って、いつもの優しい笑顔を向けてくれた。全身から汗が出ている私は恥ずかしくて照れくさくて、目をそらすように教室の中を見回す。ビーカーに真っ黒な机、フラスコ……ここが化学実験室だと、すぐに分かった。一番前の机には、沢山の数のノートがある。きっと今、希春先輩が持ってきたんだろうな。



「それで、莉子ちゃん」

「は、はいっ」


「どうして斗真に追いかけられてたの?」

「え、と……」



私が急に逃げたから――とも言いにくい。どう答えようか悩んでいると、希春先輩が「訳がありそうだね」と、ニヤッと怪しく笑う。



「た、大層なわけが、あるわけじゃ……ないん、ですけど……」



わけわけ言ってしまって、頭がこんがらがる。希春先輩はプッと吹き出して「無理しなくていいよ」と気遣ってくれた。



「もし斗真で困ってるなら、また相談してね。莉子ちゃんが振り回されてないか心配なんだ」

「希春、先輩……」



希春先輩が本当に心配してくれてるのが分かる。「なんでもない」と言おうとした、けど……私の中の疑問を、思い切って希春先輩にぶつけてみるのも良いかもしれない。



「あの、じゃあ……相談、いいですか?」

「もちろんだよ」



希春先輩は私に、近くの席に座るように促す。お言葉に甘えて私が座ると、希春先輩は隣に座った。



「(なんか……変な感じ)」



希春先輩と一緒に授業を受けているみたいで……嬉しいけど、ちょっとくすぐったい。そんな事を思っていた時だった。希春先輩が、ポツリと呟く。



「こうやって莉子ちゃんと一緒に、授業を受けてみたかったなぁ」

「っ!」



希春先輩の言葉に、ドキッとした。まさか先輩もそんな事を思っててくれていたなんて……。



「私も……そう、思って、ました」

「はは、やっぱり?きっと俺が、頭のいい莉子ちゃんに分からない所をいっぱい聞くんだろうな〜」

「わ、私なんて……っ」



両手をブンブン振ると、希春先輩が「謙遜しないで」と私をたしなめる。



「だって莉子ちゃん、本当に頭いいでしょ?」

「よ、良くない、ですよっ」

「またまた〜」



そして次の瞬間。希春先輩は口にした。すごくスムーズに、私の事を、こう言った。



「首席で入学したくせに〜」



その言葉を聞いて、私は固まる。



「え……?」



すると希春先輩は「ん?」と言って、自分の言った事に間違いはないと、確信している表情だった。もちろん、疑問に思う。私が主席で入学したことは、先生しか知らないはず――



「あの、なんで……知って……?」

「え?なんでって、斗真が言ってたよ」

「神野くん……?」



ますます分からない。え、なに……?なんで神野くんが、私が主席で入ったこと知ってるの?


すると、私の反応を見た希春先輩が何かを察したようで「もしかして知らない?」と私の顔を覗き込む。



「知らないって……なに、を……」



私の知らない事を、希春先輩は知っている――?


大人しく希春先輩の言葉を待つ。だけど、次に聞いたのは、衝撃的な言葉だった。



「莉子ちゃんに代わって新入生代表の挨拶をしたのは、斗真だよ」

「……へ?」


「あれ?本当に知らない?」

「先生からは、新入生代表の挨拶は、割愛したと……そう聞かされて、いたので……」


「え!?なんでまた先生はそんなウソを?」

「……」



私は、何となく分かってしまった。先生が私にウソを言った理由。私に気を使ったんだ。私に遠慮して、本当の事を伝えるのは控えた。その代わり、神野くんが全てを背負った。私が背負うべき重荷を全て、今まで私に文句を言うことも無く、一人で――



「莉子ちゃん?大丈夫?」

「あ、あの……私のことを、斗真くんは、いつ、主席だと知って……」


「初めは先生も、莉子ちゃんが挨拶をする予定だったとは斗真に黙ってたみたいなんだけどね。でも、入学式の日に莉子ちゃん休んだでしょ?保護者の方が学校に連絡した時に、ちょうど斗真が職員室にいたらしいよ。莉子ちゃんが主席で入学したってことを先生が喋っちゃったらしくて、その時に知ったみたい」

「う……そ……っ」



頭の中が、真っ白になった。真っ白な頭の中に蘇る、断片的な記憶。書き上げた分厚い原稿。高い橋の上。冬の冷たい水。そして――止まらない涙。



「(神野くん……っ)」



出てきた記憶にもう一度蓋をして、神野くんに思いを馳せる。知らなかった。神野くんが私の代わりに新入生代表の挨拶をしてくれたなんて、知らなかった。



「(それなのに、私は……っ)」



怖いからと避け、話したくないからと逃げ、会わないように隠れ続けた。一言も、お礼を言わずに……。



「うっ……」

「莉子ちゃん……」



泣いた私に、希春先輩は教卓にあったティッシュの箱を渡してくれた。



「はい、これ。使って」

「あり、がとう……ござい、ますっ」


「ビックリするよね。何も聞かされてなかったんだもんね」

「うぅ〜……っ」



拭いても拭いても止まらない涙が、私の顔を伝う。神野くんは今までどんな気持ちで私を見て、どんな事を感じて、そして、



『好きだ小野宮。俺は、お前のことが好きなんだ』



どんな気持ちで、あの言葉を言ってくれたんだろう。どんな想いで、私に気持ちを伝えてくれていたんだろう?



「私、神野くんに、謝りたい……っ。ずっと、ずっと、神野くんに、ひどい事を、してきて……っ」

「莉子ちゃん……」



私は、逃げてばかりだ。逃げて逃げて、沢山逃げて……まだ顔も名前も知らない私の事を助けてくれた神野くんに、何一つ恩を返せていない。



「自分が、嫌い……っ」



成長したって思っていたけど、結局、私は守られ続けていた。昔から、今まで、ずっと。ずっとずっと神野くんに、守られていたんだね……。



「今、こんなことを言うのは違うのかも知れないけど……」

「?」



涙を拭きながら希春先輩を見る。希春先輩は、誰もいないのに辺りをキョロキョロして「内緒だよ」と私に耳打ちした。



「実は斗真、挨拶を急に任されたの、すっごい怒ってた」

「!」



そ、そりゃ、そうだよね……。しかも私、土壇場で辞退したから余計に……。「でもね」と、希春先輩。



「実は俺も、新入生代表の挨拶をした身でね。斗真をサポートしてあげられるって、すごい嬉しかったんだよ」

「え」

「でも結果すごくウザがられてね。結局、一人きりで原稿完成させちゃったんだよ」



す、すごい……。さすが斗真くん……やること全てがカッコいいな……本当に王子様みたいな人。



「神野くん……なんでも、できますね」

「俺もそう思うよ。昔から斗真は何でも出来たんだ。何でも、たった一人でやり遂げて。その姿が一匹狼みたいな奴だなって、ひっそり思ってた」

「お、狼……」



それは案外……似合ってるかも。



「もっとニコニコして、もっと友達作ってワイワイした方が絶対楽しいって、俺は思ってたんだ。でも、斗真はずっとツンケンしてた。ずっとツンケンして、ずっと一人のような……それが寂しそうに見えたんだ」



希春先輩が私と目を合わせなくなった。どこか遠くを見ているような、そんな感じ。



「(希春先輩……)」



こんな希春先輩は初めてのような気がして、吸い込まれる。もっと話してほしくて堪らなくなる。希春先輩が抱いてる思いも、昔の神野くんの姿も、どっちも聞きたくて仕方なかった。「でもね」と希春先輩が続ける。



「斗真はいつも一人なようで、一人じゃないんだよね。いつも皆から頼られて、そしてそれに応えていた。よくいう“ 正義のヒーロー”そのものだよね」

「(コクン)」



よく分かる。私にとっても神野くんは、正義のヒーローだから。王子様でもあり、正義のヒーローでもあり。昔から神野くんの通り名は、カッコイイものばかりなんだろうな。



「私も、神野くんは、カッコイイと、思います……」

「うん。弟を褒めてくれてありがとう」



希春先輩が笑う。そして「でもね」と眉を顰めた。



「兄として情けないけど、斗真が褒められると悔しいんだ。劣等感を覚えてね」

「え……」


「俺の周りの人は、いつも斗真を見る。斗真を褒める。俺じゃない。そつ無く何でもこなす斗真が、皆カッコよく見えるんだ。俺も、その一人。でも、だからこそ、斗真を心配してる場合じゃなかった。俺は自分にあぐらをかいてる場合じゃなかったって、いつの日か思い知らされたよ」

「(希春先輩……)」



全てを包み隠さず話してくれる希春先輩。初めて希春先輩の本当の顔を見られたようで、嬉しかった。いつも遠くにいた気がする先輩が、本当に私の隣にいることを実感出来る。等身大の先輩に、初めて会うことが出来た。その事が嬉しくて、口が勝手に動く。



「神野くんも、同じ事を、言ってました」

「同じ?」

「はい。私が、まだ神野くんと、希春先輩が、兄弟だって、知らなかった時……」



『どーせお前も“見た目も性格も正反対だ”とか思ってんだろ』

『どーせ俺は愛想良くねーよ。ニコニコできねーよ。だって今更だろ。どうせ俺は似合わねーんだよ。それに、出来たらとっくにやってるっての』



あのムッとした表情。眉間にシワを寄せて、不貞腐れたような顔。その表情に見え隠れする「劣等感と羨望」。



「なれるなら、希春先輩のように、なりたかった……神野くんの、口ぶりは……そんな風に、私には、聞こえました」

「斗真が……」



希春先輩は驚いた顔をして、素早く机に伏せた。顔の横に腕をピッタリくっつけて、顔を見られるのを完全にガードしてる。



「せ、先輩……?」

「いや、ごめん。ちょっと……あまりにも、その……嬉しくて」


「へ?」

「ニヤけた顔が変だから、ちょっとタンマ!」



顔を伏せた所から、希春先輩の籠った声が聞こえる。だけど篭った声とは裏腹に、とてもスッキリした声色だった。



「喜んで、ますか……?」



オズオズと聞くと、希春先輩はガバッと顔を上げて、両手で口を隠したまま頷いた。そして、



「ウチの弟、可愛すぎない?」



と、嬉しそうに目を細めた。無邪気にはしゃぐ先輩が可愛くて、ちょっとだけ面白くて……暫く二人で笑った。その姿は本当に同級生みたいで……見方を変えれば、付き合ってる彼氏彼女にも見える気がして。私は少し、嬉しくなった。


そう。嬉しくなった…………ハズだった。

だけど――



「……」

「莉子ちゃん?」



希春先輩が、急に黙った私の顔の前で、手をヒラヒラさせる。それを目で追うと、希春先輩と視線がぶつかった。



「希春先輩……」



私が呟く。すると希春先輩が、優しく、全てお見通しと言わんばかりの笑みで頷いた。



「次は、莉子ちゃんの番だね。ココに、何が溜まってるのかな」



自分の心臓あたりを指して「ココ」と言った希春先輩。私も思わず「ココ」を押さえる。


ドクン、ドクン――


私の「ココ」が、まるで「早く出せ」と言わんばかりに唸る。



「聞いて、くれますか?」



「ココ」の鍵は開けた。あとは開いている扉に、私自身が気づくだけだ――

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