2-12 鳴き声


 レオスの住んでいたアーケイオンの町は、この世界へと召喚された初日にコルンが魔法の水鏡でメディナジャンの湖畔だと言って見せてくれた景色があったけど、その湖畔にあった町の一つだったと言う。メディナジャンの湖畔の澄んだ豊かな水源を活用した工芸の町として多くの職人が住んでいたそうだ。レオスのお父さんのような鍛冶師の他にもガラス細工師、湖畔に生い茂っていた木々や草花を使ったアロマの調合師、家具職人など、あらゆる工芸・細工が盛んな町だったようだ。

 しかし、水鏡で見せてもらった通り、現在湖は黒い影に覆われて水も干上がっている。レオスは湖が干上がってしまう前の黒い影にアーケイオンの町が飲み込まれた時の様子を語ってくれた。


 レオスは王国側から早い段階で避難勧告はあったというが、職人が多いアーケイオンの町の住人たちは頑なに避難をしなかった。レオスのお父さんたちのような職人達にとっては、仕事というのは自分の手で身につけた技術だけだ。いまさら他所の土地に行っても、せっかくその土地の豊かな恵みによってできていた技法などを同じレベルでできるところなど、そうそうに見つかるはずはない。環境が変わってしまうとまた一からその環境に調整を加えつつ仕事をすることになり、元のレベルに到達するのにどれほど時間がかかるのか、また元のレベルに到達できる保証は何も無い。ましてや避難をして移住することになったとしたら、同じ職を続けられない場合も多い。職を変えるなんてことは長年で身につけた技術を生かす場が無くなってしまうということで、その仕事にやりがいや誇りを抱いていた多くの職人たちにとって、到底受け入れられるものではなかったのだった。


 コルネの補足では、もともと王国の中枢機関で光魔法の遠見が得意な職員によって黒い影の動向をつかむようにしており、避難勧告の使者や避難支援の馬車も積極的に出していたという。あの大きな水鏡もそのために設置されたものであるようだ。なので、生き延びたいという意思のある者には王都内の避難区間を何年も前から配備して受け入れてきていたという。


 レオスの家の裏には湖から引いている水路があった。そして、黒い影が到達する少し前、その水路の水がピタリと来なくなってしまったという。数日前に雨も降っていたから、湖の水位が下がるとは思えなかった。仕事にならなくなったレオスのお父さんは水路の先を見に行くというので、レオスも水路を直す工具や材料を分け持ちながら同行した。二人は水路の引き元となる湖との接点の場所へと至る前に、水路が黒い影に覆われはじめていることに気づいたという。


「水が来ない原因は黒い影の侵食だったのですわね」

「ああ、その通りさコルネイディア姫さん。そして親父が水路の中を見ようとして、斧で水路の天井を叩き割ってみると、そん中に黒い影がギッシリ詰まってやがった」

「水路の周りではなくて、中にも?」

「おう、それはもうギッシリウジャウジャと蔓延っててよ。親父が割った水路の天井の裏側にもびっしり張り付いていやがった。親父がそれを持ち上げる時に一瞬だけ親父の動きが止まった。次の瞬間には親父はすぐに斧を左手に持ち替えて躊躇ためらいなく、ズドンッ!ってな」

「……ッ!」「……」

「そしてすぐにこう!腕を踏んづけたんだ。親父は一瞬の判断で自分の右手を切り落としちまった。切り離された右手の先を見ると、黒い影が親父の手だったものをすっかり覆いつくしてたぜ」


 アキラはレオスが話している間、俺の横にピッタリと擦り寄ってきていた。レオスとコルネの死角になっている自分たちの背後で手をぎゅっと握ってくる。こういう話が苦手なんだろう。レオスがズドンッと言った瞬間。握る手と触れた肩がビクッと震えた。さすがに痛そうな話だし、正直ここまで生々しいとは思ってなかった。


「当然だが、切ったところから血が出るから、早く止血しねぇといけねぇ。親父の小さな悲鳴を聞いたのは手首を切り落とした瞬間が初めてだった。その後も俺が止血を手伝って、親父に肩を貸しながらと町に戻ったんだ……」

「レオスのお父さん、今はどうしてるの?」

「待て待て、順番に話してやるから。手首を無くした親父と一緒に町に戻って、親父と町長のとこに行った。町長っつっても、親父の昔からの職人仲間でよ。それで親父とみた水路のことと、親父の手首を切った理由を伝えて、他の職人連中にも手分けして声をかけて回った」

「偉いですわ、レオスもレオスのお父様も……」

「水路が使えなくなるって話をしたら、さすがにみんな話を聞いてくれたし、数日前から不調だったって人も何人かいた。それでほとんどの連中は避難馬車へ乗ることにしたんだ。残るって決めた年寄り連中もいたけど、多分もう、そこで死ぬことはわかってるみてぇだったから、無理に連れてくるようなことはしなかった」

「そんなことが……本当に申し訳ありません」

「だから前にも言いやしたが、俺や親父はあんたら王族を恨んでねえし謝罪なんかもいりませんって王女様」

「ですが、わたくしたちにとっては国民を守れなかったことに責任があるのでございます」

「だったら、俺は黒い影を差し向けた輩をこの手でぶった切りたい!俺は親父の右手の代わりにそいつらを切り捨てて、親父みたいな職人たちを守れるようになりてぇんだ」


 レオスの声が大きくなっていたのは気づいていたけれど、いつの間にかコルネとレオスの間という至近距離に、一人の女子生徒が立っていた。寮は俺たちと同じくアリスカンダール寮で、学年も同じらしいことがみてとれる。


「その守る人。農家と畜産家も入る?」

「うお!?誰だあんた!?いや、どこのどなたなんだ?」「あなたは……」


 レオスがなれない言葉使いに苦戦しつつ尋ねる。コルネも驚いていたが、こちらは誰なのかは知っているようだ。寮長だから同じ寮生を把握しているのだろう。


「ミー?」

「ん?名前、ミーっていうのか?実家が農家か畜産家でもしているのか?」

「ナーミア。ギュンターのミーの家、黒い影に飲まれたの」

「ん?ミーは猫が好きなのか?ギュンター……わりぃ、聞いたことねぇわ。けどそっか。飲まれちまったのなら、守る人に農家や畜産家も加えなきゃな」

「ユー、名前は?」

「俺か?俺はレオンマティウスってんだ。長ぇからレオスって呼んでくれ」

「レオンマティウス……マティ」

「おい、ちょっと待てこら!レオスっつったろうが!しかもそんな女みてぇな呼び名はやめてくれ」

「ミーはマティがいい。マティ、お手」

「犬じゃねぇんだ。誰がするかっ」

「ユー」

「しねぇって!」

「じゃあ……私の名前はミーじゃない。正確にはナーミア・ミカエル・ドネルクルス・ギュンター。ギュンター辺境伯令嬢とも言われることがある。さあ、マティ、お手」

「グッ……!なんでギュンターの伯爵様は娘に猫の鳴き声と同じ名前を付けたんだろうな!?」

「マミーの趣味」

「くそおおおぉ」


 屈辱感を漂わせながらレオスがナーミア嬢の手に自身の手をのせる。たぶん身分的に平民のレオスと伯爵家のご令嬢では対等じゃないんだろうな。そのことを示す光景を後目に、アキラがコルネに話しかける。


「ねえ、コルン?あの子って同じ寮生だよね?」

「ええ、ギュンター伯爵家のご令嬢ですわ。ギュンター伯爵家はかつて広大な土地を活かした畜産業、農業の両方で国を支えてくれていた領地を誇っておりましたけれど、8年前に黒い影に飲み込まれてからは領民達を連れて王都へ避難して暮らしてもらっておりますの。いまだに領地に戻る手建ても立てられていない王家には……おそらくあまりいい印象は持っていないと思うので、どうして彼女が……?」

「そうだったんだ……」

「ねえコルネ。もうひとつ聞いてもいい?レオスはどうして伯爵家のご令嬢の名前を猫の鳴き声だと思ったの?」

「この国では気まぐれな猫の鳴き声として"ナーミア"という鳴き方がされていると認識されておりますのよ。ですから、”ナーミア”と聞けば真っ先に猫の鳴き声だと思うのが普通なのですわ」


 なるほど、ナーミア嬢はそれを逆手にとって自分の主張に有利な方向へ話を進めていたのか。いわゆる初見殺し。賢い。


「王女様、ごきげんよう。こっちの人が御子様ですか?」

「ナーミアさん、ごきげんよう。ええ、こちらはお二人共、救世の御子様でいらっしゃいますよ。本日はどういたしましたか?なにかお困りのことがあるのでしたら、わたくしでよけれはお力になりたいですわ」


 コルネは寮長であり、先程の話から王都での伯爵家や領民たちの避難先のホストでもある訳だ。相手から良く思われていないと知りながらも毅然きぜんと対応しなければならないのだろう。

 対して、ナーミア嬢はあまり表情が変わらないせいか、何を考えているのか読みとれない。もしナーミア嬢がカードゲームの対戦相手だったとしたら、あのポーカーフェイスゆえになかなか手強そうだ。


「ミスしづくふゆつき、ミスターあきらみわらい。ミーに二人の名前の意味を教えて欲しい」

「名前の意味、ですの?」

「ミー、他の世界の人のこと、もっと知りたい」

「まあナーミアさん、興味を持つのは良いことだと思いますわ。シヅク、アキラさん、もしよろしければですけれど、ナーミアさんのご質問にお答えいただけませんこ?わたくしもお二人のお名前にはとても興味がございますわ」


 名前の意味か。元いた世界でも小学校の時にそういう授業があったなぁ。でも、アキラの名前の由来とかちょっと聞いてみたくはある。


「じゃあ私から。冬月(ふゆつき)は苗字、こっちで言うラストネームとかファミリーネームにあたりますが、季節の冬、ウィンターに空に浮かぶ衛星の……そっか、そもそもこっちには月がないんですね。ええと、私たちがいた世界では、住んでいる星の周りを回る小さな天体があって、それを月って呼んでいたんです。名前の方も紫月(しづく)で月が入っています。紫は色なんですけど、私が生かまれそうな時にたまたま父が月を見上げたら、紫色の満月だったらしくて、それが綺麗で珍しくて名前にしたらしいです。これ、伝わってます?」

「ミー、月?は知らないからよくわからないけど、何となくわかった気がする」

「そうですわね。少し難しいお名前ってことなんですのね」

「いや、そこまで難しくはないはずなんだけど……はは」

「では、次は僕の番かな?」

「ええ、お願いいたしますわ、アキラさん」

「僕のファミリーネームは神々來(みわらい)って、神様たちが沢山来るって意味なんだけど、僕らの住んでいた国では大小様々な神様が沢山いて、あちこちに存在しているって考えがあったんだ。そして、年にひと月だけ神様たちが一箇所に集まるってことになっていて、その様子を指している言葉らしいんだ」

「名前の方は?」

「シヅク、そう急かさないでくれ。玲(アキラ)っていうのは……これ、ちょっと恥ずかしいんだけど……名前の漢字の意味は『玉と金属が触れ合って鳴る美しい音』から転じて『透き通るように美しい様子』を指す言葉らしい……です」

「星を冠するお名前と神様が来るほど美しい音やさまを指す言葉なんですわね。お二方ともなかなかに興味深いお名前をお持ちですわ」

「たしかにアキラって美しいって言葉がしっくりきますよね」

「きゅ急に、な、なにをいい出すんだシヅク??」

「へ?何って?正直な感想?」

「もっと言ってあげてくださいませ、シヅク。先程助けてもらっていたお礼にもなるかもしれませんわよ?」

「それなら、ええと。アキラって顔も良いけど、意外と筋肉があって力強くてかっこいいし、周りの女子生徒達が熱い視線を送るのも頷けるというか。本当に反則級のイケメンなんですよね。その上、エスコートしてくれたりとか紳士的で女性に対して優しくて本当に素敵なんですけど、名前の由来も神々しくて美しいのがぴったりですよね?」

「……あの、え?そんな、ことは……」


 さすがに恥ずかしいのか、アキラが見たこともないほど顔を真っ赤にして狼狽うろたえている。

 かく言う俺も、言ってる間にどうしてこんなことを言い出してしまったのかとちょっと後悔し始めるくらいには恥ずかしくて、顔が熱い。

 いや、別に口説いてるとかそういう訳じゃないのに、どうしてこんなに恥ずかしいのか。その原因の一つは……


「ミー、よく分かった。二人の関係」


 いつの間にか俺とアキラに接近してきて間近で顔をガン見してくるこのご令嬢のせい。


「ギュンター伯爵令嬢、私とアキラの関係って、なにがわかったんですか?」

「ミー、気になってた。二人はいつも手を繋いでる。登校の時も、今も」

「あ、こ、これは違くて」

「何が違うって、シヅク?」


 つい今しがたまで狼狽うろたえていたはずなのに、そんな片鱗すらも残さず真顔に変わるアキラ。

 俺がパッと繋いでいた手を振りほどこうとするも、先ほどよりも強固になっていて全く手を離してくれない。

 話を聞くのに怖かったから繋いでただけだったはずで、今はもう手を繋ぐ理由なんてないはずなのに。


「え?アキラ?ちょっと離してってば、変な誤解を与えちゃうから訂正しないと」

「離さないよ。それで、どんな誤解があるのかな?誤解かどうか確かめてあげるから言ってごらん?」

「ど、どうしてちょっとキレ気味なの!?なんか怖いってば」

「ミー、もうわかった。二人はそのままでいい。ミー、二人のこと応援してる。それだけ」


 応援?なんの?


 一先ず俺とアキラをうとんでいるとかそういうことではなかったようでホッとした。

 こういう風にみんなと居る時に二人で手繋いでいるとか、見る人によっては不快感を与えてしまうものだと思う。

 ナーミア嬢が”気になってた”と言ったので、俺とアキラが決していちゃいちゃしてたわけではないことを弁明した方が良いと思ったのだが、杞憂だったらしい。

 ナーミア嬢に認め(?)られてこのままでいいと言うことだった。

 どう思われるかわからないから、なるべくならみんなにはバレない方がいいけれど、アキラは意外と怖がりみたいだから無下に断ってしまうのは可哀想だ。

 その後何事もなかったかのように解散になった。

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